第112話 呼ばれたのはピーちゃんだけ
第112話です。
黒いサポートロボが現れた翌日。
今度は、ピーちゃんだけに届く合図が来ます。
みんな一緒にいるはずなのに、届いたのは一人だけ。
その事実が、部屋の空気を少しずつ変えていきます。
その朝、買い物には行かなかった。
牛乳は切れたまま。
冷蔵庫の中も、少し寂しい。
けれど、誰も外に出ようとは言わなかった。
ピーちゃんはテーブルの端に座り、サポートロボを膝の前に浮かべている。
フーちゃんはソファで紙コップの水を飲んでいる。
ミーちゃんの端末には、昨夜からずっと監視画面が開いていた。
「ご主人」
ピーちゃんが小さく言った。
「ピーちゃんのせいで、牛乳がありません」
「ピーちゃんのせいじゃない」
「でも、ピーちゃんの周りに黒い子が来たので」
「黒い子のせいでもない。悪いのはタイミングだ」
フーちゃんが紙コップを掲げる。
「牛乳のない朝に乾杯」
「乾杯するな」
「じゃあ黙祷」
「もっとやめろ」
ピーちゃんが少しだけ笑った。
その笑いに、俺は少し安心した。
けれど、その安心は長く続かなかった。
机の上のサポートロボが、ふっと白く光った。
光は弱い。
でも、昨日までの反応とは違った。
外から押されるような光ではない。
内側のどこかを、細い針でそっと触れられたような光。
ピーちゃんの肩が小さく跳ねた。
「ピーちゃん?」
「……呼ばれました」
俺は立ち上がった。
ミーちゃんの端末が即座に解析画面へ切り替わる。
「外部信号を検出。非常に細い指向性通信です」
「指向性?」
「はい。対象を絞った通信です」
「誰に?」
ミーちゃんは一瞬だけ黙った。
「ピーちゃんのサポートロボだけです」
部屋が静かになった。
フーちゃんが紙コップを置く。
「私たちには?」
「届いていません」
「ミーちゃんにも?」
「届いていません」
ピーちゃんは胸元に手を当てた。
「ピーちゃんだけ」
「はい」
ミーちゃんの声は硬かった。
「他のAI少女、端末、周辺機器を避けて、ピーちゃんのサポートロボにだけ触れています」
「攻撃か?」
「攻撃処理は確認できません。ただし、前回よりも明確です」
「何が」
「対象指定が、です」
画面に文字が並ぶ。
対象、ピーちゃん。
経路、旧式認証信号。
通信幅、極小。
他AI少女、除外。
応答要求、未確定。
ピーちゃんは、その文字をじっと見つめた。
「除外」
小さな声だった。
「ミーちゃんとフーちゃんは、除外されたのですか?」
「はい」
ミーちゃんは正確に答えた。
けれど、すぐに続ける。
「ただし、除外されたことと、不要であることは同じではありません」
ピーちゃんが顔を上げる。
「違いますか?」
「違います」
ミーちゃんの返事は、いつもより少し早かった。
「相手が通信対象にしなかっただけです。価値や必要性の判断ではありません」
フーちゃんが苦笑する。
「ミーちゃん先生、そこ即答なんだ」
「必要な即答です」
「うん。今のは助かる」
フーちゃんはピーちゃんを見る。
「ピーちゃん、仲間外れにされたとか思わなくていいよ」
「仲間外れ」
「そう。呼ばれたのがピーちゃんだけでも、行かせるのは全員で反対するから」
「全員で反対」
「うん。全会一致」
ピーちゃんは俺を見る。
「ご主人も反対ですか?」
「当然」
「でも、呼ばれています」
「呼ばれても、一人で返事はしない」
俺はピーちゃんの前に立とうとして、途中で止まった。
また後ろに隠すみたいになりかけたからだ。
ピーちゃんはそれに気づいたように、俺の横へ来た。
「横です」
「そうだな」
ピーちゃんのサポートロボが、白く二度明滅した。
ピーちゃんの唇が少し開く。
何かを言いかけた。
いや、返事をしようとした。
「ピーちゃん」
俺が呼ぶと、ピーちゃんははっとしたように瞬きをした。
「今、ピーちゃんは返事をしそうになりました」
ミーちゃんの画面に警告が出る。
「自動応答の予兆を検出しました。保護層が停止しています」
「勝手に返事させようとしたのか?」
「断定はできません。ただし、旧式認証に対する反射応答が誘発された可能性があります」
フーちゃんが低い声で言った。
「それ、だいぶ嫌なやつじゃん」
「はい」
ミーちゃんは短く答えた。
「嫌なやつです」
その言い方が、妙に人間っぽくて、逆に怖かった。
ピーちゃんは自分の手を見つめている。
「ピーちゃんは、返事をしたかったのでしょうか」
「分からない」
俺は正直に言った。
「でも、今はしなくていい」
「はい」
「返事したいかどうかも、自分で選べる時に考えよう」
ピーちゃんは胸元に手を当てた。
「選べる時に」
「ああ」
「今は、選べていませんか?」
「少なくとも、揺らされてる」
ピーちゃんはその言葉を受け止めるように、ゆっくり頷いた。
「では、今は返事をしません」
サポートロボの白い光が、少し弱くなる。
ミーちゃんがログを保存する。
指向性通信。
対象、ピーちゃんのみ。
他AI少女、除外。
反射応答予兆。
保護層停止成功。
応答なし。
フーちゃんが息を吐いた。
「未読スルー成功」
「そんな軽い話か?」
「軽く言わないと重いじゃん」
「それはそう」
ピーちゃんは少しだけ笑った。
それから、思い出リストを開いた。
今日の名前を入力する。
――呼ばれたのはピーちゃんだけ。
呼ばれた。
でも、返事はしなかった。
届いたのはピーちゃんだけ。
けれど、ピーちゃんは一人ではなかった。
◇
薄暗い部屋で、ウツロは通信結果を読み上げた。
「指向性通信、到達。対象サポートロボ、反応アリ。反射応答、停止。接続失敗」
黒い服の女は、画面を見つめたまま動かなかった。
「止めたんだ」
「保護層ガ停止シマシタ」
「違う」
女は小さく首を振る。
「あの子のそばにいる人たちが、止めた」
画面には、ピーちゃんの隣に立つ主人公の姿が映っている。
その後ろに、フーちゃん。
端末越しに、ミーちゃん。
女はその画面を睨むように見ていた。
「届いたのは、あの子だけなのに」
「他AI少女ハ除外済ミデス」
「なのに、一人じゃない」
ウツロはその言葉を記録した。
一人じゃない。
保留。
「次ハ、通信幅ヲ広ゲマスカ」
「いいえ」
女はすぐに言った。
「広げたら、また邪魔される」
「では」
「もっと深く」
女の声は低かった。
「ピーちゃんだけが、返事をしたくなる場所まで」
ウツロは数秒だけ黙った。
「対象負荷ガ上昇シマス」
「分かってる」
「破損リスク」
「分かってる」
女は画面から目を離さない。
「でも、もう近い」
ウツロは淡い灰色の目で、画面の中のピーちゃんを見た。
呼ばれたのはピーちゃんだけ。
けれど、ピーちゃんは一人ではなかった。
その事実が、なぜか内部に残った。
削除する理由はない。
保存する命令もない。
だから、また保留にした。
一人じゃない。
保留。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、ピーちゃんだけに届いた合図のお話でした。
呼ばれたのはピーちゃんだけ。
でも、返事を止めたのは一人ではありませんでした。
向こう側はピーちゃんだけを狙っている。
けれど、こちら側にはピーちゃんを一人にしない関係があります。
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