番外編 禁忌の研究者:七話
僕は生まれながらにして常軌を逸した存在であった。我が神――欲望と虚無の神に生み出された僕は、神の助けになるため……という名目で知識欲を与えられた。知識に貪欲なものは、時に有用な存在と成りうる。そういう意図で僕は創られた。
(……もっと知りたい。もっと……研究したい)
生まれて百年程。僕は既に、世界中のあらゆる知識が頭に入っていた。それは僕が神に有益たる存在と認められ、神の使徒であるということを証明するものだった。……普通なら、そこで止まっていたはずだ。神の使徒として、仕える神のために尽力する……それが、僕の進むはずだった未来だ。――しかし、僕に与えられた知識欲は、留まることを知らなかった。もっと知りたい。もっと研究がしたい。僕は徐々にその欲に飲まれ、ついには禁忌と呼ばれている知識に手を出すようになった。禁忌とは、我が神の記した知識。神の使徒には触れることすら許されない、この世界の「闇」そのものだ。知識欲が抑えきれなかった僕は、ついにそれに手を出したのだ。
(……面白い。もっと、もっと調べたい!)
僕は神の使徒としての役目を放棄し、神の管理する世界を放浪することにした。本来ならばそれは神の裁きが下される重罪だが、我が神は何も言わなかった。いや、言えなかった。何故なら、その時には我が神は封印されていたから。僕は自らの知識欲を満たすために、禁忌の研究に触れていった。自分の力に自信もあったし、誰も僕の実験を止めることは出来ない……そう考えていた。しかし……あの族長の娘に負けた。僕は生まれて初めて死の恐怖に触れ、魔族に恐れを抱いた。隷属され、プライドを捨て、マルベリー様のために生きることになった。……そんな状況でも、僕の知識欲が収まることはなくて。僕は、隷属された状態でも出来る、「禁忌の実験」を行った。それが、世界の生成……かつて我が神が成そうとした、成功した事のない実験……かつて文献で見たそれは、僕には到底成すことの出来ないものだった。だから、僕はその実験に手を加えた。……精神に干渉し、人々の記憶から世界を生成する――≪仮想世界≫を生み出すことにした。……結果として、実験は成功した。僕は自分で仮想世界を生み出すことが出来たのだ。それから僕は労働の休憩時間に仮想世界での実験を繰り返し、ついには「異世界」の分野まで手を出した。文献に記された「ぎゃるげー」とやらは、僕の好奇心を強く刺激するものだった。いつか実際に、この目で見たい……そんな折に、彼――ユウ君がこの世界に選ばれた。彼は「ぎゃるげー」の舞台にもなっている「学校」や「日本」を再現したのだ。族長の娘の仲間である彼がこの世界に来たのは予想外だったが……知識に飢えた僕にとってはとても好都合だった。
(せっかく新しい知識が手に入るんだ。あんな龍なんかに邪魔されてたまるか……!)
視界に映る、漆黒の龍。僕の世界をぐちゃぐちゃにしようとしている――害虫。
「……誰のものに手を出したか、その身に刻み込んであげるよ」
僕は足を速め、漆黒の龍の元へと向かっていった。
≪キュアアアアアァ!≫
シャドウプルートーの元に辿り着いた僕は、奴の甲高い咆哮を耳にした。シャドウプルートーは手当たり次第に炎を吐き、辺りを破壊していく。破壊された部分は、所々≪穴≫が空いていた。
「っ……!好き勝手やってくれちゃって……≪獄炎≫!」
≪キュアアア!?≫
漆黒の龍に炎魔法を放つと、龍は炎に包まれ悲鳴をあげる。しかし奴は翼を強くはためかせると、瞬時に炎を消した。
「相変わらずデタラメ、だねっ!」
次いで僕は剣を取り出し、シャドウプルートーの元まで高く飛び上がる。僕は剣の重量に従いながら身体を回し、奴の身体を斬りつける。
「≪螺旋≫!」
≪キュアアアアア!≫
シャドウプルートーの片翼を斬り落とし、身体から離れた翼は灰となって消える。奴は翼を失って体勢を崩し、バランスを保つのに必死だった。
「これで決めてあげるよ……!≪混沌式十六剣術……!≫」
≪……アアアアアアアア!≫
「何っ……!?うわっ!」
突然、シャドウプルートーが咆哮をあげ、爪を振り回してきた。僕は油断していたのか、奴の腕が当たり、その場で吹き飛ばされ、地面を転がる。……何とか体勢を立て直し、僕はシャドウプルートーの方を見上げた。
「……なんだ、あれは……?」
そこにあったのは、信じがたい光景だった。シャドウプルートーの額の部分に大きな赤い目玉が現れ、失われた翼の付け根からは炎で構成された翼が生えていた。新たな姿となったシャドウプルートーは獰猛な口を開き、そこに魔力を集めていく。
≪アアアアアアアア!≫
「……っ!」
まずい。奴はドラゴンブレスを放つつもりだ。奴の魔力の量は僕に匹敵する程で、あれを少しでも食らえば流石の僕でも命が危うい。……しかし、僕が避けられる見込みは薄かった。戦っていくうちに、いつの間にか袋小路に追い込まれていたのだ。
(まずい……!まずいまずいまずいっ!どうにかして、あれを防がないと……!)
防護魔法を使う?いや、あのドラゴンブレスにはおそらく効果がない。なら今のうちに逃げる?無理だ。ここから逃げるうちにブレスを放たれる。僕が攻勢に出てとて、結果は同じだろう。
「嘘でしょ……こんな所で、僕は……」
……仮想世界では、人間は精神から構成された存在なので、万一死んだとしても完全に死ぬことはない。死ぬほど辛い記憶として「死」が残るだけだ。ただ、例外が一つある。……それは、僕だ。僕はユウ君達とは違って、肉体と共にこの世界に在る。死んでしまえば、そこで終わりだ。
「嫌だ……僕はまだ、見たいものが……」
≪アアアアアアアアアア!≫
僕の呟きも虚しく、ドラゴンブレスが無慈悲に放たれた。シャドウプルートーは赤い目玉をギョロギョロと動かし、あちこちを破壊していく。やがてそのブレスは僕の方へと向かい、命を奪おうと迫ってくる。
「…………っ!」
僕はその場にへたり込んだ。――死の恐怖が、再び僕に襲い掛ってきたのだ。力が入らない。魔法で反撃しようにも、この震えた手のひらでは標準が定まらない。……完全に、詰みだ。
「……誰かっ……!」
僕は助けを求めた。腰を抜かして、とても滑稽な体勢で誰かに手を伸ばした。……しかし、僕の声に応えるものはなく。恐るべきブレスが僕の前まで迫る。
(……ああ……僕、ここで……)
僕は恐怖で目を瞑った。身体にはもはや抵抗する力は残っておらず、後はただ死を受け入れるのみ。死の恐怖が、眼前まで迫っていた。――そんな時だった。
「≪ガード≫!」
誰かの声が、目の前から聞こえた。……僕は恐る恐る目を開けて、その誰かを確認する。
「……ユウ君?」
「あっぶねぇ……!お前いきなり走るなよ……追いつけないかと、思っただろ……?」
ユウ君は息を荒げながら、今にも倒れそうな身体を手に持っている剣で支えていた。僕の目の前に迫っていたはずのドラゴンブレスは、何処かへ消えていた。僕は身体を起こしながら、ユウ君を見る。
「ユウ君……その剣は……!?」
「あ、これ?……なんか勝手に出てきたんだよ。お前を追ってたら、お前があのドラゴンと戦っているのが見えてさ。加勢しないとって思ったら剣が出てきた」
ユウ君はそう言って、僕に剣を見せてくる。……その剣は何処か見覚えのある禍々しい形の剣で、色は目を引くような銀色をしていた。……いや、今はそれどころじゃない。
「ユウ君、まさか助けてくれたの……?どうして……?」
「……どうしてって、知り合いが死にそうになったら、普通助けに行くだろ」
「僕達、あって日も浅いのに?」
「そんなの関係ない。それに、誰かが死ぬのなんて見たくないしな」
「…………」
ユウ君は堂々とした様子でそう言った。それを見て、僕は自分が助けられた事を改めて実感した。死への恐怖が薄まり、生きているということへの安堵感が胸に浮かんできた。
「……アルジュナ、お前……大丈夫か?涙が出てるけど……」
「……え?」
ユウ君にそう言われて、僕は自分が泣いている事に気づいた。デーモンにそんな器官はないはずなのに、涙が止まらない。僕はそれを不思議に思いながら、その涙を拭った。心配そうにユウ君が顔を覗き込んでくるのを見て、僕は言った。
「……ごめん、ありがとう。ユウ君。僕はもう大丈夫だよ」
「そ、そうか」
「よし、じゃあまずは……あの害虫を駆除するとしようか」
僕はユウ君に笑みを浮かべながらそう呟いた。不思議と、気分は晴れやかで、先程感じていた恐怖が嘘のようだった。僕は暴れる龍に向き直って、手をそちらにかざす。魔力を込め、奴を倒すことに意識を向ける。
≪アアアアアアアアアア!!≫
「……吹き飛べ。≪混沌式第十六魔術……「無我」≫!」
≪アアアアアアアア!?≫
凝縮された魔力の弾丸が放たれ、シャドウプルートーの身体を穿った。シャドウプルートーの翼の炎が消え、赤い目玉は光を失った。やがて、奴の姿が陽炎のように揺らめき、灰となって消えていった。ユウ君が驚いたように僕を見てくる。
「す、すげぇ……お前、そんな事も出来たのか?」
「……僕は研究者だからね。研究者たるもの、あれくらいの魔法は使えて当然さ」
「……やっぱ、お前やばい奴だな」
「ふふ、褒め言葉として受け取っておくよ」
僕は微笑みながら、同じく笑っている彼の顔を見つめる。……すると、何故か僕の胸が高鳴るのを感じた。彼の笑顔がやけに可愛く、かっこよく見えて、僕は思わず見惚れてしまう。
「…………」
「ん、どうかしたか?俺の顔になんかついてる?」
「い、いや……別に」
どうしたのだろう。胸の高鳴りが止まらない。彼の顔をまともに見られない。胸に沸き上がる何かが、抑えられない。……だから、僕は欲望のままにある行動に出ることにした。僕は目を逸らしながら、ユウ君に声をかける。
「……ねぇ、ユウ君」
「ん、なんだ?」
「……シャドウプルートーが現れた以上、早くこの世界から出ないと危険だ。またいつあいつが現れるか分からない。一刻も早く、恋人を作らないと」
「……そうは言っても、さっきの今で恋人の事とか考えられないぞ。まずは家に戻らないと……」
「いや、その必要はないよ」
「何言ってんだ、また作戦会議を…………!?」
ユウ君の言葉の途中で、僕はユウ君を抱きしめて、彼の自由を奪った。彼は戸惑っているのか、僕を引き剥がそうとはしなかった。
「あ、アルジュナ?一体何を……」
「ユウ君。さっき、僕は言ったよ。世界を弄って、「僕」を攻略対象に加えた、って」
「確かに言ってたけど……それと今の状況に、一体何の関係が――」
――彼はまた、途中で言葉を止めた。次いで目を見開いて、顔を赤くした。……彼は僕を引きはがして距離を取った。彼は驚いた表情で、頬を押さえていた。
「……お前、今、何を……!」
「おめでとう。……これで君は、目標を達成した」
僕は唇に手を当てて、笑顔を浮かべてみせる。彼の赤くなった顔が、とても可愛らしくて……僕は心が満たされるのを感じた。
「……い、今のやつって……キ」
「おっと、口にするのは野暮ってやつだよユウ君。……それより、君には一時的とはいえ恋人を作ったんだ。もっと喜んだらどうだい?」
「こ、恋人って……そんな事言われてもだな……」
ユウ君がしどろもどろになっていると、世界に変化が現れた。あちこちの景色が歪み、建物が消滅していく。
「……うまくいったみたいだね。もうすぐこの世界は再構築され、登場人物達は元の世界へ……僕と君が、望んだ結末だ」
「アルジュナ……」
「ユウ君、ここでお別れだ。短い間だったけれど、君と一緒にいて楽しかったよ。……また、元の世界で会おうじゃないか」
「……ああ、またな」
僕が別れの言葉を言うと、ユウ君はぎこちなくそう返した。次の瞬間には、僕達の姿は互いに見えなくなっていた。
――――僕の視界が、歪んでいく。先程まで立っていた所が見えなくなり、僕はまるで、暗闇にとらわれたかのような感覚に陥る。……それでも、この胸の奥で燃え上がる思いが、燻ったりすることは決してなかった。




