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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第2章 黒花の村

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第20話 黒花の村、指名手配される

 北東の森へ向かう道は、黒い光でかすかに照らされていた。


 黒曜花の根が伸ばした道しるべだ。


 地面の下を細い脈のように走り、ところどころ枯れ葉の隙間から黒銀の光がにじんでいる。夜目が利く魔族ならともかく、人間の俺にも見えるほどの光だった。


 それは、道案内というより、呼びかけに近かった。


 急げ。


 まだ死者ではない者たちがいる。


 そう言われている気がした。


 俺、リュシア、セレナ、グラン、ノア。


 五人は息を殺して森を進んでいた。


 本当なら、ノアは村に残すべきだった。


 左足の傷はまだ完全には塞がっていない。杖をついて歩くたびに、顔がわずかに歪む。


 それでも、彼は来ると言って聞かなかった。


「王国軍の巡回路を読めるのは俺だけだ」


 そう言われると、止めきれなかった。


 実際、ノアは役に立っていた。


 木に刻まれた小さな印。


 枝に結ばれた白い紐。


 地面に残った浅い靴跡。


 俺には壊れたものや死に近いものから情報を読むことはできるが、生きた軍の動き方までは分からない。ノアはそれを補ってくれた。


「この先で道が二つに分かれる」


 ノアが低く言った。


「右は聖油馬車の移送路。左は捕虜を連れて通る細道だと思う」


「分けたか」


 俺は舌打ちした。


 矢文の通りだ。


 白面神官は捕虜の一部を先に移し、聖油馬車も日没後に動かすつもりらしい。


 同時に動かされれば、こちらの人数では対処が難しい。


「どうする、鑑定士殿」


 グランが鉄くさびの入った袋を担ぎ直す。


「馬車を止めるなら右だ。捕虜を追うなら左だ」


「両方は無理か」


「俺の足を見てから言ってくれ」


 ノアが苦笑した。


 笑ってはいるが、額には汗が浮いている。


 リュシアが黒曜花の光を見つめた。


「道しるべは、左へ濃く伸びています」


「捕虜の方か」


「はい。でも、右にも薄く流れています」


「聖油も黒曜花に関わるからか」


 どちらを選ぶべきか。


 捕虜を逃がさなければ、サナの母親たちが人質にされる。


 だが聖油馬車を止めなければ、黒曜花そのものが焼かれる。


 黒曜花が失われれば、村も、捕虜たちの逃げ場もなくなる。


 迷っている時間はなかった。


 そのとき、セレナが口を開いた。


「私は左へ行きます」


「セレナ」


「捕虜の移送には、治療名目で近づけます。私の顔を知っている神官兵もいる。うまくいけば、足止めできる」


「一人では危険だ」


「分かっています」


 セレナは静かに頷いた。


「だから、リュシアさんに一緒に来てほしい」


 リュシアが目を見開いた。


「私が?」


「捕虜の中には魔族が多い。私だけでは信用されない。でも、あなたがいれば、黒花の村から来たと伝えられる」


「でも、私は魔王の娘です。捕まれば――」


「だからこそ、堂々とは近づかない。森側から回って、捕虜にだけ知らせます」


 セレナは自分の白い法衣の裾を握った。


「私はまだ、王国側の人間として見られる。その立場を、今だけ利用します」


 グランが低く言う。


「じゃあ、俺と鑑定士殿が右の馬車か」


「いや」


 ノアが首を振った。


「馬車を止めるには、王国式の車輪留めと護衛の配置を読む必要がある。俺も右へ行く」


「その足で?」


「馬車相手に走るわけじゃない。隠れて待つなら、何とかなる」


 彼は杖を握りしめた。


「それに、聖油は俺が教えた情報のせいで対策が遅れた部分もある。最後まで見たい」


「お前のせいじゃない」


「知ってる。でも、見たいんだ」


 ノアは小さく息を吐く。


「俺がいた王国軍が、何を運んでいたのかを」


 その顔は、もう置いていかれた兵士だけのものではなかった。


 自分がどこに立つのか、必死に選ぼうとしている少年の顔だった。


 俺は頷いた。


「分かった。右は俺、グラン、ノア。左はセレナとリュシア」


「合流は?」


 リュシアが尋ねる。


「黒曜花の光が合流する場所があるはずだ。そこで落ち合う」


「なかったら?」


 グランが言う。


「作る」


「無茶を普通に言うな」


「最近、慣れてきただろ」


「慣れたくはねえな」


 グランはそう言いながら、少しだけ笑った。


 俺たちは分かれ道の手前で立ち止まった。


 リュシアが黒曜花の小さな葉を一枚取り出す。


 枯れ落ちた葉を、彼女が大切に布で包んでいたものだ。


「これを持っていてください」


 彼女は俺に差し出した。


「黒曜花の根が、レインさんを見失わないように」


「君が持っていなくて大丈夫か」


「私は墓守です。花の方が私を覚えてくれています」


 そう言って、リュシアは少しだけ微笑んだ。


 その表情には、不安があった。


 けれど、以前のような迷いは少なかった。


「戻ってください」


「ああ」


「捕虜の方も、必ず何とかします」


「頼む」


 セレナは俺を見た。


「レイン」


「何だ」


「もし、私が戻らなかったら」


「その先は聞かない」


「でも」


「戻れ」


 俺は短く言った。


「君はサナに伝えることがまだ残っている。ユーディアの言葉を届けただけじゃ終わっていない」


 セレナは一瞬だけ目を伏せ、それから頷いた。


「分かりました」


 二人は左の細道へ消えていった。


 白い法衣と黒い外套が、夜の森に溶けていく。


 俺たちは右へ進んだ。


 聖油馬車の道は、捕虜の道より広かった。


 車輪が通れるよう、枝が切り払われている。地面には、重い荷馬車の跡が深く刻まれていた。


 聖油の匂いも濃くなっている。


 鼻の奥を刺すような、清潔すぎる匂い。


 浄化という名の火の匂い。


「この匂い、嫌いだ」


 ノアがぽつりと言った。


「兵士だったころは?」


「ありがたいものだと思ってた。魔族の呪いを焼く油だって教えられてたから」


「今は?」


「ただの油にしか思えない」


「聖なる油じゃないのか」


「聖なるって言葉、便利すぎるんだよ」


 ノアは苦く笑った。


「何でも白く塗れる」


 その言葉に、セレナの顔が浮かんだ。


 彼女も今、同じようなものと向き合っているのだろう。


 白い祈り。


 白い法衣。


 白い仮面。


 それらが隠してきたもの。


 俺たちは道の脇の茂みに身を隠した。


 ノアが地面に膝をつき、車輪跡を確認する。


「馬車はまだ通っていない」


「待ち伏せできるか」


「あそこ」


 ノアは少し先の坂道を指さした。


「上り坂になる。馬車は必ず速度を落とす。車輪にくさびを噛ませるなら、そこがいい」


 グランが鉄くさびを取り出した。


「車輪の軸を折れば、馬車は動かなくなる」


「護衛は?」


「聖油馬車なら、最低でも前後に兵がつく。神官兵も一人か二人」


「正面からは無理だな」


「だから、馬を驚かせる」


 ノアが言った。


「聖油は火気厳禁。馬車の周りで火は使えない。だから、護衛は夜目に頼る。霧と煙で視界を奪えば、動きが鈍る」


「煙か」


 俺は周囲を見回した。


 湿った落ち葉。


 枯れ枝。


 焦げかけた古い炭。


 ここは炭焼き道の近くだ。


 使えるものはある。


 俺は黒くなった炭の塊に触れた。


【対象:古い炭塊】


【状態:湿気含む、半劣化】


【由来:旧炭焼き小屋の残滓】


【使用可能:低温煙幕】


【注意:火力弱、煙多量】


「煙は作れる」


「便利だな、死にかけの炭」


 グランが小さく笑う。


「ここに来てから、死にかけのものが全部役に立ってる気がする」


「この村の方針みたいなもんだ」


 そう言って、グランは鉄くさびを手に坂道へ向かった。


 俺は炭と湿った落ち葉を集める。


 ノアは道の端に小さな石を並べ、王国兵が見落とす程度の目印を作っていった。


 準備を進めていると、森の奥から馬の蹄の音が聞こえた。


 来た。


 俺たちは茂みに身を低くする。


 やがて、聖油馬車が現れた。


 二頭立ての馬車。


 荷台には白い布で包まれた樽がいくつも積まれている。


 その周囲を王国兵六人、神官兵二人が護衛していた。


 思ったより多い。


 馬車は坂道の手前で一度止まった。


 神官兵が周囲を見回す。


「警戒しろ。反逆者が出る可能性がある」


 反逆者。


 その言葉が、自分のことだと理解するまで、ほんの少し時間がかかった。


 俺は息を潜める。


 神官兵の一人が、荷台の白布を確認した。


「聖油に異常なし」


「急げ。白面神官様は、夜半までに黒花の村近くへ到着せよとの命令だ」


 黒花の村。


 俺は眉をひそめた。


 今、神官兵は確かにそう言った。


 アシュベルではなく、黒花の村。


 王国はもう、その名で呼び始めているのか。


 馬車が坂道へ入る。


 速度が落ちた。


 今だ。


 俺は火打ち石を擦り、炭に火を入れる。


 低く白い煙が立ち上がった。


 湿った落ち葉に煙が移り、道の脇からじわじわと広がっていく。


「煙だ!」


「火か!?」


「聖油に近づけるな!」


 護衛が慌てる。


 火ではない。


 だが、聖油を運ぶ者にとって煙は十分な脅威だった。


 兵士たちが荷台へ駆け寄る。


 その隙に、グランが低い姿勢で馬車の後輪へ滑り込んだ。


 鉄くさびを打ち込む。


 一つ。


 二つ。


 鈍い音。


 馬が驚き、前足を上げた。


 車輪が軋む。


「何だ!?」


「後輪が!」


 ノアが小石を投げ、馬の足元に置いていた目印を崩した。


 馬がさらに混乱し、斜めに動く。


 馬車の後輪が溝にはまり、軸が嫌な音を立てた。


 グランが最後のくさびを打ち込む。


 次の瞬間、車輪が大きく傾いた。


 荷台が揺れる。


「聖油を守れ!」


「馬を止めろ!」


 兵士たちが混乱する中、俺は馬車の側面へ回り込んだ。


 樽を壊すつもりはない。


 聖油が漏れれば、森ごと危ない。


 必要なのは、動けなくすること。


 俺は荷台の留め具に触れた。


【対象:聖油馬車留め具】


【状態:新品、過負荷】


【弱点:右側固定ピン】


【破損時効果:荷台傾斜、積荷固定不可】


 右側の固定ピン。


 俺は短剣を差し込み、こじる。


 硬い。


 指が痛む。


 そのとき、背後から声がした。


「そこだ!」


 王国兵が俺に気づいた。


 槍が突き出される。


 俺は身をひねるが、避けきれず、肩をかすめた。


 熱い痛み。


 だが、手は止めない。


 ピンが外れる。


 荷台がさらに傾き、聖油の樽が一斉に片側へ寄った。


 白布がずれ、樽が互いにぶつかる。


 割れはしない。


 だが、この状態では馬車は進めない。


「何者だ!」


 神官兵が杖を向ける。


 白い魔力が集まる。


 まずい。


 俺は煙の中へ飛び込もうとした。


 その直前、ノアが叫んだ。


「王国式第三輸送規定! 聖油荷台付近で攻撃魔法は禁止!」


 神官兵の動きが止まった。


「誰だ、今のは!」


「聖油に引火したら全員処罰だぞ!」


 ノアは声を変え、王国兵の命令口調を真似ていた。


 煙のせいで姿は見えない。


 護衛たちは一瞬、上官の声だと錯覚したらしい。


 その隙に、グランが俺の腕をつかんだ。


「逃げるぞ!」


「馬車は?」


「十分止まった!」


 俺たちは煙に紛れて道の脇へ転がり込んだ。


 背後では兵士たちが怒号を上げている。


「車輪が折れた!」


「聖油の樽を降ろせ!」


「応援を呼べ!」


 馬車は止まった。


 完全に壊したわけではない。


 だが、少なくとも今夜の到着は難しいだろう。


 聖油の黒曜花焼却作戦は遅れる。


 俺たちは森の中を走った。


 グランが先導し、ノアは足を引きずりながら必死についてくる。


 俺は彼を支えた。


「大丈夫か」


「大丈夫じゃない」


「正直だな」


「でも、笑える」


 ノアは息を切らしながら言った。


「王国兵のふりをして王国兵を止めた」


「元王国兵らしい働きだった」


「元って言った?」


「言った」


 ノアは少しだけ笑った。


 その顔に、痛みだけではないものがあった。


 森の奥で、黒曜花の光が合流しているのが見えた。


 左の道からも、気配が近づいている。


 リュシアとセレナだ。


 だが、二人だけではなかった。


 その後ろに、数人の人影がいる。


 捕虜だ。


 俺たちは息を呑んだ。


 セレナが先頭にいた。


 白い法衣はさらに汚れ、袖には血がついている。


 リュシアは小柄な魔族の少年を支えていた。


 その後ろに、三人の捕虜。


 全員ではない。


 だが、逃げ出せた者がいる。


「セレナ!」


 俺が呼ぶと、彼女は顔を上げた。


「レイン、馬車は?」


「止めた。そっちは?」


「捕虜の一部を逃がせました。でも、全員は無理でした」


 彼女の声には悔しさがにじんでいた。


 リュシアが支えている少年は、リーベル村の子どもらしい。ほかに、混血の女性と老人、若い魔族の男がいる。


「ユーディアは?」


 俺が尋ねると、セレナは首を振った。


「残りました」


「サナの母親は……」


「他の捕虜を逃がすために、白面神官の注意を引きました」


 胸が重くなる。


 サナに何と伝えるべきか。


 だが、セレナは続けた。


「生きています。少なくとも、私が離れるときは。ユーディアさんは、サナへもう一つ伝言を残しました」


「何て?」


「今度は、迎えに来る側になるな。弟たちを連れて、生きて待て、と」


 俺は目を閉じた。


 母親は、どこまでも母親だった。


「追手は?」


「来ています」


 リュシアが北の森を振り返る。


「白面神官が、私たちを確認しました」


「まずいな」


 グランが槌を握る。


「捕虜を連れてアシュベルまで戻れるか?」


 ノアが地図を見た。


「正面道は無理。黒曜花の光に沿って、旧水路跡を通るしかない」


「急ごう」


 俺たちは逃げ出した捕虜を支え、アシュベルへ向かった。


 黒曜花の光は、森の中を細く伸びている。


 捕虜たちはふらつきながらも、その光を見ると足を止めなかった。


「黒い花……」


 混血の女性が呟いた。


「本当に道を作ってくれるのね」


「アシュベルに着けば、水があります」


 リュシアが言った。


「黒曜花も、あなたたちを拒みません」


「魔王様の墓がある村……」


 老人が涙声で言う。


「そんな場所が、まだあったのか」


 俺たちは森を進んだ。


 背後から、遠く怒号が聞こえる。


 白面神官隊が追ってきている。


 こちらは怪我人と衰弱した捕虜を連れている。


 速くは進めない。


 それでも、黒曜花の光は途切れなかった。


 旧水路跡に入ったところで、ノアが足を止めた。


「待って」


「どうした」


「前方に札がある」


 彼が指さす先、木の根元に白い札があった。


 王国式警戒札。


 しかも新しい。


 俺は近づき、触れずに鑑定する。


【対象:王国式告示札】


【状態:新規設置】


【目的:指名手配告示、通行者通報誘導】


【危険:接触時、位置通報】


 告示札。


 警戒札ではない。


 そこには文字が書かれていた。


 月明かりの下で、白い紙が不気味に浮かび上がっている。


【王国緊急布告】


【黒花の村アシュベルを魔王復活派拠点と認定】


【以下の者を重要指名手配対象とする】


【元死体鑑定士 レイン・オルディア】


【魔王の娘 リュシア】


【元王国補充兵 ノア・テイル】


【鍛冶師 グラン】


【アシュベル村長 バルザ】


【聖女セレナについては、王都帰還命令に従わない場合、異端審問対象とする】


【黒花の村に協力する者、匿う者、水・食料を与える者は、魔王残党支援者として処罰する】


【黒曜花を発見した者は、直ちに聖教会へ通報せよ】


【通報者には報奨金を与える】


 誰も声を出さなかった。


 森の夜が、急に冷たくなった気がした。


 黒花の村、アシュベル。


 正式にそう書かれている。


 魔王復活派拠点。


 重要指名手配。


 俺だけではない。


 リュシアだけでもない。


 ノアも、グランも、バルザも。


 そして村そのものが、王国に敵として認定された。


「早いな」


 グランが低く言った。


「俺の名前まで載ってやがる」


 ノアは告示札を見つめ、顔を青ざめさせていた。


「俺も……」


「元王国補充兵と書かれている」


 俺が言うと、ノアはかすかに笑った。


「王国に、元って認められた」


 冗談のように言ったが、その声は震えていた。


 戻る場所が、本当に消えたのだ。


 セレナも、告示札を見て動けなくなっていた。


「異端審問対象……」


「まだ指名手配ではないな」


 グランが言う。


 セレナは静かに首を振った。


「ほとんど同じです」


 王国の聖女。


 民に祈りを捧げる存在。


 その彼女が、帰還命令に従わなければ異端。


 白面神官は本気だ。


 セレナを切り捨てる準備も始めている。


 リュシアは告示札の一文を見つめていた。


 黒曜花を発見した者は、直ちに聖教会へ通報せよ。


 報奨金。


「花を……売るのですね」


 彼女の声は小さかった。


「父の墓に咲いた花を、見つけたら売れと」


 誰も答えられなかった。


 王国は、死者の花にまで値段をつけた。


 俺の胸の奥に、静かな怒りが沈んでいく。


 怒鳴りたくはなかった。


 剣を振り回したくもなかった。


 ただ、この告示札を前にして、はっきり分かった。


 もう、隠れてやり過ごす段階ではない。


 王国は、黒花の村を名指しした。


 なら、アシュベルは自分たちが何であるかを選ばなければならない。


 廃村のまま怯えるのか。


 魔王復活派という嘘の名で潰されるのか。


 それとも、自分たちの名前を名乗るのか。


 捕虜の老人が、震える声で言った。


「わしらが行けば、村に迷惑がかかるのでは……」


「もうかかっている」


 グランが答えた。


「今さら一人二人増えたところで変わらねえ」


 混血の女性が泣きそうな顔をする。


「でも、私たちは」


「ここまで来たなら、歩け」


 グランはぶっきらぼうに言った。


「アシュベルには水がある。黒い花もある。倒れるなら、村に着いてからにしろ」


 リュシアが告示札の前に立つ。


 そして、静かに頭を下げた。


「父の花を売り物にすることは、許しません」


 黒曜花の光が、彼女の足元で強まった。


 告示札の白い紙が、かすかに揺れる。


 俺は手を伸ばしかけた。


「触るな。位置通報がある」


「分かっています」


 リュシアは札には触れなかった。


 代わりに、地面に膝をつき、黒曜花の葉を一枚置いた。


「この布告が、どれだけの人を怖がらせるか分かりません。けれど、私たちは父を復活させるためにいるのではありません。死者を弔い、生きている人を死者にしないためにいます」


 その言葉に、黒い光が細く広がった。


 告示札の周囲の土が、わずかに湿る。


 セレナが隣に立つ。


「私は、まだ聖女です」


 彼女は告示札を見つめた。


「でも、王都へ戻って嘘の報告書に署名する聖女には戻りません」


 ノアが杖を握る。


「俺は、もう王国兵じゃない」


 グランが肩をすくめる。


「俺はただの鍛冶屋だ。指名手配されるほど大物じゃねえんだがな」


 俺は告示札を見た。


 元死体鑑定士。


 そう書かれている。


 王国は、俺を元と呼んだ。


 勇者パーティーからも、王国の記録からも、切り離した。


 なら、都合がいい。


「元じゃない」


 俺は低く言った。


「俺は今も死体鑑定士だ」


 死者の価値を見る者。


 死者の名前を拾う者。


 そして今は、その価値を生者の明日につなぐ者。


 王国が何と呼ぼうと、それだけは変わらない。


 俺たちは告示札を残し、森を進んだ。


 触れれば通報される。


 破ることはできない。


 だが、読んだ。


 覚えた。


 死者の記録と同じように、王国の嘘も記憶した。


 アシュベルへ戻ったとき、村はまだ起きていた。


 バルザ、エナ、ミト、リナ、サナ、リク、トト、ミミ。


 皆が共同畑の前で待っていた。


 黒曜花は夜の光を帯び、村を淡く照らしている。


 セレナの姿を見たサナが走り出す。


「お母さんは!?」


 セレナは膝をついた。


「ユーディアさんは、まだ収容地にいます」


 サナの顔が強張る。


「でも、生きています。あなたに伝言を預かりました」


「何……?」


「今度は、迎えに来る側になるな。弟たちを連れて、生きて待て、と」


 サナは目を見開いた。


 唇が震える。


「お母さん……」


「それから、あなたは弟たちを守った。だから、今は自分も守りなさい、と」


 サナは泣かなかった。


 泣きそうな顔で、けれど必死に立っていた。


「分かった」


 彼女は小さく言った。


「でも、待つだけじゃない。ここを守る」


 セレナは頷いた。


「それが、ユーディアさんの願いだと思います」


 逃げてきた捕虜たちが村へ入ると、黒花の村境界が淡く光った。


 拒まない。


 攻撃意思のない者を、この村は拒まない。


 エナが水を運び、バルザが寝床を指示し、グランが老人を支えた。ミトとリナは小さな桶を持って走り回る。


 アシュベルは、また人を受け入れた。


 だが、安堵する間もなく、俺は村人たちを集めた。


 共同畑の前。


 黒曜花の周囲。


 そこに、王国の告示札の内容を伝えた。


 黒花の村アシュベルが、魔王復活派拠点と認定されたこと。


 俺、リュシア、ノア、グラン、バルザが指名手配されたこと。


 セレナが異端審問対象になりかけていること。


 村に水や食料を与える者も処罰されること。


 黒曜花を見つければ通報し、報奨金が出ること。


 話し終えたあと、長い沈黙が落ちた。


 エナが子どもたちを抱き寄せる。


 バルザは杖を握ったまま、目を閉じた。


 グランは分かっていたという顔をしていたが、それでも苦々しげだった。


 サナは怒りで震えている。


 ミトが小さく尋ねた。


「僕たち、悪い村になったの?」


 その問いに、誰もすぐ答えられなかった。


 王国に悪い村だと言われた。


 魔王復活派だと言われた。


 指名手配された。


 子どもにとって、それは恐ろしいことだ。


 俺はミトの前に膝をついた。


「王国は、そう言っている」


「本当は?」


「本当は、これから俺たちが決める」


「決める?」


「ああ」


 俺は黒曜花を見た。


「ここを、死者を素材にする村にするのか。逃げてきた人を追い出す村にするのか。それとも、名前を聞いて、水を分ける村にするのか」


 ミトは少し考えた。


「僕、水を分ける村がいい」


 リナも頷いた。


「リナも」


 エナが涙ぐみながら微笑んだ。


「私もです」


 バルザが目を開ける。


「なら、決まりだ」


 老人は杖で畑の土を軽く叩いた。


「王国が何と呼ぼうと、ここはアシュベルだ。黒花の村と呼びたければ呼べばいい。だが、魔王復活派などではない」


 グランが続ける。


「俺たちは、墓を掘り返させねえだけだ」


 ノアが言う。


「置いていかれた人を、もう置いていかない村です」


 リュシアは黒曜花に手を添えた。


「死者を、素材にしない村です」


 セレナは少し迷ったあと、静かに言った。


「名前を呼ぶ村です」


 皆の視線が俺へ向いた。


 俺は、少しだけ考えた。


 死体しか見えない鑑定士。


 追放者。


 反逆者。


 王国は、いくつでも名前をつけてくる。


 だが、俺たちが自分たちの名を決めることまでは止められない。


「なら、黒花の村でいい」


 俺は言った。


 リュシアが驚いたようにこちらを見る。


「いいのですか」


「王国が嘘の意味で呼ぶなら、俺たちが本当の意味に変えればいい」


 黒曜花が揺れた。


「黒花の村。死者の花が咲き、生きている者に水を分ける村。そう名乗ればいい」


 バルザが笑った。


「悪くない」


 グランも肩をすくめる。


「指名手配の名前を、そのまま村の看板にするのか。ずいぶん図太くなったな、鑑定士殿」


「ここに来てから、壊れたものの使い道を覚えた」


「そりゃいい」


 セレナが静かに微笑んだ。


「王国の告示も、別の未来価値を持つかもしれませんね」


 その言葉に、俺は思わず告示札を思い出した。


 壊れた鍬が境界を刻んだように。


 焼けた記録紙が聖女の疑念を決定づけたように。


 王国の指名手配も、俺たちが何者であるかを決めるきっかけになるのかもしれない。


 俺の視界に、黒曜花の鑑定結果が浮かんだ。


【対象:黒曜花群】


【状態:受け入れ拡大】


【新規反応:黒花の村、自己認定】


【効果:村境界強化】


【未来価値候補:捨てられた者たちの避難地】


【注意:王国敵対度、急上昇】


 王国敵対度、急上昇。


 まったく、親切な鑑定だ。


 嫌なことまで正直に表示してくれる。


 だが、その前の一文から目が離せなかった。


 捨てられた者たちの避難地。


 それが、この村の未来価値候補。


 死にかけた廃村が、誰かの逃げ場になる。


 魔王の墓に咲いた黒い花が、その目印になる。


 俺は深く息を吸った。


「明日の昼までに、残りの捕虜を助ける」


 皆の顔が引き締まる。


「聖油馬車は止めた。でも王国は別の手を使ってくる。白面神官も、カイゼルも、ここを放っておかない」


 サナが短剣を握る。


 ノアが地図を広げる。


 グランがくさびの残りを確認する。


 リュシアが黒曜花に祈る。


 セレナが報告書を胸にしまう。


 バルザが、村の古い旗の布を持ってきた。


 色あせた、何の紋章もない布。


「昔、アシュベルの祭りで使っていた布だ」


 老人はそれを俺たちに見せた。


「看板がいるなら、これを使え」


「看板?」


「黒花の村と名乗るのだろう」


 バルザは笑った。


「なら、こちらからも掲げてやれ」


 グランが布を受け取り、黒い炭で簡単な花の印を描いた。


 黒曜花。


 不格好だった。


 だが、十分だった。


 村の入口に、その布が掲げられた。


 王国の指名手配に対する、こちらの返事のように。


 黒花の村。


 死者を素材にしない村。


 名前を聞く村。


 水を分ける村。


 捨てられた者を、もう置いていかない村。


 夜風に、黒い花の印が揺れる。


 遠くの森では、王国軍の角笛が鳴っていた。


 指名手配された村の最初の夜が、始まろうとしていた。


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