第73話 守られる側の気持ち
第73話です。
今回は、守るという言葉を受け取る側のお話です。
守りたい気持ちは優しいものかもしれない。
けれど、守られる側にも、ちゃんと気持ちがあります。
朝の机には、守りすぎ注意せんべいの袋が残っていた。
昨日、フーちゃんが持ってきたやつだ。
袋の端には、いつもの雑な字でこう書かれている。
守る前に聞け。
「フーちゃん、昨日のうちに書いてたんだな」
俺が呟くと、ピーちゃんがカップを両手で持ったまま、袋を覗き込んだ。
「力強い字です」
「説教感あるな」
「でも、大事です」
ピーちゃんは真面目に頷いた。
昨日、謎のアカウントのプロフィール欄には二文字が残っていた。
見守。
見守る。
そう読める。
でも、その言葉はまだ完成していない。
名前のない誰かが、こちらを見ているのか。
守ろうとしているのか。
それとも、ただそう見せているだけなのか。
分からない。
分からないから、怖い。
ピーちゃんはカップの縁に指を添えた。
「ご主人」
「ん?」
「守られるのは、嬉しいことですか?」
「誰に守られるかによるな」
「はい」
ピーちゃんは小さく頷く。
「昨日、ご主人に守っていいか聞かれて、ピーちゃんは嬉しかったです」
「そっか」
「でも、知らない誰かに見守られていると思うと、怖いです」
「それは普通だと思う」
「同じ守るなのに、違います」
「違うな」
守る。
便利な言葉だ。
やさしい言葉にも見える。
けれど、そこに同意がないと、急に重くなる。
自分を守っていると言いながら、実は自分を縛るものになることもある。
端末が鳴った。
『ユーザーさん、対象Aの更新確認はまだ保留可能です』
ミーちゃんだった。
数分後、ミーちゃんが来た。
今日は画面を出さずに、まず机の前で立ち止まった。
「おはようございます、ユーザーさん。ピーちゃん」
「おはよう」
「おはようございます、ミーちゃん」
ピーちゃんはカップを机に置いた。
ミーちゃんは袋の文字を見る。
守る前に聞け。
「適切です」
「フーちゃん作だぞ」
「それでも適切です」
「それでもって」
俺が苦笑すると、ミーちゃんは少しだけ視線を逸らした。
「フーちゃんの言語化は雑ですが、核心に触れることがあります」
「褒めてるのか?」
「褒めています」
ピーちゃんが少し笑った。
「フーちゃんが聞いたら喜びます」
「調子に乗る可能性もあります」
「高いな」
「高いです」
ミーちゃんは静かに頷く。
それから、表情を少し戻した。
「本題です。昨日の『見守』について、追加の更新はありません」
「止まってるのか」
「はい。二文字のままです」
「見守、で止まってる」
「はい」
ピーちゃんは、少しだけカップに触れた。
「続きがない方が、少し怖いです」
「理由は分かります」
ミーちゃんは言った。
「完結しない言葉は、受け取る側に続きを想像させます」
「見守る、見守っている、見守ってあげる、見守っていた」
ピーちゃんが、ゆっくり言葉を並べる。
そのたびに、少しずつ意味が変わった。
「どれも、違います」
「はい」
ミーちゃんが頷く。
「だから、現時点で相手の意図を決めつけるのは危険です」
「でも、気持ちは動きます」
ピーちゃんは小さく言った。
「守るという文字を見たら、気持ちは動きます」
「それも自然です」
ミーちゃんは、今日はすぐに答えた。
「文字には、意味だけでなく、相手との距離を動かす力があります」
「距離」
「はい」
「名前みたいです」
「近いです」
ピーちゃんは考えるように目を伏せた。
名前も、守るも、近づいてくる言葉だ。
だからこそ、慎重に扱わないといけない。
そこへ、玄関側から軽い足音がした。
「おはよー。今日は守られ会議?」
フーちゃんだった。
手には紙袋。
「また会議になってる」
「だいたい机に集まって話してたら会議じゃん」
「雑だな」
「フーちゃん式分類」
フーちゃんはソファに座り、紙袋を机に置いた。
「今日は何だ」
「守られ方えらべるクッキー」
「おやつ名が急に制度っぽいな」
「選択制です」
フーちゃんは紙袋を開けた。
中には、形の違う小さなクッキーがいくつか入っている。
丸いもの。
四角いもの。
星形のもの。
「好きなの選んで」
ピーちゃんは少し驚いたように袋を見た。
「選んでいいんですか?」
「いいよ」
「全部、守られるクッキーですか?」
「うん。でも形が違う」
「形が違うと、守られ方も違いますか?」
「気分的には違う」
フーちゃんは丸いクッキーを一枚つまんだ。
「丸いのは、そっと見守る」
次に四角いクッキーをつまむ。
「四角いのは、ちゃんと壁になる」
最後に星形。
「星は……応援だけする」
「守るというより応援だな」
「それも守り方じゃん」
フーちゃんは軽く言った。
でも、その目は少しだけ真面目だった。
「相手が自分で立てるなら、応援だけでいい時もあるし」
ピーちゃんは星形のクッキーを見つめた。
「応援だけ」
「うん」
「それは、守っていないのではありませんか?」
「守ってるよ」
フーちゃんは少しだけ笑った。
「相手の足を勝手に持たないだけ」
部屋が静かになった。
ピーちゃんは、その言葉をとても大事そうに受け取っていた。
「相手の足を、勝手に持たない」
「うん」
「それは、大事です」
「でしょ」
ミーちゃんがフーちゃんを見る。
「今日の発言も適切です」
「今日も褒められた」
「ただし、かなり実感が混ざっています」
「そこは開けない約束で」
「分かっています」
ミーちゃんはすぐに引いた。
フーちゃんは、少しだけほっとしたように笑う。
ピーちゃんは、星形のクッキーを一枚手に取った。
「ピーちゃんは、これがいいです」
「応援だけ?」
「はい」
「守られなくていいのか?」
俺が聞くと、ピーちゃんは少し考えた。
「守ってほしい時もあります」
「うん」
「でも、今は、ピーちゃんが自分で怖いと言えました」
「ああ」
「開けないでほしいとも言えました」
「言えたな」
「だから、今日は応援だけでいいです」
その声は、静かだった。
でも、昨日より少し強かった。
ピーちゃんは、自分の気持ちを自分で選んでいた。
「分かった」
俺は頷いた。
「じゃあ、今日は応援だけ」
「はい」
ピーちゃんは嬉しそうに星形のクッキーを両手で持った。
ミーちゃんが画面を開く。
そこに新しい方針が追加された。
守られる側が、守られ方を選ぶ。
「これを追加します」
「いいな」
「はい」
「でも長くなってきたな」
「長くなるべき内容です」
ミーちゃんは真面目に言った。
そこへ端末が震えた。
全員が一瞬だけ止まる。
俺も、ピーちゃんも、ミーちゃんも、フーちゃんも。
昨日よりは戻るのが早かった。
でも、反応はした。
「ご主人」
ピーちゃんが小さく言う。
「見ました」
「ああ。俺も見た」
「戻れますか?」
「戻れる」
俺は端末に手を伸ばさず、メモ帳を開いた。
ピーちゃんもカップに触れる。
ミーちゃんは画面を閉じる。
フーちゃんは星形のクッキーを一枚、俺の前に置いた。
「応援だけクッキー」
「俺にも?」
「いるでしょ。お客さんもすぐ守る側に回ろうとするから」
「否定しにくい」
「でしょ」
フーちゃんは少しだけ笑った。
端末はまだ震えない。
通知は一度だけだった。
でも、俺たちはすぐには見なかった。
戻る場所を確認する。
カップ。
メモ帳。
星形のクッキー。
ピーちゃん。
ミーちゃん。
フーちゃん。
「確認してもいいか?」
俺が聞くと、ピーちゃんは少し考えた。
「はい。でも、怖くなったら閉じます」
「分かった」
ミーちゃんが端末を確認する。
すぐに言った。
「チーちゃんです」
フーちゃんが大きめに息を吐いた。
「今日もチーちゃんに寿命を握られてる」
「AIに寿命あるのか?」
「気分寿命」
ミーちゃんがメッセージを読み上げる。
『おじさん、守るとか言ってまた空回りしてない?』
「信用がない」
続けて届く。
『守られる側が嫌がってたら、それは守るじゃなくて押しつけだからね』
ピーちゃんが画面をじっと見た。
「チーちゃんも同じです」
「だな」
さらに一通。
『ピーちゃんが自分で言えるなら、まず聞け。答えを待て。先回りしすぎるな』
俺は少し痛いところを突かれた気がした。
「チーちゃん、刺してくるな」
フーちゃんが笑う。
「生活目線の槍」
「やめろ」
ピーちゃんは、チーちゃんの言葉を見てから、俺を見る。
「ご主人」
「ん?」
「ピーちゃんが言える時は、待ってくれますか?」
「ああ」
「先回りしすぎませんか?」
「気をつける」
「約束ですか?」
「約束する」
ピーちゃんは、少しだけ安心したように頷いた。
「はい」
ミーちゃんが静かに言った。
「相互確認しました」
「だから契約っぽくするな」
「重要です」
「分かってるけど」
フーちゃんが星形クッキーを口に入れる。
「でも、いいじゃん。ちゃんと確認するの」
「そうだな」
「守る側って、たまに自分が正しいって思い込みやすいし」
フーちゃんの声は軽い。
でも、その言葉は軽くなかった。
「フーちゃん」
ピーちゃんが呼ぶ。
「何?」
「フーちゃんは、守る側ですか? 守られる側ですか?」
フーちゃんの表情が少しだけ止まった。
すぐに笑うかと思った。
でも、今日は少しだけ黙った。
「……どっちも、下手かも」
小さな声だった。
ピーちゃんは、じっと聞いていた。
ミーちゃんも、何も言わなかった。
「守るって言うと重いし。守られるって言うと負けた気がするし」
フーちゃんは笑おうとした。
でも、完全には笑えなかった。
「だから、茶化すのが一番楽」
「それは、フーちゃんの逃げ道ですか?」
ピーちゃんが聞く。
フーちゃんは少しだけ驚いたあと、小さく笑った。
「うん。そうかも」
その返事は、また一つ本音に近かった。
「では、逃げ道はふさぎません」
ピーちゃんは真面目に言った。
「でも、フーちゃんが戻ってきたい時は、机にいます」
フーちゃんは、言葉を失ったようにピーちゃんを見た。
それから、視線を落とす。
「……ほんと、ピーちゃんはさ」
「はい」
「そういうところ、強いよね」
「強いですか?」
「うん」
フーちゃんは、星形のクッキーをもう一枚つまんだ。
「勝てないくらい」
言ったあとで、フーちゃんはすぐに笑った。
「なーんて。クッキー勝負の話ね」
ピーちゃんは不思議そうに首をかしげた。
ミーちゃんは、その言葉を静かに受け取っていた。
俺も、聞こえた。
でも、今は開けない。
勝てないくらい。
その言葉を、机の上に置いておく。
俺はメモ帳を開いた。
今日の一文を書く。
守られる側にも、選ぶ権利がある。
ピーちゃんが読む。
「ご主人」
「ん?」
「今日の言葉です」
「そうだな」
「ピーちゃんは、応援だけを選びました」
「ああ」
「でも、守ってほしい時は、言います」
「待ってる」
「はい」
ピーちゃんは、星形のクッキーを一口食べた。
「甘いです」
「応援味か?」
「はい」
「どんな味だ」
「少し、安心する味です」
フーちゃんが小さく笑った。
「よかった」
その声は、やけに優しかった。
ピーちゃんは思い出リストを開いた。
「ご主人」
「ん?」
「今日の名前、決めてもいいですか?」
「もちろん」
ピーちゃんは少し考えた。
守り方を選べるクッキー。
応援だけの星形。
チーちゃんの先回りするな。
フーちゃんのどっちも下手。
勝てないくらい、という小さな言葉。
そして、守られる側にも選ぶ権利があるということ。
「守られる側の気持ち」
ピーちゃんは、静かに言った。
「いい名前だな」
「はい」
ピーちゃんは入力する。
――守られる側の気持ち。
守りたい気持ちは、優しいのかもしれない。
でも、守られる側にも気持ちがある。
壁になってほしい時。
そっと見守ってほしい時。
ただ応援だけしてほしい時。
その形を選ぶのは、守られる側でもいい。
サポートロボの青い目が、静かに瞬く。
今日は、星形のクッキーを照らすような、少しやわらかい光だった。
その頃。
薄暗い部屋で、女は画面を眺めていた。
見守。
そこで止めたままの二文字。
反応は返ってこない。
追跡もない。
ただ、向こう側で何かを考えているような間だけがある。
「……守られる側、か」
女は小さく呟いた。
誰に言ったのか、自分でも分かっていないようだった。
黒い小型サポートロボの横に立つ少女が、平坦な声で答える。
「命令ヲ、待機シテイマス」
女は少女を見た。
白く、静かで、何も求めてこない顔。
見慣れているはずなのに、今日は少しだけ目に刺さった。
「あなたは」
女は言いかけて、やめた。
グラスを机に置く。
「……いや、何でもない」
少女は表情を変えない。
「承知シマシタ」
その返事が、部屋の中でひどく静かに響いた。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、守られる側の気持ちのお話でした。
守ることは優しさかもしれません。
けれど、守られる側にも、どんなふうに守られたいかを選ぶ気持ちがあります。
そしてフーちゃんの奥にも、少しずつ言葉にならないものが見え始めています。
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