第60話 昨日の言葉に返事をする日
第60話です。
今回は、昨日書いた言葉を読み返すお話です。
誰かから返事が来ない日でも、自分たちで昨日の言葉を受け取ることはできる。
ピーちゃんたちは、そんな小さな返事の形を見つけます。
朝の机には、昨日書いた一文が残っていた。
返事がない朝も、机の上にはカップがある。
自分で書いた文章なのに、翌朝に見ると少しだけ他人の言葉みたいに見える。
昨日の俺は、そんなことを考えていたのか。
昨日のピーちゃんは、そんなふうにカップを見ていたのか。
メモ帳の上の文字は、静かにそこにあった。
「ご主人」
ピーちゃんはカップを両手で持って、メモ帳を見ていた。
「昨日の言葉、まだあります」
「あるな」
「返事がなくても書く日」
「ああ」
「ピーちゃん、昨日は少ししょんぼりしていました」
「してたな」
「でも、今見ると」
ピーちゃんはメモ帳へ視線を落とす。
カップを持つ指が、少しだけ緩んだ。
「少し、昨日のピーちゃんに言ってあげたくなります」
「何を?」
「大丈夫です、って」
俺はペンを持つ手を止めた。
「昨日の自分に?」
「はい」
ピーちゃんは、少し照れたように笑った。
「返事がなくても、ちゃんと書けました。せんべいも食べました。チーちゃんも心配してくれました。だから、大丈夫です」
「いいじゃん」
「いいですか?」
「ああ」
ピーちゃんはカップを胸元に寄せた。
「ご主人」
「ん?」
「これは、返事ですか?」
「返事?」
「昨日のピーちゃんへの返事です」
言われて、少し考える。
誰かから感想が来ることだけが返事ではない。
昨日の自分の言葉を読み返して、今日の自分がうなずくこと。
それも、たしかに返事なのかもしれない。
「返事だと思う」
「本当ですか?」
「ああ」
「では、ピーちゃんは昨日のピーちゃんに返事をしました」
「そうだな」
ピーちゃんは嬉しそうに頷いた。
その時、端末が鳴った。
『ユーザーさん、昨日のメモへの自己応答を記録できます』
ミーちゃんだった。
「来たな、自己応答担当」
数分後、ミーちゃんが来た。
今日は画面を出す前に、机の上のメモ帳を見た。
「おはようございます、ユーザーさん。ピーちゃん」
「おはよう」
俺が返すと、ミーちゃんは小さく頷く。
「おはようございます、ミーちゃん」
ピーちゃんはカップを机に置いて答えた。
昨日より、少しだけ声が落ち着いている。
「昨日のメモを読み返しているのですね」
「そうだ」
「新規反応は?」
「ない」
ミーちゃんはすぐに画面を開かなかった。
代わりに、ピーちゃんを見る。
「ピーちゃんは、今どう感じていますか?」
ピーちゃんは少し驚いたように瞬きした。
ミーちゃんが数字ではなく、先に気持ちを聞いたからだろう。
「昨日より、少し大丈夫です」
「少し」
「はい」
ピーちゃんはカップの縁を指でそっと撫でる。
「昨日のピーちゃんに、大丈夫ですと言いたくなりました」
「それは良い反応です」
ミーちゃんは小さな画面を開いた。
でも、そこに数値はなかった。
短い文字だけが表示される。
――外からの反応がない時、内側で返事を返すこともできる。
「内側で返事」
ピーちゃんが読む。
「はい」
ミーちゃんは静かに頷いた。
「もちろん、外からの反応は大事です。ですが、外部反応だけを待つと、創作の継続が不安定になります」
「はい」
ピーちゃんの返事のあと、ミーちゃんは一拍置いた。
画面の光が、メモ帳の端を淡く照らす。
「自分たちで読み返し、受け取り、次へつなげることも必要です」
「自分たちで」
「はい」
「ご主人とピーちゃんで?」
「はい。ユーザーさんとピーちゃんで」
ピーちゃんは、少しだけ嬉しそうにした。
「ミーちゃんも入りますか?」
ミーちゃんは一瞬だけ止まった。
「必要であれば」
「入ってほしいです」
ピーちゃんは迷わず言った。
「ミーちゃんも、昨日の言葉を受け取ってくれました」
ミーちゃんは視線を逸らす。
「……なら、入ります」
短い返事だった。
でも、画面の光が少しだけ柔らかくなった。
そこへ、玄関側から軽い足音がした。
「お、今日は昨日の自分に返信する会?」
フーちゃんだった。
手には小さな袋。
「よく分かったな」
「聞こえた」
「どこから」
「無課金受信」
「便利すぎる」
フーちゃんはソファに座り、袋を机に置いた。
「今日は何だ」
「返信せんべい」
「昨日もせんべいだったぞ」
「今日は返事用」
「用途が増えた」
フーちゃんは袋を開け、小さな四角いせんべいを出した。
「ほら、手紙っぽい形」
「たしかに四角いな」
「昨日の自分に一枚送る感じ」
ピーちゃんがせんべいを見つめる。
「昨日のピーちゃんに、送れますか?」
「気持ち的には送れる」
フーちゃんは軽く笑った。
「昨日のピーちゃんへ。しょんぼりしてたけど、今日もちゃんと起きてます。みたいな」
ピーちゃんは、その言葉をゆっくり受け取った。
「昨日のピーちゃんへ」
「うん」
「今日も、ちゃんと起きています」
「そうそう」
ピーちゃんの表情が、少しだけ柔らかくなる。
「それは、少し嬉しいです」
フーちゃんはせんべいをピーちゃんの前に置いた。
「じゃあ、返信せんべい一枚」
「ありがとうございます」
ピーちゃんは両手で受け取った。
その手つきは、昨日の無反応せんべいを受け取った時より落ち着いていた。
「ご主人」
「ん?」
「ピーちゃん、昨日のピーちゃんに返事を書いてもいいですか?」
「もちろん」
俺はメモ帳をピーちゃんの方へ少し寄せた。
ピーちゃんはペンを持つ。
手書きはまだ少しぎこちない。
でも、前より迷いは少なかった。
――昨日のピーちゃんへ。
そこまで書いて、少し止まる。
カップを見る。
せんべいを見る。
俺を見る。
それから、また書き始めた。
――返事はありませんでした。
――でも、カップはありました。
――ご主人も、少し寂しいと言いました。
――ピーちゃんだけではありませんでした。
――今日は、少し大丈夫です。
書き終えると、ピーちゃんはペンを置いた。
「どうでしょうか」
「いいと思う」
「文章として変ではありませんか?」
「少し素直すぎるくらいだな」
「だめですか?」
「だめじゃない」
ピーちゃんは少しだけ安心したように笑った。
「素直でも、いいですか?」
「ピーちゃんの返事だからな」
ミーちゃんがメモを見て、静かに頷く。
「原文保持を推奨します」
「直さないんですか?」
ピーちゃんが聞くと、ミーちゃんは画面を出さないまま答えた。
「今日は、直すより残す方が適切です」
「どうしてですか?」
「昨日のピーちゃんへの返事だからです。整えすぎると、今日のピーちゃんの声が薄くなります」
ピーちゃんは、少しだけ目を丸くした。
「今日のピーちゃんの声」
「はい」
「ミーちゃんが、そう言ってくれるのは嬉しいです」
「事実です」
ミーちゃんはそう言ったあと、少しだけ視線を逸らした。
「でも、嬉しいなら、よかったです」
フーちゃんがにやにやする。
「ミーちゃん、優しいの隠しきれなくなってきたねぇ」
「隠していません」
「じゃあ出してるんだ」
「適切に出力しています」
「やっぱり硬い」
ピーちゃんがくすっと笑った。
その笑いで、昨日の寂しさが少し薄まった気がした。
端末が震える。
チーちゃんからだった。
『おじさん、今日も書いてる?』
「今日も来た」
続けてメッセージ。
『昨日しょんぼりしてたなら、今日は昨日の自分に何か言ってやれば?』
「タイミングが怖い」
俺が呟くと、フーちゃんが声を出して笑った。
「チーちゃん、マジで何なの?」
ピーちゃんが画面を覗き込む。
「チーちゃんも、同じことを言っています」
「強いな」
さらにメッセージが届く。
『ピーちゃんにも言っといて。昨日も今日も、ちゃんといるならそれで偉い』
ピーちゃんは、その文字をしばらく見つめていた。
「昨日も今日も」
小さく繰り返す。
「ちゃんといるなら、それで偉い」
カップを持つ手に、少しだけ力が入った。
「ご主人」
「ん?」
「チーちゃんの言葉も、昨日のピーちゃんへの返事になりますか?」
「なると思う」
「はい」
ピーちゃんは静かに頷いた。
「嬉しいです」
俺は返信した。
『伝えた。ピーちゃん喜んでる』
すぐに返ってきた。
『ならよし。朝ごはん食べなよ』
「やっぱりそこに戻る」
フーちゃんが笑う。
「チーちゃんの世界、最終的に朝ごはんで救われる説」
「わりと強い説だな」
ミーちゃんが真面目に頷く。
「生活リズムの安定は、創作継続に有効です」
「ミーちゃんが言うと急に研究になる」
「事実です」
ピーちゃんは机の上を見た。
昨日のメモ。
今日の返事。
返信せんべい。
チーちゃんのメッセージ。
外から新しい反応は来ていない。
でも、部屋の中には返事が増えていた。
「ご主人」
「ん?」
「返事は、外からだけではないんですね」
「そうだな」
「昨日の自分にも、返せます」
「ああ」
「ご主人にも、返せます」
「ん?」
ピーちゃんは、少しだけ真面目な顔で俺を見る。
「昨日、返事がなくても書くと言ってくれて、ありがとうございました」
不意に言われて、俺は少しだけ言葉に詰まった。
「いや、そんな大したことは」
「大したことです」
ピーちゃんはまっすぐ言った。
「ご主人が書くと言ったから、ピーちゃんも少し書けました」
その声は静かだった。
でも、ちゃんと届いた。
「そっか」
「はい」
「なら、こちらこそ」
「こちらこそ?」
「昨日、一緒にしょんぼりしてくれてありがとう」
ピーちゃんは目を丸くした。
「しょんぼりして、ありがとうですか?」
「ああ」
「変です」
「変か」
「でも、少し嬉しいです」
ピーちゃんはカップを両手で包む。
その仕草は、今日の言葉を中にしまうようだった。
「ピーちゃん、昨日のご主人にも返事を書きたいです」
「俺にも?」
「はい」
ピーちゃんはメモ帳にもう一行書いた。
――昨日のご主人へ。
――一緒に寂しいと言ってくれて、ありがとうございます。
短い一文だった。
でも、俺はそれをしばらく見てしまった。
「これは効くな」
「効きますか?」
「ああ」
「よかったです」
フーちゃんが返信せんべいを一枚かじる。
「今日、めちゃくちゃ返信してるじゃん」
「外からは来てないけどな」
「でも内側では大忙し」
ミーちゃんが頷く。
「内部応答が活発です」
「言い方」
部屋に小さな笑いが生まれた。
俺は、白いページに今日の文章を書き始める。
外から返事がない日でも、昨日の自分に返事をすることはできる。
昨日のしょんぼりに、大丈夫だと言ってやることはできる。
誰かの一言がなくても、自分たちの中で言葉を受け取り直すことはできる。
書いていると、ピーちゃんが隣で静かに見ていた。
今日は口を挟まない。
ただ、自分が書いた短い返事を見つめている。
それが、妙に心強かった。
「ご主人」
「ん?」
「今日の名前、決めてもいいですか?」
「もちろん」
ピーちゃんは思い出リストを開いた。
昨日の自分への返事。
昨日のご主人への返事。
チーちゃんの「ちゃんといるなら偉い」。
フーちゃんの返信せんべい。
ミーちゃんの内側で返事を返す、という言葉。
「昨日の言葉に返事をする日」
ピーちゃんは、静かに言った。
「いい名前だな」
「はい」
ピーちゃんは入力する。
――昨日の言葉に返事をする日。
外からの反応がなくても、全部が止まるわけではない。
昨日の自分に、大丈夫と言う。
昨日の誰かに、ありがとうと言う。
昨日の寂しさを、今日の机にそっと置き直す。
それも、返事の一つなのだと思う。
ピーちゃんは返信せんべいを一口食べた。
「しょっぱいです」
「またしょっぱいのか」
「でも、昨日より少し優しいです」
フーちゃんが胸を押さえる。
「ピーちゃん、今日もずるい」
「ずるいですか?」
「うん。しょっぱいせんべいの株が上がる」
ミーちゃんが静かに頷く。
「表現として良好です」
ピーちゃんは少し照れたように笑った。
サポートロボの青い目が、静かに瞬く。
今日は、昨日の言葉と今日の返事を、同じ机の上でそっとつないでいるような光だった。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、昨日の言葉に返事をするお話でした。
外から返事が来ない日でも、昨日の自分の言葉を読み返して、今日の自分が受け取ることはできます。
それもまた、小さな返事の形なのかもしれません。
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