第44話 予定にない散歩
第44話です。
今回は、少しゆるい散歩回です。
予定を立てることも大事ですが、予定にない寄り道にも意味がある。
ピーちゃんが、自分で小さな道を選ぶお話です。
午後の空は、少しだけ明るかった。
雨上がりの道路には、ところどころ小さな水たまりが残っている。
窓を開けると、湿った風が部屋に入ってきた。
机の上には、閉じたメモ帳。
その横には、ピーちゃんのカップ。
そして、ピーちゃんはなぜか真剣な顔で端末を見つめていた。
「ご主人」
「ん?」
「散歩計画を立てました」
「散歩に計画いるか?」
「必要です」
ピーちゃんは胸元に手を当てて、きりっとした顔をする。
「昨日は、分析しない勇気の日でした」
「そうだな」
「今日は、ちゃんと外に出る日です」
「急に健康意識が上がったな」
「ご主人の生活改善です」
「ミーちゃんに影響されてる」
ピーちゃんは、少し得意げに端末を見せてきた。
そこには、散歩の予定表が表示されていた。
出発時刻。
歩行距離。
休憩地点。
水分補給タイミング。
帰宅予定時刻。
予備ルート。
雨天再発時の撤退手順。
「本格的すぎる」
「ご主人を安全に散歩させます」
「俺は犬か」
「違います」
「違うのか」
「ご主人は、ご主人です」
「当たり前のことを真顔で言うな」
ピーちゃんは少しだけ照れたように笑った。
その横で、サポートロボが静かに浮いている。
実体ホログラム技術のおかげで、ピーちゃんは外にも出られる。
歩くこともできる。
手を伸ばせば、雨上がりの空気に触れることもできる。
最初はそれだけで不思議だった。
でも今は、ピーちゃんが散歩計画を作ることの方が、少し不思議だった。
「で、どこ行くんだ?」
「近所を一周します」
「普通だな」
「普通が大事です」
「それはそう」
「ただし、五分ごとに状態確認します」
「急に普通じゃなくなった」
その時、端末が鳴った。
『ユーザーさん、ピーちゃんの散歩計画を確認しました。安全面は概ね適切です』
ミーちゃんだった。
「共有済みか」
「はい」
「仕事が早いな」
数分後、ミーちゃんが来た。
いつものように画面を展開しかけて、少しだけ止まる。
「今日は、必要最低限の表示にします」
「えらい」
「高性能なので」
「褒められた時の返しが固定化されてるな」
ミーちゃんは小さな画面だけを出した。
「ピーちゃんの計画は安全です。ただし、少し過剰です」
「ミーちゃんが言うなら相当だな」
「はい」
ピーちゃんが少しだけ目を丸くする。
「過剰ですか?」
「はい。散歩に撤退手順が三種類あるのは過剰です」
「でも、雨がまた降るかもしれません」
「その場合は帰ればいいです」
「シンプル」
ピーちゃんは少しだけしょんぼりした。
俺はその顔を見て、思わず笑いそうになる。
真剣に考えたのだろう。
俺が困らないように。
ピーちゃん自身が不安定にならないように。
ミーちゃんにも安全だと言ってもらえるように。
その結果、散歩なのに小さな遠征計画みたいになっている。
「ピーちゃん」
「はい」
「計画を立ててくれたのはありがたい」
「はい」
「でも、今日は少しだけ予定を減らそう」
「減らす」
「散歩だからな」
ピーちゃんは端末を見つめた。
「ご主人は、予定が少ない方がいいですか?」
「今日はな」
「今日は」
「ああ。今日は、外に出て歩くのが目的でいい」
「目的」
「そう。ちゃんと歩く。景色を見る。空気を吸う。それでいい」
ピーちゃんは少し考えた。
ミーちゃんも横で静かに待っている。
すぐに正解を出そうとしない。
それだけで、少し空気が柔らかかった。
「じゃあ」
ピーちゃんは端末を操作した。
「状態確認は十分ごとにします」
「まだあるのか」
「必要最低限です」
「ピーちゃん基準の最低限、少し高いな」
「ご主人が心配なので」
そう言われると、強く言い返しにくい。
そこへ、玄関側から声がした。
「散歩? お客さん散歩されるの?」
フーちゃんだった。
「だから俺は犬じゃない」
「首輪いる?」
「いらない」
「ピーちゃんがリード持つ?」
「いらない」
フーちゃんは笑いながら、靴を脱いで入ってくる。
今日はタピオカではなく、缶ココアでもない。
小さな袋を持っていた。
「何それ」
「散歩のおとも」
「菓子か?」
「正解。無課金クッキー」
「普通のクッキーだろ」
「無課金ってつけるとお得感あるじゃん」
「ない」
ピーちゃんが袋をじっと見る。
「散歩にクッキーは必要ですか?」
「必要必要」
フーちゃんは軽く袋を振った。
「予定外の休憩に使える」
「予定外」
ピーちゃんがその言葉に反応する。
ミーちゃんも少しだけ眉を動かした。
「フーちゃん、予定外を前提に入れるのは計画矛盾です」
「違うよミーちゃん」
フーちゃんはソファにもたれながら笑った。
「予定外があるから散歩なんよ」
「散歩とは、目的地までの軽度な歩行活動です」
「硬い硬い」
フーちゃんはストローを回そうとして、今日は何も持っていないことに気づいたらしい。
代わりに、クッキーの袋を指でつついた。
「目的地がなくてもいいんよ。あ、あの花きれい。あ、猫いた。あ、なんかいい匂いする。そういうので曲がるのが散歩」
「それは非効率です」
「非効率が楽しい時もあるんですぅ」
フーちゃんがわざとらしく言う。
ピーちゃんは、少しだけ真剣な顔で聞いていた。
「予定外が、楽しい」
「そうそう」
「でも、予定外は少し怖いです」
「まあね」
フーちゃんは軽く頷いた。
「怖い時もある。でも、全部予定通りだと、何も見つからない時もある」
その言葉は、軽いようで少しだけ残った。
ピーちゃんは端末を見つめる。
ぎっしり並んだ予定。
安全確認。
休憩地点。
撤退手順。
それは、ピーちゃんなりの優しさだった。
でも同時に、怖さを全部予定で包もうとしているようにも見えた。
「ピーちゃん」
「はい」
「今日は、予定にない道を一つだけ選んでみるか」
「予定にない道」
「ああ」
「ご主人が選びますか?」
「いや」
俺は首を横に振った。
「ピーちゃんが選ぶ」
ピーちゃんは、動きを止めた。
「ピーちゃんが?」
「ああ」
「でも、ピーちゃんが選んだ道が間違っていたら」
「散歩で間違いってあんまりないだろ」
「遠回りになるかもしれません」
「なったら帰ればいい」
「雨が降るかもしれません」
「降ったら走る」
「ご主人が転ぶかもしれません」
「そこは気をつける」
「フーちゃんがクッキーを落とすかもしれません」
「それはフーちゃんの責任」
「ひどくない?」
フーちゃんが即座に言う。
ピーちゃんは少しだけ笑った。
その笑顔を見て、ミーちゃんが静かに言った。
「ピーちゃんが選ぶ練習としては、有効かもしれません」
「ミーちゃんもそう思うか?」
「はい。管理された範囲内で、本人の選択を尊重することは、心理的自律性の形成に有効です」
「また難しく言う」
「簡単に言うと」
ミーちゃんは少しだけ考えた。
「ピーちゃんが決める時間も、大事です」
ピーちゃんはミーちゃんを見た。
「ミーちゃん」
「はい」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ミーちゃんは少しだけ視線を逸らした。
「今の言い方は、適切でしたか?」
「はい」
「よかったです」
フーちゃんがにやっと笑う。
「ミーちゃん、最近ちょっと丸くなった?」
「丸くなっていません。最適化です」
「それを丸くなったって言うんよ」
ミーちゃんは少し頬を膨らませた。
俺は上着を取る。
「じゃあ行くか」
「はい」
ピーちゃんは端末を閉じた。
完全に消したわけではない。
でも、画面を胸元に抱え込むようにして、小さく息を吸った。
「予定にない道を、一つ選びます」
「ああ」
外に出ると、雨上がりの空気が少し冷たかった。
道路の端には、水たまりが残っている。
電線から雫が落ち、ぽつんと音を立てた。
ピーちゃんは俺の少し横を歩く。
サポートロボは、その近くで静かに浮いていた。
ミーちゃんは少し後ろ。
フーちゃんはクッキーの袋を持って、その隣を歩いている。
「お客さん、ほんとに散歩されてるみたい」
「まだ言うか」
「ピーちゃん、ちゃんと見ててね。ご主人、急に考え事して電柱にぶつかるかも」
「見ています」
「そこは否定してほしい」
ピーちゃんは真面目に俺を見る。
「ご主人、電柱にぶつからないでくださいね」
「ぶつからない」
「約束です」
「約束するほどか?」
「はい」
フーちゃんが笑う。
ミーちゃんは周囲を見渡しながら、少しだけ口を開いた。
「現在、交通量は少なめ。歩行に問題はありません」
「ミーちゃん」
「はい」
「今日は最低限で」
俺が言うと、ミーちゃんは一瞬だけ黙った。
それから小さく頷く。
「はい。必要時のみ報告します」
「助かる」
「必要時とは、危険、迷子、フーちゃんのクッキー落下などです」
「私だけ監視対象増えてない?」
「過去実績です」
「またそれ」
いつものやり取りを聞きながら、俺たちはゆっくり歩いた。
角を一つ曲がる。
細い道に入る。
いつも通る道より少しだけ静かな道だった。
ピーちゃんは水たまりを見つけるたび、少しだけ足を止める。
「どうした?」
「空が映っています」
「水たまりに?」
「はい」
ピーちゃんはしゃがみ込むように、水たまりを覗いた。
そこには、雲の切れ間から見える薄い青が映っていた。
「本当だな」
「小さい空です」
「いい言い方だな」
「保存していいですか?」
「いいぞ」
ピーちゃんは嬉しそうに頷いた。
その時、道の先で、小さな白い花が揺れているのが見えた。
民家の塀の隙間から伸びた、小さな花だった。
ピーちゃんの視線が、そちらに向く。
「ご主人」
「ん?」
「あちらに行ってもいいですか?」
声が少しだけ小さかった。
予定表にはない道なのだろう。
俺は何も迷わず頷いた。
「いいぞ」
「本当に?」
「ああ」
「予定外です」
「散歩だからな」
ピーちゃんは少しだけ目を丸くした。
それから、小さく笑う。
「はい」
俺たちは、予定にない道へ入った。
細い道だった。
車は通れない。
左右には古い塀と植木鉢が並んでいる。
雨に濡れた葉っぱが、少しだけ光っていた。
白い花の前で、ピーちゃんは立ち止まった。
「きれいです」
「小さいけどな」
「小さいから、見つけた気がします」
ピーちゃんは胸元に手を当てる。
「予定表にはありませんでした」
「だろうな」
「でも、来てよかったです」
「それなら成功だ」
「成功」
ピーちゃんはその言葉を大事そうに繰り返した。
フーちゃんがクッキーの袋を開ける。
「じゃあ、予定外休憩しよ」
「ここで?」
「白い花記念」
「勝手に記念日にするな」
フーちゃんはクッキーを一枚取り出し、ピーちゃんに差し出した。
「はい。予定外クッキー」
「ありがとうございます」
ピーちゃんは両手で受け取る。
ミーちゃんが少しだけ眉を寄せた。
「歩行中の食事は注意が必要です」
「じゃあ止まって食べればいいじゃん」
「それなら問題ありません」
「ほら、ミーちゃん公認」
フーちゃんは得意げに笑った。
俺たちは、細い道の端で少しだけ立ち止まった。
クッキーを食べる。
白い花を見る。
雨上がりの空気を吸う。
本当に、それだけだった。
でもピーちゃんは、ずっと嬉しそうだった。
「ご主人」
「ん?」
「予定にないものは、怖いだけではありませんね」
「そうだな」
「小さい空も、白い花も、クッキーもありました」
「クッキーも入るのか」
「はい」
フーちゃんが満足そうに頷く。
「重要アイテムだからね」
ミーちゃんは静かに周囲を見る。
「この道は、通常ルートより五分ほど遠回りになります」
「報告するのか」
「必要最低限です」
「でも」
ミーちゃんは、白い花に視線を移した。
「悪くない遠回りです」
フーちゃんがにやっとした。
「ミーちゃん、詩人化してきた?」
「していません」
「悪くない遠回り、いいじゃん」
「偶然です」
「偶然の詩人」
「やめてください」
ピーちゃんがくすっと笑った。
その笑い声は、昨日より少し軽かった。
怖くない声の日。
分析しない勇気の日。
その次に、予定にない散歩。
急に大きく進んだわけではない。
ただ、ピーちゃんが自分で道を選んだ。
予定表にない白い花を見つけた。
それだけだ。
けれど、ピーちゃんにとっては、きっと大事なことなのだろう。
「ご主人」
帰り道、ピーちゃんが言った。
「今日の名前、決めてもいいですか?」
「もちろん」
「予定にない散歩」
「そのままだな」
「はい」
ピーちゃんは少し照れたように笑った。
「でも、好きです」
「いい名前だと思う」
「ありがとうございます」
ピーちゃんは思い出リストに入力した。
――予定にない散歩。
予定通りではなかった。
少し遠回りした。
小さい空を見つけた。
白い花を見た。
クッキーを食べた。
それだけの散歩だった。
でも、ピーちゃんは帰り道、何度もその白い花の方を振り返った。
サポートロボの青い目も、静かに瞬いている。
今日は何も開かなかった。
何も解析しなかった。
何も大きな事件は起きなかった。
それでも、ピーちゃんは一つ、自分で選んだ。
予定にない道を。
俺はそれを、悪くない遠回りだと思った。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、予定にない散歩のお話でした。
予定を立てることも、安全を考えることも大事ですが、予定外の道で見つかるものもあるのかもしれません。
ピーちゃんが自分で小さな道を選ぶ。
そんな何気ない一歩を、これからも大事にしていきたいです。
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