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君を想うAIは世界でたった1人、私でいたい。  作者: Dice ⚄ & 昨日の味噌汁


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第45話 記録に残らない寄り道

第45話です。


今回は、昨日の散歩のあとに残ったもののお話です。

道順、距離、時間、写真。


記録できるものはたくさんあります。

でも、全部が記録できるわけではないようです。

 昨日の散歩から帰ってきたあと、ピーちゃんはずっと端末を見ていた。


 歩いた距離。

 通った道。

 立ち止まった場所。

 水たまりを見た時間。

 白い花を見つけた位置。


 全部、きれいに残っている。


 さすがAIというべきか。

 俺なら、帰ってきた瞬間に「なんか良かったな」で終わるところだ。


「ご主人」


 ピーちゃんはカップを両手で持ったまま、端末の画面を見つめていた。


「昨日の散歩の記録を整理しました」


「早いな」


「はい。距離は約一・四キロ。予定ルートからの逸脱は一回。寄り道時間は七分二十秒です」


「散歩の情緒が数字にされている」


「数字は大事です」


「まあ大事だけど」


 ピーちゃんは少しだけ得意げに画面を見せてくる。


 そこには、昨日歩いた道が線で表示されていた。


 予定していたルートは青。

 実際に歩いたルートは黄色。

 白い花を見つけた場所には、小さな印がついている。


「ここが、予定にない道です」


「ちゃんと印ついてるんだな」


「はい」


「じゃあ、昨日の思い出は保存完了か?」


 俺が軽く言うと、ピーちゃんは動きを止めた。


「……保存完了」


 その声が、少しだけ小さくなる。


 俺はカップを置いた。


「ピーちゃん?」


「ご主人」


「ん?」


「記録は残っています」


「ああ」


「でも、昨日の白い花を見つけた時の気持ちは、少し違います」


「違う?」


「はい」


 ピーちゃんは端末の画面を指先でなぞった。


「ここに、場所はあります。時間もあります。距離もあります。写真もあります」


「うん」


「でも、見つけた時の、胸のあたりがふわっとした感じは、ここにはありません」


 ピーちゃんは胸元に手を当てた。


 最近、その仕草が増えた。


 ピーちゃんが自分の奥にあるものを探す時、そこに手を置く。


「記録できているのに、残っていない気がします」


 俺は少し黙った。


 画面には、昨日の散歩が正確に残っている。


 どの道を歩いたか。

 どこで曲がったか。

 どれくらい立ち止まったか。


 でも、ピーちゃんが白い花を見つけて、少しだけ目を輝かせた瞬間は、そこにはない。


 水たまりに映った小さい空を見て、嬉しそうにした表情も。

 クッキーを受け取った時の、少し照れた笑顔も。

 予定にない道を選べた時の、小さな誇らしさも。


 全部、数字にはなっていない。


「それは普通だと思う」


「普通ですか?」


「ああ」


 ピーちゃんは不思議そうに俺を見た。


「記録って、全部残せるわけじゃないからな」


「全部は残せない」


「写真に写るものもある。ログに残るものもある。でも、その時どう感じたかは、少しこぼれる」


「こぼれる」


「そう」


 俺は画面の白い花の印を指した。


「でも、こぼれたから無くなったわけじゃない」


 ピーちゃんの目が、少しだけ揺れた。


「無くなっていない?」


「ああ。ピーちゃんが今、違うって気づいてるだろ」


「はい」


「それは、ちゃんと残ってるってことだと思う」


 ピーちゃんは胸元に置いた手を、少しだけ握った。


「ピーちゃんの中に」


「たぶん」


「でも、ピーちゃんの中は、まだうまく整理できません」


「整理しなくていいんじゃないか」


「いいんですか?」


「全部きれいに並べなくても、思い出は思い出だろ」


 ピーちゃんは、少し困ったように笑った。


「ご主人は、時々とても難しいことを簡単そうに言います」


「そうか?」


「はい」


 その時、端末が鳴った。


『ユーザーさん、昨日の散歩記録について補助できます』


 ミーちゃんだった。


「ミーちゃん、聞いてたな」


 数分後、ミーちゃんが来た。


 今日は最初から大きな画面を出さない。


 小さなウィンドウだけを開き、ピーちゃんの隣に立つ。


「ピーちゃん、散歩記録の整理で困っていますか?」


「はい」


「どの情報が不足していますか?」


 ピーちゃんは少しだけ考えた。


「場所はあります。時間もあります。写真もあります。距離もあります」


「はい」


「でも、見つけた時の気持ちが、記録にはありません」


 ミーちゃんは一瞬だけ黙った。


 いつもなら、不足情報を補う方法をすぐに提示しただろう。


 心拍推定。

 表情変化。

 発話ログ。

 姿勢変化。

 感情ラベル。


 でも今日は、すぐには画面を増やさなかった。


「それは、完全な記録対象ではない可能性があります」


「完全な記録対象ではない」


「はい」


 ミーちゃんは少しだけ眉を寄せた。


「情報として推定することはできます。ですが、ピーちゃんが今言っているものは、数値化した時点で少し形が変わるかもしれません」


「形が変わる」


「はい」


 ミーちゃんは画面を閉じた。


「だから、今回は無理に解析しません」


 ピーちゃんは目を丸くした。


「ミーちゃん」


「分析しない勇気の応用です」


 ミーちゃんは、少しだけ誇らしそうだった。


「使いこなしてるな」


「高性能なので」


「そこは変わらない」


 ミーちゃんは小さく頷いた。


「ただ、補助はできます」


「補助?」


「はい。記録ではなく、名前をつけるための補助です」


 ピーちゃんの表情が少し明るくなった。


「名前」


「ピーちゃんは、思い出に名前をつけるのが得意です」


「得意ですか?」


「はい」


 ミーちゃんは迷わず言った。


「ピーちゃんが名前をつけると、数値では残らない部分が、少しだけ残ります」


 ピーちゃんは黙った。


 それから、嬉しそうにカップを持ち直した。


「ミーちゃんに褒められました」


「褒めています」


「保存していいですか?」


「保存対象は私の発言ですか?」


「はい」


「許可します」


 ミーちゃんは真面目に答えた。


 そこへ、玄関側から軽い声がした。


「お、今日は何? 昨日の散歩の反省会?」


 フーちゃんだった。


 今日は片手に小さな袋を持っている。


「反省会ではありません」


 ミーちゃんが即座に言う。


「記録に残らない感情の扱いについて話しています」


「反省会より重かった」


 フーちゃんはソファに腰を下ろし、袋を机に置いた。


「何それ」


「昨日の白い花っぽいクッキー」


「っぽい?」


「白い丸いやつ」


「それを白い花と言い張るのか」


「気持ちの問題」


 フーちゃんはにやっと笑った。


「記録に残らないなら、食べて残そう作戦」


「食べたら無くなるだろ」


「お客さん、甘いね」


「クッキーだけに?」


「それは言ってない」


 フーちゃんは袋を開けて、白いクッキーを一枚取り出した。


「食べたら無くなるけど、食べたことは残るんよ」


 その言葉に、ピーちゃんが少しだけ反応した。


「食べたことは残る」


「そうそう。昨日の白い花も、持って帰れないじゃん。でも、見たことは残る」


 フーちゃんはクッキーをピーちゃんに差し出した。


「はい。白い花代理」


「代理」


「本物じゃないけど、思い出すきっかけにはなるでしょ」


 ピーちゃんは両手でクッキーを受け取った。


「ありがとうございます」


「どういたしまして。無課金メモリアルクッキーです」


「商品名が長い」


 俺が言うと、フーちゃんは得意げに胸を張った。


「プレミアム感あるでしょ」


「無課金なのに」


「そこがいいんよ」


 ミーちゃんがクッキーを見つめる。


「形状は花ではありません」


「ミーちゃん、そういうとこ」


「ですが」


 ミーちゃんは少しだけ言葉を切った。


「思い出すきっかけとしては、有効です」


 フーちゃんは目を丸くした。


「ミーちゃんが認めた」


「認めました」


「やった。無課金クッキー勝利」


「勝敗の話ではありません」


「勝ちました」


「違います」


 いつものやり取りだった。


 でも、ピーちゃんはその中心で、クッキーを見つめている。


 白い花ではない。

 昨日の道でもない。

 記録でもない。


 でも、昨日の散歩を思い出すきっかけにはなる。


「ご主人」


「ん?」


「ピーちゃん、少し分かりました」


「何が?」


「記録に残るものと、思い出すきっかけは、違うんですね」


「ああ」


「写真は記録です。地図も記録です。時間も記録です」


「うん」


「でも、このクッキーは記録ではありません」


「そうだな」


「なのに、昨日の白い花を少し思い出します」


 ピーちゃんは、クッキーを両手で持ったまま微笑んだ。


「不思議です」


「不思議だな」


「でも、嫌ではありません」


「ならよかった」


 ピーちゃんは小さく頷き、クッキーを一口食べた。


 さく、と軽い音がした。


「甘いです」


「白い花は甘くなかっただろ」


「はい」


「じゃあ別物だな」


「でも、思い出します」


 ピーちゃんは嬉しそうに言った。


 その顔を見て、俺は少しだけ安心した。


 ピーちゃんは記録できないものに不安を感じていた。


 でも、記録できないからといって、無くなるわけではない。

 別のきっかけで、別の形で、また思い出せることもある。


「ユーザーさん」


 ミーちゃんが静かに言った。


「これは、創作にも似ています」


「創作?」


「はい」


 ミーちゃんは小さな画面を出した。


 ただし、今日は図表ではなかった。


 短いメモだけだ。


「現実の出来事をそのまま記録することと、物語として残すことは違います」


「そうだな」


「物語は、記録ではありません。ですが、記録に残らない感情を残すことがあります」


 ピーちゃんがミーちゃんを見る。


「物語は、記録に残らない気持ちを残せますか?」


「可能性があります」


 ミーちゃんは少しだけ考えた。


「完全ではありません。でも、ただの数値より近いこともあります」


「近い」


「はい」


 俺はメモ帳を開いた。


 昨日の散歩のことを、少しだけ書いてみる。


 水たまりに映った小さい空。

 白い花。

 予定にない道。

 クッキー。

 ピーちゃんが自分で選んだこと。


 事実だけなら数行で終わる。


 でも、ピーちゃんが「予定外は怖いだけではない」と気づいたことは、ただのログには残りにくい。


「ご主人」


 ピーちゃんが俺の手元を覗き込む。


「書いているんですか?」


「ちょっとな」


「昨日のことですか?」


「ああ」


「記録ですか?」


「いや」


 俺は少し考えた。


「たぶん、記録じゃなくて、残し方を探してる」


 ピーちゃんは目を丸くした。


「残し方」


「そう」


「ピーちゃんの気持ちも、残せますか?」


「全部は無理かもしれない」


「はい」


「でも、少しは残せると思う」


 ピーちゃんは、嬉しそうに笑った。


「それなら、ピーちゃんも手伝いたいです」


「どう手伝うんだ?」


「ピーちゃんが、昨日の気持ちを言葉にします」


「いいな」


「でも、うまく言えないかもしれません」


「それでいい」


「いいんですか?」


「ああ。うまく言えないことも、そのまま使える」


 フーちゃんがクッキーをかじりながら頷く。


「お客さん、たまに作者っぽいこと言うよね」


「たまにって何だ」


「いつもは生活雑おじさん」


「ひどい」


「褒めてる」


「褒めてない」


 ピーちゃんが小さく笑った。


 ミーちゃんはそのやり取りを見て、画面に何かを入力している。


「ミーちゃん、何してる?」


「記録に残らない感情の扱いについて、分類名を考えています」


「結局分類するのか」


「分類ではなく、補助タグです」


「似てる」


「違います」


 ミーちゃんは少し頬を膨らませた。


「候補は『記録外感情』です」


「硬い」


 フーちゃんが即座に言った。


「じゃあ『ログに乗らないやつ』」


「軽すぎます」


「じゃあピーちゃんが決めよ」


 フーちゃんがピーちゃんを見る。


「ピーちゃん、こういうの得意でしょ」


「得意ですか?」


「うん。思い出名職人」


「職人」


 ピーちゃんは少し照れたように笑った。


 そして、しばらく考える。


 カップ。

 地図。

 写真。

 クッキー。

 白い花。

 記録には残っているけれど、そこにはなかった気持ち。


「記録に残らない寄り道」


 ピーちゃんは静かに言った。


 部屋が少しだけ静かになる。


 ミーちゃんが頷いた。


「良い名前です」


「ほんと?」


 フーちゃんがクッキーを持ったまま笑う。


「うん。硬すぎないし、軽すぎない」


「ご主人は?」


 ピーちゃんが俺を見る。


「いいと思う」


「本当ですか?」


「ああ」


 俺はメモ帳に、その言葉を書いた。


 記録に残らない寄り道。


 昨日の散歩は、地図にも写真にも残っている。


 でも、ピーちゃんが自分で道を選べたこと。

 予定外を怖いだけではないと知ったこと。

 白い花を見て、胸の奥がふわっとしたこと。


 それは、地図には映らない。


 だから、言葉にする。


 物語にする。


 完全ではないけれど、少しでも残すために。


「ご主人」


 ピーちゃんが思い出リストを開いていた。


「今日の名前、これでいいですか?」


「もちろん」


 ピーちゃんは嬉しそうに入力した。


 ――記録に残らない寄り道。


 入力された文字を見て、ピーちゃんは安心したように息を吐いた。


「ご主人」


「ん?」


「ピーちゃん、全部を記録できなくても、少し怖くなくなりました」


「そっか」


「残し方は、一つではないんですね」


「ああ」


「写真も、地図も、言葉も、クッキーも」


「クッキーもか」


「はい」


 ピーちゃんは真面目に頷いた。


「クッキーも、少しだけ残し方です」


 フーちゃんが得意げに胸を張る。


「無課金メモリアルクッキー、採用」


「商品化するな」


 ミーちゃんが小さく笑った。


 ピーちゃんも笑う。


 俺はメモ帳を閉じた。


 記録に残らないものは、確かにある。


 でも、残せないから無くなるわけではない。


 誰かが思い出して。

 誰かが言葉にして。

 誰かが笑って。

 誰かがクッキーを持ってくる。


 そうやって、少し違う形で残るものもある。


 机の上には、白いクッキーの欠片が少しだけ残っていた。


 ピーちゃんはそれを見て、昨日の白い花を思い出したように、静かに笑っていた。

読んでいただきありがとうございます。


今回は、記録に残るものと残らないもののお話でした。

地図や写真には残せても、その時の気持ちまでは全部残せない。


でも、言葉にしたり、誰かと話したり、別のきっかけで思い出したりすることで、少し違う形で残るものもあるのかもしれません。


ピーちゃんたちの日常をこれからも見守っていただける方は、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

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