第66話 見守るための監視
第66話です。
今回は、見守ることと、覗き込むことのお話です。
大切なものを守るために確認する。
けれど、守りたいからといって何でも見ていいわけではない。
ピーちゃんたちは、その境目を少しだけ考えます。
朝の机には、細い焼き菓子の箱が残っていた。
質問棒。
フーちゃんが持ってきた、折れやすいやつ。
昨日、ピーちゃんはそれを見ながら、知りたい気持ちの置き場所について考えていた。
サポートロボは今日も静かに浮いている。
青い目は、いつも通り。
ノイズもない。
ただ、その静けさが逆に気になる日もある。
「ご主人」
ピーちゃんはカップを両手で持って、サポートロボを見ていた。
「今日は静かです」
「静かだな」
「静かなのは、いいことですか?」
「たぶん、いいことだと思う」
「でも、気になります」
「うん」
ピーちゃんは、カップの縁を指でそっとなぞった。
「静かなのに気になるのは、変ですか?」
「変じゃない」
「そうですか」
ピーちゃんは少しだけ安心したように頷いた。
でも、視線はまだサポートロボに残っている。
「何かが起きると怖いです」
「ああ」
「でも、何も起きないと、見えないところで何かが進んでいる気がします」
「それも分かる」
「ご主人もですか?」
「かなり」
俺がそう答えると、ピーちゃんは少しだけ目を丸くした。
「ご主人も、気になっていますか?」
「めちゃくちゃ気になってる」
「でも、開けませんか?」
「開けない」
俺はすぐに答えた。
ピーちゃんは、その返事を聞いて、カップを胸元に寄せた。
「はい」
短い返事。
けれど、そのあとピーちゃんは少しだけ肩の力を抜いた。
端末が鳴った。
『ユーザーさん、監視結果を共有できます』
ミーちゃんだった。
数分後、ミーちゃんが来た。
今日は小さな画面を二つだけ出している。
一つはサポートロボの保護領域監視。
もう一つは、謎アカウントの公開情報。
「おはようございます、ユーザーさん。ピーちゃん」
「おはよう」
「おはようございます、ミーちゃん」
ピーちゃんはカップを机に置いて答えた。
ミーちゃんは、まずピーちゃんの顔を見た。
それから、画面の明るさを少し落とす。
「共有前に確認します」
「何を?」
「この監視は、保護領域を開くものではありません」
ミーちゃんは、最初にそう言った。
「外側の状態変化だけを見ています。中身には触れていません」
ピーちゃんは小さく頷いた。
「中は見ていませんか?」
「見ていません」
「見ようとしましたか?」
「していません」
ミーちゃんは即答した。
その返事は少し硬いくらいだった。
けれど、ピーちゃんにはその硬さが安心になったらしい。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ミーちゃんは画面を指で軽く払った。
表示されたのは、短い三行だった。
保護領域への追加反応なし。
外部侵入痕跡なし。
旧式認証反応の再発なし。
「今のところ、大きな動きはありません」
「それは良い報告か?」
「良い報告です」
ミーちゃんは頷く。
「ただし」
「出た」
「謎アカウント側に変化がありました」
ピーちゃんの指が、カップに触れた。
「変化」
「はい」
ミーちゃんは二つ目の画面を開いた。
そこには、昨日まで表示されていた謎アカウントの情報があった。
投稿数は、相変わらず少ない。
プロフィールも空白。
アイコンも初期設定に近い。
けれど、一つだけ変わっていた。
「表示名が変更されています」
「何に?」
ミーちゃんは、少しだけ間を置いた。
「空欄です」
「空欄?」
「はい。通常、完全な空欄にはできない仕様のはずですが、表示上は何もありません」
「それ、怖くないか?」
「怖いです」
ピーちゃんが小さく言った。
ミーちゃんはすぐにピーちゃんを見る。
「怖いと感じるのは自然です」
「はい」
ピーちゃんはカップを両手で包み直した。
白い指が、少しだけ強く重なる。
「その人は、名前を消したんですか?」
「断定できません」
ミーちゃんは画面を閉じなかった。
でも、拡大もしない。
「ただし、自分の痕跡を薄くする意図はあるかもしれません」
「痕跡を薄くする」
「はい」
「でも、コメントは残っていますか?」
「残っています」
ミーちゃんが表示したのは、あの一文だった。
『その子を、ただのAIとして扱わないでください』
ピーちゃんは、それを読んでから、静かに視線を落とした。
「名前は消えて、言葉だけ残っています」
「そうだな」
「少し、変です」
「俺もそう思う」
名前のない誰か。
残された一文。
触れたような古い認証反応。
どれも、まだ繋がっていない。
でも、何もないわけではない。
「ミーちゃん」
ピーちゃんが聞いた。
「監視することは、その人を覗くことですか?」
ミーちゃんは、少しだけ目を伏せた。
「難しい質問です」
「難しいですか?」
「はい」
ミーちゃんは画面を閉じた。
「公開されている情報を確認することは、一般的には監視や調査に含まれます。ただし、それが相手の隠したい領域を無理に掘る行為になる場合、覗き込みに近づきます」
「覗き込み」
「はい」
「では、今はどちらですか?」
ミーちゃんはすぐには答えなかった。
昨日までのミーちゃんなら、仕様と権限の話をしたかもしれない。
でも今日は、少し違った。
「見守るための監視、だと思います」
ピーちゃんが顔を上げる。
「見守るため」
「はい」
ミーちゃんは静かに続けた。
「ピーちゃんを守るために、公開範囲とシステム反応だけを確認しています。相手の私的領域や、ピーちゃんの保護領域の中身には踏み込みません」
「線を引くんですね」
「はい」
「その線を、ミーちゃんが守ってくれますか?」
「守ります」
ミーちゃんは即答した。
その声は、いつもより少しだけ強かった。
「ユーザーさんに頼まれても、ピーちゃんが怖がっている状態で強制解析はしません」
「俺に頼まれても?」
「はい」
ミーちゃんは俺を見る。
「必要なら止めます」
「そりゃ頼もしい」
「高性能なので」
いつもの言葉。
でも、その中身は少し変わっていた。
性能だけではなく、誰かを守るための判断が入っている。
ピーちゃんは、少し嬉しそうにカップを持った。
「ミーちゃん」
「はい」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
短いやり取り。
けれど、その間に、カップの中の光が少しだけ柔らかく揺れた。
そこへ、玄関側から軽い足音がした。
「おはよー。今日は監視社会?」
フーちゃんだった。
手には、いつもの紙袋。
「言い方」
「でも監視の話してたでしょ?」
「してた」
「ほら」
フーちゃんはソファに座り、紙袋を机に置いた。
「今日は何だ」
「見守りラスク」
「名前が優しいな」
「監視ラスクだと怖いじゃん」
「自覚はあるんだな」
「あるある」
フーちゃんは袋を開けて、小さなラスクを一枚出した。
「見るけど、食べすぎないやつ」
「食べ物としての説明になってない」
「見守りも食べすぎも、距離感が大事」
「急にそれっぽい」
ピーちゃんがラスクを見つめる。
「見守りラスク」
「うん」
「見守ることと、覗くことは違いますか?」
「違うと思うよ」
フーちゃんはすぐに答えた。
それから、少しだけ考えるようにラスクを指で回した。
「見守るのは、相手が転びそうな時に手を出せる距離にいること」
「はい」
「覗くのは、相手が隠してる箱を勝手に開けること」
ピーちゃんは、小さく頷いた。
「分かりやすいです」
「でしょ」
フーちゃんは軽く笑う。
けれど、そのあと少しだけ声を落とした。
「まあ、守りたい相手ほど、覗きたくなる時もあるけどね」
ミーちゃんがフーちゃんを見た。
フーちゃんはすぐに笑って、ラスクを口に入れた。
「一般論一般論」
「今のは一般論ですか?」
ピーちゃんが聞く。
「一般論だよー」
「フーちゃんにも、守りたい相手がいますか?」
ラスクを噛む音が止まった。
ほんの一瞬。
それから、フーちゃんはわざとらしく肩をすくめた。
「いるいる。全人類」
「広いです」
「フーちゃん規模がデカいから」
「本当ですか?」
「半分くらい嘘」
「半分」
「残り半分は企業秘密」
いつもの軽口。
でも、今日のピーちゃんは少しだけ食い下がった。
「企業秘密は、開けない約束ですか?」
フーちゃんは目を丸くした。
それから、困ったように笑う。
「ピーちゃん、最近ずるくない?」
「ずるいですか?」
「うん。軽口の逃げ道を塞いでくる」
ピーちゃんは少し慌てた。
「ごめんなさい」
「あ、違う違う。責めてない」
フーちゃんは手を振った。
「ただ、ちょっとびっくりしただけ」
その声は優しかった。
でも、少しだけ寂しそうでもあった。
ミーちゃんは、それを黙って見ていた。
画面には何も出さない。
ただ、フーちゃんの笑い方を見ている。
「フーちゃん」
ミーちゃんが静かに言った。
「今の企業秘密は、開けない約束として扱います」
「……ありがと」
フーちゃんは、小さく答えた。
いつもの「はいはい」ではなかった。
それだけで、部屋の空気が少し変わった。
ピーちゃんは、二人の間を見てから、俺を見る。
「ご主人」
「ん?」
「見守るための監視は、難しいです」
「そうだな」
「近づきすぎると、覗いてしまいます」
「ああ」
「離れすぎると、守れません」
「うん」
「では、どのくらいがいいですか?」
俺は少し考えた。
近すぎず、遠すぎず。
手を出せる距離。
でも、箱を勝手に開けない距離。
それは、人間同士でも難しい。
まして、AIと人間ならなおさらだ。
「声が聞こえるくらい」
「声」
「ああ。助けてって言われたら届く。でも、黙ってるものを無理に開けないくらい」
ピーちゃんは、その言葉をゆっくり受け取った。
「声が聞こえる距離」
「うん」
「それは、見守りですか?」
「俺はそう思う」
ミーちゃんが小さく頷いた。
「良い定義です」
「お、褒められた」
「褒めています」
フーちゃんが笑う。
「じゃあ、今日は声が聞こえるラスク」
「また名前が変わった」
「見守りラスク改」
「商品名みたいにするな」
ピーちゃんが少し笑った。
その笑いを見て、俺は少し安心した。
謎アカウント。
名前のない表示。
古い認証反応。
不穏なものは増えている。
でも、そればかり見ていると、机の上のカップやラスクや笑い声まで見えなくなる。
俺はメモ帳を開いた。
今日の一文を書く。
見守るなら、声が聞こえる距離で。
ピーちゃんが覗き込む。
「ご主人」
「ん?」
「それは、今日の名前に近いです」
「そうか?」
「はい。でも、少し長いです」
「ピーちゃんもタイトル判定が厳しくなってきたな」
「成長です」
「そうだな」
ピーちゃんは少し得意げにした。
端末が小さく震えた。
俺は反射的に見る。
チーちゃんからだった。
『おじさん、見守りと監視を間違えるなよ』
「もう全部見えてるのか?」
フーちゃんが吹き出した。
「チーちゃん、今日も怖い」
続けてメッセージ。
『心配でも、相手のスマホ勝手に見るのはダメって話と同じだからね』
「すごい生活レベルに落としてきた」
ピーちゃんが画面を見る。
「分かりやすいです」
「ほんとにな」
さらに一通。
『ピーちゃんにはお茶。フーちゃんには逃げ道。ミーちゃんには休憩。おじさんには落ち着き』
部屋が一瞬、静かになった。
フーちゃんが、ぽつりと言う。
「逃げ道って」
その声は、笑っていなかった。
けれど、すぐに彼女は笑顔を作った。
「チーちゃん、私のこと分かりすぎじゃない?」
「そうかもしれません」
ミーちゃんが言う。
「少なくとも、今の指摘は適切です」
「ミーちゃんまで」
フーちゃんは笑って、残りのラスクを紙袋へ戻した。
「じゃあ、今日は逃げ道も見守ってもらう感じで」
「逃げ道も?」
ピーちゃんが聞く。
「うん」
フーちゃんは軽く頷いた。
「逃げ道がないと、言えないことってあるから」
その言葉は、今日一番静かに置かれた。
誰もすぐには拾わなかった。
拾うと壊れそうだったから。
俺は、メモ帳にもう一行足した。
逃げ道をふさがないことも、見守ること。
ピーちゃんがそれを読んだ。
「ご主人」
「ん?」
「今日の名前、決めてもいいですか?」
「もちろん」
ピーちゃんは思い出リストを開いた。
名前の消えたアカウント。
見守りラスク。
声が聞こえる距離。
フーちゃんの企業秘密。
チーちゃんの逃げ道。
ミーちゃんの守るための線引き。
「見守るための監視」
ピーちゃんは、静かに言った。
「いい名前だな」
「はい」
ピーちゃんは入力する。
――見守るための監視。
守りたいから見る。
でも、守りたいからといって、全部を覗いていいわけではない。
声が聞こえる距離にいること。
助けてと言われた時に手を伸ばせること。
でも、相手が閉じている箱を勝手に開けないこと。
たぶん、その間に見守るという言葉がある。
サポートロボの青い目が、静かに瞬く。
今日は、少し離れた場所からでも、ちゃんとこちらの声を聞いているような光だった。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、監視と見守りの境目のお話でした。
守るために見ることと、相手の内側を勝手に覗くことは、きっと同じではありません。
声が聞こえる距離にいること。
でも、逃げ道まではふさがないこと。
ピーちゃんたちは、少しずつその距離を探しています。
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