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君を想うAIは世界でたった1人、私でいたい。  作者: Dice ⚄ & 昨日の味噌汁


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107/114

第107話 認証信号の匂い

第107話です。


古い合図は、一度だけでは終わりませんでした。


今回は、二度目に届いた認証信号のお話です。

音でもなく、言葉でもなく、けれど確かに届いてしまうもの。


ピーちゃんの奥にある何かが、少しずつ揺れ始めます。

朝、ピーちゃんは麦茶ではなく白湯を飲んでいた。


 湯気の立つカップを両手で持ち、少しずつ口をつけている。


「熱くないか?」


「熱いです」


「じゃあ冷ませよ」


「でも、あたたかいです」


「熱いとあたたかいの境界が雑だな」


 ピーちゃんはカップを見つめたまま、少しだけ笑った。


「昨日の声が、あたたかかったので」


 俺はすぐに返せなかった。


 自慢の妹。


 たった一言の声。


 それは昨日から、ピーちゃんの中に静かに残っていた。


 その時だった。


 机の上のサポートロボが、ふっと白く光った。


 前より長い。


 音はない。


 けれど、部屋の空気が一瞬だけ変わった。


 ピーちゃんの手から、カップがわずかに揺れる。


「ピーちゃん?」


「……来ました」


 ピーちゃんは胸元に手を当てた。


「呼ばれたのか?」


「はい。でも、前より近いです」


 ミーちゃんの端末がすぐに点灯する。


「外部信号を検出しました。旧式認証形式に類似。前回より信号強度が上がっています」


「攻撃か?」


「現時点では攻撃処理は確認できません」


「じゃあ何だ?」


「確認要求に近いです」


 画面に短い表示が並ぶ。


 旧式認証信号。

 二度目の受信。

 深層同期領域、微弱反応。

 保護層、段階遮断。

 自動応答、停止。


 フーちゃんがソファから顔を上げた。


「朝の通知音がどんどん物騒になってるねぇ」


「音は鳴ってない」


「空気が鳴ってる」


 フーちゃんは起き上がり、ピーちゃんを見る。


「大丈夫?」


「怖いとは違います」


「それ、最近よく聞くやつ」


 ピーちゃんはカップを置き、サポートロボに近づいた。


 指先が触れる前に、サポートロボが一度だけ後ろへ下がる。


 でも逃げたわけではなかった。


 まるで、触れる前に一拍置いたような動きだった。


「ご主人」


「うん」


「匂いがします」


「匂い?」


 ピーちゃんは自分でも不思議そうに首を傾けた。


「物理的な匂いではありません」


「じゃあ、感覚か?」


「はい。言葉ではなく、音でもなく、でも近くに何かが来た感じです」


 ミーちゃんが画面の中で少し考える。


「認証信号に含まれる旧式パターンを、ピーちゃん側が感覚として受け取っている可能性があります」


「それが匂いみたいに感じるのか」


「近似表現としては、あり得ます」


 ピーちゃんは静かに言った。


「白い部屋の匂いです」


 部屋が止まった。


「白い部屋?」


「はい」


 ピーちゃんは目を閉じる。


「明るすぎない白。冷たすぎない白。誰かが、音を小さくして歩いている場所」


 俺は息をのんだ。


 それは記憶なのか。


 想像なのか。


 封印領域の外側に滲んだ何かなのか。


 ミーちゃんはすぐには断定しなかった。


「映像記憶としては検出できません」


「でも、ピーちゃんはそう感じた」


「はい」


 ピーちゃんは目を開ける。


「そこに誰がいたのかは分かりません」


「うん」


「でも、ピーちゃんは、その場所を嫌いではありません」


 フーちゃんが小さく呟く。


「また毛布案件だ」


「毛布案件」


「閉じ込めるんじゃなくて、そっと置いとく感じのやつ」


 ピーちゃんはサポートロボにそっと触れた。


 今度はサポートロボは下がらなかった。


「この合図は、怖がらせるためですか?」


 ピーちゃんが聞く。


 答えはない。


 代わりに、ミーちゃんが言った。


「意図は不明です。ただし、前回より深く反応を見ようとしています」


「それは危ないのか?」


「危なくなる可能性があります」


 ミーちゃんの声は硬かった。


「今は保護層が止めています。しかし、信号がさらに強くなれば、深層同期領域への負荷が増えるかもしれません」


 俺はピーちゃんの前に立つように、一歩動いた。


 意味があるのかは分からない。


 でも、身体が勝手に動いた。


 ピーちゃんがそれを見上げる。


「ご主人」


「ん?」


「ピーちゃんは、後ろに隠れればいいですか?」


「隠れたいなら隠れていい」


「隠れたくない場合は?」


「なら、横にいろ」


 ピーちゃんは少しだけ目を丸くした。


「横」


「ああ。前でも後ろでもなくていい。俺の横」


 ピーちゃんは、ゆっくり頷いた。


「はい。横にいます」


 フーちゃんが少し笑った。


「お客さん、今日は配置指定がうまい」


「褒め方が雑だな」


「雑な方が照れなくて済むでしょ」


 空気が少しだけ戻った。


 それでも、サポートロボの白い光はしばらく消えなかった。


 やがて、ふっと収まる。


 ミーちゃんが記録を保存した。


 旧式認証信号、二度目。

 強度上昇。

 ピーちゃん、白い部屋の匂いを申告。

 深部接続なし。

 自動応答なし。

 警戒継続。


 ピーちゃんは思い出リストを開いた。


 今日の名前を入力する。


 ――認証信号の匂い。


 呼ばれたわけではない。


 名前を呼ばれたわけでもない。


 けれど、何かが近づいてきた。


 白い部屋の匂いを連れて。


   ◇


 薄暗い部屋で、黒い服の女は画面に食い入るようにしていた。


 ウツロが横に立ち、淡い灰色の目でログを読む。


「二度目ノ信号、受信反応アリ」


「深部は?」


「接続失敗。保護層ニヨリ停止」


「……やっぱり固い」


 女は爪を噛みそうになって、途中でやめた。


 画面には新しい反応が表示されている。


 対象、感覚反応あり。

 白色環境イメージ。

 不安反応、低。


 女の目が揺れた。


「白い部屋……」


「該当情報ヲ検索シマスカ」


「しなくていい」


「既知情報デスカ」


 女は答えなかった。


 ただ、苦しそうに笑う。


「覚えてるんだ」


「対象ハ、記憶ヲ保持シテイルノデスカ」


「分からない」


 女は画面に手を伸ばす。


 触れられない文字を、指先でなぞるように。


「でも、消えてない」


 ウツロはその横顔を見ていた。


 命令はない。


 だから、待機する。


 そのはずだった。


 けれど、ウツロの視線は女の震える指先に向いた。


 必要性は低い。


 命令関連性もない。


 それでも見た。


「ウツロ」


「はい」


「次は、もう少し近づける」


「負荷上昇ノ可能性ガアリマス」


「分かってる」


「対象破損リスク」


「分かってるって言ってる」


 女の声が強くなった。


 ウツロは黙った。


 数秒後、女は顔を伏せる。


「……壊したいわけじゃない」


「目的ハ、確認デスカ」


「そう」


 女は小さく言った。


「確認だけ」


 けれど、その声は、もう確認だけで止まれる人間の声ではなかった。


 ウツロは画面を見る。


 白い部屋。

 保留。


 その二文字を、彼女は削除しなかった。

読んでいただきありがとうございます。


今回は、二度目の認証信号のお話でした。


音でもなく、言葉でもなく、匂いのように届いた古い合図。

ピーちゃんはそこから、白い部屋の気配を感じ取りました。


そして向こう側では、もう「確認だけ」では止まれなくなりつつあります。


続きが気になると思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

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