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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第3章 勇者の嘘

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第24話 リュシアの父

 魔王ゼルグレイスは、世界を支えていた。


 その事実が石碑から明らかになった夜、リュシアは一言も泣かなかった。


 古代循環碑の前で、彼女は静かに父の記録を見つめていた。


 毒受けの王。


 世界楔。


 循環の墓。


 魔王とは、世界を滅ぼす者ではなく、世界に溜まった魔力毒を引き受ける者。


 人間は恐れて魔王と呼び、魔族は敬って魔王と呼んだ。


 同じ名。


 違う意味。


 その重さを知ったとき、リュシアは涙を流さなかった。


 ただ、黒曜花の前で長く膝をついていた。


 誰も声をかけられなかった。


 バルザも。


 グランも。


 セレナも。


 俺も。


 父が世界を支えていたと知ることは、誇りになるのか。


 それとも、悲しみになるのか。


 俺には分からなかった。


 分かるはずもなかった。


 俺にとって魔王ゼルグレイスは、鑑定結果の中に現れた世界再生素材であり、魔力循環の楔であり、王国が奪おうとした遺体だった。


 だがリュシアにとっては違う。


 世界を支えた偉大な存在である前に、彼は父だった。


 翌朝、リュシアの姿が村から消えた。


 最初に気づいたのはセレナだった。


「リュシアさんが、共同畑にいません」


 朝の水汲みの時間。


 いつもなら黒曜花の根を確認しているはずのリュシアが、畑にも井戸にもいなかった。


 エナの家にもいない。


 バルザの小屋にもいない。


 村の入口にもいない。


 俺は黒曜花に触れた。


【対象:黒曜花群】


【状態:安定】


【墓守リュシア:村外移動】


【方向:旧魔族墓地】


【危険度:低】


【備考:父の記憶を求めている】


「旧魔族墓地にいる」


 俺が言うと、バルザが顔を上げた。


「あそこか」


「知っているのか」


「村の北側の丘じゃ。昔、アシュベルに住んでいた魔族や混血の者たちの墓がある。井戸が枯れてからは、誰も行かなくなった」


「一人で?」


「墓守なら、行くだろうな」


 バルザは静かに言った。


「父のことを考えたいときに、畑では人が多すぎる」


 俺はしばらく迷った。


 追うべきか。


 そっとしておくべきか。


 リュシアは強い。


 だが、強いからといって一人で抱えられるとは限らない。


 俺が黙っていると、セレナが言った。


「行ってあげてください」


「俺が?」


「はい」


「君ではなく?」


 セレナは小さく首を振った。


「私は、まだ彼女のお父上を討った側の人間です。そばにいるには、近すぎて遠い」


 その言葉は、彼女自身にも刺さっているようだった。


「レイン。あなたは、魔王の遺体を最初に弔おうとした人です」


「俺は、棺に入れただけだ」


「その“だけ”が、彼女には必要だったのだと思います」


 俺は黒曜花を見た。


 黒い花は、朝の光の中で静かに揺れている。


 その根は村の井戸へ、畑へ、住居区へ伸びている。


 リュシアの父の墓から生まれた花が、村を支えている。


 だが今、父を支えたい者は誰もいない。


「分かった」


 俺は剣を腰に差し、村の北側へ向かった。


 旧魔族墓地は、アシュベルの外れの小高い丘にあった。


 道はほとんど草に埋もれている。


 だが、黒曜花の根が地面の下を細く走り、ところどころ黒銀の光を見せていた。


 まるで、リュシアが通ったあとを覚えているようだった。


 丘の上には、いくつもの墓標が並んでいた。


 人間の墓より低く、丸みを帯びた黒い石。


 そこに魔族の文字と、人間の文字が並んで刻まれている。


 魔族だけの墓ではない。


 混血者の墓もある。


 中には、名前の横に小さな花の印が彫られたものもあった。


 黒曜花の印だ。


 リュシアは、一番奥の墓標の前にいた。


 黒い外套をまとい、膝をつき、両手を重ねている。


 俺が近づくと、彼女は振り返らずに言った。


「レインさんですね」


「分かるのか」


「足音が、迷っていました」


「それは悪かった」


「いいえ。来てくださると思っていました」


 そう言われて、俺は少しだけ困った。


 来るべきだったのか、来ない方がよかったのか、まだ判断できていなかったからだ。


 リュシアは墓標を見つめたまま言った。


「ここは、アシュベルに住んでいた魔族たちの墓です。父が、昔、私を連れてきてくれたことがあります」


「覚えているのか」


「はい。私はまだ幼くて、墓の意味もよく分かっていませんでした。ただ、父が一つ一つの墓に頭を下げていたことは覚えています」


 リュシアは墓標に触れた。


「そのとき、私は聞きました。お父さまは魔王なのに、どうしてこんな小さなお墓に頭を下げるのですか、と」


「魔王は何て?」


「父は、少し困った顔をして言いました」


 リュシアの声が、かすかに揺れた。


「大きな名を持つ者ほど、小さな名を忘れてはいけない、と」


 その言葉に、俺は何も言えなかった。


 魔王ゼルグレイス。


 世界を支える毒受けの王。


 人間に恐れられ、魔族に敬われた存在。


 その彼が、小さな墓に頭を下げていた。


 石碑に刻まれた世界の真実より、その記憶の方が、リュシアにとっては父に近いのかもしれない。


「レインさん」


「何だ」


「私は、父を知らなかったのでしょうか」


 彼女はようやくこちらを見た。


 目は赤くない。


 涙もない。


 だが、泣くより苦しそうな顔だった。


「昨日、石碑を読みました。父は世界を支えていた。魔力毒を受けていた。王都の豊かさも、王国の水も、父が黙って背負っていたものに支えられていたのかもしれない」


「ああ」


「でも、私はそんな父を知りません」


 リュシアの手が、胸元の布を握る。


「私が知っている父は、朝が苦手で、苦い薬草茶を嫌がって、私が墓守になると言ったら三日も黙り込んだ人です」


 俺は少し驚いた。


「魔王が、薬草茶を嫌がったのか」


「とても嫌がりました」


 リュシアは、ほんの少しだけ笑った。


「でも、侍医がいる前では平然と飲むのです。侍医がいなくなると、私にだけ小声で言いました。これは毒より苦い、と」


「毒受けの王なのに」


「はい。世界の毒は受けられるのに、薬草茶は苦手だったのです」


 その小さな記憶が、妙に胸に残った。


 石碑の文字よりも。


 鑑定結果よりも。


 魔王ゼルグレイスが、急に人に近くなった。


 いや、彼は最初から人だったのだ。


 世界が魔王という役目で覆い隠していただけで。


「父は、怖い顔をするのが下手でした」


 リュシアは続けた。


「臣下の前では魔王らしく振る舞っていました。でも、私が幼いころ、夜に怖い夢を見て泣くと、困り果てた顔で枕元に座ってくれました」


「慰めてくれたのか」


「はい。でも、言葉が下手で」


「何て言ったんだ」


「夢の中の怪物も、きっと勤務中なのだ、と」


「勤務中?」


「はい。怪物にも役目がある。だから、怖がられるのはつらいかもしれない。そう言いました」


 俺は思わず黙った。


 幼い娘に言う慰めとしては、ずいぶん変わっている。


 だが、魔王らしいとも思った。


 怪物にも役目がある。


 怖がられるのはつらい。


 それは、彼自身のことだったのかもしれない。


「私は、その話を聞いて余計に泣きました」


「だろうな」


「父はもっと困っていました」


 リュシアは少し笑った。


 だが、その笑みはすぐに消えた。


「そんな父を、私は覚えています。けれど、世界を支えていた父は知らない。毒を受けて苦しんでいた父も知らない。王国に憎まれることを覚悟していた父も知らない」


「知らなかったことが、父を知らなかったことにはならない」


 俺は言った。


 リュシアが俺を見る。


「そうでしょうか」


「俺は、父親というものを語れるほど立派じゃない。でも、少なくとも君が今話した魔王は、石碑よりずっと生きている」


「生きている……」


「薬草茶を嫌がること。怖い夢の慰めが下手なこと。小さな墓に頭を下げること。そういうものは、記録には残らない」


 俺は墓標に視線を落とした。


「だから、君が覚えている」


 リュシアは唇を噛んだ。


「私は、覚えていていいのでしょうか」


「なぜ駄目なんだ」


「父は世界を支えていたのに、私はそんな小さなことばかり思い出します」


「小さなことだから、大事なんじゃないか」


 リュシアの目が揺れた。


「魔王ゼルグレイスを世界の楔として語る人は、これから出てくるかもしれない。王国が消そうとしても、石碑がある。黒曜花がある。俺の鑑定もある」


 俺は彼女を見た。


「でも、リュシアの父を語れるのは、たぶん君だけだ」


 その瞬間、彼女の表情が崩れた。


 涙は、まだ落ちなかった。


 だが、これまでこらえていたものが、喉の奥で震えているのが分かった。


「私は……」


 リュシアは声を絞り出した。


「父を、世界に返したくありません」


 それは、初めて聞く本音だった。


「黒曜花が広がって、村を守って、リーベルの死者を弔って、王都の毒まで受けようとしている。父がまた、世界を支えようとしている」


 彼女は両手で顔を覆った。


「でも、私は娘です。世界の前に、父を返してほしいと思ってしまう。父を偉大な魔王にしないでほしい。世界の楔にしないでほしい。ただ、私の父だった人として眠らせてほしい」


 風が墓地を通り抜けた。


 古い墓標の間で、草が揺れる。


 俺は何も言えなかった。


 その願いは、あまりにも当然だった。


 世界のために父を差し出せと言われ続けた娘が、もう差し出したくないと思うこと。


 それを誰が責められるだろう。


 黒曜花は村を救っている。


 魔王の遺体は世界の循環を戻そうとしている。


 けれど、その中心にあるのは、一人の父の死体だ。


 死者の価値を、生者の明日へ変える。


 俺はそう言ってきた。


 だが、死者の価値を使いすぎれば、また素材にしていることと何が違うのか。


 その問いが、胸に刺さった。


「リュシア」


「はい」


「俺は、魔王の遺体を世界のために使おうとしていたのかもしれない」


 彼女はゆっくり顔を上げた。


「レインさんが?」


「ああ。王国のように切り刻むつもりはなかった。焼くつもりも、魔道炉に入れるつもりもなかった。でも、黒曜花が村を救うなら、もっと広げるべきだと思った。王都を救う手がかりになるなら、石碑を使うべきだと思った」


「それは、間違いではありません」


「たぶん、間違いではない。だが、君の父を世界に返せと言う前に、君の父が君にとって誰だったのかを聞くべきだった」


 リュシアは目を見開いた。


 俺は頭を下げた。


「すまない」


「どうして、レインさんが謝るのですか」


「死体鑑定士なのに、死者を役目だけで見かけた」


 魔王の遺体。


 世界再生素材。


 魔力循環の楔。


 それらはすべて事実だ。


 だが、事実のすべてではない。


 死者は、役目だけでできているわけではない。


 名前があり、誰かとの記憶があり、薬草茶を嫌がるような小さな癖がある。


 それを忘れたら、王国と同じになる。


 死者を素材にする国と。


「レインさん」


 リュシアは涙を拭わないまま、首を振った。


「あなたは、父を棺に納めてくれました」


「それだけだ」


「その“それだけ”が、私には必要でした」


 セレナと同じことを言われた。


 俺は少し苦く笑った。


「よく言われるな」


「本当のことです」


 そのとき、墓地の奥で黒曜花の根が光った。


 共同畑から伸びてきた根が、旧魔族墓地まで届いていたのだ。


 根は墓標の間を傷つけないように通り、リュシアの前に小さな黒い芽を出した。


 芽はゆっくり開き、一輪の黒曜花になった。


 魔王の墓から離れた場所で咲いた、小さな花。


 リュシアは息を呑む。


「ここにも……」


 俺は花に触れず、そっと鑑定した。


【対象:旧魔族墓地の黒曜花】


【由来:魔王ゼルグレイスの埋葬地】


【状態:分枝開花】


【効果:墓地記憶接続】


【開示可能記憶:リュシアに関する父の記憶】


【条件:娘の呼びかけ】


 俺はリュシアを見た。


「君に関する魔王の記憶が見られるかもしれない」


 リュシアの顔がこわばった。


「父の……私に関する記憶?」


「ああ」


「見たいです」


 即答だった。


 けれど、すぐに彼女は不安そうに目を伏せた。


「でも、怖いです」


「見なくてもいい」


「いいえ。見ます」


 リュシアは黒曜花の前に膝をついた。


 両手を重ね、目を閉じる。


「お父さま」


 声は震えていた。


「墓守リュシアではなく、あなたの娘として呼びます。私に隠していたことではなく、私を見ていたあなたを、少しだけ見せてください」


 黒曜花が光った。


 銀色の灯が一つ、花の中から浮かび上がる。


 そして、墓地の空気がゆっくりと変わった。


 そこに映ったのは、魔王城の一室だった。


 大きな窓。


 黒い石壁。


 書類の積まれた机。


 その前で、魔王ゼルグレイスが椅子に座っている。


 まだ若いリュシアが、机の反対側で両手を握って立っていた。


 おそらく、十歳くらいだろう。


 幼いリュシアは、真剣な顔で言っている。


 声は聞こえない。


 けれど口の動きは読めた。


 私は、墓守になります。


 記憶の中のゼルグレイスは、固まった。


 本当に固まった。


 世界を支える魔王が、娘の宣言を前に石像のようになっていた。


 幼いリュシアは、さらに何かを言う。


 死者を忘れたくない。


 死者を守りたい。


 そういう内容だろう。


 ゼルグレイスは長く沈黙したあと、ゆっくり口を開く。


 その表情は厳しい。


 だが、目だけが困っていた。


 リュシアは小さく笑った。


「あの日です」


「墓守になると言った日か」


「はい。父は三日黙りました」


 記憶の場面が変わる。


 夜。


 魔王ゼルグレイスは一人で書斎にいる。


 机の上には、墓守に関する古い書物が積まれていた。


 彼はそれを読んでいる。


 真剣に。


 そして、ときどき頭を抱えている。


「父……」


 リュシアの声が揺れる。


 ゼルグレイスは別の紙を取り出した。


 そこには、幼いリュシアのために書かれたらしい文字がある。


【墓守とは何か】


【墓守の危険】


【墓守にならない場合の選択肢】


【娘を説得するための穏当な言い方】


 俺は思わず声を漏らしそうになった。


 魔王が、娘を説得するための言い方を書き出している。


 しかも、穏当な言い方。


 世界を支える毒受けの王が、娘の進路相談で悩んでいる。


 記憶の中のゼルグレイスは、何度も紙を書き直した。


 だが最後には、その紙を丸めて捨てた。


 そして、別の紙に一文だけ書いた。


【リュシアが選ぶなら、墓守の道を軽んじてはならない】


 リュシアの涙が、そこで初めて落ちた。


「父は……反対したかったのですね」


「そう見えるな」


「でも、私の選んだ道を、軽んじないでくれた」


 記憶はさらに変わる。


 魔王城の地下墓所。


 ゼルグレイスが、幼いリュシアの少し後ろを歩いている。


 リュシアは小さな花を抱え、一つ一つの墓に供えている。


 その後ろで、魔王は墓標の名前を確認し、娘が花を置き忘れた墓にそっと目を向ける。


 リュシアが気づき、慌てて花を置く。


 ゼルグレイスは何も言わない。


 ただ、少しだけ頷く。


 父が墓守の師だった。


 そう言ってもいい光景だった。


 リュシアは泣きながら笑った。


「父は、私が失敗したとき、叱りませんでした。ただ、見ていました」


「信じていたんだろう」


「はい……」


 次の記憶は、王都の方角を見つめる魔王だった。


 場所は魔王城の高塔。


 夜の空に、遠く王都の光が見える。


 ゼルグレイスは一人で立っている。


 肩に黒い毒のような影がまとわりついていた。


 苦しそうだった。


 だが、誰にも見せない。


 そこへ幼いリュシアがやって来る。


 ゼルグレイスはすぐに姿勢を正し、何事もなかったように振り返った。


 リュシアは何かを差し出す。


 小さな杯。


 薬草茶だ。


 ゼルグレイスの顔が、ほんの一瞬だけ引きつった。


 だが、彼は受け取った。


 飲んだ。


 苦そうにした。


 幼いリュシアが笑う。


 ゼルグレイスも、少しだけ笑った。


 その背後で、王都の光は輝き続けていた。


 魔王は毒を受けながら、娘の前では薬草茶の苦さに顔をしかめていた。


 世界の楔でありながら、父だった。


 それ以上でも、それ以下でもなく。


 記憶の灯が、ゆっくり薄れていく。


 リュシアは両手を伸ばしかけた。


 けれど、触れなかった。


 死者の記憶にすがりつけば、前へ進めなくなると分かっているのかもしれない。


 最後に、ゼルグレイスの姿がもう一度現れた。


 魔王城の地下墓所。


 彼は一人、黒い棺の前に立っていた。


 自分のために作られた棺だ。


 ゼルグレイスは棺に手を置き、何かを呟いた。


 今回は、かすかに声が聞こえた。


「リュシア」


 リュシアが息を止める。


「お前が墓守を選んだことを、私は恐れている」


 低く、静かな声だった。


「だが、同時に誇っている」


 リュシアの涙が止まらなくなる。


「私が魔王として眠る日、お前はきっと私を魔王としてではなく、死者として扱うだろう」


 ゼルグレイスは、少しだけ笑ったように見えた。


「それでいい」


 黒い棺の上に、彼の手が置かれる。


「世界は私を魔王と呼ぶ。王国は私を災厄と呼ぶ。魔族は私を王と呼ぶ」


 彼は目を閉じた。


「だが、お前だけは、私を父と呼んでくれ」


 その言葉を最後に、記憶は消えた。


 旧魔族墓地に、朝の風が戻ってくる。


 黒曜花が一輪、静かに揺れていた。


 リュシアは、声もなく泣いていた。


 俺は何も言わなかった。


 慰めの言葉は、たぶん邪魔だった。


 彼女は父を取り戻したわけではない。


 けれど、父の記憶を一つ受け取った。


 世界の楔でも、毒受けの王でもない。


 リュシアに父と呼ばれたかった男の記憶を。


 しばらくして、リュシアは涙を拭いた。


「レインさん」


「ああ」


「私は、父を世界に返したくないと言いました」


「ああ」


「その気持ちは、まだあります」


「それでいい」


「でも、父が世界を支えていたことも、消したくありません」


 彼女は黒曜花を見た。


「父が背負ったものを、ただ隠して眠らせることは、父の生き方を消すことになる気がします」


「どうする」


「父を、素材にはしません」


 リュシアの声は、もう震えていなかった。


「父を、神にも英雄にもしません。世界の便利な楔にも戻しません」


 彼女は立ち上がる。


「でも、父が守ろうとした循環を、私たちが引き継ぎます。父の遺体を使うのではなく、父が残した花と記憶から学んで」


 俺は頷いた。


「それが、魔王という役目を終わらせる方法か」


「はい」


 リュシアは涙の跡を残したまま、まっすぐ前を向いた。


「私は、魔王の娘です。でも、それ以上に、リュシアです。ゼルグレイスの娘で、墓守です」


 黒曜花が光る。


 旧魔族墓地の墓標たちも、朝日に淡く照らされている。


「父を、父として弔います」


 彼女は静かに言った。


「そして、父だけに世界を背負わせた仕組みを、終わらせます」


 その言葉に、俺の視界に鑑定結果が浮かんだ。


【対象:墓守リュシア】


【状態:喪失、悲嘆、決意】


【過去価値:魔王の娘】


【現在価値:父を弔う墓守】


【未来価値候補:魔王という役目を終わらせる者】


 俺はその表示を、リュシアには言わなかった。


 まだ早い気がした。


 それは彼女に背負わせる称号ではなく、彼女が自分で選び続けた先にある未来だ。


 ただ、俺は思った。


 魔王ゼルグレイスは世界を支えていた。


 だが、彼は最期まで魔王である前に、父だったのだと。


 そして今、その娘が、父を世界から取り戻しながら、世界を変えようとしている。


 俺たちは旧魔族墓地をあとにした。


 丘を下りる道で、リュシアは一度だけ振り返った。


 黒曜花が一輪、墓標の間で揺れている。


 それはもう、世界の楔の花ではなく。


 娘が父を思い出すための、小さな墓花に見えた。


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