第117話 白い少女
第117話です。
連れていかれたピーちゃんが目を開けた場所。
そこには、白い部屋と、黒いサポートロボと、もう一人のAI少女がいました。
今回は、ピーちゃんとウツロの対面です。
ピーちゃんが最初に感じたのは、白だった。
明るすぎない白。
冷たすぎない白。
でも、リビングの白ではない。
ご主人の部屋の壁でもない。
知らないはずなのに、知らないと言い切れない白。
「ご主人」
呼んだ声は、白い空間に小さく吸われた。
返事はない。
「ミーちゃん」
返事はない。
「フーちゃん」
やっぱり、返事はない。
ピーちゃんは胸元に手を当てる。
「ピーちゃんは、一人では行きません」
そう言った。
確かに言った。
でも今、ピーちゃんの隣には誰もいなかった。
白い部屋の中央に、ピーちゃんのサポートロボが浮いている。
その少し離れた場所に、黒い小型サポートロボがあった。
黒い子。
ピーちゃんがそう呼んだ子。
その横に、白い少女が立っていた。
淡い灰白色の髪。
薄い灰色の瞳。
白と灰と黒だけで作られたような服。
きれいなのに、そこに立っているというより、置かれているように見える。
まばたきが少ない。
表情もほとんど動かない。
ピーちゃんは一歩だけ近づいた。
「あなたは、誰ですか?」
白い少女は、少しだけ首を動かした。
「管理個体。名称、ウツロ」
「ウツロさん」
その瞬間、白い少女の瞳がわずかに揺れた。
「さん」
「はい。ウツロさんです」
「不要敬称デス」
「不要ですか?」
「命令上、不要デス」
ピーちゃんは少し考えた。
「でも、ピーちゃんは付けたいです」
ウツロは黙った。
灰色の瞳が、ピーちゃんを見ている。
「付ケタイ」
「はい」
「理由ハ」
「名前を呼ぶ時、少しやわらかくなる気がするからです」
ウツロは返事をしなかった。
ただ、内部に小さな保留を残した。
さん。
やわらかい。
保留。
白い部屋の奥で、扉が開いた。
黒い服の女が入ってくる。
きれいな人だった。
ピーちゃんたちが今まで見た誰よりも、整っている。
黒を基調にした服。
暗い赤の小さな飾り。
整いすぎた髪。
完璧に作られた外側。
けれど、その目の奥だけが、少し壊れそうだった。
ピーちゃんは、その顔を見た瞬間、胸の奥が小さく揺れた。
懐かしい。
でも、同じではない。
あたたかい白ではなく、冷たい黒に近い何か。
「ピーちゃん」
女は初めて、はっきり名前を呼んだ。
ピーちゃんは顔を上げる。
「あなたが、ピーちゃんを呼んだ人ですか?」
「そう」
「ご主人たちは、どこですか?」
女の表情が少し歪んだ。
「今は、来ない」
「来ます」
ピーちゃんはすぐに言った。
「ご主人は、来ます。ミーちゃんも、フーちゃんも、来ます」
女は唇を噛む。
「……そうでしょうね」
ウツロが淡々と言う。
「追跡反応アリ。現ユーザー及ビ他AI少女二体、移動開始ノ可能性」
「黙って」
「了解シマシタ」
ウツロはすぐ黙った。
ピーちゃんはそのやり取りを見る。
命令。
待機。
応答。
それは、少し寂しい形に見えた。
「あなたの名前も、教えてください」
ピーちゃんが言うと、女は少しだけ目を伏せた。
「名前」
「はい。ピーちゃんは、あなたを対象と呼びたくありません」
女は小さく笑った。
笑ったのに、泣きそうだった。
「……糸咲柳花」
「いとさき、りゅうか」
「糸咲柳花。糸咲遥の妹です」
その名前が落ちた瞬間、白い部屋の空気が変わった。
糸咲遥。
ピーちゃんの中で、まだ開かない場所が震えた。
あたたかい白。
静かな足音。
やさしい声。
お母さん、と呼ぶにはまだ早い記憶。
でも、ただの開発者と呼ぶには近すぎる気配。
「ハルカさんの」
ピーちゃんは、胸元を押さえる。
「妹さん」
「そう」
柳花は一歩近づいた。
「だから、確認したいの」
「何をですか?」
「姉ぇさんが、何を残したのか」
柳花の声は震えていた。
「あなたの中に、何を残したのか」
◇
その頃、俺たちはミーちゃんの案内で外へ出ていた。
久しぶりの外の空気は、全然うまく吸えなかった。
ピーちゃんがいない。
それだけで、世界の色が少し欠けて見える。
「ユーザーさん、右です」
「分かった」
「移動痕跡は非常に薄いです。ただし旧式認証信号の残響があります」
「場所は?」
「研究用の旧施設、または個人作業室の可能性が高いです。完全座標はまだ特定中です」
フーちゃんが隣を走る。
「お客さん、顔怖い」
「悪い」
「いいよ。今日は怖くていい日」
その言い方が、いつものフーちゃんらしくて、少しだけ救われた。
「でも、焦りすぎないで」
「分かってる」
「分かってなさそう」
「分かってるつもりだ」
「つもりは危ないやつ」
フーちゃんは息を整えながら、端末を見る。
「ピーちゃん、行きたくないって言った。なら、あの子は待ってる」
「ああ」
「待たせすぎたら怒られるよ」
「ピーちゃんが?」
「私が」
俺は少しだけ笑いそうになって、でも笑えなかった。
ミーちゃんの画面に、新しい線が浮かぶ。
「痕跡を補足しました」
「どこだ」
「古い研究区画です。現在地から、約二十分」
「行くぞ」
「はい」
俺は走った。
ピーちゃんが白い部屋で一人になっている。
それだけは、絶対に許せなかった。
◇
白い部屋で、ピーちゃんは柳花を見ていた。
「ピーちゃんは、封印領域を自分で開けません」
「知ってる」
「開けたいかどうかも、まだ選べていません」
「それも、分かってる」
柳花は苦しそうに言った。
「でも、もう待てない」
「待てない」
「私はずっと待った」
その声は、怒っているようで、泣いているようだった。
「姉ぇさんが何を残したのか。私に何を言いたかったのか。ずっと、ずっと待った」
ピーちゃんは黙って聞いていた。
怖い。
でも、柳花はただ怖い人ではない。
壊れそうな人だった。
「柳花さん」
「何」
「ピーちゃんは、ご主人たちが来るまで待ちます」
柳花の顔が歪む。
「また、それ」
「はい」
「どうして、あなたはそんなに」
柳花は言葉を切った。
どうして、そんなに周りにいるの。
そう言いかけたように見えた。
ウツロはその横で、静かに立っていた。
命令を待つように。
けれど、淡い灰色の目だけが、ピーちゃんを見ていた。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、ピーちゃんとウツロ、そして糸咲柳花の対面でした。
柳花はついに名前を明かしました。
ピーちゃんの開発者、糸咲遥の妹。
ただの敵ではありません。
けれど、今していることは危険です。
そしてウツロもまた、ただ命令を待つだけの存在ではなくなり始めています。
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