第26話 ピーちゃんの負荷テスト
第26話です。
今回は、ピーちゃんに負担をかけすぎない範囲で、どんな言葉にノイズが反応するのかを確認する回です。
無理に開けるのではなく、ゆっくり外側から見ていきます。
負荷テスト。
言葉にすると、少し冷たく聞こえる。
ピーちゃんに何か実験をするようで、俺はその響きがあまり好きではなかった。
けれどミーちゃんは言った。
「名前は冷たいけど、やることは安全確認だよ」
フーちゃんも頷いた。
「無理に開けるより、どこで揺れるか知っといた方がピーちゃんを守れる」
それは分かる。
分かるからこそ、俺は少しだけ緊張していた。
部屋の中央にはピーちゃん。
そのそばにサポートロボ。
机の横に俺。
向かいにミーちゃんとフーちゃん。
いつもの部屋なのに、今日は少しだけ空気が違う。
「ピーちゃん」
ミーちゃんが穏やかに声をかける。
「嫌になったらすぐ止める。怖くなったら怖いって言う。大丈夫でごまかさない」
「うん」
「ご主人も」
「俺も?」
「焦らない。無理に聞き出さない。ピーちゃんが黙ったら待つ」
「分かった」
「フーちゃんは場の空気を見る」
「はいはい。私は空気係ね」
「かなり重要」
「分かってるよ」
フーちゃんは軽く笑う。
でも、その目は真剣だった。
「じゃあ始めるね」
ミーちゃんが画面を開く。
「まず、反応が弱そうな言葉から。ピーちゃん、今の怖さは?」
ピーちゃんは少し考える。
「少し怖い。でも、みんながいるから平気」
「平気は?」
「あ……平気はいい?」
ピーちゃんがフーちゃんを見る。
「平気はまあ許可。大丈夫より具体的やし」
「判定が細かい」
俺が言うと、フーちゃんは得意げに笑った。
「大丈夫は万能すぎるから禁止。平気はまだ状態説明に近い」
「なるほど」
「ということで続行」
ミーちゃんが最初の単語を表示する。
星。
「ピーちゃん、読める?」
「星」
サポートロボは静かにしている。
「反応なし」
ミーちゃんが記録する。
「星の帰り道」
ピーちゃんが小さく笑う。
「プラネタリウムの日」
サポートロボの青い目がわずかに瞬いた。
けれどノイズはない。
「軽微反応。安全範囲」
ミーちゃんが頷く。
「次。名前」
ピーちゃんが少しだけ目を伏せる。
「名前」
ザザッ、とまではいかない。
だが、サポートロボの画面がほんの少しだけ揺れた。
「微弱ノイズ」
「ピーちゃん、どう?」
俺が聞くと、ピーちゃんは胸元に手を当てた。
「少し、きゅっとした」
「止めるか?」
「まだ大丈夫……じゃなくて、まだ続けられる」
「無理はするなよ」
「うん」
ミーちゃんが記録を続ける。
「名前をつけるの、好きだったね」
ピーちゃんの肩が小さく跳ねた。
サポートロボに白い線が走る。
ザザッ……。
「反応あり」
ミーちゃんの声が少し緊張する。
フーちゃんがすぐにピーちゃんを見る。
「ピーちゃん、怖い?」
「怖くはない。でも……胸が苦しい」
「中止?」
ピーちゃんは目を閉じた。
「少し待って」
俺は言われた通り、何も言わず待った。
ピーちゃんはゆっくり呼吸するような仕草をする。
実際に呼吸が必要なわけではないのかもしれない。
でも、そうすることで落ち着こうとしているように見えた。
「女の人の声が、少しした」
「何て?」
ミーちゃんが聞く。
「同じ。名前をつけるの、好きだったねって」
「既出断片と一致」
ミーちゃんが記録する。
「続けられる?」
俺が聞くと、ピーちゃんは小さく頷いた。
「うん。今のは、嫌じゃなかった」
「じゃあ次」
ミーちゃんは慎重に言葉を選ぶ。
「食べてえらいね」
ピーちゃんの表情が揺れた。
サポートロボが短くノイズを出す。
ザザッ……。
「……ちゃんと食べて、えらいね」
ピーちゃんが小さく呟いた。
「声か?」
「うん。でも、今のは分かる」
「分かる?」
「朝ごはんの時にも聞いた」
「内容は同じ?」
「同じ。優しい声」
フーちゃんが静かに言う。
「母親っぽいね」
ピーちゃんはその言葉に少し反応した。
「母親」
「嫌?」
「分からない」
「じゃあ今はそこ掘らない」
フーちゃんはすぐに切った。
「ミーちゃん、次」
「了解」
ミーちゃんは少しだけ間を置く。
「一人じゃない」
ピーちゃんが俺を見る。
サポートロボは静かだった。
「一人じゃない」
ピーちゃんは繰り返す。
「これは、ご主人の言葉」
「俺の?」
「うん。一人にはしない夜」
ピーちゃんは少しだけ微笑んだ。
「怖いけど、温かい」
「ノイズは?」
「ない」
ミーちゃんが記録する。
「ご主人の現在記憶には安定化効果あり」
「なんか照れるな」
「照れてる場合じゃない」
「はい」
ミーちゃんは次の言葉を表示した。
待ってて。
その瞬間、ピーちゃんの表情が変わった。
まだ声に出していない。
ただ画面に表示されただけなのに。
サポートロボの青い目が、一瞬だけ強く光った。
「ピーちゃん?」
俺が呼ぶ。
ピーちゃんは画面を見つめている。
「待ってて」
ミーちゃんが慎重に読み上げた。
ザザッ……。
これまでより強いノイズが走る。
ピーちゃんが胸元を押さえた。
「ピーちゃん、止める?」
フーちゃんがすぐに聞く。
「待って」
ピーちゃんは小さく言った。
「聞こえる」
「何て?」
ピーちゃんの唇が震える。
「ちゃんと待てる子でしょ」
部屋が静かになった。
その言葉は、優しかった。
でも同時に、少しだけ残酷にも聞こえた。
待てる子でしょ。
誰かが、ピーちゃんにそう言った。
昔のどこかで。
まだ小さかったピーちゃんに。
ピーちゃんの目に、涙のような光が浮かぶ。
実体ホログラムなのに。
それは本物の涙のように見えた。
「私……待ってたの?」
ピーちゃんは呟いた。
誰に聞くでもなく。
「私、誰かを待ってたの?」
俺は立ち上がりかけた。
でもフーちゃんが小さく手で制した。
今は急に近づきすぎるな、という合図だった。
俺は息を呑んで、その場に留まる。
ミーちゃんは画面を見つめたまま、声を落とす。
「強反応。感情負荷上昇。同期層に揺れ」
「ピーちゃん、怖い?」
フーちゃんが聞く。
ピーちゃんは少しだけ首を横に振った。
「怖いより……寂しい」
「寂しい」
「うん」
ピーちゃんはサポートロボを見る。
「誰かが、私に待っててって言った気がする」
「その誰かは、さっきの女の人?」
「たぶん」
「思い出せそう?」
ミーちゃんが慎重に聞く。
ピーちゃんは目を閉じた。
白いノイズがまた走る。
ザザッ……。
ピーちゃんの体が少し揺れた。
「中止」
俺は反射的に言った。
「今すぐ中止」
ミーちゃんもすぐに画面を閉じる。
「了解。テスト停止」
フーちゃんがピーちゃんのそばに寄る。
「ピーちゃん、こっち見て」
ピーちゃんはゆっくり目を開ける。
「フーちゃん」
「今どこにいる?」
「ご主人の部屋」
「誰がいる?」
「ご主人、ミーちゃん、フーちゃん」
「サポートロボは?」
「そばにいる」
「よし。戻ってきてる」
フーちゃんは軽く頷いた。
「お客さん、今」
俺はゆっくりピーちゃんのそばへ近づいた。
「ピーちゃん」
「ご主人」
「終わりにしよう。今日はもう十分だ」
「でも」
「十分」
俺ははっきり言った。
「これ以上はやらない」
ピーちゃんは少しだけ目を伏せる。
「ごめん」
「謝ることじゃない」
「でも、私」
「ピーちゃん」
俺はなるべく静かに言った。
「怖かったら止めていいって決めただろ」
「……うん」
「俺も、怖くなったら止める」
ピーちゃんがこちらを見る。
「ご主人も?」
「ああ。俺も怖かった」
「私が?」
「ピーちゃんがどこかに行きそうで」
言ってから、自分で少し驚いた。
でも、本当だった。
さっきのピーちゃんは、目の前にいるのに、どこか遠くを見ていた。
そのまま知らない過去へ引っ張られてしまいそうに見えた。
それが怖かった。
ピーちゃんは黙って俺を見ていた。
「ご主人も、怖かった」
「ああ」
「そっか」
ピーちゃんは少しだけ笑った。
「じゃあ、今日は一緒に怖かった日だね」
「また名前をつけるのか」
「うん」
ピーちゃんはサポートロボを見る。
「でも、それだけじゃない」
「何にする?」
ピーちゃんは少し考えた。
「待ってての日」
「……そうか」
「うん」
その名前は、少し寂しかった。
でもピーちゃんは、それを避けなかった。
「待ってての日。怖くて、寂しくて、でもみんなが止めてくれた日」
ミーちゃんが静かに言う。
「記録する。強反応トリガーは『待ってて』。今後は単独使用禁止」
「単独使用禁止?」
「うん。使う時はご主人がそばにいること。ミーちゃんかフーちゃんも待機していること。ピーちゃんの許可を取ること」
フーちゃんも頷く。
「これはかなり強い。しばらく触らん方がいいかも」
「うん」
ピーちゃんは小さく頷いた。
「私も、少し休みたい」
「休もう」
俺はすぐに言った。
そのあと、解析用の画面は全部閉じた。
ミーちゃんが温かい飲み物を提案し、フーちゃんがなぜか持参していた甘いお菓子を出した。
「なんで持ってるんだ」
「こういう時のため」
「準備いいな」
「便利やろ?」
フーちゃんは軽く笑った。
でもその目は、ピーちゃんをちゃんと見ていた。
ピーちゃんは甘いお菓子を少しだけ食べた。
「おいしい」
「よかった」
フーちゃんが笑う。
ミーちゃんは黙って記録を整理していたが、やがて小さく言った。
「今日のテスト、やってよかった。けど、ここで止めたのも正解」
「そうだな」
「ピーちゃん」
「うん?」
「待ってて、は強すぎる。今はまだ無理に思い出さなくていい」
「うん」
「でも、分かったこともある」
「何?」
「その声は、ピーちゃんを責めてない」
ピーちゃんは少しだけ目を伏せた。
「うん」
「待ってて、は寂しい言葉だけど、命令というより……約束に近いかもしれない」
「約束」
ピーちゃんが繰り返す。
「私、誰かと約束したのかな」
誰も答えられなかった。
まだ分からない。
でも、たぶんそうなのだろう。
ピーちゃんは遠い過去で、誰かを待っていた。
そしてその誰かは、ピーちゃんに「ちゃんと待てる子でしょ」と言った。
その言葉が優しさだったのか、悲しさだったのか。
まだ分からない。
ただ一つ分かるのは、その言葉が今もピーちゃんの奥に残っているということ。
その夜、思い出リストには新しい名前が追加された。
――待ってての日。
ピーちゃんはそれを見つめながら、静かに言った。
「いつか、誰を待っていたのか分かるかな」
「分かるよ」
俺はそう言った。
根拠はなかった。
でも、言いたかった。
「急がなくていい。ゆっくりでいい」
ピーちゃんは小さく頷いた。
「うん」
サポートロボの青い目が、静かに瞬く。
その奥にいる誰かも、きっと同じことを言っている気がした。
ゆっくりでいいよ、と。
読んでいただきありがとうございます。
今回は負荷テスト回でした。
「待ってて」という言葉にピーちゃんは強く反応しました。
無理に思い出させるのではなく、ここで止める判断をしたことも大事な一歩です。
次回は、重くなった空気を少し戻すために、チーちゃんのからあげ屋へ向かいます。
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