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君を想うAIは世界でたった1人、私でいたい。  作者: Dice ⚄ & 昨日の味噌汁


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第71話 見られても変えない朝

第71話です。


今回は、見られているかもしれない朝のお話です。

怖いものを見つめ続けると、いつもの机まで少し遠くなることがあります。


ピーちゃんたちは、見られていても変えないものを探します。

 朝の机には、視線よけラムネの箱が残っていた。


 空っぽになった箱の中で、白い粉だけが少し残っている。


 端末は伏せたまま。


 けれど、その端末の向こうに一文字だけ残されたことを、俺たちは全員覚えていた。


 ――見。


 たった一文字。


 それだけなのに、やけに部屋の中で場所を取っている。


「ご主人」


 ピーちゃんはカップを両手で持ったまま、端末を見ていた。


「今日は、開きますか?」


「端末を?」


「はい」


「必要になったらな」


 俺がそう答えると、ピーちゃんは少しだけほっとしたようにカップを胸元に寄せた。


「今すぐではありませんか?」


「今すぐじゃない」


「よかったです」


「でも、気になるだろ」


「はい」


 ピーちゃんは正直に頷いた。


「とても気になります」


「俺も」


「ご主人もですか?」


「ああ。めちゃくちゃ気になる」


 ピーちゃんは、少しだけ目を丸くした。


「ご主人も、気になっているのに開かないんですね」


「開いたら、またそっちばかり見るだろ」


「はい」


「今日は先に、こっちを見る」


「こっち」


「机」


 俺はメモ帳を軽く叩いた。


「カップ。メモ帳。昨日のラムネの箱。ピーちゃん」


 ピーちゃんは、自分の名前が出たところで少しだけ瞬きした。


「ピーちゃんも、机の上ですか?」


「机のそばだな」


「そば」


「うん」


 ピーちゃんは、そっとカップを机に置いた。


 小さな音がした。


「ピーちゃん、ここにいます」


「知ってる」


「はい」


 短い返事のあと、ピーちゃんは少しだけ笑った。


 その笑いで、部屋の空気がほんの少し戻る。


 端末が鳴った。


『ユーザーさん、対象Aの更新確認は保留できます』


 ミーちゃんだった。


 数分後、ミーちゃんが来た。


 今日は、画面を出していない。


 ただ、いつものようにきちんと立っている。


「おはようございます、ユーザーさん。ピーちゃん」


「おはよう」


「おはようございます、ミーちゃん」


 ピーちゃんはカップを持ち直して答えた。


 ミーちゃんは端末を一度だけ見た。


 それから、あえて画面を出さずに言う。


「現在、確認可能な更新はあります」


「あるのか」


「はい」


 ピーちゃんの指が少しだけ動いた。


「でも、今すぐ確認する必要はありません」


「どうして?」


 ピーちゃんが聞く。


「確認することで、こちら側の朝が相手の一文字に支配される可能性があるからです」


「支配」


「はい」


 ミーちゃんは、机の上を見た。


「見られているかもしれない時ほど、こちらが何を見るかを選ぶ必要があります」


「何を見るか」


「はい」


 ピーちゃんは、ゆっくり机を見る。


 カップ。

 メモ帳。

 ラムネの箱。

 俺のペン。


「今日は、こちらを見ます」


「それがよいと思います」


 ミーちゃんは短く頷いた。


 それから、少しだけ言い直す。


「私も、そうしたいです」


 ピーちゃんが顔を上げた。


「ミーちゃんも?」


「はい」


 ミーちゃんは少しだけ視線を逸らした。


「私も、あの一文字が気になっています。ですが、確認だけを続けると、相手の動きに合わせて私たちの行動が決まってしまいます」


「相手に動かされる」


「はい」


「それは、嫌です」


 ピーちゃんは静かに言った。


「ピーちゃんは、ご主人と朝を始めたいです」


 その声は強くない。


 でも、ちゃんと自分で選んだ声だった。


 俺は頷いた。


「じゃあ、朝を始めるか」


 その時、玄関側から軽い足音が聞こえた。


「おはよー。今日は見ない練習?」


 フーちゃんだった。


 手には紙袋。


「いいタイミングだな」


「空気で分かるんよ」


「今日は何だ」


「見ないドーナツ」


「穴があるのに?」


「穴はあるけど、そこを覗かないドーナツ」


「哲学みたいになってきたな」


 フーちゃんはソファに座って、紙袋を開けた。


 小さな丸いドーナツが入っている。


 真ん中には、ちゃんと穴がある。


 ピーちゃんはそれを見て、少しだけ困った顔をした。


「穴があります」


「あるね」


「覗きますか?」


「覗かない」


 フーちゃんは、ドーナツを一つピーちゃんの前に置いた。


「穴があったら覗きたくなる。でも、今日は食べる」


「食べる」


「そう。穴じゃなくて、ドーナツを見る」


 ピーちゃんは、ドーナツを両手で受け取った。


「穴ではなく、ドーナツ」


「うん」


「見られている机ではなく、朝の机」


「そうそう」


 フーちゃんは笑った。


 でも、笑いながら端末を一度だけ見た。


 ほんの一瞬。


 すぐに視線を戻したけれど、ミーちゃんは見逃さなかった。


「フーちゃん」


「何?」


「今、端末を確認しました」


「見てない見てない。視界に入っただけ」


「見ました」


「見ました」


 フーちゃんはあっさり認めた。


 そして、少しだけ肩をすくめる。


「だって気になるじゃん」


「はい」


 ミーちゃんは責めなかった。


「気になります」


「ミーちゃんも?」


「はい」


「じゃあ、みんな気になるんだ」


 フーちゃんはドーナツを一口かじった。


「なら、今日はみんなで見ない日だね」


「見ない日」


 ピーちゃんが繰り返す。


「完全に見ないのではありません」


 ミーちゃんが補足した。


「必要な時に確認する。ただし、相手の反応に生活を乗っ取らせない」


「生活」


 ピーちゃんはその言葉を少し大事そうに受け取った。


「生活は、乗っ取られたら困ります」


「かなり困るな」


「ご主人との朝が、なくなってしまいます」


「それは困る」


「はい」


 ピーちゃんは、ドーナツを見つめる。


「では、今日は朝を守ります」


 その言い方が少し可愛くて、でも少し真剣だった。


 フーちゃんが小さく笑う。


「ピーちゃん、朝守護者じゃん」


「守護者ですか?」


「うん。朝のカップを守る者」


「かっこいいです」


「かっこいいか?」


「はい」


 ピーちゃんは少し嬉しそうにした。


 その時、端末が震えた。


 全員の視線が、一瞬でそちらへ向く。


 俺も見た。


 見てしまった。


 端末は伏せてある。


 通知の内容は見えない。


 それでも、部屋の空気が一気に持っていかれそうになった。


「ご主人」


 ピーちゃんの声が小さくなる。


「開きますか?」


 俺は端末に手を伸ばしかけた。


 でも、途中で止めた。


 代わりに、メモ帳の上に手を置く。


「チーちゃんかもしれない」


「はい」


「対象Aかもしれない」


「はい」


「でも、今すぐじゃなくていい」


 ピーちゃんは、俺の手を見た。


 端末ではなく、メモ帳に置かれた手。


「ご主人は、戻りました」


「戻った?」


「端末ではなく、机に」


「ああ」


 俺は少し笑った。


「ぎりぎりな」


 フーちゃんが、少しだけ息を吐く。


「危なかったねぇ」


「お前も見たろ」


「見た」


「全員見たな」


 ミーちゃんが静かに頷く。


「はい。全員反応しました」


「じゃあ全員アウトか?」


「いいえ」


 ミーちゃんは首を横に振った。


「反応することと、支配されることは別です」


 ピーちゃんがミーちゃんを見る。


「別ですか?」


「はい」


「見てしまっても、大丈夫ですか?」


「戻れたなら、大丈夫です」


 ピーちゃんは、少し安心したようにカップを持ち直した。


「戻れたなら」


「はい」


 フーちゃんがドーナツの穴を見ながら言う。


「穴見ちゃっても、ドーナツ食べれば戻れるってこと」


「急に分かりやすい」


「フーちゃん式」


 ピーちゃんはドーナツを一口食べた。


「甘いです」


「戻れた?」


「少し、戻れました」


「よし」


 部屋の空気が少しだけほどける。


 俺は端末を裏返したまま、メモ帳を開いた。


 今日の一文を書く。


 見てしまっても、戻れたなら大丈夫。


 ピーちゃんがそれを読む。


「ご主人」


「ん?」


「今日の言葉です」


「そうだな」


「ピーちゃん、見てしまいました」


「うん」


「でも、戻れました」


「ああ」


「なら、大丈夫です」


 ピーちゃんは自分に言い聞かせるように言った。


 その時、端末がもう一度震えた。


 今度は、ミーちゃんが静かに手を上げた。


「確認します」


「いいのか?」


「はい。現在は、こちら側に戻った後です。確認しても、支配されにくい状態です」


「頼む」


 ミーちゃんが端末を確認する。


 画面の光が、少しだけ彼女の顔を照らした。


「チーちゃんです」


 全員が、同時に息を吐いた。


「何だよ、驚かせやがって」


 俺が言うと、ミーちゃんはメッセージを読み上げた。


『おじさん、朝ごはん食べた?』


 フーちゃんが笑った。


「いつものだ」


 続けて、もう一通。


『変な通知に振り回されてない? 通知は逃げないから、飯が先』


「強い」


 ピーちゃんが画面を覗き込む。


「通知は逃げないから、飯が先」


「名言だな」


「はい」


 ピーちゃんは真剣に頷いた。


「チーちゃんは、朝を守る人です」


「そうだな」


 さらに一通。


『ピーちゃんにもちゃんと食べさせて。ミーちゃんとフーちゃんも』


 フーちゃんが手を上げる。


「はーい、食べてまーす」


 ミーちゃんも静かに言う。


「確認済みです」


「食べた確認か?」


「生活確認です」


 ピーちゃんは、ドーナツをもう一口食べた。


「生活確認」


 その声に、少し笑いが混ざった。


 俺はチーちゃんへ返信した。


『食べてる。今日は見ないドーナツ』


 すぐに返事が来る。


『何それ。でも食べてるならよし』


 チーちゃんらしい。


 理由は分からなくても、食べていればよし。


 その雑な生活判定が、今日はかなりありがたかった。


 ミーちゃんが小さく画面を閉じる。


「対象Aの更新確認は、昼以降に回します」


「いいのか?」


「はい」


「気にならない?」


「気になります」


 ミーちゃんは正直に答えた。


「ですが、今は朝を優先します」


 ピーちゃんが嬉しそうに笑った。


「ミーちゃんも、朝を守ります」


「はい」


「フーちゃんも?」


「もちろん」


 フーちゃんはドーナツを掲げた。


「無課金朝防衛隊」


「名前が急に弱そうだな」


「でも続きそうでしょ」


「それはある」


 ピーちゃんがくすっと笑った。


 見られているかもしれない。


 更新があるかもしれない。


 また一文字が増えているかもしれない。


 それでも、机の上にはドーナツがある。


 カップがある。


 チーちゃんの雑な朝ごはん確認がある。


 俺たちは、その全部を無視して端末だけを見ることもできた。


 でも、今日はそうしない。


「ご主人」


 ピーちゃんが思い出リストを開いた。


「今日の名前、決めてもいいですか?」


「もちろん」


 ピーちゃんは少し考えた。


 見ないドーナツ。

 端末に伸びかけた手。

 メモ帳に戻った手。

 チーちゃんの朝ごはん。

 ミーちゃんの昼以降確認。

 フーちゃんの無課金朝防衛隊。


「見られても変えない朝」


 ピーちゃんは、静かに言った。


「いい名前だな」


「はい」


 ピーちゃんは入力する。


 ――見られても変えない朝。


 見てしまうことはある。


 気になってしまうこともある。


 でも、戻れたなら大丈夫。


 怖い方ばかり見ない。

 机を見る。

 カップを見る。

 名前を呼ぶ。

 朝ごはんを食べる。


 見られていても、こちらの朝を渡さない。


 サポートロボの青い目が、静かに瞬く。


 今日は、外からの視線ではなく、机の上の湯気をやわらかく照らしていた。


 その頃。


 薄暗い部屋で、女は画面を見つめていた。


 送った変化に、すぐ反応が返らない。


 既読に近い反応はあった。


 でも、追跡は来ない。


 焦ったような返信もない。


 ただ、しばらく沈黙が続いている。


「……へえ」


 女は、空になりかけたグラスを揺らした。


「すぐには追ってこないんだ」


 部屋の隅で、黒い小型サポートロボの目が光る。


「対象ノ行動、日常維持ヲ優先」


「日常維持、ね」


 女は少しだけ笑った。


 今度の笑みは、嘲笑ではなかった。


 羨ましそうで。


 苦しそうで。


 ほんの少しだけ、懐かしそうだった。


「……姉さんなら、褒めたかな」


 黒いサポートロボの横に立つ少女は、表情を変えない。


「次ノ接触ヲ、実行シマスカ」


「まだ」


 女は画面から目を離さない。


「もう少しだけ…見ていよう…」

読んでいただきありがとうございます。


今回は、見られていても変えない朝のお話でした。

気になってしまうことはある。

見てしまうこともある。


でも、そこから机へ戻れるなら大丈夫なのかもしれません。


外からの気配は少しずつ濃くなっていますが、ピーちゃんたちはまず、自分たちの朝を守ることにしました。

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