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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第3章 勇者の嘘

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第26話 勇者はなぜ魔王を殺したのか

 聖剣の破片は、夜になっても光を失わなかった。


 ベルクの大盾に食い込んだ小さな銀の欠片。


 それはただの金属片ではない。


 鑑定では、こう出ていた。


【対象:聖剣アステリオスの破片】


【分類:聖剣ではなく、循環鍵】


【本来用途:過剰魔力毒の切断、暴走水脈の開放、世界楔との調律】


【誤用履歴:魔王ゼルグレイス心臓部貫通】


【結果:世界楔破断、魔力毒循環不全、王都魔道炉逆流】


 その文字を何度思い返しても、胸の奥が重くなる。


 聖剣は、魔王を殺す剣ではなかった。


 魔王が抱え込んだ毒を切るための鍵だった。


 なら、なぜカイゼルは魔王の心臓を貫いたのか。


 王国にそう教えられたから。


 勇者とは魔王を殺す者だと信じていたから。


 そう言ってしまえば簡単だ。


 だが、聖剣はただの剣ではない。


 世界の循環に関わる古代の鍵だ。


 持ち主が完全に誤った使い方をしようとしたなら、何かしらの抵抗があったはずだ。


 魔王ゼルグレイスも、ただ黙って殺されたわけではないはずだ。


 あの玉座の間で、本当は何が起きたのか。


 俺たちは、それを知らない。


 知っているのは、死者と、聖剣だけだ。


 そして死者は、嘘をつかない。


「もう一度、鑑定してくれ」


 ベルクが言った。


 共同畑の中央。


 魔王の墓から少し離れた場所に、俺たちは集まっていた。


 リュシア。


 セレナ。


 ミレイユ。


 ベルク。


 ノア。


 グラン。


 バルザ。


 そして俺。


 黒曜花は夜の中で静かに光っている。


 その奥に、古代循環碑の写しを終えた石碑が見えた。


 ミレイユは少し疲れた顔をしている。


 記録魔法で石碑の文字を複写し続けたせいだろう。


 だが、その目は冴えていた。


「普通の鑑定ではなく、履歴を読める?」


 ミレイユが尋ねた。


「死体や壊れたものなら、ある程度は」


「聖剣の破片は壊れたものよね」


「そうだな」


「じゃあ、最後に壊れた瞬間を読めるかもしれない」


 最後に壊れた瞬間。


 つまり、魔王ゼルグレイスの心臓を貫いた瞬間だ。


 リュシアの顔がわずかに強張った。


「リュシア」


 俺は彼女を見る。


「無理に見なくていい」


「見ます」


 即答だった。


 彼女は黒曜花の前に立ち、両手を重ねた。


「父がなぜ死んだのかを、私は知らなければなりません」


「つらいぞ」


「父を知らないまま世界に返す方が、もっとつらいです」


 その言葉に、俺は何も言えなくなった。


 セレナも静かに頷いた。


「私も見ます。あの場にいたのに、私は何も見ていませんでした」


「セレナ」


「魔王が倒れた瞬間、私は勝利だと思いました。世界が救われたのだと。でも、今はその意味が分からない」


 彼女は胸元の聖印を握ろうとして、途中で手を止めた。


 代わりに、黒曜花の方へ目を向ける。


「だから、もう一度見ます。今度は、聖女としてではなく、一人の証人として」


 ベルクは大盾を地面に置いた。


「私は、魔王の攻撃からカイゼルを守ることだけを考えていた。あの瞬間、何が起きたのか見ていない」


 ミレイユが苦く笑う。


「私は派手に魔法を撃っていたわ。勝ったと思って、何も疑わなかった」


 皆、あの場にいた。


 けれど、本当に見ていた者はいなかった。


 俺もそうだ。


 魔王の遺体を鑑定するまで、何も分かっていなかった。


 俺は大盾に食い込んだ聖剣の破片へ手を伸ばした。


 冷たい。


 だが、その奥に熱がある。


 剣としての熱ではない。


 鍵として、何かを開こうとしたまま閉じ込められた熱。


 俺は深く息を吸った。


「始める」


 指先に力を込める。


 鑑定。


【対象:聖剣アステリオスの破片】


【状態:本体より剥離】


【破損時刻:魔王ゼルグレイス心臓部貫通直後】


【破損原因:本来機能と使用者命令の衝突】


【記憶残留:高】


【警告:破片記憶の開示により、魔王討伐時の真実が再現されます】


【開示しますか?】


 視界に、そんな表示が浮かんだ。


 開示しますか。


 俺は一瞬、皆を見た。


 誰も目を逸らさなかった。


「開示する」


 そう言った瞬間、聖剣の破片が強く光った。


 黒曜花が一斉に揺れる。


 共同畑の夜が薄れ、別の景色が重なっていく。


 黒い石の床。


 高い天井。


 崩れた柱。


 赤黒い空を背にした玉座。


 魔王城の玉座の間。


 あの日の記憶だ。


 俺たちは幻の中に立っていた。


 実際にそこへ戻ったわけではない。


 だが、空気の重さも、焼けた魔力の匂いも、床に流れた血の感触も、あまりに鮮明だった。


 玉座の前に、魔王ゼルグレイスが立っている。


 黒い外套は裂け、片膝をつき、胸元には深い傷があった。


 それでも、まだ倒れていない。


 彼の前には、白銀の鎧をまとった勇者カイゼル。


 聖剣アステリオスを両手で握っている。


 その背後に、ベルクが盾を構え、ミレイユが杖を向け、セレナが祈りの構えを取っていた。


 少し離れた場所に、俺もいる。


 記憶の中の俺は、息を切らし、何かを言おうとしていた。


 だが、声は届かない。


 過去の光景は、ただ再生されるだけだ。


 リュシアが小さく息を呑んだ。


「お父さま……」


 魔王ゼルグレイスは、苦しそうに呼吸していた。


 だが、その目はカイゼルを見ている。


 憎しみではない。


 恐怖でもない。


 待っていた者を見る目だった。


「勇者よ」


 記憶の中の魔王が言った。


 低く、掠れた声。


「ようやく来たか」


 カイゼルは聖剣を構える。


「魔王ゼルグレイス。これで終わりだ」


「終わらせるために来たなら、剣を止めよ」


「命乞いか」


「違う」


 ゼルグレイスはゆっくりと胸に手を当てた。


 その胸の奥で、黒い毒のようなものが脈打っている。


「切るのは私ではない。ここに溜まった毒だ」


 その言葉に、記憶の中のカイゼルは一瞬だけ眉をひそめた。


「何を言っている」


「聖剣は知っている」


 魔王は聖剣を見た。


「アステリオスは、私を殺すための剣ではない。世界に溜まった毒を切り、水脈を開く鍵だ」


 リュシアの手が震えた。


 セレナは口元を押さえている。


 ミレイユは息を忘れたように記憶を見つめていた。


 ベルクは無言だった。


 あのとき、魔王は言っていたのだ。


 聞こえていたのか。


 聞こえていなかったのか。


 少なくとも、カイゼルには届いていた。


 記憶の中の彼の顔が歪む。


「黙れ」


 短い言葉だった。


 そこには、怒りだけではないものがあった。


 恐怖。


 焦り。


 拒絶。


「勇者よ」


 ゼルグレイスは続ける。


「私を殺せば、毒は行き場を失う。王都から枯れる。お前が守ろうとしたものから壊れていく」


「黙れと言った!」


 カイゼルが聖剣を振るう。


 だが、刃は魔王の胸の手前で止まった。


 止まった。


 俺たちは全員、それを見た。


 聖剣アステリオスは、魔王の心臓を貫く直前で、確かに抵抗していた。


 刃が震えている。


 白銀の光と黒銀の光がぶつかり、火花のように散っている。


 カイゼルの腕が震える。


「なぜだ……!」


 彼は歯を食いしばった。


「なぜ斬れない!」


 聖剣は、魔王を殺すことを拒んでいた。


 ミレイユが呆然と呟く。


「止まってる……」


 ベルクの顔が青ざめた。


「私は、あのとき気づかなかった」


 記憶の中のゼルグレイスは、静かに言った。


「剣が拒んでいる。勇者よ、聞け。お前の役目は、私を殺すことではない」


「違う」


 カイゼルの声が低くなる。


「俺の役目は、魔王を倒すことだ」


「誰がそう教えた」


「王国が。教会が。民が。世界が」


「世界は、そうは言っていない」


 ゼルグレイスは、かすかに笑った。


 それは嘲笑ではなかった。


 哀れむような笑みでもない。


 ただ、長い役目の果てに、ようやく来たはずの勇者が何も知らないことを悲しむ笑みだった。


「お前は、何のために勇者になった」


 その問いに、カイゼルの表情が変わった。


 記憶が揺れる。


 玉座の間の光景の奥に、別の記憶が重なった。


 聖剣の破片が持つ記憶ではない。


 カイゼルが聖剣へ流し込んだ強すぎる感情の残滓だ。


 幼い少年が見えた。


 痩せた村。


 枯れた井戸。


 病に倒れた母親。


 王国の役人が村へ来て、こう告げる。


 魔王の呪いだ。


 王国を苦しめる魔力毒は、すべて魔王がもたらしている。


 魔王を討てば、井戸も戻り、病も消える。


 少年は母の手を握っていた。


 母の手は冷たい。


 母は少年に言う。


 あなたは強い子。


 誰かを救える人になって。


 場面が変わる。


 王都の礼拝堂。


 少年カイゼルが、聖剣の前に立っている。


 神官たちが告げる。


 お前は選ばれた。


 魔王を討つ勇者として。


 魔王を殺せば、すべてが救われる。


 魔王を殺せば、母の死も、村の枯れた井戸も、報われる。


 魔王を殺せば、お前は誰にも捨てられない。


 その言葉が、何度も何度も繰り返される。


 祈りのように。


 呪いのように。


 少年カイゼルの顔が、少しずつ変わっていく。


 悲しむ子どもから、選ばれた勇者へ。


 不安な少年から、迷ってはいけない英雄へ。


 記憶の中で、教会の白い光が彼を包む。


【聖剣継承儀式】


【本来工程:循環鍵との調律、世界楔の状態確認、毒切断術式の継承】


【改変工程:魔王殺害命令の刷り込み、勇者称号への依存形成、聖剣用途の単純化】


【影響:使用者は魔王生存を敗北と認識】


【影響:魔王殺害を自己存在証明と誤認】


 俺の視界に、鑑定結果が重なった。


 聖剣継承儀式。


 改変されていた。


 王国と教会は、聖剣の本来の役目を伝えなかった。


 魔王を殺せ。


 魔王を殺せば救われる。


 魔王を殺せば勇者になる。


 それだけを、カイゼルに刻み込んだ。


 ミレイユが歯を食いしばる。


「ひどい……」


 セレナも青ざめていた。


「教会が、こんな形で聖剣の儀式を……」


 ベルクは大盾を握る手に力を込めた。


「カイゼルは、最初から間違った役目を与えられていたのか」


「そうだ」


 俺は答えた。


「でも、それだけじゃない」


 記憶は再び玉座の間へ戻った。


 魔王ゼルグレイスの前で、カイゼルは震えていた。


 聖剣はまだ抵抗している。


 刃は魔王の心臓の手前で止まり、黒銀の光を放っている。


「勇者よ」


 ゼルグレイスは言った。


「まだ間に合う。剣を心臓ではなく、この毒脈へ」


 彼は自分の胸の少し下、黒い毒が渦巻く場所を指した。


「ここを切れ。私の命は残る。だが、毒は水脈へ還る。お前は魔王を殺す勇者ではなく、世界を軽くする勇者になる」


 カイゼルの顔が歪んだ。


 その表情を見て、俺は胸が冷えるのを感じた。


 彼は理解していた。


 少なくとも、完全には理解できなくても、選択肢があることには気づいていた。


 魔王を殺さない道。


 聖剣が示す道。


 本当の勇者になる道。


 だが、その道を選べば、彼の物語は変わる。


 魔王を討った英雄ではなくなる。


 王国が求める勇者ではなくなる。


 母の死を、村の苦しみを、これまでの旅を、ただ一つの敵へぶつけることができなくなる。


「違う」


 カイゼルは呟いた。


「違う。違う、違う、違う……」


「勇者よ」


「俺は魔王を殺すために来た」


「お前は世界を救うために来た」


「同じだ!」


 カイゼルが叫ぶ。


 聖剣の光が激しく乱れる。


「魔王を殺せば世界は救われる! そうでなければ、俺は何のためにここまで来た!」


 その声は、英雄の声ではなかった。


 泣き叫ぶ子どもの声に近かった。


「俺の村は枯れた! 母は死んだ! 俺は選ばれた! 魔王を殺すために! お前が悪でなければ、俺は何を憎めばよかったんだ!」


 ゼルグレイスは目を伏せた。


 その表情に、怒りはなかった。


「そうか」


 魔王は静かに言った。


「お前も、毒を飲まされていたのだな」


 カイゼルの目が見開かれる。


「黙れ!」


 彼は聖剣へ、自分の魔力を無理やり流し込んだ。


 白銀の光が暴れる。


 聖剣の黒銀の調律光が悲鳴のように歪む。


 俺の視界に、鑑定結果が浮かんだ。


【聖剣アステリオス】


【本来機能:毒脈切断】


【使用者命令:魔王心臓部貫通】


【機能衝突:重大】


【警告:世界楔破断危険】


【警告:使用者魔力による強制上書き】


【警告:聖剣破損】


 やめろ。


 そう叫びたかった。


 だが、過去には届かない。


 カイゼルは聖剣をねじ込んだ。


 刃が、魔王の胸を貫く。


 その瞬間、聖剣の一部が欠けた。


 小さな銀の破片が飛び、ベルクの盾に当たる。


 音がした。


 高く、乾いた、何かが壊れる音。


 ゼルグレイスの体が大きく震えた。


 黒い血が流れる。


 玉座の間の床に落ちた血が、すぐに黒い芽を出そうとして、踏みにじられる。


 カイゼルは息を荒くしながら、剣を押し込んでいた。


 魔王ゼルグレイスは、最期にカイゼルではなく、少し離れた場所にいた俺を見た。


 なぜ俺を見たのか。


 あのときは分からなかった。


 だが今、その視線の意味が少しだけ分かった気がした。


 俺は死体鑑定士だった。


 生きている者の声は届かなくても、死んだあとなら読める者。


 ゼルグレイスは、最期に誰かが自分の死を正しく読むことを願ったのかもしれない。


 そして彼は倒れた。


 記憶の中のカイゼルは、聖剣を引き抜き、高く掲げる。


「魔王ゼルグレイスを討ち取った!」


 その声に、ベルクが膝をつき、ミレイユが息を吐き、セレナが祈りを捧げた。


 記憶の中の俺は、ただ魔王の遺体を見つめていた。


 そして、小さく呟く。


「何か、おかしい」


 だが、その声は歓声に消された。


 記憶が途切れる。


 共同畑の夜が戻ってきた。


 黒曜花が静かに揺れている。


 誰もすぐには話さなかった。


 リュシアは膝をついていた。


 両手を胸に当て、肩を震わせている。


 涙は流れている。


 だが、声は出していない。


 セレナは顔を覆い、ミレイユは唇を噛み、ベルクは盾の前に立ち尽くしていた。


 ノアは青ざめた顔で地面を見ている。


 グランは槌を握ったまま、低く言った。


「勇者は、魔王を殺すしかなかったのか」


「違う」


 俺は答えた。


「殺さない道があった」


 ミレイユが小さく言う。


「でも、王国と教会はその道を教えなかった」


「ああ」


 セレナが顔を上げた。


「教会は、聖剣継承儀式を改変していた。勇者に、魔王殺害命令を刷り込んでいた」


「それでも」


 ベルクが低く言った。


「最後に選んだのは、カイゼルだ」


 その言葉は重かった。


 誰も否定できなかった。


 カイゼルは騙されていた。


 呪いのように教え込まれていた。


 魔王を殺せば世界が救われると。


 魔王を殺せば、自分の人生が報われると。


 だが、最後の瞬間、魔王は真実を告げた。


 聖剣は止まった。


 殺さない道は示された。


 それでも、カイゼルは押し込んだ。


「では、勇者はなぜ魔王を殺したのでしょう」


 リュシアが言った。


 声は震えていた。


 だが、逃げていなかった。


 俺は答えを探した。


 王国に騙されたから。


 教会に刷り込まれたから。


 母を失ったから。


 村を救いたかったから。


 魔王が悪でなければ、自分の苦しみの行き場がなくなるから。


 英雄でなければ、自分の人生が空っぽになると思ったから。


 どれも正しい。


 だが、どれか一つでは足りない。


「カイゼルは、魔王を殺さなければ勇者でいられないと思っていた」


 俺はゆっくり言った。


「魔王が悪でなければ、自分の憎しみも、選ばれた意味も、旅の犠牲も、全部崩れる。だから、魔王を殺した」


「父が悪である必要があったのですね」


 リュシアの声は静かだった。


「勇者が勇者でいるために」


 誰も答えられなかった。


 それはあまりにも残酷な言葉だった。


 魔王は世界を支えていた。


 だが勇者の物語には、悪でなければならなかった。


 だから殺された。


 世界のためではなく。


 王国のためでもなく。


 勇者が自分を勇者だと信じ続けるために。


 セレナが涙を拭った。


「私は、その場にいて祈りました。魔王が倒れたことを、神に感謝しました」


「君だけじゃない」


 ミレイユが低く言った。


「私も勝ったと思った。ベルクも、カイゼルを守りきったと思った。誰も止めなかった」


 ベルクは大盾に手を置いた。


「私は盾だった。だが、あの瞬間、守るべきものを間違えた」


「ベルク」


「カイゼルを守った。だが、聖剣を守らなかった。魔王の言葉も、世界の循環も、守らなかった」


 彼は深く息を吐いた。


「次は止める」


 その言葉に、ミレイユが彼を見た。


「カイゼルを?」


「必要なら」


「本当に?」


「私はもう、何も見ない盾ではいられない」


 ミレイユは少しだけ笑った。


 悲しげな笑みだった。


「じゃあ、私は何をするべきかしら」


「照らすんだろ」


 グランが言った。


「自分で言ってたじゃねえか。燃やすためじゃなく、照らすために魔法を使うって」


「聞いてたの?」


「耳はいい」


 ミレイユは肩をすくめた。


「そうね。なら、照らすわ。カイゼルが見たくないものを、嫌になるくらい明るく」


 セレナも頷いた。


「私は、名前を呼びます。魔王ゼルグレイスの名も。リーベルの死者の名も。カイゼル様が悪と呼んで消そうとする人たちの名も」


 リュシアは、ゆっくり立ち上がった。


 涙の跡は残っている。


 それでも、彼女の目はまっすぐだった。


「私は、父を悪として差し出しません」


 黒曜花が揺れた。


「カイゼル様が勇者でいるために、父が悪でなければならなかったのだとしても。私は、それを認めません」


 俺は頷いた。


「認めさせよう」


「誰に?」


「まずは、聖剣に」


 俺はベルクの盾に残る破片を見た。


「聖剣本体は、まだカイゼルの手にある。破片がこれだけ記憶を残しているなら、本体はもっと強く覚えているはずだ」


「戦場で鑑定するのね」


 ミレイユが言った。


「無茶よ。でも、やるしかない」


「カイゼルは必ず来る」


 ベルクが言った。


「黒花の村を討つために。聖女を連れ戻すために。そして、自分の物語を守るために」


「そのとき」


 俺は黒曜花を見た。


「聖剣を鑑定する。カイゼルの前で。聖剣が何を覚えているか、全員に見せる」


 ノアが不安そうに言う。


「そんなことをしたら、勇者様は……」


「怒るだろうな」


「斬りかかってくるかもしれない」


「そのために盾がある」


 ベルクが言った。


 グランも槌を担ぐ。


「鍛冶屋もいるぞ」


 ミレイユが杖を掲げる。


「魔導士もね」


 セレナが黒曜花へ手を伸ばす。


「祈れない聖女もいます」


 リュシアが父の墓の前に立つ。


「墓守もいます」


 俺は深く息を吸った。


 不思議だった。


 勇者パーティーから追放されたとき、俺は一人だった。


 死体しか見えない役立たず。


 そう言われ、王国の記録からも消された。


 だが今、俺の周りには人がいる。


 魔王の娘。


 祈れなくなった聖女。


 勇者を疑い始めた魔導士。


 守るものを選び直した盾騎士。


 置いていかれた元補充兵。


 壊れた鍬を直す鍛冶屋。


 枯れた村から来た者たち。


 黒花の村。


 死者の花の周りに、捨てられた者たちが集まっている。


 勇者はなぜ魔王を殺したのか。


 答えは一つではない。


 王国が嘘を教えたから。


 教会が儀式を歪めたから。


 母の死を魔王のせいにしたかったから。


 自分が勇者である意味を失いたくなかったから。


 そして、最後の瞬間に、魔王を殺さない勇気を持てなかったから。


 それを知った今、俺たちは選ばなければならない。


 同じように誰か一人を悪にして、物語を楽にするのか。


 それとも、複雑で苦しくても、死者が残した真実を見続けるのか。


 黒曜花が夜の中で開いていた。


 その花の奥に、魔王ゼルグレイスの黒銀の灯が浮かぶ。


 リュシアはその灯へ、静かに頭を下げた。


「お父さま」


 声は震えていたが、強かった。


「あなたを殺した理由を知りました。でも、それであなたが悪だったことにはなりません」


 黒銀の灯が、ゆっくり揺れる。


 まるで、娘の言葉を受け取るように。


 遠く、王国軍の角笛が鳴った。


 夜の森の向こうで、白い旗が動き始めている。


 勇者カイゼルが、こちらへ来る。


 聖剣アステリオスを持って。


 今度こそ、剣が何を語るのかを聞くために。


 俺は大盾に残る聖剣の破片を見た。


 死者は嘘をつかない。


 そして、壊れた剣もまた、嘘をつけなかった。


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