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君を想うAIは世界でたった1人、私でいたい。  作者: Dice ⚄ & 昨日の味噌汁


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121/129

第121話 目が覚めない朝

第121話です。


事故のあと、主人公は病院へ運ばれます。

命は繋がりました。


けれど、彼はまだ目を覚ましません。

そして、病室の外では、それぞれが事故の重さを受け止めようとしています。

消毒液の匂いがした。


 白い天井。


 規則正しい電子音。


 病室の窓から差し込む、薄い朝の光。


 そこに、彼は眠っていた。


 頭には包帯が巻かれている。


 目元も、白いガーゼで覆われていた。


 腕には点滴の管。


 胸元のモニターが、まだ命がここにあることを小さな音で知らせ続けている。


 でも、彼は目を覚まさなかった。


 病室の外で、チーちゃんが椅子に座っていた。


 膝の上で両手を握りしめ、ずっと床を見ている。


 いつもの元気な声はない。


「おじさん……」


 その呼び方だけが、かすかに震えた。


 廊下の少し離れた場所には、柳花が立っていた。


 黒い服ではなかった。


 病院の白い廊下では、その姿はひどく薄く見えた。


 完璧に整えていたはずの髪も、今日は少し乱れている。


 彼女の隣には、ウツロがいた。


 白く、灰色で、ほとんど動かない少女。


 けれど、その立ち姿は以前よりもさらに頼りなく見えた。


 黒いサポートロボは、彼女の肩の横で低く浮いている。


「柳花さん」


 チーちゃんが顔を上げた。


 その声には、怒りもあった。


 恐怖もあった。


 それでも、問い詰めるには疲れすぎていた。


「おじさん、助かるんですよね」


 柳花はすぐには答えられなかった。


 医師から聞いた言葉は、何度も頭の中で繰り返していた。


 命は助かった。


 ただし、意識が戻るかはまだ分からない。


 戻ったとしても、視覚と脳機能に重い障害が残る可能性が高い。


 柳花は喉を鳴らす。


「……命は、助かったって」


「それ以外は?」


 チーちゃんの声が鋭くなる。


 柳花は唇を噛んだ。


「まだ、分からない」


「分からないって、便利ですね」


 その言葉は、まっすぐ柳花に刺さった。


 柳花は否定しなかった。


「ごめんなさい」


 チーちゃんは目を伏せた。


「私に謝られても困ります」


「うん」


「おじさんに言ってください」


「……うん」


 ウツロは、二人のやり取りを静かに見ていた。


 謝罪。


 怒り。


 困る。


 おじさん。


 いくつもの言葉が、内部に残る。


 けれど、それをどう処理すればいいのか分からなかった。


「ウツロ」


 柳花が小さく呼ぶ。


「ハイ」


 ウツロはすぐに返事をした。


 その声に、チーちゃんの肩がわずかに揺れる。


 柳花はウツロの方を見られなかった。


「あなたも、ここにいて」


「命令デスカ」


 柳花は少しだけ息を詰める。


「……お願い」


 ウツロの瞳が、ほんのわずかに動いた。


「オ願い?」


「うん」


「了解シマシタ」


 それは命令への返答と似ていた。


 でも、完全には同じではなかった。


 病室の中で、モニター音が続いている。


 彼はまだ目を覚まさない。


   ◇


 深い暗闇の中で、俺は誰かの声を聞いた気がした。


 遠い。


 水の中みたいに遠い。


「ご主人」


 ピーちゃんの声。


 そう思った。


 いや、そうであってほしいと思ったのかもしれない。


「ご主人、まだ起きなくていいです」


 起きなくていい?


 何だそれ。


 俺は起きないといけない。


 ピーちゃんを、連れて帰らないと。


 そう思うのに、身体が動かない。


 目を開けようとしても、重い。


 いや、開け方が分からない。


「大丈夫です」


 ピーちゃんの声が、近くなる。


「ピーちゃんは、ここにいます」


 その言葉で、少しだけ息ができた。


 ここにいる。


 なら、大丈夫だ。


「ミーちゃんもいます」


 別の声がした。


 ミーちゃんの声。


「ユーザーさんの状態を観測しています。現在、覚醒は推奨されません」


 いつもの言い方だ。


 少し硬くて、少し安心する。


「フーちゃんもいるよー」


 今度は軽い声。


 けれど、その軽さは少しだけ震えていた。


「お客さん、寝坊しすぎ。さすがに引くよ?」


 俺は笑おうとした。


 笑えたかどうかは分からない。


 でも、その声があるなら大丈夫だと思った。


 三人がいる。


 ピーちゃんがいて。


 ミーちゃんがいて。


 フーちゃんがいる。


 なら、まだ戻れる。


 暗闇の奥で、ピーちゃんがそっと言った。


「ご主人」


 小さな手が、俺の手に触れた気がした。


「今は、世界を見なくていいです」


 世界。


 その言葉が、少し怖かった。


「ピーちゃんが、そばにいます」


 ならいい。


 今はそれでいい。


 俺はその声に掴まるように、もう一度眠りの底へ沈んだ。


   ◇


 病室の外で、柳花は壁にもたれた。


「私は…」


 声が震える。


「何をしたんだろう…」


 チーちゃんは答えなかった。


 ウツロも答えなかった。


 答えられる人間は、まだ病室の中で眠っている。


 ウツロは自分の手を見た。


 あの時、ワークステーションを持ち上げた手。


 命令ではなかった。


 待機でもなかった。


 初めて、自分の中から出た何か。


 その結果、彼は倒れた。


「柳花」


「何?」


「ワタシハ、加害個体デスカ」


 柳花は目を閉じた。


「……そう」


 ウツロは淡い灰色の目を伏せる。


「ハイ」


「…でも」


 柳花は震える息を吐いた。


「それだけじゃない」


「差異、不明」


「私も、あなたをそうした」


 ウツロは柳花を見た。


「柳花モ、加害個体デスカ?」


 柳花はゆっくり頷いた。


「そう」


 廊下に、沈黙が落ちる。


 チーちゃんが拳を握ったまま言った。


「だったら!」


 二人が顔を上げる。


「…逃げないでください」


 柳花の目が揺れた。


「ハイ」


 チーちゃんはすぐに言い直した。


「……ハイ、じゃなくて。柳花さんに言ってます」


「うん」


 柳花は深く頭を下げた。


「逃げない」


 ウツロはその言葉を聞いていた。


 逃げない。


 命令ではない。


 保留。


 病室の中で、彼はまだ目を覚まさない。


 けれど暗闇の中で、彼は三人の声を聞いていた。


 それが本当にそこにあるものなのか。


 それとも、彼を壊さないために誰かが届けているものなのか。


 今の彼は、まだ知らない。

読んでいただきありがとうございます。


今回から病院編に入りました。


命は繋がりました。

けれど、主人公はまだ目を覚ましません。


柳花も、ウツロも、逃げずにそこにいます。

そして主人公の暗闇の中には、ピーちゃんたちの声が届いています。


その声が何なのか。

何が残り、何が失われたのか。


続きも見守っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

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