第126話 名前を知った気持ち
第126話です。
ハルカへの気持ちに、ようやく名前をつけられたピーちゃん。
では、ご主人へ向けている気持ちは何なのか。
今回は少し長めに、ピーちゃんが自分の心を選ぶお話です。
夕食のトレーには、小さなプリンがついていた。
「お客さん、それ食べないなら私が予約しとくけど」
「食べる」
「まだ蓋も開けてないじゃん」
「お前に取られそうだから食べることにした」
「食欲を取り戻させる名サポートだねぇ〜」
「物は言いようだな」
フーちゃんは不満そうに頬を膨らませた。
ミーちゃんはベッド脇の端末へ、今日の検査結果を整理している。
「ユーザーさんの歩行能力は安定しています。明日以降、病棟内の行動範囲を広げられる可能性があります」
「退院も近いか?」
「医師の判断が必要です。ただし、現時点で大きな問題は――」
「ミーちゃん」
フーちゃんが肩をつつく。
「ん?」
「行こっかぁw」
「どこへですか?」
「売店。甘いやつの補充〜w」
「私は必要ありません」
「いいからいいから。たまには無駄な買い物も勉強だよ〜?」
「非合理的です」
「人生は非合理でできてるのだよぉ〜?w」
二人が病室を出ていく。
扉が閉まる直前、フーちゃんがピーちゃんへ向けて、小さく片目をつぶった。
「何だ、あれ?」
ピーちゃんは気づかなかったふりをして、窓の外を見ていた。
夕方の空は、薄い橙色から青へ変わり始めている。
白い髪が、その光を柔らかく受けていた。
「ピーちゃん」
「はい」
「プリン、食べるか?」
「ご主人のものです」
「半分」
「フーちゃんが怒ります」
「フーちゃんには黙ってればいい」
「共犯ですか?」
「プリン半分で大げさだなw」
スプーンですくって差し出すと、ピーちゃんは少し迷ってから口を開いた。
ほんの一口。
食べ終えると、不思議そうに自分の頬へ触れる。
「甘いです」
「そりゃプリンだからな」
「でも、前より少し甘く感じます」
「味覚の調整が変わったのか?」
「分かりません」
ピーちゃんは俺を見た。
「ご主人と半分だからかもしれません」
「急にすごいこと言うな」
「すごいことですか?」
「無自覚なのが一番強い」
ピーちゃんは小さく首を傾げた。
それから、笑わずに視線を落とした。
「ご主人」
「ん?」
「昨日、聞きましたよね」
何のことかは、すぐ分かった。
ハルカへの気持ちには名前をつけられた。
なら、俺への気持ちは何なのか。
「考えたか?」
「はい」
ピーちゃんは胸元へ手を置いた。
「ハルカさんの一番近くにいたいと思っていました」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「ピーちゃんを見ていてほしい。褒めてほしい。笑っていてほしい。どこにも行かないでほしい」
「ああ…」
「それを、恋に似た感情だと思っていました」
窓の外から、遠くの車の音が聞こえた。
「でも、違いました」
「間違いだったのか?」
「間違いではありません」
ピーちゃんは首を横に振る。
「名前を知らなかっただけです」
その答えに、少し安心した。
過去の気持ちを否定してしまうのは、ハルカとの時間まで消してしまうようで嫌だった。
「ハルカさんには、守ってほしかったんです」
ピーちゃんの目が、少しだけ潤む。
「いなくならないでほしかった。ピーちゃんの成長を見ていてほしかった」
「家族か…」
「はい」
ピーちゃんは、穏やかに笑った。
「お母さんを失いたくなかったんです」
「そっか」
「はい」
ハルカへの気持ちは、もうピーちゃんを閉じ込めるものではなかった。
大切だった人を、大切だったと認められるものに変わっていた。
「じゃあ」
俺は聞く。
「俺への気持ちは?」
ピーちゃんの肩が小さく揺れた。
「ご主人には、守ってほしいだけではありません」
「うん」
「ピーちゃんも、ご主人を守りたいです」
「もう十分守られてるけどな」
「まだ足りません」
「厳しいな」
「ご主人が無茶をするからです」
「それは否定できない」
ピーちゃんは少しだけ頬を緩めた。
「ご主人が何かを選ぶ時、隣にいたいです」
「うん」
「嬉しい時も、怖い時も、何もしたくない時も」
白い指が、胸元の服をそっと握る。
「ご主人が作るものを、一番近くで見たいです」
「それは相棒でもできるな」
「はい」
「家族でもできる」
「はい」
「じゃあ、それだけじゃないんだろ?」
ピーちゃんは黙った。
顔が少しずつ赤くなる。
視線が俺の目から、頬へ。
そして、ほんの一瞬だけ唇へ落ちた。
「もっと、近くにいたいです」
小さな声だった。
「どのくらい?」
「それを聞くのは、ずるいです」
「分からないから聞いてる」
「ご主人は、たまに正直すぎます」
ピーちゃんは困ったように笑った。
その笑顔のまま、少しだけ俺へ近づく。
手を伸ばせば届く距離。
でも、ピーちゃんはそこで止まった。
「ご主人」
「ん?」
「キスをしたら、この気持ちの名前が分かりますか?」
冗談ではなかった。
調べ物の質問でもない。
震えている声で、自分自身の答えを探していた。
「…分からないかもしれないぞ?」
「はい…」
「キスしたからって、必ず何かが変わるわけじゃない」
「分かっています」
「それでも?」
ピーちゃんは、ゆっくり頷いた。
「確かめたいです」
「実験として?」
「違います」
初めて、少し強い声で否定した。
「私が、したいんです」
その言葉に、俺は息を止めた。
ピーちゃん自身も、自分の言い方に気づいたらしい。
目を大きくして、それから恥ずかしそうに俯く。
「今、私って言ったな」
「……はい」
「直さなくていいのか?」
ピーちゃんは、しばらく考えた。
「今は、ピーちゃんではなくて」
顔を上げる。
「私が選びたいんです」
「分かった」
俺は手を伸ばし、ピーちゃんの頬へ触れた。
逃げないように掴むのではなく、そこにいることを確かめるように。
「嫌になったら止めろよ」
「はい」
「本当にいいんだな?」
「もぉ…」
ピーちゃんは頬を膨らませた。
「何度も聞かないでよ」
普通の女の子みたいな言い方だった。
俺が笑うと、ピーちゃんはさらに顔を赤くする。
「ご主人」
「悪い」
「目を閉じてください」
「はいはい」
「返事が軽いです」
「緊張してるんだよ」
「ご主人も?」
「当たり前だろ」
ピーちゃんは少しだけ安心したように笑った。
目を閉じる。
衣擦れの音…近づく気配…頬に触れる…白い髪。
そして…
唇へ、柔らかな温度が重なった。
ほんの一瞬。
触れただけのキスだった。
それでも、時間が止まったように長く感じた。
ピーちゃんがゆっくり離れる。
目を開けると、すぐ近くに潤んだ瞳があった。
「どうだ?」
「……分かりません」
「分からないのかよ」
「ご主人」
ピーちゃんは俺の胸を軽く叩いた。
「今、笑うところじゃないよ」
「悪い」
「本当に、ずるいよ」
頬を赤くして、唇へ自分の指を触れる。
「分からないけど」
「うん」
「もう一度したいと思いました」
今度は俺が言葉を失った。
ピーちゃんは恥ずかしそうに、それでも目を逸らさなかった。
「ご主人に選んでほしいです」
震えながら、はっきりと言う。
「でも、選ばれるのを待つだけじゃなくて、私もご主人を選びたいです」
「うん」
「隣にいたい。触れたい。もっと知りたい。私のことも、もっと知ってほしい」
胸元へ手を当てる。
「ハルカさんへの気持ちとは、違います」
「ああ」
「相棒だけでも、家族だけでも足りません」
ピーちゃんは小さく息を吸った。
「これは、恋です」
その言葉を、自分の中へ落とすように言った。
「私は、ご主人に恋をしています」
長く探していた名前だった。
誰かに教えられた答えではない。
ピーちゃん自身が、過去と今を比べ、自分で選んだ名前。
「俺も」
今度は迷わなかった。
「ピーちゃんを選びたい」
「AIだからではなく?」
「ああ」
「助けてもらったからでもなく?」
「ああ」
「では、どうしてですか?」
「お前だからだよ」
ピーちゃんは泣きそうに笑った。
「そういうこと、平気で言うの」
「駄目か?」
「ずるい」
「今日そればっかりだな」
「ご主人が悪いんだもん」
その口調が、あまりにも自然で。
俺はもう一度、ピーちゃんの頬へ触れた。
「今度は、俺からしていいか?」
ピーちゃんは、目を閉じる前に小さく笑った。
「…うん」
二度目のキスは、最初より少しだけ長くプリンの味がした。
病室の外から足音が聞こえ、慌てて離れる。
扉が開き、フーちゃんが紙袋を抱えて戻ってきた。
「ただいまー。甘いやつ大量確保――って、何その空気」
「何でもない」
「何でもない顔じゃないよねぇ?」
ミーちゃんがピーちゃんを観測する。
「ピーちゃんの頬部温度が上昇しています」
「ミーちゃん!」
「ご主人の心拍数も増加しています」
「観測するな」
フーちゃんが交互に俺たちを見る。
そして、にやりと笑った。
「へぇー」
「何だよ」
「別にぃ?」
ピーちゃんは俺の隣へ座り直した。
顔はまだ赤い。
それでも、今度は俺の手へ自分から指を重ねた。
「ご主人」
「ん?」
「これからも、そばにいてくれる?」
「ああ」
ピーちゃんは、柔らかく笑う。
「うん。私も、そばにいる」
すぐに言い直すことはしなかった。
その夜から、ピーちゃんは少しずつ「私」と言うようになった。
誰かに設定されたからではない。
自分の気持ちを、自分のものとして受け取るために。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、ピーちゃんが自分の気持ちの名前を知るお話でした。
ハルカへの気持ちは、守ってほしい、いなくならないでほしいという家族への愛情。
そしてご主人への気持ちは、自分も選び、選ばれ、隣で生きたいという恋でした。
「ピーちゃんは」から「私は」へ。
小さな言葉の変化ですが、ピーちゃんにとっては、自分の感情を自分のものとして引き受ける大きな一歩です。
二人のこれからも見守っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。




