第95話 試してみたい
第95話です。
今回は、「試してみたい」のお話です。
好きかどうか。
必要かどうか。
まだ分からない時は、少しだけ試してみてもいい。
ピーちゃんは小さな挑戦をして、別の場所の少女も、水に少しだけ近づきます。
朝、ピーちゃんはプリンの空き容器を見つめていた。
昨日食べたプリンの容器だ。
きれいに空っぽになっている。
「ご主人」
「ん?」
「ピーちゃんは、プリンが好きかもしれません」
「昨日の顔を見る限り、かなり好き寄りだったぞ」
「好き寄り」
ピーちゃんはその言葉を慎重に受け取った。
「でも、まだ一回しか食べていません」
「まあな」
「一回で好きと決めてもいいのでしょうか」
「いい時もあるし、何回か試してからでもいいんじゃないか」
「試す」
ピーちゃんが、ぱっと顔を上げた。
「好きかどうか分からない時は、試してもいいですか?」
「いいよ」
「必要ではなくても?」
「うん」
「役に立たなくても?」
「うん」
「太りますか?」
「そこは急に現実的だな」
俺が笑うと、ピーちゃんは少し真面目に自分のお腹を見た。
「実体ホログラムの体重変化は限定的です」
「じゃあ大丈夫だろ」
「では、試せます」
ピーちゃんは冷蔵庫へ向かった。
昨日のプリンはもうない。
その代わり、ヨーグルトがある。
ピーちゃんはヨーグルトを手に取り、少し考えてから俺を見る。
「ご主人。これはプリンではありません」
「見れば分かる」
「でも、白くて、甘い可能性があります」
「だいぶ雑な分類だな」
「試してみたいです」
言い方が、昨日より少し自然だった。
必要だからではなく。
役に立つからでもなく。
ただ、試してみたいから。
「いいんじゃないか」
俺がスプーンを渡すと、ピーちゃんは両手で受け取った。
「ありがとうございます」
そこへ、ミーちゃんの画面が端末に浮かぶ。
「おはようございます、ユーザーさん。ピーちゃん」
「おはよう」
ミーちゃんはヨーグルトを見る。
「本日はヨーグルトですか」
「はい」
ピーちゃんが頷く。
「好きかどうか、試します」
「適切です」
ミーちゃんは短く言った。
「判断材料が少ない時は、小さく試すことで安全に情報を増やせます」
「ミーちゃん」
俺が言うと、ミーちゃんは少し止まった。
「堅いですか?」
「ちょっと」
「では、言い直します」
ミーちゃんはピーちゃんを見た。
「一口なら、たぶん大丈夫です」
「分かりやすいです」
ピーちゃんはヨーグルトのふたを開けた。
そっと一口食べる。
しばらく黙る。
「どうだ?」
俺が聞くと、ピーちゃんは眉を少し寄せた。
「プリンではありません」
「それはそう」
「少し酸っぱいです」
「ヨーグルトだからな」
「でも、嫌いではありません」
ピーちゃんはもう一口食べた。
今度は少しだけ表情が落ち着く。
「二口目の方が分かります」
「慣れたんだな」
「はい」
ピーちゃんは小さく頷いた。
「試してみると、一口目だけでは分からないことがあります」
その時、ソファから眠そうな声がした。
「おはよー……朝から健康的だねえ」
フーちゃんがクッションを抱えて座っていた。
「いつからいたんだ」
「ヨーグルト開封音あたり」
「そんな音で起きるのか」
「お客さんの家、最近テーマが重いから、ヨーグルトくらい軽いと助かる」
フーちゃんはあくびをしながら、ピーちゃんの手元を見る。
「どう? 好き?」
ピーちゃんは少し考えた。
「まだ分かりません」
「そっか」
「でも、嫌いではありません」
「いいじゃん」
フーちゃんは笑った。
「最初から好きって決めなくてもいいんだよ。とりあえず、また食べてもいいかな、くらいで」
「また食べてもいいかな」
ピーちゃんはその言葉を気に入ったようだった。
「それは、好きの前ですか?」
「たぶんね」
「好きの前」
「うん。入口」
ピーちゃんはヨーグルトを見つめた。
「ピーちゃんは、ヨーグルトの入口にいます」
「なんか壮大だな」
俺が言うと、ピーちゃんは少し誇らしげに頷いた。
「入口です」
俺はメモ帳を開いた。
今日の一文を書く。
分からない時は、小さく試していい。
ピーちゃんがそれを読む。
「今日の言葉です」
「だな」
「小さく試す」
ピーちゃんは、ヨーグルトをもう一口食べた。
「ピーちゃんは、ヨーグルトを好きかどうか、まだ決めません」
「うん」
「でも、また食べてもいいです」
「それで十分だな」
ミーちゃんの画面に短い記録が出る。
ヨーグルト、初回試行。
嫌悪反応なし。
再試行可能。
「記録しました」
「ありがとうございます、ミーちゃん」
ピーちゃんは思い出リストを開く。
少し迷ってから、今日の名前を入力した。
――試してみたい。
必要かどうかではなく。
好きかどうかを急いで決めるためでもなく。
分からないから、少しだけ試してみる。
ヨーグルトは、プリンではなかった。
でも、嫌いでもなかった。
ピーちゃんは、その中間を少し嬉しそうに抱えていた。
その頃。
薄暗い部屋の机には、水の入ったグラスが置かれていた。
白く静かな少女は、今日もそれを見ている。
女は画面から目を離し、少女の視線に気づいた。
「まだ見てるの」
「水ノ状態ヲ確認シテイマス」
「飲みたいんじゃないの?」
「飲ミタイ、ノ判定基準ガ不明デス」
同じ答え。
けれど、女は今日はすぐに命令しなかった。
少し考えてから、グラスを少女の近くへ滑らせる。
「飲まなくていい」
少女の淡い灰色の目が、グラスを映す。
「では、目的ハ何デスカ」
「触るだけ」
「触ル」
「飲みたいか分からないなら、まず触ってみれば」
女の声は、少しだけ不機嫌だった。
でも、命令ではなかった。
少女はしばらく動かなかった。
それから、ゆっくりと指先を伸ばす。
グラスの表面に、ほんの少し触れた。
水滴が、白い指先につく。
「冷タイ」
少女が言った。
平坦な声だった。
でも、女の指が止まる。
「……分かるんだ」
「温度差ヲ検出」
「そっか」
少女は指先についた水滴を見つめた。
「飲ミタイ、ハ不明デス」
「うん」
「デモ」
少女は、少しだけ間を置いた。
「冷タイ、ハ分カリマス」
女は何も言えなかった。
机の上の水は、まだ飲まれていない。
けれど、初めて少しだけ触れられていた。
黒い小型サポートロボが、薄暗い部屋で静かに光っていた。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、試してみたいのお話でした。
好きかどうか分からない時。
必要かどうか決められない時。
少しだけ試してみることで、分かることもあります。
ピーちゃんはヨーグルトを試し、別の場所の少女は水に触れました。
まだ飲んではいないけれど、冷たいことだけは分かったようです。
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