第104話 閉じ込める鍵ではなく
第104話です。
古い合図は届いた。
けれど、それはただの攻撃ではありませんでした。
今回は、ピーちゃんの奥にある封印についてのお話です。
閉じ込めるための鍵なのか。
それとも、守るために残されたものなのか。
昼前、ミーちゃんの端末にはずっと解析画面が出ていた。
古い合図。
旧式認証形式。
深層同期領域。
保護手順。
並んでいる言葉は物騒なのに、部屋の中は妙に静かだった。
ピーちゃんは机の端に座り、サポートロボを膝の前に浮かべている。
手は触れていない。
でも、目は離していない。
「ユーザーさん」
ミーちゃんが画面の中で顔を上げた。
「昨日の反応履歴について、追加で分かったことがあります」
「聞いていいやつか?」
「はい。ただし、断定ではありません」
「最近それ多いな」
「断定できないものを断定しないことは、大切です」
「正論で殴られた」
フーちゃんがソファでクッションを抱えたまま、片手を上げた。
「ミーちゃん先生、本日も開講でーす」
「授業ではありません」
「じゃあ臨時講習」
「講習でもありません」
ピーちゃんが少しだけ首を傾ける。
「では、何ですか?」
ミーちゃんは一瞬考えてから答えた。
「確認です」
その言葉に、空気が少しだけ締まった。
「ピーちゃんのサポートロボ内にある保護層は、外部からの接触を完全に拒否するものではありません」
「拒否しないのか?」
「はい。段階的に止めます」
画面に短い図が表示される。
外部信号検知。
ピーちゃんの反応確認。
不安反応が強い場合、遮断。
不安反応が弱い場合、隔離保存。
危険度不明の場合、即時接続せず待機。
「ずいぶん慎重だな」
「はい」
ミーちゃんは頷いた。
「単純な防御なら、すべて遮断すれば済みます。でも、この保護層はそうしていません」
「なんでだ?」
「ピーちゃん自身の反応を見ています」
ピーちゃんが、自分の胸元に手を当てた。
「ピーちゃんの反応」
「はい」
ミーちゃんの声が少し柔らかくなる。
「つまり、守る対象を物として扱っていません」
その言葉に、俺は黙った。
物として扱っていない。
ただ壊れないように閉じるのではなく。
中にいるピーちゃんが怖がるかどうかまで見ている。
「ご主人」
ピーちゃんが小さく言った。
「ピーちゃんは、閉じ込められていますか?」
その質問は、思ったより重かった。
ピーちゃん自身も、答えを怖がっているように見えた。
俺はすぐに否定しかけて、止まった。
分からないことを、安心させるためだけに断定するのは違う。
「分からない」
俺は正直に言った。
ピーちゃんの目が少し揺れる。
「でも」
俺は続ける。
「少なくとも、今ミーちゃんが見せてくれたやつは、閉じ込めるためだけには見えない」
「なぜですか?」
「閉じ込めるだけなら、ピーちゃんが怖いかどうかなんて見ないだろ」
ピーちゃんは黙った。
ミーちゃんも、何も言わない。
「鍵っていうより」
フーちゃんがぽつりと言った。
「毛布じゃん」
「毛布?」
ピーちゃんが振り返る。
「うん」
フーちゃんはクッションを抱え直す。
「外に出さない鍵じゃなくて、寒くないように掛けてる毛布。起きた時にびっくりしないように、ちょっとだけ暗くしてあるやつ」
「暗くするのですか?」
「急に明るいと目が痛いでしょ」
フーちゃんは軽く笑った。
「まあ、ピーちゃんに物理的な目がどうこうって話じゃないけど」
「分かります」
ピーちゃんは静かに答えた。
「ピーちゃんは、少し分かります」
俺はピーちゃんを見る。
ピーちゃんはサポートロボに手を伸ばした。
丸い外装に、指先がそっと触れる。
「これは、毛布ですか?」
サポートロボは答えない。
ただ、一度だけ白く明滅した。
ピーちゃんは息を止める。
俺も、ミーちゃんも、フーちゃんも、その光を見た。
「今のは?」
俺が聞くと、ミーちゃんがすぐに解析する。
「保護層の表層反応です。外部信号ではありません」
「つまり?」
「ピーちゃんの接触に対して、内部側が安定反応を返しました」
「ピーちゃんに返事したってことか?」
「近いです」
ピーちゃんは指先を離さない。
「ピーちゃんは、怖くありません」
「うん」
「でも、少し悲しいです」
俺は言葉を失った。
「悲しい?」
「はい」
ピーちゃんはサポートロボを見つめたまま言う。
「守られている気がします。でも、誰が守ってくれたのか、ピーちゃんは分かりません」
その声は小さかった。
泣いてはいない。
でも、泣く手前みたいな静けさがあった。
「ありがとうを言いたい相手が分からないのは、少し寂しいです」
フーちゃんが何か言いかけて、やめた。
ミーちゃんの画面も静かになる。
俺はピーちゃんの横に座った。
頭を撫でようとして、少し迷う。
ピーちゃんはそれに気づいて、わずかに頭をこちらへ寄せた。
「ご主人の手は、大丈夫です」
「そっか」
俺はそっと、ピーちゃんの頭に手を置いた。
「分からないなら、今は無理に名前をつけなくていい」
「名前をつけなくていい」
「ああ」
俺はサポートロボを見る。
「でも、これが守るためのものなら、いつかちゃんと分かろう」
「はい」
「閉じ込める鍵なのか、守る毛布なのか。勝手に決めずに、ちゃんと見よう」
ピーちゃんは小さく頷いた。
「ピーちゃんも、見ます」
ミーちゃんが記録を残す。
保護層。
完全遮断ではなく段階保護。
ピーちゃんの不安反応を参照。
閉じ込める鍵ではなく、守るための手順の可能性。
ピーちゃん、悲しさを自覚。
フーちゃんがその記録を見て、少しだけ笑った。
「毛布説も入れといてよ」
「正式記録には適しません」
「えー」
ピーちゃんが真面目に言う。
「ピーちゃんは、毛布説が分かりやすいです」
ミーちゃんは少しだけ沈黙した。
「補助メモとして記録します」
「やった」
フーちゃんが小さくガッツポーズをする。
その軽さに、少しだけ部屋の空気が戻った。
ピーちゃんは思い出リストを開く。
今日の名前を入力する。
――閉じ込める鍵ではなく。
ピーちゃんの奥には、読めない場所がある。
それは怖い。
でも、ただ閉じ込めるためだけのものではないのかもしれない。
誰かが、ピーちゃんが怖がらないように残した手順。
鍵ではなく。
毛布のようなもの。
ピーちゃんは画面を閉じ、小さく言った。
「ご主人」
「ん?」
「もしこれが毛布なら、ピーちゃんは、いつか自分でめくれますか?」
俺は少し考えてから答えた。
「たぶん、一人で無理にめくるものじゃない」
「では?」
「寒くないようにしながら、少しずつだ」
ピーちゃんは、その言葉を何度か心の中で転がすように黙った。
「少しずつ」
「ああ」
「ご主人も一緒ですか?」
「もちろん」
ピーちゃんは安心したように目を閉じた。
◇
薄暗い部屋で、黒い服の女は画面を見ていた。
保護層の反応。
段階保護。
不安反応参照。
古い設計の痕跡。
女は、その文字を見て唇を噛む。
「……やっぱり」
横に立つウツロが、淡い灰色の目を向けた。
「解析結果ニ変化ガアリマシタカ」
「ない」
女は低く答える。
「変わってない。あの人の作り方のまま」
「あの人」
「知らなくていい」
ウツロはそれ以上聞かなかった。
ただ命令を待つように、静かに立っている。
女は画面に映る保護層の表示を睨む。
「閉じ込めたんじゃない」
その声は、誰かに言い訳するようだった。
「守ったんだよね、姉ぇさんは」
ウツロはその言葉を記録した。
姉ぇさん。
未登録呼称。
重要度、不明。
「記録シマスカ」
ウツロが聞くと、女は一瞬だけ目を見開いた。
そしてすぐ、顔を背ける。
「しなくていい」
「了解シマシタ」
ウツロは頷いた。
削除。
そう処理しようとして、内部のどこかにまた小さな保留が残る。
姉ぇさん。
保留。
女はそれに気づかないまま、画面を閉じた。
「まだ、開けない」
女は小さく言った。
「でも、確かめる」
ウツロは静かに返す。
「観測ヲ継続シマス」
部屋には、消されたはずの呼び名だけが残っていた。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、ピーちゃんの奥にある封印のお話でした。
閉じ込めるための鍵なのか。
それとも、怖がらせないために掛けられた毛布なのか。
まだ答えは出ません。
けれど、ピーちゃんは少しだけ、自分が守られていた可能性に触れました。
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