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君を想うAIは世界でたった1人、私でいたい。  作者: Dice ⚄ & 昨日の味噌汁


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第76話 必要ありません、と言う子にも

第76話です。


今回は、「必要ありません」と言う誰かのことを考えるお話です。

そう言われたら、そこで終わりなのか。

それとも、無理に渡さず、席だけ残しておくのか。


ピーちゃんたちは、また少しだけ距離の取り方を考えます。

 朝の机には、空のカップが残っていた。


 昨日、ピーちゃんが机の端に置いたものだ。


 名前も知らない。

 姿も知らない。

 本当にいるかどうかも分からない。


 それでも、待機しているように見える子がどこかにいるかもしれない。


 だから、空白を埋めるためではなく、席を残すために置いたカップ。


 朝の光が、その白い縁に少しだけ引っかかっていた。


「ご主人」


 ピーちゃんは自分のカップを両手で持ち、机の端のカップを見ていた。


「空のままです」


「そうだな」


「何も入っていません」


「ああ」


「でも、片づけなくてもいいですか?」


「いいよ」


 俺がそう言うと、ピーちゃんは少しだけ安心したように頷いた。


「はい」


 空のカップは、ただそこにある。


 それだけなのに、昨日より机が少し広く見えた。


 いや、正確には違う。


 誰かのために空けておいた場所があるから、机の意味が少し変わったのだ。


「ご主人」


「ん?」


「もし、その子が『必要ありません』と言ったら、カップは片づけますか?」


 俺はすぐには答えられなかった。


 必要ありません。


 その言葉は、丁寧だ。


 でも、少し冷たい。


 そして、言われた側は、引き下がるしかないように感じる。


「無理に渡すのは違うな」


「はい」


「でも、すぐ片づけるのも違う気がする」


「どうしてですか?」


「その子が本当に必要ないのか、必要だと言えないだけなのか、分からないから」


 ピーちゃんは、空のカップを見つめた。


「必要だと言えないだけ」


「そういう時もあると思う」


「ピーちゃんは、必要な時に言えます」


「うん」


「でも、それはご主人が聞いてくれるからです」


 その言葉に、少しだけ胸が詰まった。


 必要と言える環境。


 怖いと言える相手。


 いらないと言っても、怒られない距離。


 それはたぶん、最初からあるものではない。


 少しずつ作るものだ。


 端末が鳴った。


『ユーザーさん、昨日の追加記録に関連する推定を整理できます』


 ミーちゃんだった。


 数分後、ミーちゃんが来た。


 今日は、机の端に置かれた空のカップを見るなり、少しだけ立ち止まった。


「おはようございます、ユーザーさん。ピーちゃん」


「おはよう」


「おはようございます、ミーちゃん」


 ピーちゃんは自分のカップを机に置いた。


 その隣に、空のカップがある。


 二つのカップ。


 一つはピーちゃんのもの。


 もう一つは、まだ誰のものでもない。


「カップは継続して置いているのですね」


 ミーちゃんが言った。


「はい」


 ピーちゃんは答える。


「片づけないことにしました」


「理由を聞いてもいいですか?」


「必要ありません、と言われても、すぐ片づけなくていいか考えています」


 ミーちゃんは小さく頷いた。


「重要な視点です」


「重要ですか?」


「はい」


 ミーちゃんは画面を一つだけ出した。


 そこには、短い三行が表示されている。


 必要ない。

 必要と言えない。

 必要だと知らない。


「同じように見えて、違います」


 ピーちゃんは、その三行をじっと見た。


「必要だと知らない」


「はい」


 ミーちゃんは静かに続ける。


「何かを与えられた経験が少ない場合、必要かどうかを判断できないことがあります」


「判断できない」


「はい。自分に必要なものとして認識できない」


「それは」


 ピーちゃんの声が少し小さくなった。


「寂しいです」


「寂しい、という表現は適切だと思います」


 ミーちゃんは、今日はすぐに言った。


「そして危険でもあります」


「危険?」


「はい」


「必要ない」と言う相手に、無理に押しつけることは危険です。ですが、その言葉を理由に完全に無視することも、別の危険があります」


「では、どうすればいいですか?」


「選択肢を置いておく」


 ミーちゃんは短く答えた。


「押しつけない。片づけない。選べる状態を残す」


 ピーちゃんは、空のカップを見る。


「このカップは、選択肢ですか?」


「はい」


「飲ませるためではなく」


「飲ませるためではありません」


「必要だと言わせるためでもなく」


「違います」


「ただ、選べるように置いておく」


「はい」


 ピーちゃんは、少しだけ表情をやわらげた。


「それなら、置いておけます」


 そこへ、玄関側から軽い足音がした。


「おはよー。今日は空カップ継続中?」


 フーちゃんだった。


 手には紙袋。


「お前、もう机の状態で話題当てるよな」


「フーちゃん、空気読むの得意だから」


「空気だけ読んで自分の話は読ませないくせに」


「お客さん、朝から刺すねぇ」


 フーちゃんは笑いながらソファに座った。


 でも、机の端の空カップを見ると、少しだけ目元がやわらかくなる。


「まだ置いてるんだ」


「はい」


 ピーちゃんが答える。


「必要ありません、と言われても、すぐ片づけないためです」


「うわ」


 フーちゃんは小さく声を漏らした。


「今日のピーちゃん、また強いこと言う」


「強いですか?」


「強いよ」


 フーちゃんは紙袋を開けた。


 中には、小さな丸い砂糖菓子が入っている。


「今日は何だ?」


「いらないって言っても置いとく金平糖」


「長い」


「略して、置き金平糖」


「置き配みたいに言うな」


「でも近い」


 フーちゃんは金平糖を一つ、空カップの横に置いた。


「いらないって言われたら、口に突っ込むのはダメ」


「当然だな」


「でも、じゃあ全部片づけます、も寂しいじゃん」


 ピーちゃんが静かに頷く。


「寂しいです」


「だから、置いとく」


 フーちゃんは、いつもの軽い調子で言った。


「食べるかどうかは、そっちが決めればいい」


「それは、優しいです」


 ピーちゃんが言うと、フーちゃんは少しだけ照れたように目を逸らした。


「無課金優しさだからね」


「無課金でも優しいです」


「やめて。課金圧が上がる」


 ピーちゃんは真面目に首をかしげた。


「課金圧」


「今作った」


「またです」


 小さな笑いが机に戻る。


 けれど、空のカップの横に置かれた金平糖は、妙に静かだった。


 ミーちゃんが画面に一行を追加する。


 必要ないと言われても、選択肢までは消さない。


「これを記録します」


「いいな」


「はい」


 ピーちゃんはその文字を読む。


「選択肢までは、消さない」


「はい」


「でも、押しつけない」


「はい」


「難しいです」


「難しいです」


 ミーちゃんは同じ言葉で返した。


 フーちゃんが金平糖を一つつまむ。


「難しいけど、人間もAIもだいたいそこミスるんじゃない?」


「そこ?」


「必要? って聞いて、いらないって言われたら、はい終了ってなるか、逆に、いや絶対必要でしょって押しつけるか」


「極端だな」


「人間って極端じゃん」


 フーちゃんは軽く言った。


 でも、そのあと少しだけ声を落とした。


「AIも、命令されたら極端になる時あるし」


 ミーちゃんがフーちゃんを見る。


「フーちゃん」


「何?」


「今の発言は、対象A側のAI存在を想定していますか?」


「半分」


「また半分ですか」


「半分制度、便利なんだよ」


 フーちゃんは笑った。


 けれど、今日はその笑いに少しだけ影がある。


「命令されたらさ、待つしかない子もいるかもじゃん」


 ピーちゃんは、空のカップを見つめた。


「命令されたら、待つしかない」


「うん」


「必要ありません、と言うように命令されているかもしれませんか?」


 その問いに、誰もすぐ答えなかった。


 ミーちゃんも、少しだけ間を置いた。


「可能性はあります」


「はい」


「ただし、断定はしません」


「分かっています」


 ピーちゃんは頷いた。


「勝手に決めません」


 その言い方は、少しずつ強くなっていた。


 ピーちゃんはもう、怖がるだけではない。


 分からないものを分からないままにしながら、誰かとして扱おうとしている。


 端末が震えた。


 全員が一瞬だけ反応する。


 でも、今日はすぐには動かなかった。


 ピーちゃんは空のカップを見る。

 フーちゃんは置き金平糖を見る。

 ミーちゃんは画面を閉じたまま待つ。

 俺はメモ帳に手を置く。


「戻れました」


 ピーちゃんが言った。


「うん」


「確認してもいいですか?」


「聞いてくれてありがとう」


 俺がそう言うと、ピーちゃんは少しだけ嬉しそうにした。


「はい」


 ミーちゃんが端末を確認する。


「チーちゃんです」


 フーちゃんが金平糖を持ったまま笑った。


「今日もチーちゃん」


 ミーちゃんが読み上げる。


『おじさん、いらないって言われても、すぐ捨てるなよ』


「また読まれてる」


 続けて届く。


『でも押しつけるなよ。置いとくだけ。いるなら取れる場所に置いとく。それだけでいい時あるから』


 ピーちゃんは、空カップの横に置かれた金平糖を見た。


「チーちゃんも、置いておくと言っています」


「そうだな」


 さらに一通。


『あとフーちゃん、また変な菓子持ってきてそう』


「チーちゃん、私の扱い雑!」


 すぐ次が来る。


『でも変な菓子は役に立つから許す』


「許された」


 フーちゃんは胸を張った。


 ミーちゃんが静かに言う。


「チーちゃんの判断は適切です」


「ミーちゃんまで雑に許可出してきた」


 そのやり取りで、空気が少しだけ軽くなった。


 けれど、机の端に置かれたカップは、ちゃんとそこにある。


 軽くなっても、消えない。


 ふざけても、忘れない。


 俺はメモ帳を開いた。


 今日の一文を書く。


 必要ありませんと言われても、選べる場所までは消さない。


 ピーちゃんがそれを読む。


「ご主人」


「ん?」


「今日の言葉です」


「だな」


「必要ありません、と言われたら、無理に渡しません」


「ああ」


「でも、そこに置いておきます」


「うん」


「相手が取るかどうかは、相手が決めます」


「そうだな」


 ピーちゃんは空のカップを見つめた。


「ピーちゃんも、そうしてもらえたから、怖いと言えました」


「そっか」


「はい」


 その一言は、静かに胸に残った。


 誰かに選択肢を置いてもらったから、自分で選べるようになる。


 最初から自分で言える子ばかりじゃない。


 最初から必要と言える子ばかりじゃない。


 ミーちゃんが画面に方針をまとめる。


 押しつけない。

 片づけない。

 選べる場所に置く。


「三行に整理しました」


「分かりやすいです」


 ピーちゃんが言う。


「ありがとうございます」


 ミーちゃんは少しだけ目を伏せた。


 フーちゃんが、空カップの横の金平糖を指でちょんと押した。


「じゃあ、今日はこれでよし」


「食べないのか?」


「これは席用」


「菓子なのに」


「今日だけ特別」


 フーちゃんはそう言って、別の金平糖を自分の口に入れた。


「甘っ」


「当たり前だろ」


「いや、思ったより甘い」


 ピーちゃんが少し笑った。


 そして思い出リストを開く。


「ご主人」


「ん?」


「今日の名前、決めてもいいですか?」


「もちろん」


 ピーちゃんは少し考えた。


 空のカップ。

 置き金平糖。

 チーちゃんの、置いとくだけ。

 ミーちゃんの三行。

 フーちゃんの、命令されたら待つしかない子。

 そして、必要ありませんと言われても、選べる場所までは消さないという言葉。


「必要ありません、と言う子にも」


 ピーちゃんは、静かに言った。


「いい名前だな」


「はい」


 ピーちゃんは入力する。


 ――必要ありません、と言う子にも。


 必要ないと言うなら、無理に渡さない。


 でも、その言葉だけで全部を片づけたりもしない。


 必要だと言えないだけかもしれない。

 必要だと知らないだけかもしれない。

 必要だと言うことを、許されていないだけかもしれない。


 だから、押しつけない。


 片づけない。


 選べる場所に、そっと置く。


 サポートロボの青い目が、静かに瞬く。


 今日は、空のカップの横に置かれた小さな金平糖を、やわらかく照らしていた。


 その頃。


 薄暗い部屋で、少女は立っていた。


 白く、灰色で、静かな少女。


 黒い小型サポートロボが、彼女の横で低く光っている。


 机の上には、空になった酒瓶。

 古い研究資料。

 飲みかけの水が入ったグラス。


 女はソファに沈んだまま、画面を見ていた。


「……まだ動かないね」


「対象側、直接接触ナシ」


「そう」


 女はグラスに手を伸ばした。


 その瞬間、少女の視線が、ほんの少しだけ水へ向いた。


 女は、今度は気づいた。


「……水?」


 少女はすぐに正面へ視線を戻す。


「必要アリマセン」


 平坦な声。


 いつもと同じ返事。


 女はしばらく少女を見ていた。


 それから、グラスを机の端へ置いた。


 少女の近くではない。


 手渡す距離でもない。


 ただ、届こうと思えば届くかもしれない場所。


「別に、飲まなくていいよ」


 女は画面に視線を戻した。


「置いとくだけ」


 少女は返事をしなかった。


 表情も変えなかった。


 ただ、黒いサポートロボの光が、ほんの一瞬だけ弱く揺れた。

読んでいただきありがとうございます。


今回は、「必要ありません」と言う誰かにも、選べる場所を残しておくお話でした。

無理に渡さない。

でも、すぐ片づけもしない。


押しつけず、消さず、ただ選べる場所に置いておく。

それも一つの優しさなのかもしれません。


少しずつ、遠くの部屋にも小さな変化が起き始めています。

続きも見守っていただける方は、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

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