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死体鑑定士、追放されたので魔王の遺体を育てます 〜勇者が殺した魔王を埋めたら、滅びた村に黒い花が咲きました〜  作者: swingout777
第2章 黒花の村

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第13話 壊れた鍬の未来価値

 ノアがアシュベルに残ると決めた翌朝、グランが壊れた鍬を持ってきた。


「鑑定士殿。こいつを見てくれ」


 そう言って差し出された鍬は、昨日修理したものとは別の一本だった。


 柄は真ん中から折れ、刃は大きく曲がっている。土を耕す道具というより、戦場で踏み潰された残骸に近かった。


「これはひどいな」


「ああ。納屋の奥から出てきた。普通なら捨てる」


「普通なら、か」


「だが、この村じゃ普通に捨てられるものの方が少ねえ」


 グランは片目で俺を見た。


「死にかけのもんを見るのが、あんたの仕事だろ」


「いつの間にか、そうなったな」


 俺は壊れた鍬を受け取った。


 手にした瞬間、妙な重みを感じた。


 魔王の遺体のような圧倒的な重さではない。もっと小さく、暮らしに染み込んだ重みだ。何度も土を起こし、何度も手入れされ、何度も誰かの手に握られてきた道具だけが持つ重さ。


 俺は刃に指を触れ、鑑定を発動する。


【対象:壊れた鍬】


【状態:柄折れ、刃曲がり、魔力毒による金属劣化】


【由来:アシュベル共同畑で三十一年使用】


【最終使用者:マリア・バルザ】


【過去価値:共同畑の最初の畝を作った農具】


【現在価値:修復困難】


【未来価値候補:黒花の村の最初の境界を刻む鍬】


 俺は眉をひそめた。


 未来価値候補。


 ノアの認識布で初めて見た表示が、また出た。


「どうした」


 グランが尋ねる。


「また、未来価値が見えた」


「未来価値?」


「まだ確定していない価値だ。そうなるかもしれない、という候補らしい」


「道具にも未来があるのか」


「俺も驚いている」


 俺はもう一度、表示を読む。


 黒花の村の最初の境界を刻む鍬。


 境界。


 畑の畝ではなく、村の境界。


 何か意味があるはずだ。


「マリア・バルザと出た」


 俺が言うと、近くで水桶を運んでいたバルザが足を止めた。


 老人の手から、桶がこぼれそうになる。


「……今、何と言った」


「この鍬の最終使用者だ。マリア・バルザ」


 バルザはゆっくりと近づいてきた。


 壊れた鍬を見た瞬間、彼の顔がくしゃりと歪む。


「それは、ばあさんの鍬だ」


「奥さんか」


「ああ」


 バルザは震える手で鍬の柄に触れた。


「マリアは、この村で一番畑仕事がうまかった。わしより力はなかったが、土を見る目があった。どこを深く掘るか、どこを浅くするか、いつ水を入れるか、全部分かっていた」


 彼は、懐かしむように目を細めた。


「この共同畑を最初に作ったのも、マリアだ。人間も魔族も、混血の者も、同じ畑から食えば少しは喧嘩が減ると言ってな」


「共同畑を?」


「ああ。国境の村では、畑も分けるべきだと言う者がいた。人間の畑、魔族の畑、混血の畑。だがマリアは怒った。腹が減るのに血筋は関係ない、と」


 バルザは壊れた刃を撫でた。


「強い女だった」


「亡くなったのは?」


「井戸が枯れて三年目だ。畑を諦めきれずに、最後まで土を掘っていた。魔力毒にやられて、手が黒くなってもな」


 俺は鍬を見下ろした。


 壊れた鍬。


 だが、ただ壊れたわけではない。


 この鍬は、死にかけた畑を最後まで諦めなかった人の道具だった。


「修理できるか、グラン」


 俺が尋ねると、グランは難しい顔で刃を見た。


「正直、畑用としては厳しい。刃が歪みすぎてる。柄もほとんど死んでる」


「死んでるなら、俺の管轄だな」


「そう言うと思った」


 グランは苦笑した。


「だがな、鑑定士殿。こいつを直すなら、ただの鍬には戻せねえ。使える部分を残して、別の形にする必要がある」


「別の形?」


「例えば、槍だ」


 その言葉に、リュシアが顔を上げた。


 畑の端で黒曜花の根を見ていた彼女は、こちらへ歩いてくる。


「槍、ですか」


「王国軍が聖油を持って来る。俺たちには武器がない。この刃を伸ばして、柄を替えれば、簡単な槍にはなる」


 グランの言い分は正しかった。


 この村には戦える者がほとんどいない。


 バルザは老人。


 エナは子どもを抱えた母親。


 ミトとリナはまだ幼い。


 リュシアは魔力を使えるが、戦闘に慣れているわけではない。


 ノアは元兵士だが、足の傷で動けない。


 俺は剣を持っているだけの死体鑑定士。


 王国軍が本気で来れば、武器は必要になる。


 それでも、俺は壊れた鍬に触れたまま、妙な違和感を覚えていた。


 鑑定結果は、槍とは言っていない。


 黒花の村の最初の境界を刻む鍬。


 未来価値候補は、鍬のままだった。


「もう一度見る」


 俺は深く息を吸い、鑑定を強めた。


【対象:壊れた鍬】


【状態:修復困難】


【兵器転用:可能】


【兵器転用時価値:即席槍】


【兵器転用後の未来価値:一度きりの抵抗】


【農具修復時価値:境界鍬】


【農具修復後の未来価値:黒花防火溝の作成、畑区画の保護、村境界の宣言】


【注意:この道具は、誰かを刺すためではなく、土を分けるために残っている】


 俺は目を閉じた。


 表示された最後の一文が、胸に残る。


 誰かを刺すためではなく、土を分けるために残っている。


「槍にはしない方がいい」


 俺は言った。


 グランの眉が動く。


「理由は?」


「槍にすれば、一度きりの抵抗にはなる。でも、それで終わる」


「終わる?」


「この鍬の未来価値は、畑と村を守る方にある。黒花防火溝を作れるらしい」


 リュシアが息を呑んだ。


「防火溝……聖油対策ですか」


「たぶんな。聖油は黒曜花を根まで焼くために使うと言っていた。なら、火を花の根へ届かせなければいい」


 グランが腕を組む。


「溝を掘って、油が墓の方へ流れ込まないようにするってことか」


「ああ。しかも、ただの溝じゃない。この鍬で村の境界を刻む必要がある」


「境界ってのは、柵か?」


「分からない。でも鑑定では、村境界の宣言と出ている」


 バルザが低くつぶやいた。


「マリアらしいな」


「どういう意味だ」


「ばあさんは、よく言っていた。この村には国境より大事な境界があると」


 バルザは共同畑を見た。


「奪う者と、分け合う者の境界だ」


 その言葉に、俺たちは黙った。


 奪う者。


 分け合う者。


 王国は魔王の遺体を素材として奪おうとした。


 勇者は黒曜花を焼き、魔王の心臓を取り戻そうとしている。


 一方で、アシュベルは魔王の遺体を埋葬し、その花が戻した水を皆で分けている。


 この村が守るべきものは、墓だけではない。


 死者を奪わず、生者で分け合うという在り方そのものだ。


「グラン」


 俺は鍬を差し出した。


「槍じゃなく、鍬として直せるか」


 グランはしばらく鍬を見つめていた。


 やがて、片目を細めて笑う。


「難しいな」


「無理か」


「無理とは言ってねえ。難しい仕事は嫌いじゃない」


 彼は鍬を受け取った。


「刃は完全には戻せない。だが、溝を刻むだけなら使える形にできる。柄は全部替えずに、中心の古い部分を残す」


「畑との馴染みが残る」


「ああ。あんたの鑑定を信じるならな」


 バルザが深く頭を下げた。


「頼む、グラン。マリアの鍬を、もう一度畑に戻してやってくれ」


「任せろ、じいさん」


 グランは鍬を肩に担いだ。


「こいつは武器じゃなく、村を守る農具にしてやる」


 その日の午前中、俺たちは防火溝を作る場所を探した。


 黒曜花は共同畑の中央から広がり始めている。


 根はまだ浅いが、魔王の棺が沈んだ場所を中心に、細い魔力の筋が土の下へ伸びていた。


 俺には、その筋がうっすら見える。


 死者の価値が土へ流れていく道。


 そこを傷つければ、黒曜花の力が弱るかもしれない。


 逆に、そこを守るように溝を掘れば、聖油が流れ込んでも墓まで届かない。


「ここは深く掘るな」


 俺は土に木片を刺した。


「この下に黒曜花の根がある」


「こっちは?」


 リュシアが尋ねる。


「浅い溝なら大丈夫だ。水を逃がす道にもなる」


 ミトとリナが、俺の後ろをついてきて、小石を置いていく。


 危ないから畑の外にいろと言ったのだが、二人は「石置き係」を自分たちの仕事にしてしまった。


「ここ、置いていい?」


「ああ。ただし、花には近づきすぎるな」


「うん!」


 ミトは真剣な顔で小石を置く。


 リナはその隣に、黒曜花に似た丸い石を並べていた。


 エナは離れた場所で、ノアのための薬湯を作っている。


 バルザは古い村の地図を引っ張り出してきた。


「昔の水路はここを通っていた」


 彼は地図を広げ、震える指で示す。


「この溝を復活させれば、井戸から畑へ水を流せる。ただし、西側は昔、王国との取引用の道だった」


「そこから追討隊が来る可能性が高いな」


「だろうな」


 バルザは苦い顔をした。


「なら、西側に防火溝。南側に水路。北側は壊れた柵を直す」


 グランが作業場から声を飛ばす。


「こっちはもう少し待て! 鍬が泣いてる!」


「鍬が?」


 リュシアが首を傾げる。


「あいつなりの冗談だ」


「道具が泣くこともあるのでは?」


 リュシアが真顔で言うので、俺は返事に困った。


「……あるかもしれないな」


 昼前、ノアが杖をついて家の外へ出てきた。


 左足には包帯が巻かれている。


 まだ歩ける状態ではないはずなのに、額に汗を浮かべながら一歩ずつこちらへ来た。


「寝ていろと言っただろ」


 俺が言うと、ノアは気まずそうに目を逸らした。


「寝てたら、聖油のことばかり考える」


「だからって歩くな。傷が開く」


「分かってる。でも、伝えなきゃいけないことがある」


 彼は共同畑の西側を指さした。


「聖油は、普通の油みたいにただ燃えるだけじゃない。神官兵が言ってた。溝を掘っても、魔力で根を探して染み込むって」


 リュシアの顔が強張る。


「では、防火溝だけでは足りないのですね」


「たぶん」


 ノアは苦しげに息を吐いた。


「王国軍は、黒曜花をただ焼くつもりじゃない。根の魔力を逆流させて、墓の中まで燃やすつもりだ」


 俺は畑の中央を見た。


 魔王の棺が眠る場所。


 黒曜花の根は、そこへつながっている。


 聖油が根を伝って燃えるなら、防火溝だけでは防げない。


「対策はあるか」


 俺が尋ねると、ノアはうなずいた。


「聖油は、聖教会の浄化紋に反応して進む。だから、別の強い境界紋があれば、そっちで止まるかもしれない」


「境界紋?」


「村や教会の敷地を区切る魔術の印だ。王国軍では野営地を作るときに使う」


「描けるのか」


「簡単なものなら。でも、俺は神官じゃないから、効果は弱い」


 境界。


 またその言葉だ。


 壊れた鍬の未来価値。


 黒花の村の最初の境界を刻む鍬。


「ノア」


「何?」


「境界紋は、土に刻むものか?」


「ああ。杭や刃物で線を引いて、そこに魔力を流す」


「鍬でもできるか」


「鍬?」


「村を守る境界を、鍬で刻む」


 ノアは一瞬ぽかんとした。


 それから、畑の中央に咲く黒曜花と、修理中の鍬がある作業場を交互に見た。


「できるかもしれない」


「本当か」


「王国式の境界紋は、剣や杖で刻む。でも、この村の境界なら、この村の道具で刻んだ方が強いかもしれない。教本にはないけど……」


「教本にない方が、この村には合っている」


 ノアは少しだけ笑った。


「確かに」


 そのとき、グランが作業場から出てきた。


 手には、修復された鍬があった。


 元の形とは少し違う。


 刃は細く研ぎ直され、曲がっていた部分は完全には戻さず、溝を引きやすい角度に整えられている。柄は古い木を芯に残し、その両側を新しい木材で挟むように補強されていた。


 古くて新しい鍬だった。


「できたぞ」


 グランは鍬を地面に立てた。


「マリアの鍬、改め、境界鍬だ」


 バルザが息を呑む。


 リュシアがそっと手を合わせる。


 俺は境界鍬に触れた。


 鑑定が発動する。


【対象:境界鍬】


【状態:修復完了】


【由来:マリア・バルザの鍬】


【現在価値:土を分ける農具】


【未来価値候補:黒花の村の最初の境界を刻む】


【適正使用者:アシュベルを村として認める者】


【注意:武器として使用すると未来価値低下】


 適正使用者。


 アシュベルを村として認める者。


 俺は鍬を握った。


 反応はある。


 だが、まだ完全ではない。


「俺だけじゃ駄目らしい」


「どういうことだ」


 グランが尋ねる。


「この鍬は、アシュベルを村として認める者が使う必要がある」


「なら、じいさんか」


 バルザが首を振った。


「わし一人ではない。共同畑を作ったマリアなら、きっとそう言う」


 彼は村人たちを見た。


「村というのは、一人で名乗るものではない」


 その言葉に、皆が黙った。


 五人だけの村人。


 そこに、俺とリュシアとノア。


 俺たちはまだ、この村を何と呼べばいいのか分からないまま動いていた。


 廃村。


 魔王の墓。


 反逆者の隠れ場所。


 王国に狙われる場所。


 だが、それだけではない。


 水が戻った。


 芽が出た。


 傷ついた兵を受け入れた。


 壊れた鍬を、武器ではなく農具として直した。


 なら、もう村と呼んでもいいのかもしれない。


「俺は、ここに来たばかりだ」


 俺は言った。


「王国からは反逆者扱いされているし、いつまでいられるかも分からない。それでも、今はこの村を守りたいと思っている」


 リュシアが続いた。


「私は、父の墓を守るためにここにいます。でも、それだけではありません。この村に水が戻り、子どもたちが畑を歩いているのを見ました。私は、この場所を守りたいです」


 グランが頭をかいた。


「俺は正直、王国兵を置くのも、魔王様の花を守るのも、まだ全部納得できてるわけじゃねえ。でも、この村でまた鍛冶の音を鳴らせるなら、それは悪くない」


 エナが小さく言った。


「子どもたちが走れる場所があるなら、ここは村です」


 ミトが手を上げる。


「僕もここが村だと思う!」


 リナも真似して手を上げる。


「リナも!」


 バルザは目を細めた。


「なら、わしも言おう。アシュベルは、まだ終わっておらん」


 最後に、皆の視線がノアへ向いた。


 彼は杖に体を預けたまま、困ったように笑った。


「俺は……まだ村人じゃない」


「知ってる」


 俺が言うと、ノアはうなずいた。


「でも、ここが村だとは思う。少なくとも、俺が置いていかれなかった場所だ」


 その言葉だけで十分だった。


 俺は境界鍬を握り、共同畑の西側へ向かった。


 ノアが横から指示を出す。


「境界紋は、円じゃなくていい。村の形に沿って線を引く。黒曜花の根を囲むように、でも閉じ込めないように」


「閉じ込めない?」


「結界じゃなくて境界だから。中にあるものを守るけど、外と完全に断つわけじゃない」


「この村らしいな」


 俺は鍬の刃を土に当てた。


 その瞬間、黒曜花が一斉に揺れた。


 バルザが古い祈りの言葉を唱え始める。


 リュシアがそれに魔族の言葉を重ねる。


 ノアが王国式の境界紋の文言を、たどたどしく口にする。


 人間の祈り。


 魔族の祈り。


 王国の術式。


 混ざり合った言葉の中で、俺は鍬を引いた。


 土に一本の線が刻まれる。


 ただの溝ではない。


 そこに、黒い光と淡い緑の光が重なった。


 俺の視界に鑑定結果が浮かぶ。


【境界線:成立】


【性質:防火、防油、魔力毒遮断】


【名称候補:黒花の村境界】


【効果:聖油の根部侵入を一時的に阻止】


【注意:維持には村人の意思が必要】


 村人の意思。


 俺一人の鑑定ではない。


 リュシア一人の魔力でもない。


 この村にいる者たちが、ここを村だと認めること。


 それが境界を保つ力になる。


 俺は線を引き続けた。


 西側から南側へ。


 共同畑を囲み、井戸へ続く水路を避け、子どもたちが置いた小石の列をなぞる。


 鍬は不思議なほど軽かった。


 三十一年、畑を知っていた道具が、もう一度土を分けている。


 槍にしなかったからこそ、刻める線だった。


 やがて、境界線が畑をぐるりと守る形になった。


 最後の一線を引いたとき、黒曜花が静かに光った。


 畑の中央の花から、銀色の灯が一つ浮かび上がる。


 それは、バルザの前で止まった。


 彼は息を呑む。


「マリア……」


 灯は、境界鍬の上でふわりと揺れた。


 まるで、よくやったと言うように。


 バルザは涙をこぼしながら笑った。


「ばあさん。お前の鍬は、まだ畑にいるぞ」


 銀色の灯は、黒曜花の中へ戻っていった。


 俺は境界鍬を地面に立て、深く息を吐いた。


 剣ではなく、鍬で村を守る。


 そんな戦い方があるとは、勇者パーティーにいたころは考えもしなかった。


 けれど今の俺には、それがひどく正しいことに思えた。


「レインさん」


 リュシアが隣に来た。


「これで、聖油を防げますか」


「一時的には」


「一時的……」


「王国が本気で来れば、破られるかもしれない。でも、時間は稼げる」


「時間があれば、できることが増えます」


「ああ」


 俺は村を見渡した。


 壊れた柵。


 戻った井戸。


 小さな芽。


 黒い花。


 傷ついた兵士。


 古い鍬。


 どれも頼りない。


 だが、頼りないものが集まって、村の形を作り始めている。


 壊れた鍬の未来価値は、武器になることではなかった。


 土に線を引くことだった。


 ここから先は、奪わせない。


 ここから内側では、死者を素材にしない。


 ここでは、残されたものを分け合う。


 その境界を刻むことだった。


 夕方、ノアは境界線のそばに座り、しばらく黙って畑を見ていた。


「どうした」


 俺が声をかけると、彼はぽつりと言った。


「王国では、境界線は敵を入れないために引くんだ」


「ここも似たようなものだ」


「でも、違う気がする」


「どう違う」


「ここは、入ってくる人を全部拒む線じゃない。奪いに来るものだけを止める線だ」


 俺は少し驚いた。


「いいことを言うな」


「たぶん、受け売りだ」


「誰の?」


「この村の」


 ノアは照れたように目を逸らした。


 畑では、黒曜花と緑の芽が同じ風に揺れていた。


 その外側に、壊れた鍬が刻んだ境界線がある。


 細く、浅く、頼りない線。


 だが確かに、そこから内側はアシュベルだった。


 俺の視界に、最後の鑑定結果が浮かぶ。


【対象:境界鍬】


【未来価値候補:確定】


【確定価値:黒花の村の最初の境界を刻んだ農具】


【備考:壊れたものは、直せば元に戻るとは限らない。別の未来を持つことがある】


 別の未来。


 それは、壊れた鍬だけの話ではないのだろう。


 追放された死体鑑定士。


 父を失った墓守の少女。


 置いていかれた王国兵。


 死にかけた村。


 俺たちは皆、壊れたあとにここへ来た。


 元には戻れない。


 けれど、別の未来なら持てるのかもしれない。


 黒い花の村に、初めて境界が刻まれた。


 それは王国に対する宣戦布告ではない。


 ただの農具で引いた、細い線だ。


 それでも俺には、その線がどんな城壁よりも大切なものに見えた。


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