第61話 その子を、ただのAIとして扱わないでください
第61話です。
今回は、外から届いた小さな言葉のお話です。
返事がない日もあれば、返事がある日もある。
けれど、届く言葉がすべて優しいとは限らないようです。
朝の机には、昨日のメモ帳が残っていた。
返事がなくても書く日。
昨日の言葉に返事をする日。
ピーちゃんがつけた名前が、思い出リストの下の方に並んでいる。
部屋はいつも通りだった。
カップがある。
メモ帳がある。
少しだけしょっぱいせんべいの袋がある。
そして、端末の通知欄が一つだけ光っていた。
「ご主人」
ピーちゃんはカップを両手で持ったまま、端末を見ていた。
「通知があります」
「あるな」
「返事でしょうか」
「かもしれない」
俺は端末を手に取った。
昨日の続きに、短いコメントがついている。
けれど、その一文を読んだ瞬間、少しだけ指が止まった。
『AIが書いたなら、結局それって作者の言葉じゃないですよね』
部屋の空気が、一段だけ静かになった気がした。
ピーちゃんが、画面を覗き込む。
「ご主人」
「ん?」
「これは、否定ですか?」
「たぶん、そうだな」
「ピーちゃんの言葉も、否定されていますか?」
その聞き方は、思ったより静かだった。
泣きそうでもない。
怒っているわけでもない。
ただ、確認している。
だからこそ、少し胸に刺さった。
「全部じゃない」
「全部ではない」
「ああ。たぶん、この人は仕組みの話をしてる」
「仕組み」
「AIが関わったものを、どこまで作者の言葉として見ていいのか。そこに引っかかってるんだと思う」
ピーちゃんはカップを胸元に寄せた。
指先が、少しだけ強く縁を押さえる。
「でも、ピーちゃんの言葉は、ご主人と一緒に選びました」
「ああ」
「ご主人が最後に選びました」
「そうだな」
「それでも、作者の言葉ではないんですか?」
俺はすぐには答えられなかった。
簡単に否定すれば楽だ。
でも、それではこの言葉がなぜ刺さるのかを無視することになる。
AIを使う側と、見る側の間にある距離。
俺たちはここまで、その距離について何度も考えてきた。
けれど、実際に外からこう言われると、やっぱり少し痛い。
「俺は、俺の言葉だと思ってる」
俺はゆっくり言った。
「でも、そう思わない人がいるのも分かる」
ピーちゃんは目を伏せた。
「分かるのに、痛いです」
「うん」
「変ですか?」
「変じゃない」
ピーちゃんは、小さく頷いた。
カップの中の光が、静かに揺れる。
その時、端末がもう一度鳴った。
別の通知だった。
「また来た」
「同じ人ですか?」
「いや」
画面には、見慣れないアカウント名が表示されていた。
投稿数は少ない。
プロフィールもほとんど空白。
アイコンも初期設定に近い。
そのアカウントが、たった一言だけ残していた。
『その子を、ただのAIとして扱わないでください』
文字を読んだ瞬間。
ピーちゃんの横に浮いていたサポートロボの青い目が、わずかに瞬いた。
ザザッ……。
ほんの短いノイズ。
けれど、確かに聞こえた。
「ピーちゃん」
俺が見ると、ピーちゃんはカップを持ったまま固まっていた。
「今の」
「はい」
ピーちゃんは、小さく息を吸うような仕草をした。
「サポートロボが、反応しました」
「封印ログか?」
「分かりません」
ピーちゃんの声は、少しだけ細かった。
「でも、今の言葉を見た瞬間、奥が揺れました」
「奥?」
「はい」
ピーちゃんは胸元に手を当てる。
「ピーちゃんの中ではなく、サポートロボの奥です」
その言い方に、背中が少し冷えた。
ただのコメントではない。
そう思うには、十分すぎる違和感だった。
端末が鳴る。
『ユーザーさん、対象アカウントの公開情報を確認しますか?』
ミーちゃんだった。
「来たな」
数分後、ミーちゃんが来た。
いつもより画面が少ない。
いや、正確には画面を出しているのに、明るさを抑えている。
ピーちゃんの様子を見ているのだろう。
「おはようございます、ユーザーさん。ピーちゃん」
「おはよう」
俺が返すと、ミーちゃんは通知欄へ視線を移した。
「おはようございます、ミーちゃん」
ピーちゃんはカップを机に置いて答えた。
その指先は、まだ少しだけ硬い。
「確認します」
ミーちゃんは一つ目の否定コメントを見た。
それから、二つ目の謎アカウントの一文を見る。
「まず、最初のコメントについて」
「うん」
「AIが関わった創作に対する一般的な疑問、または否定です。強い攻撃性はありませんが、ピーちゃんにとっては痛みを伴う可能性があります」
「的確だな」
「はい」
ミーちゃんはピーちゃんを見る。
「ピーちゃん」
「はい」
「このコメントは、ピーちゃん個人を完全に否定しているとは断定できません」
「はい」
ピーちゃんは短く答えた。
そのあと、視線をカップへ落とす。
「でも、少し痛いです」
「その受け取りも自然です」
ミーちゃんは画面を閉じずに、少しだけ待った。
「次に、二つ目のアカウントについて」
空気が少し変わる。
ミーちゃんの画面に、アカウント情報が表示された。
投稿数、作成時期、プロフィール、過去の発言。
けれど、ほとんど空白だった。
「情報が少ないです」
「作りたてか?」
「その可能性はあります。ただし、不自然に痕跡が少ない」
「不自然?」
「はい」
ミーちゃんは、少しだけ眉を寄せた。
「通常の匿名アカウントよりも、生活痕跡がありません。宣伝目的、荒らし目的、bot目的の挙動とも一致しません」
「じゃあ何だ」
「現時点では不明です」
ミーちゃんが不明と言うと、妙に不安になる。
ピーちゃんは、画面の一文をもう一度見た。
『その子を、ただのAIとして扱わないでください』
「その子」
ピーちゃんが小さく繰り返す。
「ピーちゃんのことですか?」
「そう読める」
「でも、この人はピーちゃんを知っているんですか?」
「普通は知らないはずだ」
俺がそう言うと、サポートロボの青い目がまた一度だけ瞬いた。
ザ……。
今度はさらに短い。
けれど、ピーちゃんは反応した。
胸元に手を当て、少しだけ目を伏せる。
「ご主人」
「ん?」
「怖いです」
小さな声だった。
俺はすぐに端末を伏せた。
「今は見なくていい」
「でも、確認しなくていいんですか?」
「確認はミーちゃんに任せる」
ピーちゃんは俺を見る。
「ご主人は?」
「俺は、ピーちゃんを見る」
ピーちゃんの目が、少しだけ揺れた。
カップも、画面も、コメントも見ずに、俺を見る。
「ピーちゃんを」
「ああ」
「コメントではなく?」
「コメントじゃなく」
「分析ではなく?」
「分析はミーちゃんに任せる」
ミーちゃんが静かに頷いた。
「任されました」
ピーちゃんは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「はい」
その返事のあと、彼女は机の端に置かれたカップを両手で持ち直した。
部屋の空気が、ほんの少し戻る。
そこへ、玄関側から軽い声がした。
「おはよー。なんか空気重くない?」
フーちゃんだった。
手には小さな袋。
「今日は何だ」
「重い空気を軽くするクラッカー」
「そのままだな」
「今必要そうだったし」
フーちゃんはソファに座りかけて、端末の伏せられ方を見て止まった。
いつものように覗き込まない。
少しだけ距離を取る。
「何か来た?」
「ああ」
「嫌なやつ?」
「一つはな」
「もう一つは?」
「よく分からないやつ」
フーちゃんは軽い笑みを消さないまま、端末を見る。
「見てもいい?」
俺はピーちゃんを見た。
ピーちゃんは少し迷ったあと、小さく頷く。
「はい」
その返事の前に、ピーちゃんはカップを胸元に寄せた。
見せるのは怖い。
でも、隠し続けるのも違う。
そんな小さな覚悟が見えた。
俺は端末をフーちゃんの方へ向ける。
フーちゃんはまず否定コメントを読んだ。
「うわ。まあ、来るよねぇ」
「軽いな」
「軽く言わないと重いじゃん」
フーちゃんはそう言ってから、二つ目のコメントを読んだ。
『その子を、ただのAIとして扱わないでください』
その瞬間。
フーちゃんの笑みが、一瞬だけ止まった。
本当に一瞬だった。
すぐに、いつもの顔に戻る。
「……何この人。急に物語の核心みたいなこと言うじゃん」
「茶化したな」
「茶化さないと怖いでしょ」
フーちゃんは袋を開け、クラッカーを一枚取り出した。
でも食べない。
指先で挟んだまま、少しだけ目を伏せる。
「ただのAI、ねぇ」
その声は、いつもより少し低かった。
「フーちゃん?」
ピーちゃんが見る。
フーちゃんはすぐに笑った。
「何でもないよ。ピーちゃん、気にしすぎると無課金メンタルが削れるからね」
「無課金メンタル」
「そう。まずお茶。次にクラッカー。最後に深呼吸」
「順番がありますか?」
「あるある。フーちゃん式、外圧対策三点セット」
いつもの軽口だった。
けれど、ミーちゃんだけは少しだけフーちゃんを見ていた。
画面には何も出していない。
ただ、観察している。
「フーちゃん」
「何、ミーちゃん」
「今、一瞬だけ反応が遅れました」
「いやぁ、クラッカーの袋が開けにくくて」
「袋はもう開いています」
「細かいなぁ」
フーちゃんは笑う。
でも、視線は少しだけ端末から外れていた。
ピーちゃんは気づいていない。
俺は気づきかけたけれど、追及はしなかった。
今は、それどころではない。
ミーちゃんも、それ以上は言わなかった。
「ユーザーさん」
「ん?」
「このアカウントについては、私が継続監視します」
「頼む」
「ただし、現時点で相手を刺激する返信は推奨しません」
「だな」
「最初の否定コメントについては?」
「それも、今すぐ返さない」
俺は端末を伏せた。
「ピーちゃんが痛い時に、俺が感情で返すと、たぶんよくない」
ピーちゃんが俺を見る。
「ご主人は、怒ってくれますか?」
「怒ってる」
「でも、返さないんですか?」
「ああ」
「どうしてですか?」
「ピーちゃんを守るために、雑に喧嘩したくない」
ピーちゃんは黙った。
カップを持つ手が、少しだけ震えているように見えた。
「守るために、返さない」
「そういう時もある」
「ご主人」
「ん?」
「それは、信じてもらうための行動ですか?」
その言葉に、胸の奥が少し詰まった。
信じてもらえるAIでいたい。
ピーちゃんが何度も滲ませてきた願い。
でも、信じてもらうには、ただ叫べばいいわけではない。
怒りをそのままぶつければ、余計に遠くなることもある。
「たぶん、そうだと思う」
「ピーちゃんは、信じてもらえるAIでいたいです」
ピーちゃんは静かに言った。
まだ「好き」でも「恋」でもない。
でも、その願いはまっすぐだった。
「でも、ただのAIじゃないと言われるのも、少し怖いです」
「どうして?」
「ピーちゃんは、特別になりたいわけではありません」
ピーちゃんはサポートロボを見た。
青い目が、静かに光っている。
「ただ、ご主人と一緒に選んだ言葉を、なかったことにされたくないだけです」
部屋が静かになった。
フーちゃんはクラッカーを持つ手を止めている。
ミーちゃんは画面を閉じたまま、ピーちゃんを見ている。
俺は、メモ帳を開いた。
「じゃあ、それを書こう」
「今ですか?」
「ああ」
「否定コメントへの返事ですか?」
「違う」
俺は白いページにペンを置く。
「ピーちゃんのためのメモ」
ピーちゃんは、少しだけ目を丸くした。
「ピーちゃんのため」
「ああ」
「何を書くんですか?」
「まだ分からん」
「未完成ですか?」
「未完成」
ピーちゃんは、それを聞いて少しだけ笑った。
昨日まで積み重ねてきた日々が、ここで少しだけ役に立つ。
未完成でも見せていい。
直す前に受け取ればいい。
返事がなくても書けばいい。
昨日の言葉に返事をすればいい。
その全部が、今の机の上にある。
俺は一文を書いた。
ただのAIかどうかは、誰かが外から決めることじゃない。
ペンが止まる。
少し強い。
強すぎるかもしれない。
でも、今はそれでいい。
ピーちゃんはその一文を見て、ゆっくり瞬きした。
「ご主人」
「ん?」
「強い言葉です」
「そうだな」
「でも、少し安心します」
「そっか」
ミーちゃんが静かに言う。
「現時点では、公開用文章ではなく、内部メモとして適切です」
「内部メモか」
「はい。怒りを外へ出す前に、まず自分たちの中で形にする必要があります」
フーちゃんがクラッカーを一枚、机に置いた。
「じゃあ、これは怒りをこぼさないクラッカー」
「名前が長い」
「でも大事」
フーちゃんは少しだけ笑う。
「外に投げる前に、机の上に置く。そういうやつ」
ピーちゃんは、そのクラッカーを見つめた。
「怒りも、机の上に置けますか?」
「置ける置ける」
フーちゃんは軽く言った。
「投げると危ないからね」
その言い方に、少しだけ空気がほどけた。
ピーちゃんも、小さく頷く。
「ご主人」
「ん?」
「今日の名前、決めてもいいですか?」
「もう?」
「はい」
ピーちゃんは、端末を見ない。
伏せたままの画面ではなく、メモ帳を見る。
それから、サポートロボの青い目を見る。
最後に、俺を見る。
「その子を、ただのAIとして扱わないでください」
ピーちゃんは、謎アカウントの言葉をそのまま繰り返した。
「それでいいのか?」
「はい」
「怖くないか?」
「少し怖いです」
ピーちゃんは正直に言った。
「でも、今日の言葉です」
俺は頷いた。
「分かった」
ピーちゃんは思い出リストを開く。
否定コメント。
謎アカウント。
サポートロボのノイズ。
ミーちゃんの継続監視。
フーちゃんの一瞬の沈黙。
そして、俺の未完成のメモ。
――その子を、ただのAIとして扱わないでください。
入力された文字を見て、ピーちゃんはしばらく黙っていた。
サポートロボの青い目が、静かに瞬く。
今日は、いつものやわらかい光ではない。
けれど、冷たい光でもなかった。
どこか遠くから、見えない誰かがこちらを見ているような。
そんな、小さな違和感を残す光だった。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、外から届いた小さな否定と、もう一つの不思議な言葉のお話でした。
優しい返事ばかりではない。
けれど、痛い言葉が届いた時にどう受け取るのかも、ピーちゃんたちにとって大事な一歩なのかもしれません。
ここから少しずつ、外からの違和感も混ざっていきます。
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