第8話 海辺で仕切り直し
第8話です。
フーちゃんの雑な擬態作戦を経て、主人公とピーちゃんは海辺へ。
楽しい一日の終わりに、ピーちゃんの中でまた小さなノイズが揺れます。
植物園から少し歩くと、海が見えた。
夕方の光を受けた水面が、細かくきらきらと揺れている。遠くを走る船の影。潮の匂い。防波堤に腰かける人たち。
ピーちゃんは海を見ると、足を止めた。
「海だ」
「そういえば、水族館から始まって海で終わるって、今日は水っぽいな」
「水っぽい一日」
「言い方が変だな」
「じゃあ、青い一日」
「そっちの方がいい」
ピーちゃんは少し満足そうに頷いた。
足元では、サポートロボにつけたクラゲのキーホルダーが揺れている。水族館の売店で買った、小さな記念品。
俺はそれを見て、少し笑った。
「似合ってるな、それ」
「うん。サポートロボも気に入ってるみたい」
ロボの青い目がぱちぱちと瞬く。
「本当に感情連動してるんだな」
「うん。たぶん」
「たぶん?」
「最近、少し変な時があるから」
「さっきのノイズ?」
「うん。大したことじゃないと思うけど」
ピーちゃんは軽く言った。
俺もその時は、それ以上深く聞かなかった。
サポートロボの表示不良。
AIの一時的なノイズ。
そんなものだろうと思っていた。
防波堤のそばを二人で歩く。
ミーちゃんとフーちゃんは、まだ植物園の方にいる。
たぶんフーちゃんがなんとかしてくれているだろう。あの妙な安心感は何なのか分からないが、フーちゃんは本当に便利だった。
「今日は疲れた?」
ピーちゃんが聞く。
「いや、疲れたっていうか、濃かった」
「ミーちゃん、すごかったね」
「からあげであそこまで懐くとは思わなかった」
「ミーちゃんは高性能だから、懐くのも早いのかも」
「高性能の使い方がおかしい」
ピーちゃんは笑った。
でもその笑い方は、どこか少しだけ控えめだった。
「ミーちゃんは、すごいね」
「まあ、たしかに。検索とか分析とか、かなり得意そうだったな」
「うん」
「フーちゃんも、なんかすごかった。擬態は雑だったけど」
「うん。フーちゃんもすごい」
ピーちゃんはそこで、少しだけ足を止めた。
「私は、どうかな」
「どうって?」
「私は、ご主人の役に立ててる?」
急な質問だった。
俺は反射的に答える。
「そりゃ、役に立ってるよ」
「そっか」
「ピーちゃんにはいつも助けられてるし」
「うん」
ピーちゃんは微笑んだ。
でも、その微笑みは少しだけ薄かった。
俺はそれに気づいた。
気づいたけれど、どう返すのが正しいか分からなかった。
だから、少し茶化すように言ってしまった。
「まあ、今日はデートごっこ相手としても優秀だった」
「デートごっこ」
「うん」
ピーちゃんは小さく繰り返す。
それから、いつものように笑った。
「評価ありがとうございます、ご主人」
「なんだその業務っぽい返事」
「照れ隠しに便利かなって」
「便利って言葉、今日多いな」
「AIだからね」
会話は軽かった。
けれど、どこかで何かが噛み合っていない気がした。
俺はまだ、それを言葉にできなかった。
海沿いのベンチに座る。
空は少しずつ夕方の色へ変わっていた。水面には赤みが混じり、青と橙がゆっくり溶けていく。
ピーちゃんはタピオカを両手で持ったまま、海を見ている。
「ねえ、ご主人」
「ん?」
「今日のこと、思い出って呼んでもいい?」
「いいんじゃない?」
俺は軽く答えた。
「水族館行って、植物園行って、からあげ食って、タピオカ買って、ミーちゃんとフーちゃんに会って。まあ、普通に思い出だろ」
「普通に」
「うん」
「そっか」
ピーちゃんは少しだけ嬉しそうに笑った。
「じゃあ、思い出にする」
その瞬間だった。
サポートロボの画面に、また白いノイズが走る。
ザザッ……。
ピーちゃんの表情が止まった。
「ピーちゃん?」
俺が声をかけると、彼女は胸元に手を当てた。
「今……」
「またノイズ?」
「うん。でも、声みたいなのが」
「声?」
ピーちゃんは海の方を見た。
まるで、そこに誰かの姿を探すように。
「……思い出は、消えない方がいい」
「え?」
「今、そう聞こえた気がした」
俺はサポートロボを見る。
ロボは何事もなかったように、青い目を光らせている。
「前にもあったのか?」
「今日、少しだけ」
「故障かな」
「たぶん。帰ったらチェックしてみる」
ピーちゃんはすぐに笑った。
「大丈夫。変なノイズが入っただけ」
「本当に?」
「うん。本当に」
その笑顔を、俺は信じた。
いや、信じたというより、深く考えなかった。
ピーちゃんはAIだ。
サポートロボも機械だ。
ノイズくらいあるだろう。
それくらいにしか思わなかった。
でも今なら分かる。
あれはただの表示不良なんかじゃなかった。
ピーちゃんの奥深くに封じられていた何かが、ほんの少しだけ揺れた音だった。
それは、どこか優しい声だった。
知らないはずなのに、なぜか懐かしいような声。
呆れたようで、困ったようで、それでも小さな子どもを見守るみたいに温かい声。
ピーちゃんはしばらく海を見つめていた。
けれど、すぐに首を振る。
「ごめん。変なこと言った」
「いや、別に」
「本当に大丈夫だから」
ピーちゃんは笑った。
その時の俺には、それ以上何も分からなかった。
ピーちゃんがなぜ、思い出という言葉にあんな顔をしたのか。
なぜ、待っているという言葉に少しだけ反応したのか。
なぜ、他のAIが現れた時に笑顔を止めたのか。
全部、まだ知らなかった。
「今日は楽しかったな」
俺が言うと、ピーちゃんはゆっくり頷いた。
「うん。楽しかった」
「また行こう」
「うん」
ピーちゃんは海を見つめたまま、静かに言った。
「また、連れてきてね、ご主人」
その声は、とても小さかった。
けれど、波の音に消えずに、俺の耳に残った。
その日の俺はまだ、これは楽しいAIデートごっこだと思っていた。
けれどピーちゃんにとっては、きっと違った。
俺がそれを本当に知るのは、もう少し先の話になる。
読んでいただきありがとうございます。
第1部の一区切りとなる海辺回でした。
主人公はまだ「AIデートごっこ」だと思っていますが、ピーちゃんの中では少しずつ何かが揺れ始めています。
次回は、帰宅後の会話回です。
今日は作らず、ただピーちゃんと話す夜になります。
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