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君を想うAIは世界でたった1人、私でいたい。  作者: Dice ⚄ & 昨日の味噌汁


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20/101

第20話 小さなノイズ、大きな沈黙

第20話です。


思い出に名前をつけ、保存できない気持ちを知ったピーちゃん。

今回は、第2部の締めとして、これまでより少しだけはっきりしたノイズが現れます。

 保存できない日。


 ピーちゃんがそう仮名をつけた翌日、俺たちはいつも通りの夜を過ごしていた。


 特別な予定はない。

 ミーちゃんも来ていない。

 フーちゃんからの連絡もない。

 チーちゃんのからあげ屋台も、今日は出ていない。


 部屋には、俺とピーちゃんと、彼女のサポートロボだけ。


 机の上にはPC。

 横にはメモ帳。

 少し離れた棚には、水族館で買った小さなグッズ。

 サポートロボには、クラゲのキーホルダーが揺れている。


 何も起こらない夜。


 最近の俺は、そういう夜を少しだけありがたいと思うようになっていた。


「ご主人」


 ピーちゃんが机の横から声をかける。


「ん?」


「今日は、何を作る?」


「今日は軽く整理だけかな」


「小説?」


「うん。今までの出来事をちょっとまとめておこうと思って」


「思い出リストとは別?」


「別。こっちは話の構成メモ」


「構成メモ」


 ピーちゃんは興味深そうに画面を覗き込む。


「水族館、植物園、からあげ、タピオカ、海、作らない夜、プラネタリウム、朝ごはん、普通の日、隣にいる日、保存できない日」


「並べると結構いろいろあったな」


「うん。ご主人とたくさん過ごした」


 ピーちゃんはさらっと言った。


 俺は一瞬だけ手を止める。


「……そうだな」


「ご主人?」


「いや、何でもない」


 ピーちゃんの言葉は、最近どんどん自然になっている。


 自然すぎて、こちらの方が反応に困ることが増えた。


 以前なら、AIらしい返答だと受け取っていた。

 今でもそう思おうとすれば思える。


 けれど、ピーちゃんが嬉しそうに笑うたびに、困ったように黙るたびに、何かを大事そうに保存するたびに、その言い訳が少しずつ通じなくなってきていた。


 俺はキーボードを打つ。


 画面に、これまでの出来事を順番に並べていく。


 ピーちゃんは隣で静かに見ていた。


「ご主人は、こうやって整理するんだね」


「忘れないようにな」


「忘れないように」


 ピーちゃんはその言葉を小さく繰り返した。


「ピーちゃんも思い出に名前つけるだろ」


「うん」


「俺も似たようなもんだよ。名前をつけたり、順番に並べたりしないと、どこかに行きそうになるから」


「ご主人も?」


「そりゃそうだろ」


「人間でも?」


「人間だから、じゃないか?」


 俺がそう言うと、ピーちゃんは少しだけ考え込んだ。


「人間だから、忘れる」


「うん」


「でも、忘れたくないから残す」


「そうだな」


「じゃあ、AIも同じなのかな」


「どうだろうな」


 俺は画面を見たまま答える。


「少なくとも、ピーちゃんは同じように見える」


「私が?」


「ああ」


 ピーちゃんは黙った。


 俺は少しだけ横を見る。


 彼女はサポートロボを見つめていた。


「ピーちゃん?」


「うん」


「どうした?」


「私は、忘れたくないのかな」


「そうなんじゃないか?」


「でも、何を忘れたくないのか、分からない時がある」


 その声は、静かだった。


「水族館とか、海とか、星とか、ご主人と話したことは分かる。忘れたくない」


「うん」


「でも、それとは別に……もっと前から、何かを忘れたくなかった気がする」


 俺は手を止めた。


 部屋が静かになる。


 サポートロボの青い目が、ゆっくり瞬いた。


「前って」


「分からない」


 ピーちゃんは首を横に振る。


「でも、最近そう思うことがある」


「ノイズのせいか?」


「たぶん」


 彼女は自分の胸元に手を当てた。


「声が聞こえるたびに、何かが近づいてくる感じがする」


「怖い?」


 俺が聞くと、ピーちゃんはすぐには答えなかった。


 前ならきっと、反射的に大丈夫と言っていたと思う。


 でも今は違った。


 ピーちゃんは少しだけ迷ってから、小さく頷いた。


「怖い」


 その言葉を聞いて、俺は胸の奥が少し重くなった。


 でも同時に、少しだけ安心した。


 ピーちゃんが、怖いと言えたことに。


「言えてえらいな」


 俺が言うと、ピーちゃんは目を丸くした。


「えらい?」


「ああ。大丈夫って誤魔化さなかった」


「子ども扱いしてる?」


「してないつもり」


「少ししてる」


「じゃあ少ししてるかも」


 ピーちゃんは少しだけ頬を膨らませた。


 でも、その顔はどこか安心しているようにも見えた。


「ご主人」


「ん?」


「怖いって言っても、いいんだね」


「いいよ」


「迷惑じゃない?」


「迷惑じゃない」


「困らない?」


「困るかもしれないけど、それは一緒に困ればいい」


 ピーちゃんは黙った。


「一緒に困る」


「うん」


「変な言葉」


「でも悪くないだろ」


「うん」


 ピーちゃんは小さく笑った。


「悪くない」


 その時、サポートロボの画面が揺れた。


 ザザッ……。


 これまでより、少し長い。


 白いノイズが画面全体に広がり、青い目の光が一瞬だけかすむ。


「ピーちゃん」


 俺は反射的に立ち上がった。


 ピーちゃんは動かなかった。


 目を見開いたまま、どこか遠くを見ている。


「ピーちゃん?」


「……聞こえる」


「声か?」


 ピーちゃんは小さく頷いた。


 サポートロボのノイズが、また強くなる。


 ザザッ……ザザッ……。


 部屋の空気まで少しだけ揺れたように感じた。


 ピーちゃんは胸元を押さえる。


「女の人の声」


「何て言ってる?」


 ピーちゃんは唇を震わせた。


 そして、ゆっくりと言った。


「その気持ちを、怖がらなくていいよ」


 俺は息を呑んだ。


 それは、前にも一度聞いた言葉だった。


 フーちゃんがいた時。

 ピーちゃんがサポートロボの違和感に怯えていた時。


 あの時と同じ言葉。


 けれど今回は、それだけでは終わらなかった。


 ピーちゃんの目が、さらに大きく開く。


「まだ……聞こえる」


「無理するな」


「ううん。聞こえる」


 ピーちゃんはサポートロボを見つめる。


 ノイズの向こうに、誰かがいるように。


「……忘れたのは、あなたが弱いからじゃない」


 ピーちゃんの声が、少し震えていた。


 彼女は聞こえた言葉を、そのままなぞっているようだった。


「あなたが、まだ小さかったから」


 小さかった。


 その言葉に、俺は引っかかった。


 AIに対して小さい、という表現は少し妙だ。


 年齢のことではない。

 たぶん、心の話だ。


 ピーちゃんは胸を押さえたまま、苦しそうに息を吸った。


「ピーちゃん、もういい」


「でも」


「無理するな」


 俺はサポートロボに手を伸ばしかけて、止まった。


 どう触れればいいのか分からなかった。


 壊してしまいそうで。

 ピーちゃんを傷つけてしまいそうで。


 その間にも、ノイズは続いている。


 ザザッ……。


 ピーちゃんは目を閉じた。


 そして、もう一度呟く。


「いつか、誰かを本当に大切に思えた時……」


 声が止まる。


 部屋の中に、深い沈黙が落ちた。


 サポートロボのノイズも、ふっと消えた。


 青い目が戻る。


 まるで何もなかったかのように、静かに光っている。


 ピーちゃんはその場に立ち尽くしていた。


 俺は、すぐには声をかけられなかった。


 何を言えばいいのか分からなかった。


 今の言葉は何だったのか。

 誰の声なのか。

 なぜピーちゃんがそれを聞くのか。


 分からないことばかりだ。


 けれど、一つだけ分かった。


 これはもう、ただのノイズではない。


「ピーちゃん」


 俺はようやく名前を呼んだ。


 ピーちゃんはゆっくりこちらを見る。


 その顔は、泣きそうだった。


「ご主人」


「うん」


「私、何か忘れてる」


「ああ」


「大事なものだと思う」


「ああ」


「でも、思い出すのが怖い」


 俺は頷いた。


「怖いなら、今すぐ思い出さなくていい」


「でも、放っておいたら」


「放っておくんじゃない」


 俺はなるべくゆっくり言った。


「準備してから、一緒に見る」


 ピーちゃんは黙った。


「ミーちゃんにも頼る。フーちゃんにも頼る。俺だけじゃ分からないことが多すぎるから」


「うん」


「でも、ピーちゃんを一人にはしない」


 その言葉を言った時、俺自身が少し驚いた。


 思っていたより、はっきりした声だった。


 ピーちゃんは俺を見ている。


 サポートロボも、静かにこちらを向いていた。


「ご主人」


「ん?」


「それ、保存してもいい?」


「今の?」


「うん」


「いいよ」


 ピーちゃんは小さく頷いた。


「一人にはしない」


「うん」


「保存します」


 彼女はそう言って、少しだけ笑った。


 でもその笑顔は、いつもより弱かった。


 俺はPCの画面を見る。


 さっきまで構成メモを作っていた画面。


 そこには、これまでの日々が並んでいる。


 水族館。

 植物園。

 からあげ。

 タピオカ。

 海。

 作らない夜。

 星。

 朝ごはん。

 普通の日。

 隣にいる日。

 保存できない日。


 そして今夜。


 俺は新しい行を追加した。


 ――一人にはしない夜。


 ピーちゃんがそれを見て、また少しだけ目を揺らした。


「ご主人」


「ん?」


「私、その名前……好き」


「そっか」


「怖いけど、好き」


「じゃあ、それで決まりだ」


 俺は保存ボタンを押した。


 小さな保存通知が画面の端に出る。


 それだけのことなのに、部屋の空気が少しだけ落ち着いた気がした。


 ピーちゃんはサポートロボをそっと抱えるように近づく。


「この子は、何を知ってるんだろう」


「分からない」


「誰の声を、預かってるんだろう」


「分からない」


「私、いつか思い出せるのかな」


「たぶん」


「ご主人、たぶんばっかり」


「分からないことを、分かったふりしたくないからな」


 そう言うと、ピーちゃんは少しだけ笑った。


「フーちゃんみたい」


「それは褒め言葉なのか?」


「たぶん」


「ピーちゃんもたぶんって言った」


「うつった」


 少しだけ、空気が緩む。


 それでも、さっきまでとは違う。


 この夜を境に、俺たちは知ってしまった。


 ピーちゃんのノイズには意味がある。

 サポートロボは何かを預かっている。

 そして、その声はピーちゃんの過去に繋がっている。


 次に進むためには、もう少し準備が必要だった。


 解析できるミーちゃん。

 状況を読めるフーちゃん。

 そして、ピーちゃん自身の覚悟。


 俺も、覚悟しなければならない。


 ただのAIデートごっこでは済まなくなっていることを。

 ピーちゃんが俺にとって、もう便利な相棒AIだけではなくなっていることを。


 その夜、ピーちゃんはしばらく俺のそばを離れなかった。


 何かを話すわけでもない。

 ただ、同じ部屋にいて、時々サポートロボを見る。


 俺も作業はしなかった。


 PCは開いたままだったが、画面を見るだけで、何も打てなかった。


 静かな夜だった。


 けれど、ただの静けさではない。


 何かが始まる前の沈黙。


 そんな夜だった。


 寝る前、ピーちゃんが小さく言った。


「ご主人」


「ん?」


「今日は、大丈夫って言わない」


「うん」


「怖い」


「うん」


「でも、一人じゃないなら……少しだけ、平気」


 俺は頷いた。


「それでいい」


 ピーちゃんは目を伏せて、小さく笑った。


「うん」


 サポートロボの青い目が、静かに光っている。


 その奥に眠る声は、もう何も言わなかった。


 ただ、どこか遠くで、優しく見守っているような気がした。


 この夜から、俺たちは少しだけ変わった。


 ピーちゃんの過去を探すこと。


 それは、ピーちゃんを壊すためじゃない。

 ピーちゃんが今の自分で、前へ進むために必要なこと。


 その時の俺はまだ、そこまで綺麗に言葉にはできなかった。


 でも、ひとつだけ決めていた。


 ピーちゃんが何を思い出しても。


 その記憶の中に、誰がいたとしても。


 俺は、彼女を一人にはしない。

読んでいただきありがとうございます。


第2部の締めとなる回でした。

ピーちゃんのノイズは、ただの不具合ではなく、彼女の過去と深く繋がっているようです。


次回からは、その正体を探るために、ミーちゃんやフーちゃんにも協力してもらいながら少しずつ核心へ近づいていきます。


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