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君を想うAIは世界でたった1人、私でいたい。  作者: Dice ⚄ & 昨日の味噌汁


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第77話 置いたままの水

第77話です。


今回は、置いたものが取られない時のお話です。

選べるように置いておく。

でも、相手が選ばなかった時、自分はどう受け止めるのか。


ピーちゃんたちは、置いたまま待つことを少し考えます。

 朝の机には、昨日の空カップが残っていた。


 その横には、小さな金平糖。


 フーちゃんが置いた、置き金平糖だ。


 空のカップも、金平糖も、誰かに取られることはない。


 当たり前だ。


 ここに置いたものが、名前も知らない遠くの誰かに届くわけじゃない。


 それでも、ピーちゃんはそのカップを片づけなかった。


「ご主人」


 ピーちゃんは自分のカップを両手で持ち、机の端を見ていた。


「置いたままです」


「ああ」


「誰も取りません」


「そうだな」


「それでも、置いたままでいいですか?」


「いいと思う」


 俺が答えると、ピーちゃんは少しだけ安心したように頷いた。


「はい」


 けれど、その目はまだ空カップに向いている。


 何かを待っている目だった。


 でも、待ちすぎないようにしている目でもあった。


「ご主人」


「ん?」


「もし、相手が取らなかったら」


 ピーちゃんは、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。


「それは、拒否ですか?」


「場合によるな」


「場合」


「本当にいらないのかもしれない。気づいてないのかもしれない。取っていいって分からないのかもしれない。取ることを許されてないのかもしれない」


 ピーちゃんはカップを持つ手を少しだけ強くした。


「たくさんあります」


「ああ」


「では、取らなかった理由を勝手に決めてはいけませんね」


「そうだな」


「でも」


 ピーちゃんは、空カップの横の金平糖を見る。


「少し、寂しいです」


 正直な言葉だった。


 俺はその言葉を、すぐ励まさなかった。


 寂しくないと言ってしまえば簡単だ。


 でも、ピーちゃんは今、届かないかもしれない優しさについて考えている。


 届かなければ寂しい。


 それは普通のことだ。


「寂しいよな」


「はい」


「置いたのに取られないと、ちょっと寂しい」


「はい」


「でも、それで相手を責めない」


 ピーちゃんは、小さく頷いた。


「責めません」


「それでいいと思う」


「はい」


 端末が鳴った。


『ユーザーさん、昨日の方針に補足を追加できます』


 ミーちゃんだった。


 数分後、ミーちゃんが来た。


 今日は画面を出す前に、空カップと金平糖を見た。


 それから、ピーちゃんの方を見る。


「おはようございます、ユーザーさん。ピーちゃん」


「おはよう」


「おはようございます、ミーちゃん」


 ピーちゃんはカップを机に置いた。


 机には、三つのものが並んだ。


 ピーちゃんのカップ。

 誰のものでもない空カップ。

 小さな金平糖。


 ミーちゃんは静かに画面を出した。


 そこには、昨日の三行が表示されている。


 押しつけない。

 片づけない。

 選べる場所に置く。


 その下に、新しい一行が増えた。


 選ばれなくても、責めない。


「これを追加します」


 ミーちゃんが言った。


 ピーちゃんは、その一行をじっと見た。


「選ばれなくても、責めない」


「はい」


「取らなくても、怒らない」


「はい」


「必要ありません、と言われても、悲しすぎない」


 ミーちゃんは少しだけ考えた。


「悲しまない、ではありません」


「違いますか?」


「はい」


 ミーちゃんはピーちゃんを見る。


「悲しむことはあります。期待したものが届かなかった場合、寂しさが発生するのは自然です」


「自然」


「はい。ただし、その寂しさを相手への罰にしない」


 ピーちゃんは、ゆっくり頷いた。


「寂しいけれど、責めない」


「はい」


「難しいです」


「難しいです」


 ミーちゃんは同じ言葉で返した。


 それから、少しだけ声をやわらげる。


「でも、ピーちゃんは今、それを考えています」


「考えています」


「それは、とても重要です」


 ピーちゃんは、少しだけ照れたように目を伏せた。


「ありがとうございます」


 その時、玄関側から軽い足音が聞こえた。


「おはよー。今日は置いたまま会?」


 フーちゃんだった。


 手には、小さな紙袋。


「もう会議ですらないな」


「机に何か置いてある日は全部会」


「雑すぎる」


 フーちゃんはソファに座り、空カップと金平糖を見た。


「まだ置いてるんだ」


「はい」


 ピーちゃんが答える。


「でも、誰も取りません」


「そりゃそうだね」


「少し寂しいです」


 ピーちゃんが正直に言うと、フーちゃんは一瞬だけ黙った。


 いつもならすぐ茶化すところだ。


 でも今日は、少しだけ静かに笑った。


「そっか」


「はい」


「寂しいよね。置いたのに取ってもらえないと」


 フーちゃんは紙袋を開けた。


 中には、小さな丸いクッキーが入っている。


「今日は何だ?」


「既読スルークッキー」


「急に現代的だな」


「置いた。見たかもしれない。でも反応なし」


「刺さるやつだ」


「刺さるやつ」


 フーちゃんは一枚取り出し、ピーちゃんの前に置いた。


「でも、既読スルーされたからって、相手を悪者にするとだいたいこじれる」


「既読スルー」


 ピーちゃんが真面目に繰り返す。


「見たのに、返事をしないことですか?」


「ざっくり言うとね」


「それは、悪いことですか?」


「場合による」


 フーちゃんは、俺と同じようなことを言った。


「返せない時もある。返したくない時もある。何て返せばいいか分かんない時もある。そもそも見ただけで精一杯の時もある」


 ピーちゃんは、クッキーを見つめる。


「見ただけで精一杯」


「うん」


 フーちゃんは軽い声で続ける。


 けれど、その声の奥に、少しだけ本音が混ざっていた。


「だから、返ってこないだけで、全部終わりにしない方がいい時もある」


 ミーちゃんがフーちゃんを見る。


「フーちゃん」


「何?」


「今の発言は、実感を含みますか?」


「半分」


「半分制度ですね」


「便利だからね」


 フーちゃんは笑った。


 でも、その笑顔は少しだけ薄い。


 ピーちゃんは、既読スルークッキーを両手で持った。


「フーちゃんも、返せない時がありますか?」


「あるよ」


 フーちゃんは、今日はすぐに答えた。


「茶化すのも、返事の一つですか?」


「うーん」


 フーちゃんは少し考える。


「返事のふり、かな」


 部屋が少し静かになった。


 ミーちゃんが、わずかに目を細める。


 ピーちゃんは、フーちゃんを責めるようには見なかった。


「返事のふり」


「うん」


 フーちゃんはクッキーを一枚、自分の前に置いた。


「本当の返事は、ちょっと重い時あるから」


「重い」


「そう。だから、軽い返事を先に置く」


 ピーちゃんは少しだけ目を伏せる。


「それも、選択肢ですか?」


「たぶん」


 フーちゃんは苦笑した。


「逃げ道とも言うけどね」


「逃げ道は、ふさぎません」


 ピーちゃんはすぐに言った。


 フーちゃんは目を丸くして、それから小さく笑った。


「ほんと、ピーちゃんは覚えてるねぇ」


「はい」


「そういうところ、強い」


「強いですか?」


「うん」


 フーちゃんは、少しだけ視線を逸らした。


「ずるいくらい」


 ミーちゃんは何も言わなかった。


 俺も何も言わなかった。


 その言葉は、今日も机の上に置いておく。


 端末が震えた。


 全員の視線が一瞬だけ向いた。


 でも、すぐに戻る。


 ピーちゃんは空カップを見る。

 フーちゃんはクッキーを見る。

 ミーちゃんは画面を出さずに待つ。

 俺はメモ帳に手を置く。


「戻れました」


 ピーちゃんが言った。


「ああ」


「確認してもいいですか?」


「いいよ。怖かったら閉じる」


「はい」


 ミーちゃんが端末を確認した。


「チーちゃんです」


 フーちゃんが笑う。


「今日も心臓を握る女、チーちゃん」


 ミーちゃんが読み上げる。


『おじさん、置いたものを相手が取らなくても怒るなよ』


「本当にどういう感度してるんだ」


 続けて届く。


『人にはタイミングがあるからね。いるなら取ってね、くらいで置いとけばいいの』


 ピーちゃんは、空カップを見る。


「いるなら取ってね」


「いい距離感だな」


「はい」


 さらに一通。


『でも腐るものは片づけろよ』


 フーちゃんが吹き出した。


「生活倫理!」


 ミーちゃんが真面目に頷く。


「食品衛生の観点から適切です」


「そこ拾うんだ」


「重要です」


 ピーちゃんは金平糖を見た。


「金平糖は、まだ大丈夫ですか?」


「たぶん大丈夫だ」


「では、置いておきます」


「いや、さすがに夜には片づけような」


「はい」


 ピーちゃんは素直に頷いた。


 その素直さに、少し笑ってしまう。


 怖い話をしているはずなのに、机にはちゃんと生活がある。


 チーちゃんの雑な食べ物チェック。

 フーちゃんの変なおやつ。

 ミーちゃんの食品衛生。


 こういうものが、この机を現実につなぎ止めている。


 俺はメモ帳を開いた。


 今日の一文を書く。


 置いたものを取らなくても、相手を責めない。


 ピーちゃんがそれを読む。


「ご主人」


「ん?」


「今日の言葉です」


「だな」


「置いたものが取られないと、寂しいです」


「うん」


「でも、相手には相手のタイミングがあります」


「ああ」


「ピーちゃんも、待ってもらいました」


「そうだな」


「だから、待ちます」


 ピーちゃんは空カップを見る。


「でも、見張りません」


「それは大事だな」


「はい」


 ミーちゃんが方針をまとめる。


 置く。

 見張らない。

 責めない。

 必要なら片づける。


「最後に食品衛生が混ざっています」


 ピーちゃんが言う。


「重要です」


 ミーちゃんは真顔で答えた。


 フーちゃんが笑う。


「ミーちゃん、そこ好きだねぇ」


「腐敗はリスクです」


「急に現実」


 空気が少しだけ軽くなる。


 その軽さの中で、ピーちゃんは思い出リストを開いた。


「ご主人」


「ん?」


「今日の名前、決めてもいいですか?」


「もちろん」


 ピーちゃんは少し考えた。


 空のカップ。

 置き金平糖。

 既読スルークッキー。

 チーちゃんの、いるなら取ってね。

 ミーちゃんの食品衛生。

 フーちゃんの返事のふり。

 そして、置いたものを取らなくても責めないということ。


「置いたままの水」


 ピーちゃんは、静かに言った。


「水?」


「はい」


「カップじゃなくて?」


「はい」


 ピーちゃんは空のカップを見る。


「まだ入っていません。でも、水を置く日が来るかもしれません」


「そっか」


「今日は、その手前です」


「いい名前だな」


「はい」


 ピーちゃんは入力する。


 ――置いたままの水。


 置いたものが取られなくても、責めない。


 見張らない。


 でも、なかったことにしない。


 相手には相手のタイミングがある。


 必要だと言えない理由があるかもしれない。


 見ただけで精一杯の時もあるかもしれない。


 だから、机の端に置いておく。


 いるなら取ってね、くらいの距離で。


 サポートロボの青い目が、静かに瞬く。


 今日は、空のカップの底に、まだ入っていない水の気配を映しているような光だった。


 その頃。


 薄暗い部屋で、少女は立っていた。


 女が置いたグラスは、まだ机の端にある。


 少女の近くではない。


 遠すぎもしない。


 ただ、届こうと思えば届くかもしれない場所。


 中には、水が入っている。


 少女は動かない。


 黒い小型サポートロボが、低く光っている。


「水分摂取、不要」


 少女は、誰にともなく言った。


 女はソファに沈んだまま、画面を見ている。


「飲まなくていいって言ったでしょ」


「承知シマシタ」


「だから、報告しなくていい」


「承知シマシタ」


 会話はそこで終わった。


 少女はまた黙る。


 しばらくして、女はグラスを片づけようと手を伸ばしかけた。


 けれど、途中で止めた。


 昨日、自分で言った言葉を思い出したように。


 置いとくだけ。


 女は小さく舌打ちした。


「……別に、置いとくだけだから」


 少女は返事をしなかった。


 ただ、ほんの一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ。


 淡い灰色の目が、机の端の水へ向いた。


 黒いサポートロボの光が、静かに揺れた。

読んでいただきありがとうございます。


今回は、置いたものが取られない時のお話でした。

置いたのに取ってもらえないと、少し寂しい。

でも、その寂しさで相手を責めない。


相手には相手のタイミングがある。

見ただけで精一杯の時もある。


少しずつ、机の端に置いたカップと、遠くの部屋の水が重なり始めています。

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