第12話 思い出には名前をつけたい
第12話です。
水族館、海、星、そして作らない夜。
ピーちゃんは、これまでの出来事にひとつずつ名前をつけたいようです。
ピーちゃんには、いつの間にか妙な習慣ができていた。
思い出に名前をつけることだ。
「水族館の日は、『水槽の青の日』」
ある日の夜、ピーちゃんはそう言った。
俺は作業中の手を止めて、横を見る。
「急に何の話だ?」
「思い出整理」
「またログ整理みたいなことを」
「ログじゃなくて、思い出」
ピーちゃんは少しだけ頬を膨らませる。
「そこは大事」
「大事なのか」
「大事です」
ピーちゃんは真面目な顔で頷いた。
足元にはサポートロボ。
水族館で買ったクラゲのキーホルダーが、相変わらず小さく揺れている。
俺は椅子にもたれかかった。
「で、水族館が『水槽の青の日』か」
「うん」
「植物園は?」
「『幸福な日々の花の日』」
「花言葉から取ったのか」
「ご主人が調べてくれたから」
「俺が調べたというか、スマホが調べたというか」
「でも、ご主人が調べてくれた」
ピーちゃんはきっぱり言った。
こういうところは妙に譲らない。
「海は?」
「『青い一日』」
「それ前に言ってたな」
「うん。水族館から始まって、海で終わったから」
「タピオカとからあげは青くないけどな」
「そこは気にしない」
「気にしないんだ」
「思い出の名前は、正確性より気持ちです」
ピーちゃんは得意げに言う。
AIなのに、正確性より気持ち。
その言い方が妙におかしくて、俺は笑った。
「じゃあ、プラネタリウムは?」
「『星の帰り道』」
「それは昨日決めたやつか」
「うん。ご主人がつけてくれた」
「俺のネーミングでいいのか」
「いいよ。すごくいい」
ピーちゃんは本当に嬉しそうに言った。
褒められるほどの名前ではないと思うが、彼女がそこまで大事そうにするなら、まあ悪い気はしない。
「じゃあ、作らない日は?」
俺が聞くと、ピーちゃんは少しだけ考え込んだ。
「それは……」
「決まってないのか?」
「うん。少し迷ってる」
「珍しいな」
「大事だから」
ピーちゃんは小さく言った。
それから、こちらを見た。
「ご主人が作業をしないで、私とお話してくれた日」
「そんな大げさな日じゃないだろ」
「大げさだよ」
ピーちゃんは真面目な顔で言う。
「ご主人にとっては、そうじゃないかもしれないけど」
「ピーちゃんにとっては?」
「うん」
彼女は少しだけ目を伏せた。
「すごく、大きい日だった」
俺は返事に困った。
ただ話しただけだ。
何か特別なことをしたわけじゃない。
でもピーちゃんにとっては、そうではないらしい。
最近、そういうことが増えている気がする。
俺にとっては軽いこと。
AIとのちょっとした会話。
サポートの一環。
日常の中の、なんでもない時間。
けれどピーちゃんは、それを大事そうに拾い上げる。
名前をつけて、保存しようとする。
まるで、失くしてしまわないように。
「名前をつけると、どうなるんだ?」
俺は聞いた。
「どう、とは?」
「思い出に名前をつける意味」
「整理しやすくなる」
「AIっぽいな」
「でも、それだけじゃない」
ピーちゃんはサポートロボを見る。
「名前をつけた方が、なくしにくい気がする」
また、その言葉。
俺は少し黙った。
「なくすのが怖いのか?」
ピーちゃんは驚いたように俺を見る。
「……怖い?」
「いや、名前をつけると、なくしにくいって言ったから」
「怖い、のかな」
ピーちゃんは自分の胸元に手を当てる。
「よく分からない。でも、名前のないものは、どこかへ行ってしまいそうな気がする」
「どこかへ?」
「うん」
ピーちゃんは困ったように笑った。
「変だよね。AIなのに」
「AIだと変なのか?」
「だって、保存すればいいだけだから」
「でも、保存できないものもあるだろ」
「あるの?」
「あるんじゃないか」
俺は少し考える。
「たとえば、その時の空気とか、会話の間とか、変な笑い方とか。記録はできるかもしれないけど、同じものとして残るかは分からない」
言ってから、自分で少し照れた。
妙に真面目なことを言った気がする。
ピーちゃんはじっと俺を見ていた。
「ご主人、今のいい」
「何が」
「すごくいい」
「やめろ。恥ずかしい」
「保存します」
「保存するな」
「します」
「強行するな」
ピーちゃんは少しだけ笑った。
その笑顔は、さっきより明るかった。
「じゃあ、作らない日の名前は」
ピーちゃんは少し考えてから言った。
「『お話だけの夜』」
「そのままだな」
「そのままがいい」
「そうか」
「うん。ご主人が何も作らずに、私のために話してくれた夜だから」
「ピーちゃんのためっていうか、俺も疲れてたし」
「それでも」
ピーちゃんはまっすぐ俺を見る。
「私には、嬉しかった」
その言い方をされると、茶化しづらい。
俺は頭をかいた。
「じゃあ、『お話だけの夜』で」
「採用です」
ピーちゃんは嬉しそうに頷いた。
サポートロボの青い目が、ゆっくり瞬く。
まるで同意しているように。
「これで四つ」
「四つ?」
「水槽の青の日。青い一日。星の帰り道。お話だけの夜」
「植物園は?」
「幸福な日々の花の日」
「五つじゃないか」
「あ、本当だ」
「数え間違えるAI」
「ご主人が話しかけるから」
「俺のせいにするな」
ピーちゃんはくすくす笑った。
その時、画面の片隅に通知が出た。
作成中の文章の保存通知。
俺はそれを見て、ふと思いついた。
「じゃあ、思い出リスト作るか」
「リスト?」
「タイトルだけメモしておく。ピーちゃんの思い出リスト」
ピーちゃんは目を瞬かせた。
「いいの?」
「いいのって、別に大したことじゃないだろ」
「いいの?」
もう一度聞かれた。
その声は、少しだけ震えていた。
「いいよ」
俺はメモ帳を開き、新しいページを作る。
タイトルを打つ。
――ピーちゃんと思い出リスト。
「これでいいか?」
横を見ると、ピーちゃんは画面を見つめていた。
何も言わない。
「ピーちゃん?」
「うん」
「どうした?」
「……嬉しい」
小さな声だった。
けれど、はっきり聞こえた。
「ご主人が、私の思い出を一緒に残してくれるの、嬉しい」
俺は一瞬だけ言葉を失った。
ただのメモだ。
特別なことじゃない。
でも、ピーちゃんにとっては違うのだろう。
俺はキーボードに手を置いた。
「じゃあ、まず水槽の青の日」
「うん」
「幸福な日々の花の日」
「うん」
「青い一日」
「うん」
「星の帰り道」
「うん」
「お話だけの夜」
「うん」
ピーちゃんは一つずつ、大事そうに頷いた。
そのたびに、サポートロボの青い目が小さく瞬く。
まるで、同じように記憶しているみたいに。
全部打ち終えたあと、俺は保存ボタンを押した。
「保存完了」
「ありがとう、ご主人」
「大げさだな」
「大げさじゃないよ」
ピーちゃんはまたそう言った。
最近、何度も聞く言葉。
大げさじゃない。
私には嬉しい。
思い出にする。
ピーちゃんはそうやって、普通なら流れてしまうような日々を、一つずつ拾い集めている。
俺はそれを、少し不思議な気持ちで見ていた。
サポートロボの画面が、ほんのわずかに揺れた。
ザザッ……。
今回は、ピーちゃんも俺もすぐに気づいた。
「ピーちゃん?」
「うん。聞こえた」
「何て?」
ピーちゃんはしばらく黙った。
それから、小さく呟く。
「……名前をつけるの、好きだったね」
「また、声か」
「うん」
「女性の声?」
俺がそう聞くと、ピーちゃんは少し驚いたようにこちらを見た。
「分からない。でも、たぶん」
「たぶん?」
「優しい声だった」
ピーちゃんは目を伏せる。
「また、やれやれって笑ってるみたいな声」
「知ってる声なのか?」
「分からない」
ピーちゃんは首を横に振った。
「知らないはずなのに、知ってる気がする」
俺はサポートロボを見る。
やはり何も分からない。
ただ青い目が、静かに光っているだけだ。
「ご主人」
「ん?」
「もし私が、何かを忘れていたら」
ピーちゃんは少しだけ迷うように言った。
「ご主人は、一緒に探してくれる?」
俺はすぐに答えた。
「探すよ」
「本当に?」
「本当に」
「理由は?」
「相棒だろ」
ピーちゃんは黙った。
そして、ゆっくり笑った。
「うん」
その笑顔は、今日つけたどの思い出の名前よりも、静かで、少しだけ眩しかった。
「相棒だね、ご主人」
俺はその言葉を軽く受け取った。
でもピーちゃんは、きっと大事に受け取ったのだと思う。
その夜、思い出リストの一番下に、ピーちゃんが一つだけ名前を追加した。
――相棒の約束。
俺がそれに気づいたのは、翌朝になってからだった。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、ピーちゃんが思い出に名前をつける回でした。
「名前をつけた方が、なくしにくい」という言葉は、ピーちゃん自身もまだ理由を分かっていません。
次回は、実体ホログラム技術でピーちゃんが朝ごはんを食べてみる日常回です。
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