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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第3章 勇者の嘘

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第30話 死者たちの名前

 王国軍本隊が、森を抜けて姿を現した。


 白い旗が幾重にも並ぶ。


 王国の青い旗。


 聖教会の白い旗。


 そして、勇者の紋章。


 その下に、歩兵隊、神官兵隊、魔道砲部隊、聖油運搬隊が続いている。


 朝霧は、軍靴に踏み荒らされて薄れていった。


 廃村だったアシュベルの前に、王国そのものが立っていた。


 黒花の村境界は、村を囲むように黒銀の光を放っている。


 その内側には、井戸があり、共同畑があり、黒曜花が咲いている。


 昨日の祭りで置かれた水杯も、まだ畑の端に残っていた。


 死者のための杯。


 生きて帰る者のための杯。


 ユーディアの杯も、黒曜花の根に守られている。


 サナは家の陰で、母の姿を見つめていた。


 ユーディアは拘束具を外され、まだ足元がおぼつかない。それでも、捕虜たちの前に立とうとしていた。


 王国兵たちは、それを見ていた。


 捕虜だったはずの女が、盾にされていたはずの女が、いま自分の足で立っている。


 その事実だけで、王国軍の前列には小さな動揺が広がっていた。


 だが、後方の魔道砲は止まらない。


 車輪台が並べられ、砲身が黒花の村へ向けられる。


 聖油の樽が運び込まれ、神官兵たちが術式を唱え始める。


 白面神官は本隊の中央に立ち、仮面越しに村を見ていた。


「反逆者どもへ告げる」


 彼の声が、魔法で拡大されて響いた。


「黒花の村アシュベルは、王国法により魔王復活派拠点と認定された。直ちに武装を解除し、魔王の遺体、黒曜花、古代石碑、ならびに反逆者レイン・オルディアを引き渡せ」


 村の空気が張り詰める。


 俺は剣を握った。


 だが、まだ抜かない。


 ここで剣を抜けば、白面神官の望む形になる。


 反逆者が武器を取った。


 魔王復活派が王国へ敵対した。


 そう記録される。


 白面神官は続けた。


「聖女セレナ、魔導士ミレイユ、盾騎士ベルクについては、王国へ帰還するならば、審問の上で減刑を考慮する」


 ミレイユが鼻で笑った。


「減刑ですって」


 ベルクは答えなかった。


 大盾を構えたまま、ただ前を見ている。


 セレナは、少しだけ目を伏せた。


 その顔には恐れがあった。


 けれど、退く気配はなかった。


「捕虜を解放せよ!」


 王国兵の隊列の後ろから、別の声が飛んだ。


「黒花の村に騙された者たちを保護せよ!」


 保護。


 またその言葉だ。


 サナの肩が震える。


 ノアが苦い顔をした。


「兵士たちは、本当にそう思っている人もいます」


「騙された者を保護する、と?」


「はい。王国では、魔族や混血者は自分で判断できない危険な存在だと教えられる。だから、拘束してでも王国の管理下に置くのが保護だと」


 俺は王国軍を見た。


 前列の兵士たちの中には、まだ迷っている者がいる。


 聖剣の記憶を見た。


 捕虜の名前を聞いた。


 拘束具が支配具だったことを見た。


 それでも、彼らは命令に従っている。


 なぜなら、命令の方が簡単だからだ。


 考えるより、従う方が楽だ。


 俺にも、その気持ちは分からなくはなかった。


 勇者パーティーにいたころ、俺も何度か黙った。


 違和感を覚えても、言わなかった。


 言っても無駄だと思った。


 だが、死者は黙っていても消えない。


 名前を呼ばれなければ、何度でも消される。


「レインさん」


 リュシアが隣に立った。


「黒曜花が、揺れています」


「ああ」


 黒曜花の花びらが、一斉に低く震えていた。


 攻撃を受ける前の防衛反応ではない。


 もっと深いところから、何かが浮かび上がろうとしている。


 俺は黒曜花に触れた。


【対象:黒曜花群】


【状態:死者記憶反応、拡大】


【反応原因:王国軍による魔王遺体回収宣言、古代循環碑破壊予告、捕虜再拘束の意図】


【蓄積記憶:アシュベル、リーベル、ノーラ、ハーグ、王国西部枯死村、魔王戦死者、王国兵戦死者】


【開示条件:名呼び、墓守の許可、死体鑑定士の接触】


【警告:記憶開示により、王国軍全体に心理的動揺発生】


 王国兵戦死者。


 俺は息を呑んだ。


 黒曜花は、魔族や村人だけを覚えているわけではない。


 魔王城で死んだ王国兵。


 王国が素材として扱った戦死者。


 魔道炉へ送られた者。


 名前を刻まれなかった補充兵。


 それらの記憶も、地下の魔力循環を通じて黒曜花へ届いている。


 死者に敵味方はない。


 死んだあとでさえ、王国は彼らを分類しようとする。


 英雄。


 反逆者。


 魔族。


 素材。


 だが、黒曜花は別の基準で覚えている。


 名前があったか。


 誰かに呼ばれたか。


 弔われたか。


 それだけだ。


「セレナ」


 俺は振り返った。


「名前を呼べるか」


 セレナは俺を見た。


 少しだけ驚いた顔をしたあと、静かに頷いた。


「呼びます」


「王国兵の死者もいる」


 その言葉に、彼女の表情が変わった。


「王国兵の……」


「ああ。黒曜花は覚えている。魔族だけじゃない。村人だけじゃない。王国が使い捨てた兵士たちも」


 ノアが顔を上げた。


「補充兵も?」


「たぶん」


 ノアの手が震えた。


 彼は自分の認識布を握りしめる。


 王国補充兵ノア・テイル。


 置いていかれた少年。


 もしアシュベルで拾われなければ、彼も名前のない未帰還兵になっていた。


 ノアは小さく言った。


「呼んでください」


 セレナが彼を見る。


「分かりました」


 白面神官の声がさらに響く。


「最後通告である! 従わぬ場合、黒花の村全体を浄化対象とする!」


 浄化対象。


 その言葉に、黒曜花が強く揺れた。


 リュシアが魔王の墓の前へ進む。


 彼女は両手を重ね、深く息を吸った。


「墓守リュシアが許可します」


 その声は、戦場に不思議なほど澄んで響いた。


「この村に眠る死者。名前を奪われた死者。敵と呼ばれ、素材と呼ばれ、記録から削られた死者たち。あなたたちの名を、今ここで呼びます」


 黒曜花が開いた。


 共同畑だけではない。


 井戸のそば。


 旧水路。


 村境界。


 昨日、新しく来た避難民たちが眠る家の床下。


 そして、王国軍の足元の土までも、かすかに黒銀の光を帯びた。


 白面神官が叫ぶ。


「何をしている! 止めろ!」


 神官兵たちが浄化札を投げようとする。


 ミレイユが杖を振った。


 青い魔力灯が空中で弾け、札の軌道を照らす。


「ノア!」


「左から三枚、右から二枚!」


 ノアの声に合わせて、グランが鉄片を投げる。


 札は空中で弾かれ、地面に落ちた。


 ベルクが大盾を構え、王国兵の前進を止める。


「まだ来るな」


 彼の低い声に、前列の兵士が足を止めた。


 セレナが黒曜花の前に立った。


 白い法衣の裾が朝の風に揺れる。


 彼女は聖印を握らなかった。


 祈りの構えも取らなかった。


 ただ、両手を胸の前で重ね、名前を呼び始めた。


「マリア・バルザ」


 最初は、アシュベルの死者。


 バルザが目を閉じる。


 黒曜花の上に、銀色の灯が浮かんだ。


「グランの父、トルド」


 グランの槌を握る手が震えた。


「井戸が枯れた年に亡くなった子、エル」


 エナが涙を拭う。


「名前を残せなかったアシュベルの人たち」


 小さな灯が、いくつも浮かぶ。


 王国兵たちがざわついた。


 彼らには、それが攻撃には見えなかったのだろう。


 ただ、死者の名を呼んでいるだけだ。


 それなのに、空気が変わっていく。


 セレナは続けた。


「エイダ」


 リーベルの死者。


「ロム」


 エイラが涙をこらえる。


「カイさんの祖父」


 カイがリーネの手を握る。


「ネル。八歳。逃げ遅れた人を助けに戻った子」


 小さな銀色の灯が、黒曜花の上で強く光った。


 王国兵の一人が、かすかに呟いた。


「八歳……」


 その声は、槍の列の中に消えた。


 だが、確かに聞こえた。


 セレナは次に、昨日来た避難民たちの村の名を呼んだ。


「ノーラ村で亡くなった人たち」


 老婆ハンナが膝をつく。


「ハーグの井戸で倒れた人たち」


 片目を包帯で覆った混血者が、唇を噛む。


「名前を持っていたのに、王国記録に残らなかった人たち」


 黒曜花の灯が増える。


 それはもう、共同畑の中だけに収まらなかった。


 村の上空へ。


 境界線の外へ。


 王国軍の前まで、銀色の灯が浮かんでいく。


 白面神官が杖を振る。


「消せ! 幻だ!」


 神官兵が浄化魔法を放つ。


 だが、灯は消えなかった。


 むしろ、浄化の光に触れた瞬間、灯の中から別の名が浮かび上がる。


 セレナが息を呑む。


 俺の視界に鑑定が出た。


【対象:王国神官兵の浄化魔法】


【接触対象:未弔い王国兵記憶】


【反応:名の開示】


【開示名:エミル・ラグ】


 エミル・ラグ。


 俺は覚えていた。


 魔王城から棺を運び出す夜、森で見つけた王国斥候兵の遺骨。


 追跡者に偽の足跡を見せる短剣を残していた男。


 俺は声に出した。


「エミル・ラグ」


 王国軍の前列で、一人の兵士が肩を震わせた。


「兄さん……?」


 その声は小さかった。


 だが、周囲の兵士が彼を見た。


 彼は若い兵だった。


 兜の下で目を見開き、銀色の灯を見ている。


 灯の中に、かすかな人影が見えた。


 王国斥候兵。


 エミル・ラグ。


 死者の姿ははっきりとは見えない。


 だが、若い兵には分かったのだろう。


「兄さんは、魔王城で戦死したって……遺品も戻らなくて……」


 白面神官が怒鳴る。


「惑わされるな!」


 だが、兵士は槍を握りしめたまま動けない。


 俺の視界に、さらに名前が流れる。


【未弔い王国兵記憶、開示】


【ダリオ・ベン】


【カスパル・ノイン】


【リック・ハウゼ】


【ミナ・オルセン】


【補充兵番号のみ登録、名未確認:多数】


 俺は一つずつ読み上げた。


「ダリオ・ベン」


 王国兵の列で、別の兵士が顔を上げる。


「カスパル・ノイン」


「リック・ハウゼ」


「ミナ・オルセン」


 ミナという名を聞いたとき、神官兵の一人が杖を落とした。


「ミナ……?」


 セレナがその兵士を見る。


「知っているのですか」


 神官兵は震える声で言った。


「同期でした。魔力炉事故で死んだと……でも、殉職扱いで」


 俺の鑑定が、勝手に深まった。


【対象:ミナ・オルセンの死者記憶】


【死因:王都魔道炉浄化区画での魔力毒暴露】


【公式記録:名誉殉職】


【実記録:防護不備、事故隠蔽、遺体魔力結晶化後に炉へ再投入】


 俺は言葉を失った。


 遺体魔力結晶化後に炉へ再投入。


 死者を素材にする国。


 王国は、魔族だけではなかった。


 王国兵も、神官兵も、死んだあとで炉へ入れていた。


 名前だけ名誉殉職にして。


 身体は素材として。


 俺はそれを読み上げるべきか迷った。


 だが、死者は嘘をつかない。


 そして、嘘をつかない死者の前で、俺が黙れば同じことになる。


「ミナ・オルセン」


 俺は言った。


「王都魔道炉浄化区画で魔力毒により死亡。公式記録は名誉殉職。実際には、防護不備による事故。遺体は魔力結晶化され、炉へ再投入された」


 王国軍の中に、明確な動揺が走った。


「嘘だ……」


「そんなことをするはずが」


「でも、魔道炉には殉職者の聖遺物が使われてるって……」


「聖遺物って、そういう意味なのか?」


 兵士たちの声が広がる。


 白面神官が怒鳴る。


「黙れ! 反逆者の死体鑑定を信じるな!」


 俺は白面神官を見た。


「なら、反論しろ」


「何?」


「ミナ・オルセンの遺体はどこにある」


 白面神官は答えなかった。


「殉職者の墓はどこだ。遺族に遺骨は返したのか」


 沈黙。


 その沈黙が答えだった。


 神官兵の一人が膝をついた。


「ミナ……」


 彼の手から杖が落ちる。


 白面神官が顔を向ける。


「立て。任務中だ」


「彼女は、王国のために死んだのに」


「だからこそ聖遺物となった」


 その言葉は、決定的だった。


 神官兵の顔が凍る。


 王国兵たちも聞いていた。


 聖遺物。


 名誉。


 浄化。


 保護。


 それらの言葉の下に、死者の身体が使われている。


 魔族だけではない。


 敵だけではない。


 味方の死者さえ、素材にされていた。


 黒曜花が強く揺れる。


 セレナは涙を流しながら、さらに名前を呼んだ。


「ミナ・オルセン」


 銀色の灯が、神官兵の前へ降りる。


 彼は震える手を伸ばした。


 触れられない。


 けれど、そこにいる。


「エミル・ラグ」


 若い兵士の前にも、灯が降りる。


 彼は槍を地面に落とした。


「兄さん……」


 セレナの声は続く。


「ダリオ・ベン」


「カスパル・ノイン」


「リック・ハウゼ」


「補充兵番号だけで記録された人たち」


 ノアが震えながら前に出た。


「補充兵にも、名前があります」


 彼の声は大きくなかった。


 だが、王国軍の中の若い兵たちには届いた。


「俺はノア・テイルです。補充兵番号ではありません。置いていかれた兵士です。でも、ここで名前を呼ばれました」


 ノアは王国兵の列を見た。


「あなたたちも、死んだら番号だけになるかもしれない。名誉殉職と書かれて、遺体は炉に入れられるかもしれない。それでも、進むんですか」


 前列の兵士たちが動けなくなる。


 白面神官が叫ぶ。


「扇動だ! 補充兵の逃亡者に惑わされるな!」


 そのとき、王国軍後方から低い号令が響いた。


「前列交代」


 カイゼルだった。


 彼は聖剣を握ったまま、冷たい目で前列の兵士たちを見ていた。


「動けない者は下がれ。神官兵、規律違反者を拘束。第二列、前へ」


 迷った兵士たちが後ろへ下げられる。


 代わりに、より重装備の兵士たちが前に出た。


 彼らの兜には、耳を塞ぐ小さな魔道具がついていた。


 声を遮断する道具だ。


 白面神官が命じていたのだろう。


 死者の名前を聞かせないために。


 ミレイユが歯を食いしばる。


「耳を塞いで進む軍隊なんて、最低ね」


 カイゼルは言った。


「王国軍、再前進。死者の幻に惑わされるな」


 ベルクが叫ぶ。


「幻ではない!」


「ベルク。お前の声も、もう兵には届かない」


 カイゼルの言う通り、第二列の兵士たちは表情を変えない。


 耳を塞がれ、命令だけを魔道具で受け取っている。


 名前を呼ぶ声は届かない。


 死者の記憶も、視界の端に追いやられている。


 王国は、死者の声を聞かせない軍を作っていた。


「なら、見せる」


 ミレイユが低く言った。


 彼女は杖を高く掲げる。


「耳を塞ぐなら、目を塞げないくらい照らしてやる!」


 青い魔力が空へ広がった。


 それは攻撃魔法ではない。


 黒曜花の銀色の灯を、より鮮明に映し出す光。


 死者たちの名前が、空に文字として浮かび上がる。


 マリア。


 エイダ。


 ロム。


 ネル。


 エミル。


 ミナ。


 ダリオ。


 カスパル。


 リック。


 そして、名未確認の死者たちのために、空白の灯が並ぶ。


 耳を塞いでも、名前が見える。


 王国兵たちの足がまた鈍る。


 白面神官が怒号を上げる。


「魔道砲、準備!」


 後方の魔道砲部隊が動いた。


 砲身が黒花の村境界へ向けられる。


 俺の視界に警告が浮かぶ。


【警告:魔道砲照準】


【弾種:圧縮魔力弾】


【効果:広域結界破壊】


【危険:村境界に甚大負荷】


 魔道砲。


 王都の魔道炉から供給される圧縮魔力を使う兵器。


 撃たれれば、境界が耐えられるか分からない。


 リュシアが黒曜花へ手を重ねる。


 グランが境界鍬を構える。


 ベルクが大盾を前に出す。


 だが、魔道砲の威力は盾一枚で受け止めるものではない。


 セレナが空に浮かぶ死者の名を見上げた。


「まだ、呼べていない名前があります」


「誰だ」


 俺が尋ねると、彼女は王国軍の後方を見た。


「魔道砲を動かしている人たちにも、死者がいるはずです」


 俺は魔道砲へ目を向けた。


 壊れたものではない。


 まだ稼働している兵器。


 だが、その砲身の奥に使われている魔力結晶。


 そこには、死者の痕跡があるかもしれない。


 俺は黒曜花の根に手を当て、魔道砲へ鑑定を伸ばした。


 距離がある。


 だが、死者の名が空に満ちている今なら、届く気がした。


【対象:王国式魔道砲】


【状態:発射準備中】


【動力核:混合魔力結晶】


【結晶由来:魔石、戦死者魔力結晶、処刑魔術師骨片、魔族遺骸粉末】


【未弔い反応:多数】


 やはり。


 魔道砲そのものが、死者の素材でできている。


 俺は叫んだ。


「その魔道砲の中にも死者がいる!」


 王国軍後方までは届きにくい。


 だが、ミレイユが俺の声を魔法で拡大した。


 セレナが続ける。


「名前を!」


 俺は鑑定を深めた。


 死者の情報が、断片的に浮かぶ。


【開示名:ユリアン・ホフ】


【開示名:セド・マルク】


【開示名:イリナ・テス】


【開示名:魔族名不明、角片記録あり】


【開示名:処刑魔術師ラザル】


「ユリアン・ホフ!」


 セレナが呼ぶ。


「セド・マルク!」


 魔道砲の砲身が震える。


「イリナ・テス!」


 砲身の奥で、青白い光が乱れた。


「名の分からない魔族の方!」


 黒曜花が強く光る。


「処刑魔術師ラザル!」


 その名前を呼んだ瞬間、魔道砲の一基が火花を噴いた。


 砲手たちが慌てる。


「核が乱れています!」


「安定しません!」


「死者反応に干渉されています!」


 白面神官が怒鳴る。


「強制発射しろ!」


「危険です!」


「撃て!」


 砲手が震える手で発射機構へ触れる。


 だが、その前にベルクが動いた。


 大盾を構えたまま、境界線の外へ一歩踏み出す。


「ベルク!」


 ミレイユが叫ぶ。


 彼は振り返らなかった。


 大盾の聖剣破片が光っている。


 ベルクは王国軍に向かって叫んだ。


「その砲を撃つなら、まず私を撃て!」


 王国兵たちが動きを止める。


 反逆者扱いされていても、ベルクは元勇者パーティーの盾騎士だ。


 魔王討伐戦で、何度も勇者を守った英雄の一人。


 その彼が、魔道砲の前に立っている。


 カイゼルの顔が険しくなる。


「ベルク、下がれ」


「下がりません」


「命令だ」


「今の私は、守るべきものの前に立っています」


 ベルクの大盾が黒銀に光る。


 聖剣破片が、空に浮かぶ死者の名と共鳴している。


「この盾は、勇者の物語を守るためだけにあるのではありません」


 ベルクは言った。


「名前を消される者の前にも、立ちます」


 魔道砲部隊が撃てない。


 白面神官が苛立ちをあらわにする。


「撃て! 撃たぬ者は反逆だ!」


 砲手の一人が叫んだ。


「撃てません! 盾騎士ベルク様が前に!」


「反逆者だ!」


「それでも、ベルク様です!」


 王国軍の中で、初めて明確な命令拒否が起きた。


 白面神官の仮面が、怒りで震えているように見えた。


 カイゼルは聖剣を握りしめた。


 その刃はまだ不安定に震えている。


 死者の名。


 聖剣の記憶。


 裏切り者の聖女。


 反逆騎士。


 疑う魔導士。


 置いていかれた元兵士。


 それらが、王国軍の足を止めている。


 だが、戦いは終わらない。


 むしろ、白面神官の目には、決定的な焦りが宿っていた。


 彼は懐から黒い札を取り出した。


 白い札ではない。


 黒い、骨のような札。


 セレナが息を呑む。


「それは……禁式札」


 白面神官は札を高く掲げた。


「死者の名を使うなら、こちらも死者を使うまで」


 嫌な予感がした。


 俺の鑑定が警告を出す。


【対象:禁式・死骸兵起動札】


【状態:発動準備】


【用途:魔道炉由来の戦死者魔力結晶を強制再起動し、一時的な死骸兵として使役】


【危険:高】


【冒涜度:極大】


 死骸兵。


 戦死者の魔力結晶を、強制的に兵として使う。


 死者を素材にするだけではない。


 死者をもう一度戦わせる気だ。


 リュシアの顔が怒りで白くなる。


「死者を、まだ使うのですか」


 白面神官は答えなかった。


 黒い札が燃える。


 魔道砲の動力核から、歪んだうめき声のようなものが響いた。


 空に浮かぶ銀色の灯の一部が、無理やり引きずられるように揺れる。


 セレナが叫ぶ。


「やめなさい!」


 白面神官は言った。


「死者の名を呼ぶだけでは国は守れない。死者は王国のために再び働くのだ」


 その言葉で、黒曜花が激しく震えた。


 魔王の墓から、黒銀の光が立ち上がる。


 俺の視界に表示が浮かぶ。


【黒曜花群:強制防衛反応】


【理由:死者冒涜行為、極大】


【発動候補:死者名簿展開】


【条件:死体鑑定士による名の確定、聖女による名呼び、墓守による弔い許可】


 死者名簿展開。


 俺は黒曜花に手を置いた。


 膨大な名前が、視界に流れ込む。


 アシュベル。


 リーベル。


 王国兵。


 神官兵。


 魔族。


 処刑魔術師。


 魔道炉で消費された者。


 名もなく登録された補充兵。


 名を奪われた子ども。


 数が多すぎる。


 頭が割れそうだった。


 だが、ここで止めなければ、死者たちはまた使われる。


「セレナ!」


「はい!」


「読み切れないほどの名前が来る!」


「私が呼びます!」


「多すぎる!」


「それでも!」


 セレナは黒曜花の前に立った。


 リュシアも隣に立つ。


「墓守リュシアが許可します」


 彼女は涙を浮かべながら、怒りに震える声で言った。


「死者を兵に戻さないために。死者を、死者として呼んでください」


 俺は目を閉じた。


 鑑定結果の濁流の中から、名前を拾う。


 全部は無理だ。


 だが、一つでも多く。


 死者を兵器から名前へ戻すために。


「ユリアン・ホフ!」


 セレナが呼ぶ。


「セド・マルク!」


 ミレイユが空に名前を映す。


「イリナ・テス!」


 ベルクの盾が光る。


「ラザル!」


 黒曜花が開く。


「エミル・ラグ!」


 若い王国兵が泣き崩れる。


「ミナ・オルセン!」


 神官兵が杖を捨てる。


「ダリオ・ベン!」


「カスパル・ノイン!」


「リック・ハウゼ!」


 名前が、朝の空を埋めていく。


 白面神官の黒い札が、火花を散らし始めた。


 死者を兵として縛ろうとする力と、名前を呼んで弔おうとする力がぶつかっている。


 王国軍の足元で、魔力結晶が砕ける音がした。


 銀色の灯が解放される。


 死者たちは、兵士として立ち上がらなかった。


 代わりに、空へ浮かんだ。


 名前を呼ばれて。


 ようやく、戦場から離れるように。


 白面神官が叫ぶ。


「なぜだ! 死者は王国のものだ!」


 その言葉に、カイゼルでさえ一瞬、彼を見た。


 死者は王国のもの。


 白面神官は、ついに本音を言った。


 王国兵たちも聞いた。


 耳を塞がれていた者でさえ、魔道具越しにその言葉が伝わった。


 死者は王国のもの。


 その一言が、王国軍の中に深い亀裂を入れた。


 セレナが静かに言った。


「いいえ」


 彼女の声は、激しい戦場の中でもはっきり届いた。


「死者は、誰の所有物でもありません」


 黒曜花が輝く。


「死者には、名前があります」


 空に浮かぶ無数の灯が、朝日に重なった。


 死者たちの名前。


 それは剣ではない。


 砲でもない。


 だが、王国軍の進軍を止めていた。


 少なくとも、今この瞬間は。


 俺は息を切らしながら、空を見上げた。


 名前は、まだすべて呼び終えていない。


 呼べなかった名前もある。


 名を失ったままの死者もいる。


 それでも、確かに始まった。


 死者を素材から名前へ戻す戦いが。


 黒花の村は、王国軍本隊の前で、武器ではなく名簿を広げた。


 そしてその名簿は、王国のどんな布告よりも重く、白い旗の下に立つ兵士たちの心を揺らし始めていた。


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