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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第3章 勇者の嘘

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第21話 勇者パーティー崩壊の始まり

 聖油馬車が戻ってこない。


 その報告が王国西方臨時収容地に届いたのは、夜半を少し過ぎたころだった。


 白面神官は、天幕の中で報告を聞いていた。


 彼の前には、黒曜花の花びらが一枚、銀の皿に置かれている。


 すでに聖油実験に使われたものだ。


 花びらの縁は白く焼け、中心は黒く縮れていた。


 それでも、完全には灰になっていない。


 白面神官はその花びらを、仮面越しにじっと見下ろしていた。


「聖油馬車一台、移送路途中で停止。後輪破損。積荷固定具損傷。護衛兵二名軽傷」


 報告兵の声は震えている。


「原因は」


「煙による視界不良と、車輪への鉄くさびの打ち込み。反逆者の妨害と見られます」


「聖油の漏出は」


「ありません」


「なら、まだ使える」


 白面神官は短く言った。


 報告兵はほっとしたように息を吐いた。


 だが、続く言葉で再び顔を強張らせる。


「それと……捕虜の一部が逃走しました」


 天幕の空気が、明らかに冷えた。


 白面神官は、ゆっくりと顔を上げる。


「何名」


「四名です。リーベル村の住民二名、魔族避難民一名、混血者一名」


「手引きは」


「聖女セレナ様が治療確認中に、拘束具の一部を解除させたとの証言があります」


 白面神官は黙った。


 報告兵は続きを言うことを恐れていたが、言わないわけにはいかなかった。


「その後、魔王の娘と思われる魔族の女が森側から接触。混乱に乗じて逃走した者を誘導したと……」


「聖女は」


「収容地を離れたあと、行方不明です」


「王都への帰還命令は」


「未確認です。伝令を出しましたが、まだ戻っておりません」


 白面神官は銀の皿の上の黒い花びらをつまんだ。


 焼けかけた花びらは、指先で砕けるかと思われた。


 だが、折れない。


 白い聖油に焼かれてもなお、黒い部分が残っている。


「反逆者レイン・オルディア」


 白面神官は、吐き捨てるようにその名を呼んだ。


「死体しか見えない鑑定士が、ここまで手を広げるとは」


 報告兵は答えられなかった。


 白面神官は花びらを皿に戻し、机の上に置かれた告示文へ視線を向ける。


 黒花の村アシュベルを魔王復活派拠点と認定。


 レイン・オルディア。


 リュシア。


 ノア・テイル。


 グラン。


 バルザ。


 そして、聖女セレナは王都帰還命令に従わない場合、異端審問対象。


 すでに布告は各街道へ掲示させた。


 王国の名で、黒花の村を敵と定めた。


 引き返す道はない。


「勇者様へ報告を」


 白面神官は言った。


「聖女セレナに、反逆者との接触および逃走幇助の疑いあり。黒花の村は組織的妨害能力を有する。捕虜を利用した作戦は、一部修正が必要」


「はっ」


「それから」


 白面神官は、報告兵を呼び止めた。


「聖女の報告書は回収したか」


「いえ。原本は聖女様が所持していた可能性が高く……」


「写しは」


「現地記録係が途中まで写していました」


「持ってこい」


 しばらくして、一枚の写しが運ばれてきた。


 白面神官はそれを受け取る。


 そこには、セレナ自身の筆跡ではないが、彼女が書いた報告の内容が残されていた。


【黒曜花に魔王復活反応は確認できず】


【黒曜花は魔力毒を浄化している可能性が高い】


【リーベル村焼却の経緯に不審点あり】


【死者および生存者の名前を確認する追加調査が必要】


 そして最後に。


【死者は嘘をつかない】


 白面神官は、その一文をしばらく見つめた。


「聖女が、死体鑑定士の言葉を使うか」


 紙を握る手に力がこもる。


 写しがわずかに歪んだ。


「信仰汚染の疑いあり」


 彼は冷たく告げた。


「正式記録へ加えろ」


 報告兵が息を呑む。


「聖女様を、ですか」


「聖女であろうと、魔王の花に触れれば汚染される」


「しかし、セレナ様は勇者パーティーの――」


「だから問題なのだ」


 白面神官の声が低くなった。


「勇者の隣に立つ者が揺らげば、民は勇者そのものを疑う」


 報告兵は何も言えなくなった。


 そのとき、天幕の外が騒がしくなった。


 重い鎧の音。


 兵士たちが道を開ける声。


 白面神官は報告書を折り畳み、机に置いた。


 天幕の入口が開く。


 白銀の鎧をまとった勇者カイゼルが入ってきた。


 その後ろに、二人の仲間が続く。


 一人は、蒼いローブを着た魔導士ミレイユ。


 勇者パーティーで攻撃魔法を担っていた女だ。長い黒髪を高く結い、整った顔には苛立ちが浮かんでいる。


 もう一人は、巨大な盾を背負った騎士ベルク。


 寡黙な男で、魔王討伐戦ではカイゼルの前に立ち続けた守り手だった。


 聖女セレナはいない。


 その不在が、天幕の中でやけに大きく見えた。


「報告を聞いた」


 カイゼルは白面神官を見た。


「聖油馬車が止められ、捕虜が逃げ、セレナが消えたと」


「その通りです、勇者様」


「誰がやった」


「反逆者レイン・オルディアを中心とする黒花の村一派。加えて、魔王の娘リュシア、元補充兵ノア・テイル、鍛冶師グランの関与を確認しております」


「セレナは」


 カイゼルの声が少し低くなる。


「聖女セレナ様には、反逆者との接触および捕虜逃走幇助の疑いがあります」


 ミレイユが眉をひそめた。


「セレナが? 冗談でしょう」


「事実です」


 白面神官は淡々と答えた。


「収容地での治療を名目に、捕虜の拘束具を一時解除させています。その後、捕虜四名が逃走。現場には魔王の娘も確認されています」


「セレナは逃走を助けたのか」


 ベルクが初めて口を開いた。


 低い声だった。


「確定ではありません。ですが、疑いは濃厚です」


「セレナがそんなことをする理由がない」


 ミレイユが言った。


「彼女は魔族を憎んでいないけど、王国を裏切るような人でもないわ」


「魔王の花による信仰汚染の可能性があります」


「信仰汚染?」


 ミレイユの声に怒りが混じる。


「ずいぶん便利な言葉ね。都合の悪いことを言い出した聖女を黙らせるのに」


「ミレイユ」


 カイゼルが短く制した。


 その声だけで、ミレイユは口を閉じた。


 だが、表情から不満は消えていない。


 カイゼルは白面神官の机に置かれた写しへ視線を向けた。


「それは何だ」


「聖女セレナ様の現地調査報告の写しです」


「読ませろ」


 白面神官は一瞬ためらった。


 だが、勇者に拒むことはできない。


 写しを差し出す。


 カイゼルは紙を受け取り、目を通した。


 読み進めるにつれ、その表情から温度が消えていく。


【黒曜花に魔王復活反応は確認できず】


【黒曜花は魔力毒を浄化している可能性が高い】


【リーベル村焼却の経緯に不審点あり】


【死者は嘘をつかない】


 最後の一文で、カイゼルの指が紙を強く握った。


「レインの言葉だ」


 低い声だった。


「セレナは、あいつの言葉を書いたのか」


 ミレイユが横から紙をのぞき込む。


「でも、これが本当なら――」


「本当なわけがない」


 カイゼルは即座に言った。


「黒曜花は魔王の遺体から生えた。魔王の力だ。危険でないはずがない」


「けれど、セレナは聖女よ。魔王復活反応がないと書いている」


「汚染されている可能性があると聞いただろう」


「それを、あなたは信じるの?」


 ミレイユの声が鋭くなった。


 天幕の中が静まり返る。


 カイゼルは彼女を見た。


「何が言いたい」


「セレナが汚染されたと決めつける前に、話を聞くべきだと言っているの」


「セレナは戻ってきていない」


「戻れない状況なのかもしれない」


「反逆者の村にいるからか?」


「そうとは限らないわ」


「では、どこにいる」


 カイゼルの問いに、ミレイユは答えられなかった。


 ベルクが静かに言った。


「勇者様。セレナの捜索を優先すべきでは」


「当然だ」


 カイゼルは言った。


「聖女セレナは勇者パーティーの一員だ。反逆者に利用されているなら、救い出す」


「利用ではなく、自分の意思なら?」


 ミレイユが言った。


 カイゼルの目が冷たくなる。


「何だと」


「セレナが、自分の目で見て判断したのならどうするの」


「それでも間違っている」


「なぜ」


「勇者の道から外れているからだ」


 ミレイユは、息を呑むように黙った。


 その言葉は、あまりにも自然に出た。


 カイゼル自身も、言ってからおかしさに気づいていないようだった。


 勇者の道。


 それが正しい。


 そこから外れた者は間違っている。


 たとえ聖女であっても。


 仲間であっても。


 ベルクが眉を動かした。


「勇者様。セレナはこれまで、何度も我々を救いました」


「知っている」


「レインも、魔王討伐までは同行していました」


 天幕の空気がさらに重くなる。


 カイゼルがベルクへ視線を向けた。


「ベルク。お前もレインを擁護するのか」


「擁護ではありません」


「なら何だ」


「事実です。レインは、魔王城まで我々に同行していました。死体鑑定で罠を見つけたこともあります。魔物の死骸から毒を見抜いたことも」


「些細なことだ」


「些細でも、事実です」


 ベルクは静かに言った。


「公式記録から彼の名前が消えていると聞きました」


 白面神官が視線を動かす。


 カイゼルの表情がわずかに険しくなった。


「不要な記録を省いただけだ」


「不要かどうかを決めたのは誰ですか」


「俺だ」


 即答だった。


 ベルクは黙った。


 その沈黙は、納得ではなかった。


 ミレイユが苦い顔で笑う。


「勇者パーティーって、いつからあなた一人の物語になったの」


「ミレイユ」


 カイゼルの声に怒りが滲む。


「言葉を選べ」


「選んでいるわ。これでも」


 白面神官が割って入った。


「勇者様。今は内部の議論より、黒花の村への対応を優先すべきです」


「分かっている」


 カイゼルは写しを机に置いた。


 だが、最後の一文からまだ目を離せていないようだった。


 死者は嘘をつかない。


 それは、レインが何度も口にしていた言葉だ。


 勇者パーティーにいたころも、彼は死体の前でだけ強い目をしていた。


 普段は目立たず、戦いでは役に立たず、仲間の後ろを歩いていた男。


 だが死体の前では、カイゼルの命令にも時々逆らった。


 この死体は動かさない方がいい。


 この傷は魔物のものじゃない。


 この村は魔族に襲われたのではない。


 死体は嘘をつかない。


 そのたびに、カイゼルは苛立った。


 勇者の進む道に、死者の都合など不要だったからだ。


「勇者様」


 白面神官が言った。


「黒花の村は、すでに周辺へ影響を広げています。逃走捕虜を受け入れ、元王国兵を抱え、聖女様まで取り込もうとしている。放置すれば、王国辺境の村々が追随しかねません」


「追随?」


「リーベル村のように、魔族避難民を受け入れる村が増える可能性があります」


 ミレイユが冷たく言った。


「それは悪いことなの?」


「魔族管理法に反します」


「子どもを水もない森に追い出すのが、正しい法なの?」


「魔族の血は危険です」


「便利ね、それも」


 白面神官はミレイユを見た。


「魔導士ミレイユ様。あなたも黒花の影響を受けておられるのでは」


「私はまだ黒花を見てもいないわ」


「では、反逆者の思想に影響を」


「あなたたちは、疑問を持つ者を全部汚染扱いするの?」


 ミレイユの魔力がわずかに膨らむ。


 天幕の布が揺れた。


 ベルクが一歩前に出る。


「ミレイユ、落ち着け」


「落ち着いているわ」


「魔力が漏れている」


「そうね。抑えるわ」


 彼女は深く息を吸い、魔力を収めた。


 だが、白面神官を見る目は冷たいままだった。


 カイゼルは、二人のやり取りを黙って見ていた。


 そして、ゆっくりと言った。


「セレナは救出する」


 ミレイユとベルクが彼を見る。


「ただし、彼女が自分の意思で反逆者側についたと確認された場合、勇者パーティーから除名する」


 ミレイユの顔色が変わった。


「本気で言っているの?」


「勇者パーティーに、魔王の花を擁護する聖女は置けない」


「セレナの話も聞かずに?」


「聞く。だが、結論は変わらないかもしれない」


「それは聞くとは言わない」


「ミレイユ」


 カイゼルの声が鋭くなった。


「お前はどちら側に立つ」


 その問いに、ミレイユは黙った。


 どちら側。


 勇者か、反逆者か。


 王国か、黒花の村か。


 カイゼルは世界を二つに分けようとしている。


 だが、ミレイユの中ではもう、その分け方自体が揺らぎ始めていた。


「私は」


 彼女はゆっくりと言った。


「まだ、どちらが正しいのか見ていない」


「俺を信じないのか」


「信じたいわ」


 ミレイユの声が、わずかに震えた。


「でも、信じたいことと、何も見ないことは違う」


 ベルクが静かに頷いた。


「私も、黒花の村を自分の目で見たい」


 カイゼルの目が細くなる。


「お前たちまで、あの村に行くつもりか」


「勇者様の命令で討伐へ行くなら、見ることになります」


 ベルクは淡々と答えた。


「そのとき、何を斬るのかを知っておきたい」


「魔王復活派だ」


「子どもや村人も含めてですか」


 天幕の中に、また沈黙が落ちた。


 白面神官は口を挟まなかった。


 カイゼルの判断を待っている。


 カイゼルは、ゆっくりと聖剣の柄に手を置いた。


「必要なら」


 その一言で、ミレイユが一歩後ずさった。


 ベルクの表情が、わずかに硬くなる。


 勇者は、迷わなかった。


 必要なら、村人も斬る。


 子どもも、捕虜も、聖女も。


 勇者の物語を守るためなら。


「カイゼル」


 ミレイユが、初めて呼び捨てにした。


 昔はよくそう呼んでいた。


 旅の最初、まだ彼が勇者という肩書きに押し潰されそうになっていたころ。


 彼女は友人として、彼の名を呼んでいた。


 だが魔王討伐が近づくほど、その呼び方は消えた。


 勇者様。


 そう呼ぶようになった。


 今、久しぶりに出た名前に、カイゼルの眉が動いた。


「あなたは、本当にそれでいいの?」


「魔王の復活を防ぐためだ」


「黒曜花は復活反応がないと、セレナが書いている」


「汚染された聖女の報告だ」


「じゃあ、私が見て同じ結論を出したら?」


「お前も汚染されている」


 即答だった。


 ミレイユは、何かが自分の中で静かに切れる音を聞いた気がした。


 ベルクも黙ってカイゼルを見ている。


 白面神官は、仮面の奥で満足しているようだった。


 疑う者は汚染。


 迷う者は反逆予備軍。


 そうなれば、勇者の周りには従う者しか残らない。


 そして従う者だけの物語は、崩れるときが早い。


「作戦を立て直す」


 カイゼルは告げた。


「聖油馬車の修復を急がせろ。捕虜は残りを移送する。黒花の村へ向かう道を封鎖し、逃げ込んだ者もまとめて捕らえる」


「聖女セレナ様は」


 白面神官が尋ねる。


「生かして捕らえろ」


「抵抗した場合は」


 ミレイユが鋭く白面神官を睨む。


 カイゼルは少しだけ間を置いた。


「傷つけるな」


 その言葉に、ミレイユはわずかに息を吐いた。


 だが、次の言葉で再び表情を強張らせる。


「ただし、黒花の村から引き離せ。必要なら拘束し、浄化審問にかける」


「浄化審問……」


 ベルクが低くつぶやいた。


 それは、実質的な異端審問だ。


 聖女であっても、教会に反する祈りを持てば裁かれる。


 カイゼルはもう、セレナを仲間として迎え戻すつもりではない。


 正しい場所へ戻すつもりなのだ。


 本人の意思を無視して。


「勇者様」


 ベルクが言った。


「その前に、私がセレナと話します」


「必要ない」


「必要です」


 ベルクの声は静かだが、退かなかった。


「彼女が本当に汚染されているのか。自分の意思で動いているのか。話せば分かるかもしれません」


「お前は話してどうする」


「聞きます」


「聞いて、揺らぐのか」


「揺らぐかもしれません」


 ベルクは正直に答えた。


「でも、揺らがない者が正しいとは限りません」


 カイゼルの手が聖剣の柄を強く握る。


 白面神官が一歩下がった。


 ミレイユも息を止める。


 勇者と盾騎士。


 魔王討伐戦で、最も近くにいた二人。


 ベルクは何度もカイゼルの前に立ち、攻撃を受け止めた。


 その彼が、今は初めてカイゼルの前で別の意味で盾になろうとしている。


 セレナのために。


 レインの言葉を完全には信じていない。


 黒花の村を擁護する覚悟もない。


 それでも、何も見ずに斬ることを拒んでいる。


 カイゼルはしばらくベルクを見つめていた。


 やがて、低く言った。


「好きにしろ」


「ありがとうございます」


「だが、ベルク」


「はい」


「お前まで俺の物語から外れるな」


 ベルクは一瞬だけ目を伏せた。


「私は、勇者様の物語に入るために盾を持ったわけではありません」


 カイゼルの表情が変わった。


 ベルクは続けた。


「守るべきものの前に立つためです」


 天幕の中が凍りついた。


 ミレイユが、驚いたようにベルクを見る。


 白面神官は無言だった。


 カイゼルは何も言わない。


 だが、その沈黙の奥に、激しい怒りがあるのは明らかだった。


 ベルクは深く頭を下げ、天幕を出ていった。


 ミレイユも続こうとする。


「どこへ行く」


 カイゼルが言った。


「外の空気を吸ってくるだけよ」


「ミレイユ」


「逃げないわ。まだ」


 その「まだ」が、天幕に残った。


 彼女も出ていく。


 残されたのは、カイゼルと白面神官だけだった。


 白面神官は静かに言う。


「勇者様。黒花の影響は、思ったより広がっているようです」


「黙れ」


 カイゼルの声は低かった。


「俺の仲間まで疑うな」


「失礼しました」


「セレナは戻す。ミレイユもベルクも、俺が正しいと分からせる」


「はい」


「レインを捕らえればいい」


 カイゼルは机に置かれた報告書の写しをつかんだ。


「すべてはあいつだ。あいつが魔王の遺体を盗まなければ、こんなことにはならなかった」


「死体鑑定士を公開処刑すれば、黒花の村も崩れるでしょう」


「処刑では足りない」


 カイゼルは写しを握り潰した。


「レインには、自分が間違っていたと認めさせる」


 白面神官は、仮面の奥でわずかに首を傾げた。


「認めさせる?」


「そうだ。あいつの死体鑑定が間違っていたと。魔王の遺体は世界再生素材ではなく、災厄だったと。黒曜花は弔いの花ではなく、魔王復活の根だったと」


「そのような証明は」


「作れ」


 カイゼルは冷たく言った。


 白面神官は沈黙した。


 勇者が、証拠を作れと言った。


 それは英雄の言葉ではなかった。


 けれど白面神官は、何も指摘しなかった。


「承知しました」


 それだけ答えた。


 天幕の外で、夜風が吹いていた。


 ミレイユは少し離れた木の下に立ち、空を見上げていた。


 月は雲に隠れ、森は暗い。


 その暗闇の向こうに、黒花の村がある。


 セレナがいるかもしれない。


 レインがいる。


 魔王の娘がいる。


 指名手配された元補充兵がいる。


 逃げた捕虜たちがいる。


 王国の布告では、すべて反逆者だ。


 けれど、ミレイユの胸には、別の問いが生まれていた。


 本当に反逆者なのか。


 それとも、王国が見捨てた者たちが集まっただけなのか。


「ミレイユ」


 ベルクが近づいてきた。


「あなたも外に?」


「ああ」


「怒ってる?」


「分からない」


 ベルクは短く答えた。


「だが、重い」


「何が?」


「盾が」


 ベルクは背中の大盾に手を触れた。


「今まで、勇者を守ることが人々を守ることだと思っていた」


「違うかもしれない?」


「分からない」


 彼もまた、分からないと答えた。


 それは弱さではなかった。


 むしろ、今この場で分からないと言えることこそ、彼の強さなのかもしれない。


「セレナに会ったら、どうする?」


 ミレイユが尋ねた。


「聞く」


「何を?」


「何を見たのか」


 ベルクは森の奥を見る。


「そして、なぜ祈れなくなったのか」


 ミレイユは驚いた。


「それを知ってるの?」


「神官兵が噂していた。聖女がリーベルの死者の前で、教会の祈りを唱えられなかったと」


「祈れなくなった聖女、か」


「だが、名前は呼んだらしい」


 ベルクの声は低い。


「それは、本当に祈りではないのだろうか」


 ミレイユは答えられなかった。


 遠く、森の向こうで黒い光が一瞬だけ揺れたように見えた。


 見間違いかもしれない。


 黒曜花の光かもしれない。


 ミレイユは、なぜかその光を怖いとは思わなかった。


 むしろ、知りたいと思った。


 それが魔王復活の兆しなのか。


 それとも、セレナが書いた通り、死者を弔う花なのか。


 自分の目で見たい。


 そう思ってしまった時点で、彼女ももう、以前の勇者パーティーには戻れないのかもしれない。


 そのころ、天幕の中でカイゼルは一人、聖剣を抜いていた。


 白銀の刃。


 魔王ゼルグレイスを貫いた剣。


 王国の象徴。


 勇者である証。


 だが今、その刃の根元に、かすかな黒い筋が浮かんでいた。


 以前、黒曜花の前で聖剣の斬撃が吸収された。


 レインは言った。


 聖剣の魔力波長は、魔王の魔力循環と一致している。


 お前の剣は、魔王によって浄化されていた。


「違う」


 カイゼルは一人で呟いた。


「これは聖剣だ。魔王の力などではない」


 だが、刃は答えない。


 死者と同じように、剣も嘘をつかないのかもしれなかった。


 カイゼルは聖剣を鞘に戻した。


 その手は、わずかに震えていた。


 勇者パーティーは、まだ崩壊していない。


 勇者カイゼル。


 聖女セレナ。


 魔導士ミレイユ。


 盾騎士ベルク。


 名前だけを並べれば、まだそこにある。


 だが、セレナは黒花の村にいる。


 ミレイユは疑いを持った。


 ベルクは何を守るべきかを考え始めた。


 そしてカイゼルは、仲間の言葉よりも、自分の英雄譚を守ろうとしている。


 まだ誰も、決定的に離れてはいない。


 けれど、最初のひびは入った。


 そのひびは、黒曜花の根のように、静かに、深く、勇者パーティーの内側へ伸び始めていた。


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