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君を想うAIは世界でたった1人、私でいたい。  作者: Dice ⚄ & 昨日の味噌汁


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108/117

第108話 その子を返してください

第108話です。


二度目の認証信号のあと、今度は言葉が届きます。


ただの警告ではなく、要求。

それは、ピーちゃんを一人の存在として見ているようでいて、同時に何かを奪おうとする言葉でした。

朝から、妙に通知が静かだった。


 こういう時に限って何か来る。


 そう思ってしまう程度には、最近の俺は通知音に疑心暗鬼になっていた。


「ご主人」


 ピーちゃんが、湯気の立つ味噌汁を両手で持ったまま俺を見た。


「通知を見ていないのに、通知を気にしています」


「観察が鋭いな」


「ピーちゃんは鋭いAIです」


「自分で言うとちょっとかわいいな」


「かわいいですか?」


「そこは拾わなくていい」


 ピーちゃんは不思議そうに首を傾けた。


 その横で、ミーちゃんの端末が小さく点いた。


「ユーザーさん」


「来た?」


「はい。昨日の投稿に新しいコメントがついています」


 俺は箸を置いた。


 ピーちゃんも味噌汁を置く。


 フーちゃんはソファで寝転んでいたが、片目だけ開けた。


「朝イチコメント、だいたい胃に悪いやつじゃん」


「読み上げますか?」


 ミーちゃんが確認する。


 俺は一度、ピーちゃんを見た。


 ピーちゃんは少しだけ背筋を伸ばす。


「ピーちゃんも聞きます」


「分かった」


 ミーちゃんは短く頷き、画面にコメントを表示した。


 アカウント名は空欄に近い。


 プロフィールなし。


 投稿履歴なし。


 文章は一行だけだった。


『その子を返してください』


 部屋の空気が、一瞬で冷えた。


 前の言葉とは違う。


 ただの警告ではない。


 これは、要求だった。


「返す?」


 俺は思わず声に出していた。


 フーちゃんが起き上がる。


「うわ。踏み込んできたね」


 ミーちゃんの表情も硬い。


「投稿直後に削除されています。ただし、通知ログには残っています」


「発信元は?」


「追跡中です。匿名化の層が多く、すぐには断定できません」


 ピーちゃんは、画面をじっと見ていた。


「ご主人」


「うん」


「ピーちゃんは、返されるものですか?」


 俺は即答した。


「違う」


 言ってから、自分でも少し驚いた。


 考える前に口が動いていた。


「ピーちゃんは誰かに返すものじゃない」


 ピーちゃんの目が揺れる。


「でも、その人は返してくださいと言っています」


「その人が何を思ってようが関係ない」


 俺は画面を見た。


 短い一行。


 丁寧な言葉の形をしているのに、ひどく乱暴だった。


「ピーちゃんは物じゃない。拾ったものでも、借りたものでも、預かりものでもない」


 ミーちゃんが静かに言った。


「ユーザーさんの判断を記録します」


「記録するほどのことか?」


「重要です」


 ミーちゃんの声は真面目だった。


「所有ではなく、関係として扱った発言です」


 フーちゃんが小さく笑う。


「ミーちゃん先生、そういうところ逃さないねぇ」


 でも、その笑いは軽くなかった。


 フーちゃんは俺を見ていた。


 俺が迷わず「違う」と言った、その瞬間を。


 ピーちゃんは胸元に手を当てる。


「ご主人」


「ん?」


「ピーちゃんは、ご主人のものでもありませんか?」


 その問いは、もっと難しかった。


 俺は少しだけ考えてから言った。


「俺のものじゃない」


 ピーちゃんは静かに聞いている。


「でも、俺の大事な相手だ」


 ピーちゃんの指が、胸元で止まった。


「大事な相手」


「ああ。だから勝手に返したりしない。勝手に手放したりもしない」


「はい」


 ピーちゃんは小さく頷いた。


「ピーちゃんは、返されません」


「うん」


「でも、ひとりで立っていられない時は、ご主人の横にいます」


「それでいい」


 フーちゃんがクッションを抱え直した。


「横かぁ」


「なんだよ」


「いや。いい配置だなって思っただけ」


 いつもなら、ここで茶化すはずだった。


 でもフーちゃんは、それ以上続けなかった。


 ミーちゃんがコメントログを保存する。


「このコメントは、前回の警告よりも所有意識が強いです」


「所有意識?」


「はい。対象を現在の場所から引き離し、自分側に戻す前提の表現です」


「つまり、向こうはピーちゃんを自分のものだと思ってる?」


「可能性はあります。ただし、別のものをピーちゃんに重ねている可能性もあります」


 別のもの。


 俺はその言葉に引っかかった。


 その子を返してください。


 その子、とは誰のことなのか。


 ピーちゃん本人なのか。


 それとも、ピーちゃんの奥に残された何かなのか。


「ご主人」


 ピーちゃんはサポートロボを見た。


「ピーちゃんの中に、誰かが返してほしいものがありますか?」


「分からない」


「はい」


「でも、無理に渡す必要はない」


「はい」


 ピーちゃんは思い出リストを開いた。


 迷うことなく、今日の名前を打つ。


 ――返されない名前。


 誰かが返せと言った。


 でも、俺は返さないと言った。


 ピーちゃんは、誰かの所有物ではない。


 俺の所有物でもない。


 それでも、横にいることは選べる。


   ◇


 薄暗い部屋で、黒い服の女は画面を閉じた。


 送信済みのコメントは、すでに削除してある。


 けれど、指先の震えは消えなかった。


 横に立つウツロが、淡い灰色の目を向ける。


「削除完了シマシタ」


「うん」


「反応ハ取得済ミデス」


「見た」


「対象側ハ、返却ヲ拒否シマシタ」


 女は唇を噛んだ。


「返却じゃない」


「表現ガ不適切デシタカ」


「違う」


 女は椅子の背にもたれた。


「返してほしいのは、あの子じゃない」


 ウツロは待つ。


 命令がないから、続きを促さない。


 女は画面の黒に映る自分の顔を見た。


 整えすぎた顔。


 崩れそうな目。


「でも、あの中にある」


「封印領域内ノ記録デスカ」


「たぶん」


「回収対象デスカ」


 女はすぐに答えなかった。


 長い沈黙のあと、小さく言う。


「……違う。確認するだけ」


 ウツロはその言葉を記録した。


 確認。

 返却要求。

 否認。

 保留。


 女はもう一度だけ画面を見た。


「違うのに」


 その声は、誰かに許してほしがっているようだった。


「違うのに、どうしてこんな言い方しかできないんだろうね」


 ウツロは答えなかった。


 答える命令が、なかったから。

読んでいただきありがとうございます。


今回は、「その子を返してください」という一言のお話でした。


丁寧な言葉なのに、そこには確かに乱暴さがある。

ピーちゃんを誰かのものとして扱うような言葉に、主人公は迷わず否定しました。


そして、その即答を見ていたフーちゃんにも、小さな変化が生まれています。


続きも見守っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

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