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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第3章 勇者の嘘

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第27話 黒花の祭り

 王国軍の角笛が、夜の森の向こうで鳴った。


 すぐに攻めてくるわけではない。


 だが、近い。


 白い旗。


 聖教会の紋章。


 勇者カイゼルの聖剣。


 それらが、この村へ向かっている。


 黒花の村アシュベルは、すでに王国から指名手配されていた。


 魔王復活派拠点。


 反逆者の巣。


 黒曜花を見つければ通報せよ。


 報奨金を与える。


 そんな布告が、周辺の街道や村に貼られている。


 普通なら、逃げるべきだった。


 隠れるべきだった。


 畑の黒曜花を覆い、井戸を隠し、村の入口の黒い花の布も外すべきだったのかもしれない。


 けれど、バルザは朝になって、まったく別のことを言った。


「祭りをしよう」


 共同畑に集まっていた全員が、老人を見た。


 俺も、聞き間違いかと思った。


「祭り?」


「ああ」


 バルザは杖をついたまま、当然のように頷いた。


「アシュベルでは昔、初芽祭というものをしておった。種が芽を出した日に、井戸水を分け、死者の名を呼び、生きている者の名も確かめる祭りじゃ」


 グランが眉をひそめる。


「じいさん、正気か? 王国軍が来るんだぞ」


「だからじゃ」


「だから祭り?」


「王国は、ここを魔王復活派拠点と呼んでおる。なら、こちらが何者かを自分たちで示さねばならん」


 バルザは共同畑を見る。


 黒曜花の間から、アシュベル麦の小さな芽が伸びていた。


 リーベルの種。


 ノーラの豆。


 ハーグの根菜。


 まだ芽吹いていないものも多い。


 けれど、土は生きている。


 井戸には水がある。


 逃げてきた者たちが、同じ村で朝を迎えている。


「戦う前に、ここが村だと確かめる」


 バルザは言った。


「村であることを忘れたら、守るものが分からなくなる」


 誰もすぐには反論しなかった。


 リュシアが黒曜花に手を置く。


「境界線の維持条件にも、村人の意思が必要と出ていました」


「ああ」


 俺は頷いた。


 境界鍬で刻んだ黒花の村境界。


 その効果は、防火、防油、魔力毒遮断。


 だが、維持には村人の意思が必要だった。


 ただ怖がって閉じこもるだけでは、境界は弱る。


 自分たちが何を守るのかを、全員が分かっていなければならない。


 セレナが静かに言った。


「祈りではなく、祭りですか」


「聖女様には不謹慎に聞こえるかもしれんが」


「いいえ」


 セレナは首を振った。


「死者の名を呼び、生者の名を確かめるなら、それは祈りに近いと思います」


 ミレイユが腕を組む。


「王国軍が見たら、魔王復活の儀式って言いそうね」


「言うだろうな」


 俺が答えると、彼女は肩をすくめた。


「じゃあ、なおさら派手にやればいいわ。隠れてこそこそやっても、どうせ悪く言われるんだから」


「ミレイユらしいな」


「どうも」


 ベルクは黙って村の入口を見ていた。


 背中の大盾には、聖剣アステリオスの破片が光っている。


 彼はしばらく考えたあと、短く言った。


「私も賛成だ」


「意外ね」


 ミレイユが言うと、ベルクは首を振った。


「守る前に、何を守るのか知る必要がある」


 その言葉で、祭りは決まった。


 戦いの前日。


 王国軍の角笛が森の向こうで鳴る中、黒花の村は祭りの準備を始めた。


 祭りといっても、豪華なものは何もない。


 笛も太鼓もない。


 酒も菓子もない。


 色鮮やかな布も、飾り花も足りない。


 あるのは、井戸水。


 黒曜花。


 壊れた道具を直す鍛冶場。


 古い種袋。


 焦げた木札。


 名前の分からなかった死者の名。


 それだけだった。


 それでも、村人たちは動いた。


 エナは井戸水を小さな杯に分けた。


 ミトとリナは、村の入口に掲げた黒い花の布をまっすぐ張り直した。


 サナは弟妹たちと一緒に、黒曜花の周りに小石を並べた。


 ミミは一つ置くたびに「これはお母さんのぶん」と言い、トトが「まだ生きてる」と言い直した。


 するとサナが、少しだけ泣きそうな顔で言った。


「生きてる人のぶんも置いていいんだよ」


 それから、ユーディアのための小石が置かれた。


 死者ではない。


 まだ檻の中にいる母のための石。


 それは墓石ではなく、帰る場所の目印だった。


 グランは鍛冶場を開けた。


 壊れた鍬、曲がった鎌、折れた鍋の取っ手、曲がった釘。


 村人や避難民たちが持ち寄ったものを、彼は一つずつ見ていった。


「祭りで鍛冶仕事か」


 俺が言うと、グランは鼻を鳴らした。


「アシュベルの祭りじゃ、昔から鍛冶屋も店を出してたんだよ」


「店?」


「壊れた道具を直す店だ。種を蒔く前に、道具も直す。そういう日だったらしい」


「らしい?」


「俺が覚えてるころには、もう祭りなんて半分形だけだった」


 グランは曲がった鎌を火にかざし、ゆっくり叩いた。


「でも、今なら意味が分かる。壊れたもんを直す日がない村は、たぶん長く続かねえ」


 その言葉に、俺は何も返せなかった。


 黒花の村は、壊れたものばかりを集めている。


 壊れた鍬。


 壊れた王国兵。


 祈れなくなった聖女。


 疑い始めた魔導士。


 守るものを選び直した盾騎士。


 父を失った墓守。


 死体しか見えない鑑定士。


 そして、壊れかけた世界。


 祭りというより、修理の場なのかもしれない。


 俺はグランが直した鎌に触れた。


【対象:曲がった鎌】


【状態:修復中】


【由来:リーベル村の共同畑】


【過去価値:麦刈り道具】


【現在価値:避難民の記憶】


【未来価値候補:黒花の村で最初に麦を刈る鎌】


「これ、使える」


 俺が言うと、持ち主のリーネが目を見開いた。


「本当に?」


「ああ。未来価値が出ている」


「未来価値……」


「黒花の村で最初に麦を刈る鎌だ」


 リーネは鎌を両手で受け取り、泣きそうになった。


「リーベルは焼けたのに」


「ああ」


「でも、この鎌はまだ麦を刈れるのね」


「そう出ている」


 リーネは鎌を胸に抱いた。


「なら、私もここで畑を手伝う」


 それは、小さな移住の宣言だった。


 黒花の村が、また一人を受け入れた。


 井戸のそばでは、セレナが水杯を並べていた。


 聖教会の杯ではない。


 木を削っただけの粗末な杯。


 そこに井戸水を少しずつ注ぐ。


 彼女はまだ、教会式の祈りを唱えられない。


 だが、杯を受け取る一人一人に名前を尋ねていた。


「お名前を聞かせてください」


「カイ」


「カイさん。水を」


「リーネ」


「リーネさん。水を」


「オルド」


「オルドさん。水を」


 名前を呼び、水を渡す。


 それだけの行為だった。


 だが、受け取る者たちは皆、少しだけ背筋を伸ばした。


 王国の収容地では、彼らは捕虜だった。


 管理対象。


 魔族協力者。


 未登録児童。


 名前を奪われた者たち。


 ここでは、名前を聞かれる。


 そして、水を渡される。


 それは、祭りの中心にふさわしい儀式だった。


 ミレイユは村のあちこちに小さな魔力灯を浮かべていた。


 火ではない。


 聖油に反応しない、淡い青白い灯だ。


 黒曜花の光と重なると、花びらの縁が銀色に輝く。


「派手すぎないか」


 俺が言うと、ミレイユは得意げに笑った。


「祭りなんでしょ? 明かりくらい必要よ」


「王国軍に見つかる」


「どうせ見つかってるわ」


 正論だった。


 彼女は杖を回し、また一つ灯を浮かべる。


 子どもたちが歓声を上げた。


 ミレイユは少し驚いた顔をして、それから照れたように視線を逸らした。


「魔法を見て喜ぶ子ども、久しぶりに見た」


「王国では違うのか」


「王都の子どもは魔道灯に慣れてるし、戦場では魔法は怖がられるものだった」


 彼女は青い灯を見上げる。


「燃やすためじゃなく、照らすために使うって言ったけど……悪くないわね」


「似合ってるぞ」


「やめて。慣れてないから」


 そう言いながらも、ミレイユは灯を消さなかった。


 ベルクは村の入口にいた。


 大盾を地面に立て、その前に座っている。


 戦うためではなく、門番のように。


 子どもたちが恐る恐る近づいて、大盾を見上げた。


「おっきい」


 ミトが言う。


「重くないの?」


 リナが尋ねる。


「重い」


 ベルクは正直に答えた。


「じゃあ、なんで持つの?」


 ベルクは少し考えた。


 そして、子どもたちと同じ目線になるよう膝をついた。


「誰かの前に立つためだ」


「誰かって?」


「そのとき、守りたいと思った人」


 ミトは首を傾げた。


「勇者様じゃないの?」


 その問いに、ベルクはほんの少しだけ表情を変えた。


 だが、逃げなかった。


「昔は、そう思っていた」


「今は?」


「今は、考えている」


 子どもたちには難しかったのだろう。


 ミトとリナは顔を見合わせた。


 するとベルクは、大盾に触れた。


「この盾も、考えている」


「盾が?」


「たぶん」


 彼の大盾に食い込んだ聖剣の破片が、黒曜花の光を受けて淡く輝いた。


 ミトが目を丸くする。


「盾もお祭りに来たんだ」


 ベルクは少しだけ笑った。


「そうかもしれない」


 その笑みを見て、俺は初めてベルクがただの盾騎士ではなく、一人の人間として笑うところを見た気がした。


 祭りの準備が進む中、リュシアだけは少し離れた場所にいた。


 魔王の墓の前。


 黒曜花が最初に咲いた場所。


 そこに、彼女は小さな杯を置いていた。


 井戸水の入った杯。


 隣には、黒曜花の葉。


 そして、乾燥させた薬草が一つ。


「薬草茶か」


 俺が声をかけると、リュシアは振り返った。


「はい」


「魔王が苦手だった?」


「とても苦手だったものです」


 彼女は少しだけ笑った。


「祭りで父のために何を供えればいいか考えたのですが、立派なものより、父が嫌がりそうなものが先に思い浮かびました」


「嫌がるものを供えるのか」


「きっと、困った顔をすると思います」


 その声は、昨日より少し軽かった。


 旧魔族墓地で父の記憶を見たことで、リュシアの中の魔王ゼルグレイスは、世界楔だけではなくなった。


 薬草茶を嫌がる父。


 娘の進路に悩む父。


 墓に頭を下げる父。


 その記憶が、彼女を支えているのだろう。


「今日の祭りで、話してもいいでしょうか」


 リュシアが尋ねた。


「何を?」


「父のことを」


「世界を支えていた魔王として?」


「いいえ」


 彼女は首を振った。


「薬草茶が嫌いだった父として」


 俺は少しだけ笑った。


「いいと思う」


「王国の人が聞いたら、怒るでしょうか」


「魔王が薬草茶を嫌がる話で?」


「魔王を恐ろしい災厄として語りたい人には、不都合かもしれません」


「なら、なおさら話した方がいい」


 リュシアは頷いた。


「はい」


 夕暮れ。


 黒花の祭りが始まった。


 祭りと呼ぶには、あまりに静かだった。


 だが、確かにそこには祭りの空気があった。


 井戸の周りには水杯が並び、共同畑には黒曜花と魔力灯が光る。


 鍛冶場では直された道具が並び、種袋の前ではそれぞれの村の名前が読み上げられた。


 バルザが祭りの始まりを告げる。


「アシュベルの初芽祭を、黒花の村として再び行う」


 老人の声は、年の割に強かった。


「死者の名を呼ぶ。生者の名を聞く。井戸水を分ける。壊れた道具を直す。眠っていた種を土に返す。それが、この村の祭りじゃ」


 誰かが拍手した。


 ミトだった。


 それにつられて、リナも拍手する。


 やがて、皆が手を叩いた。


 小さな拍手。


 不揃いな拍手。


 それでも、村に音が戻った。


 最初に死者の名が呼ばれた。


 アシュベルで亡くなった者たち。


 バルザの妻マリア。


 グランの父。


 熱で亡くなった子ども。


 井戸が枯れた年に去った者。


 名前が分からない者は、「名を忘れられた人」と呼ばれた。


 次に、リーベルの死者。


 エイダ。


 ロム。


 カイの祖父。


 ネル。


 ネルの名が呼ばれたとき、セレナの声がかすかに震えた。


 だが、彼女は止まらなかった。


「ネル。八歳。逃げ遅れた人を助けに戻った子」


 黒曜花の上に、小さな銀色の灯が浮かんだ。


 カイが泣きながら、その灯を見つめていた。


 続いて、生きている者の名前が呼ばれた。


 バルザ。


 グラン。


 エナ。


 ミト。


 リナ。


 レイン。


 リュシア。


 セレナ。


 ノア。


 サナ。


 リク。


 トト。


 ミミ。


 リーネ。


 オルド。


 カイ。


 ジグ。


 他にも、逃げてきた者たちの名が続く。


 名前を呼ばれるたびに、その者は井戸水の杯を受け取った。


 ノアの番になったとき、彼は少し戸惑った。


「ノア・テイル」


 セレナが呼ぶ。


 ノアは顔を上げる。


「元王国補充兵ではなく?」


「ここでは、名前を呼びます」


 セレナは杯を差し出した。


「ノア・テイルさん。水を」


 ノアはゆっくり杯を受け取った。


 その手は震えていた。


「俺……本当にここにいていいのかな」


 小さな声だった。


 グランが横から言う。


「今さら出ていかれても困る。馬車を止めるのに王国式の知識がいる」


「道具扱い?」


「役に立つ村人扱いだ」


 ノアは一瞬ぽかんとし、それから笑った。


 少し泣きそうな笑いだった。


「役に立つって、悪くないな」


「働けよ」


「はい」


 ノアは杯の水を飲んだ。


 その瞬間、黒曜花の根が彼の足元で淡く光った。


 俺の視界に鑑定結果が浮かぶ。


【対象:ノア・テイル】


【状態:負傷回復中、帰属揺らぎ】


【過去価値:置き去りにされた補充兵】


【現在価値:黒花の村の水を受け取った者】


【未来価値候補:王国兵を村人へつなぐ証人】


 俺はその表示を見て、少しだけ息を吐いた。


 ノアはもう、ただ置いていかれた兵士ではない。


 祭りは続いた。


 サナはユーディアの杯を、黒曜花の前に置いた。


「お母さんはまだ死者じゃない」


 彼女ははっきりと言った。


「だから、これは帰ってきたときに飲む水」


 ミミが小さな手で杯に触れる。


「お母さんの」


「うん」


「こぼしたら怒られる?」


「怒られる」


 サナは泣き笑いのような顔をした。


「だから、ちゃんと置いておく」


 黒曜花は、その杯を包むように根を伸ばした。


 死者のためではない。


 生きて帰る者のための水を守るように。


 やがて、リュシアが前に出た。


 村の空気が静まる。


 彼女は魔王の墓の前に立ち、薬草茶の杯を置いた。


「今日は、父の話をします」


 リュシアの声は、よく通った。


「魔王ゼルグレイスの話ではありません。世界楔の話でも、毒受けの王の話でもありません」


 彼女は少しだけ息を吸う。


「私の父の話です」


 黒曜花が静かに揺れる。


「父は、薬草茶が嫌いでした」


 沈黙。


 そして、最初に小さく笑ったのはミトだった。


「魔王なのに?」


 リナも目を丸くする。


「苦いのだめなの?」


 リュシアは真面目に頷いた。


「とても苦手でした。侍医の前では平然と飲んでいましたが、侍医がいなくなると、これは毒より苦いと私にだけ言いました」


 グランが噴き出した。


「毒受けの王が薬草茶に負けるのか」


 バルザも肩を震わせていた。


「魔王様らしいと言うべきか、らしくないと言うべきか」


 リュシアは続けた。


「父は、怖い夢を見た私を慰めるのも下手でした。夢の中の怪物も勤務中なのだ、と言いました」


 今度は、子どもたちが一斉に笑った。


 サナも、少しだけ笑った。


 セレナは涙ぐみながら微笑んでいる。


 ミレイユは小さく呟いた。


「魔王の話で笑う日が来るとは思わなかったわ」


 リュシアの目にも涙が浮かんでいた。


 だが、彼女は笑っていた。


「父は、魔王でした。世界を支えていました。たくさんの毒を引き受けていました。でも、父はそれだけではありませんでした」


 彼女は黒曜花を見る。


「小さな墓に頭を下げる人でした。娘の進路に三日悩む人でした。薬草茶を嫌がる人でした」


 声が震える。


「私は、その父を弔います」


 黒曜花の花びらが、ゆっくり開いた。


「父を悪にしません。英雄にも神にも、便利な世界の楔にも戻しません。ただ、ゼルグレイスという名の死者として、そして私の父として、ここに眠ってもらいます」


 リュシアは深く頭を下げた。


「お父さま。今日は薬草茶です」


 その瞬間、魔王の墓の上に黒銀の灯が浮かんだ。


 大きく、静かで、温かい光。


 その灯が、薬草茶の杯の前でわずかに揺れた。


 まるで、本当に困っているように。


 村のあちこちから、笑い声が漏れた。


 それは、魔王を嘲る笑いではなかった。


 恐怖で歪んだ笑いでもなかった。


 死者を、人として思い出す笑いだった。


 リュシアは泣きながら笑った。


 黒曜花の祭りは、そこで初めて本当の祭りになったのだと思う。


 俺はその光景を見つめながら、魔王ゼルグレイスの遺体を初めて鑑定したときのことを思い出していた。


 世界再生素材。


 等級SSS。


 魔力循環の楔。


 その表示は間違っていなかった。


 だが、足りなかった。


 死者の価値は、役目だけでは測れない。


 誰かが笑いながら思い出す癖。


 誰かが涙ながらに呼ぶ名前。


 誰かが帰ってくるまで残しておく水。


 それらもまた、死者と生者をつなぐ価値なのだ。


 俺は黒曜花に触れた。


【対象:黒花の祭り】


【状態:初回開催】


【参加者:黒花の村住民、避難民、元勇者パーティー構成員】


【効果:村境界強化、死者記憶安定、生者帰属確認】


【新規価値:恐怖の象徴を、弔いと再生の象徴へ変換】


【未来価値候補:黒花の村共同体成立の起点】


 黒花の村共同体成立の起点。


 俺は、その表示を静かに受け止めた。


 祭りの終わりに、皆で種を蒔いた畑の周りを歩いた。


 バルザが古い歌を口ずさむ。


 魔族の言葉と人間の言葉が混じった、不思議な歌だった。


 最初はバルザだけ。


 次にリュシアが加わり、エナが続き、子どもたちが真似をした。


 セレナは知らない旋律に戸惑いながらも、最後の一節だけ声を重ねた。


 ミレイユは音程を外し、グランに笑われた。


 ベルクは歌わなかったが、大盾を立てて静かに聞いていた。


 ノアは小さな声で、何度も同じ言葉を繰り返していた。


 名を忘れない。


 水を分ける。


 明日を恐れない。


 黒曜花の上に、銀色の灯がいくつも浮かぶ。


 死者たちも、祭りを見ているようだった。


 そのとき、村の南側の境界が強く光った。


 全員が足を止める。


 祭りの空気が、一瞬で引き締まった。


 俺は剣に手をかけた。


 ベルクが大盾を持ち上げる。


 ミレイユが杖を構える。


 セレナが子どもたちを後ろへ下げた。


 境界の外、森の闇に人影があった。


 一人ではない。


 複数。


 王国兵かと思ったが、違った。


 先頭に立っていたのは、旅商人ロズだった。


 その後ろに、荷物を抱えた人々がいる。


 女。


 老人。


 子ども。


 若い男。


 角を隠した魔族。


 片目を包帯で覆った混血者。


 皆、疲れ切った顔をしていた。


 ロズが境界線の手前で帽子を取った。


「祭りの最中に悪いな」


「どうした」


 俺が尋ねると、ロズは背後の人々を示した。


「街道の告示を見て、逆にここを目指した連中だ」


「逆に?」


「ああ。黒花の村に行くな、水を与えるな、匿うな。そう書かれていたからな」


 彼は皮肉っぽく笑った。


「つまり、そこには水があり、匿ってくれる場所があると分かったわけだ」


 ミレイユが小さく笑う。


「王国の布告が宣伝になったのね」


 ロズの後ろにいた老婆が震える声で言った。


「ここは……水を分ける村だと聞きました」


 角を隠した少年が、怯えながら続ける。


「名前を聞いてくれるって」


 サナがその言葉に反応した。


 セレナも目を伏せる。


 バルザが俺を見る。


 グランも。


 リュシアも。


 村全体が、答えを待っていた。


 攻撃意思はない。


 境界は彼らを弾いていない。


 ただ、警戒している。


 受け入れれば、食料はさらに厳しくなる。


 寝床も足りない。


 王国から見れば、罪が増える。


 黒花の村は、さらに大きな反逆拠点と見なされるだろう。


 だが、今日の祭りで俺たちは何を確認したのか。


 名前を聞く村。


 水を分ける村。


 死者を素材にしない村。


 捨てられた者を置いていかない村。


 それを名乗ったばかりだ。


 俺は一歩前に出た。


「名前を聞かせてくれ」


 老婆が目を見開く。


「名前……」


「ああ。ここへ入るなら、まず名前を聞く」


 ロズが小さく笑った。


「そう言うと思った」


 老婆は震える声で名乗った。


「ノーラ村のハンナ」


 角を隠した少年が続く。


「ルク」


「母さんは?」


「いない」


「父さんは?」


「分からない」


 セレナがそっと近づいた。


「ルクさん。水を」


 少年は杯を受け取ると、泣き出した。


 その瞬間、黒花の村境界が淡く広がった。


 入口の黒い花の布が風に揺れる。


 黒曜花の根が、彼らの足元へ細く伸びる。


 祭りは終わるどころか、新しい始まりを迎えていた。


 俺の視界に、鑑定結果が浮かぶ。


【対象:黒花の村】


【状態:祭り中、新規避難民受け入れ】


【村境界:拡張】


【共同体意思:強化】


【未来価値候補:王国布告に抗う避難地】


【警告:王国軍接近】


【到達予測:翌朝】


 翌朝。


 ついに来る。


 勇者カイゼルが。


 聖剣アステリオスを持って。


 黒花の村を討つために。


 俺は森の闇を見た。


 遠くで、白い旗が揺れているのがかすかに見えた。


 だが、村の中ではまだ黒花の祭りが続いていた。


 死者の名を呼び。


 生者の名を聞き。


 水を分け。


 壊れた道具を直し。


 眠っていた種を土に返す。


 王国がどれほど恐怖の名で呼ぼうと、ここは魔王復活の祭壇ではない。


 ここは、村だ。


 黒い花が咲く、弔いと再生の村。


 そしてその夜、黒曜花はこれまでで一番明るく咲いていた。


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