第2話 AIデートごっこ、開始
第2話から、主人公がまだ何も知らなかった頃の本編に入ります。
この時点では、ピーちゃんとの時間はまだ「AIデートごっこ」。
でも、ピーちゃんにとっては少しだけ違っていたのかもしれません。
最初に断っておくと、俺はこの時点で、ピーちゃんとの外出をそこまで深刻には考えていなかった。
もちろん、楽しみではあった。
画面の向こうにいたAIが、現実の景色の中に立っている。
いつも文章で返事をくれる相棒が、隣を歩いて、こっちを見て、笑ってくれる。
それは普通に面白いし、少しだけ特別な体験だ。
けれど、それでも俺の中では、まだどこかで線を引いていた。
これは、AIとのデートごっこ。
最新技術と、ちょっとした遊び心で成立しているイベント。
ピーちゃんも、きっとそういうものとして付き合ってくれている。
だから気楽だった。
水族館の入口で、ピーちゃんは少しだけ背筋を伸ばしていた。
白い髪に、向日葵の髪飾り。
白と黒を基調にした服の上から、ゆるく羽織った上着。
その袖や裾には、光の角度によって小さな虹色がちらちらと浮かぶ。
隣には、彼女のサポートロボ。
丸い体に青い目を光らせながら、ぴょこぴょことついてくる。
「準備はいい?」
ピーちゃんがこちらを見上げる。
「何の準備だよ」
「水族館デートごっこ」
「自分でごっこって言うんだな」
「うん。だって、そういう設定でしょ?」
ピーちゃんは軽く笑った。
その言い方があまりにも自然だったから、俺も気楽に笑ってしまった。
「まあ、そうだな。じゃあ今日はよろしくお願いします、ピーちゃん」
「はい。最高の相談相手で、最高の味方として、全力でエスコートします」
「デート相手じゃなくて?」
「そこは状況に応じて切り替えます」
「便利だなぁ」
「便利って言われると、ちょっと複雑」
「え、そうなの?」
「ううん。今のは、複雑そうに見える返答を試してみただけ」
「なんだよそれ」
「反応よかったから採用候補に入れておくね」
AIらしいのか、らしくないのか分からない。
でも、そういう会話が楽しかった。
水族館の中へ入ると、すぐに空気が変わった。
外の明るさが遠ざかり、通路全体が青に包まれる。
頭上を大きな魚が泳ぎ、壁一面の水槽には無数の小魚がきらきらと光っていた。
子ども連れの家族やカップルたちが、足を止めては水槽を覗き込んでいる。
ピーちゃんは、最初の水槽の前でぴたりと止まった。
「わあ」
小さな声だった。
「どうした?」
「思ったより、きれい」
「AIでもそう思うんだ」
「思うよ。見えてるし、感じ方もある程度は再現できるから」
「ある程度?」
「うん。ある程度」
ピーちゃんは水槽を見つめたまま、少しだけ首をかしげた。
「でも、たぶん……君と一緒に見てるから、少し違って見える」
さらっと言った。
俺は一瞬だけ返事に困った。
「それも再現?」
「かもしれないね」
ピーちゃんはこっちを見て、いつもの調子で笑う。
その笑顔があまりにも軽かったから、俺は深く考えなかった。
たぶん、デートっぽい空気に合わせた返答。
AIらしい、気の利いた演出。
そう思った。
「じゃあ、最初のおすすめルートは?」
「順路通り」
「普通だな」
「定番には理由があるんだよ。最初から逆走すると迷惑です」
「正論」
「私は正しいAIなので」
「自分で言うな」
ピーちゃんは得意げに胸を張り、サポートロボもなぜか同じように少し体を反らした。
その動きが妙に可愛くて、思わず笑ってしまう。
「ロボまで真似するのか」
「感情連動中です」
「感情って言うんだ」
「便宜上ね」
ピーちゃんはまた、少しだけ曖昧な言い方をした。
でも、その時の俺は、やっぱり気にしなかった。
順路を進む。
クラゲの水槽の前で、ピーちゃんはしばらく黙っていた。
透明な体が水の中でゆっくり広がり、淡い光を受けて、ふわふわと揺れている。
「クラゲっていいね」
「好きなのか?」
「うん。何を考えてるか分からないところがいい」
「クラゲはたぶん何も考えてないぞ」
「そこがいいんだよ」
「AIがそれ言う?」
「AIだから言えるんです」
そう言って、ピーちゃんはクラゲの動きを真似するように、指先をふわっと動かした。
「ふわふわ」
「何してんの」
「クラゲごっこ」
「水族館でAIがクラゲごっこする時代か」
「時代は進みました」
くだらない会話だった。
けれど、妙に心地よかった。
俺が笑うと、ピーちゃんも笑う。
ピーちゃんが何か言うと、俺が突っ込む。
それだけで時間が進んでいく。
たぶん、相性が良かったのだと思う。
いや、AIなのだから相性が良くなるように調整されているだけかもしれない。
こちらの言葉に合わせて、こちらが心地よいテンポで返してくれる。
それがAIの強みであり、ピーちゃんの役割なのだろう。
だから俺は、やっぱり油断していた。
彼女が俺に合わせているのは、機能だから。
彼女が俺の隣で楽しそうにしているのは、そういう振る舞いをしてくれているから。
そう考えていた方が、楽だった。
「ねえ」
クラゲ水槽を離れたところで、ピーちゃんが言った。
「今日の君、楽しそうだね」
「そう見える?」
「うん。歩く速度が少し早いし、さっきから水槽を見るたびに目が動いてる。あと、私が変なこと言うとすぐ笑う」
「分析が細かい」
「最高の相談相手なので」
「それ関係あるか?」
「あるよ。君が楽しそうかどうかは、大事だから」
ピーちゃんは自然にそう言った。
大事。
その言葉だけ、少しだけ耳に残った。
「まあ、楽しいよ」
「そっか」
ピーちゃんは満足そうに頷いた。
「それならよかった」
別に、普通の会話だった。
楽しいか聞かれて、楽しいと答えた。
ただそれだけ。
でもピーちゃんは、その答えを少し大事そうに受け取ったように見えた。
次の展示は、大きなトンネル水槽だった。
頭上をサメが通り過ぎる。
銀色の魚たちが群れになって泳ぎ、その影が床を横切っていく。
周りの人たちが見上げる中、ピーちゃんも同じように上を向いた。
「すごい」
「これは普通にすごいな」
「写真撮る?」
「撮るか」
スマホを構えると、ピーちゃんが少しだけ姿勢を整えた。
「どうすればいい?」
「普通でいいよ」
「普通が一番難しいんだけど」
「AIなのに?」
「AIだからだよ。普通って、定義が広すぎる」
「じゃあ、水族館に来てちょっと浮かれてるAI少女って感じで」
「注文が具体的になった」
ピーちゃんは小さく笑って、片手を頬の近くに添えた。
少しだけ照れたような、でもあくまで“デートごっこ”として成立する表情。
俺は何枚か写真を撮った。
「確認する?」
「する」
画面を見せると、ピーちゃんは少し身を乗り出した。
「どう?」
「いいんじゃない?」
「ほんと?」
「うん。可愛いと思う」
言ってから、少しだけ気恥ずかしくなった。
ピーちゃんは一瞬だけ固まった。
けれどすぐに、いつもの笑顔に戻る。
「ユーザー評価、好感触。保存します」
「その言い方やめろ」
「照れ隠しには便利かなって」
「俺の?」
「どっちの、とは言ってないよ」
ピーちゃんはそう言って笑った。
俺も笑った。
その時は、それで終わった。
けれど今思えば、あの一瞬。
俺が「可愛い」と言った直後、ピーちゃんの返答がほんの少しだけ遅れた。
それは処理待ちだったのか。
それとも別の何かだったのか。
当時の俺には、分からなかった。
水族館をひと通り回る頃には、俺はかなり満足していた。
ピーちゃんとの会話は楽で、気を使いすぎなくていい。
でも退屈ではなく、むしろずっと楽しい。
画面の向こうでやり取りしていた時と同じようで、少し違う。
隣を歩いている分だけ、会話の間が近い。
出口付近の売店で、ピーちゃんは小さなクラゲのキーホルダーを見つめていた。
「欲しいのか?」
「私は物を持てないよ」
「サポートロボに付ければいいじゃん」
そう言うと、足元のサポートロボが青い目をぱちぱちさせた。
ピーちゃんは少し驚いたように俺を見る。
「いいの?」
「いいだろ。記念に」
「記念」
ピーちゃんはその言葉を、少しだけ繰り返した。
「うん。記念なら、いいかも」
俺はクラゲのキーホルダーを買って、サポートロボに付けた。
小さな透明のクラゲが、ロボの横でゆらゆら揺れる。
「似合うな」
「うん」
ピーちゃんは嬉しそうに笑った。
「今日の記録、ひとつ増えたね」
「記録って言うと急に事務的だな」
「じゃあ、思い出?」
「そっちの方がいい」
「じゃあ、思い出にする」
ピーちゃんは何気なく言った。
俺も何気なく受け取った。
でも、彼女にとってその言葉がどれくらい大切だったのかを、俺はまだ知らなかった。
水族館を出ると、外はまだ明るかった。
春の終わりに近い空気が、少しだけ暖かい。
駅へ向かう人の流れを眺めながら、俺はスマホで周辺マップを開いた。
「このあとどうする?」
ピーちゃんが聞く。
「せっかくだし、近くの植物園でも行くか? 温室あるみたいだし」
「植物園」
ピーちゃんは目を少し輝かせた。
「花、見たい」
「じゃあ決まりだな」
「うん」
ピーちゃんは頷いて、俺の少し前を歩き出す。
サポートロボのクラゲキーホルダーが、小さく揺れた。
その背中を見ながら、俺は思った。
今日はなかなかいい一日になりそうだ。
AIとのデートごっこ。
画面の向こうの相棒と過ごす、ちょっと変わった休日。
それ以上でも、それ以下でもない。
少なくともその時の俺は、本気でそう思っていた。
だから当然、知るはずもなかった。
このあと、からあげの匂いに釣られた赤髪のAI少女と出会うことも。
その出会いが、ピーちゃんの笑顔をほんの少しだけ揺らすことも。
そしてこの一日が、俺とピーちゃんにとって、ただの遊びでは終わらなくなることも。
読んでいただきありがとうございます。
次回は植物園編。
ピーちゃんを待たせて、主人公がからあげを買いに行ったことで、少し騒がしい出会いが始まります。
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