第二十九話 ベリル
「そう。俺はベリル。ベリルだ。所謂――悪魔って奴だ」
コウと瓜二つの黒髪の少年――ベリルは、片手で剣を弄びながらそう言った。フェリスは槍を構え、警戒しながら彼を見る。
「……あなたが、悪魔ベリル……」
「ホロウの野郎を抑えてくれて助かったぜ、天使サマ。おかげで俺は表に出てくることができた」
ベリルは笑みを浮かべ、フェリスを見る。その瞳には欲望の混じった光が宿っており、それを見てフェリスは目を細めた。
「……目覚めてしまったのですか。あなたに眠る、悪魔の力が」
「ああ。この力があれば、俺はベリルとして生きられる。もう、コウの操り人形にならなくていいんだ」
ベリルはフェリスの側にいるコウを指差し、彼への憎しみを露わにする。それは、仇を憎むような表情として表に現れていた。
「……俺は、コウを壊す。そして、俺が!完全になるんだ!ただの操り人形じゃない、完全な悪魔に!」
声高らかにそう宣言したベリルは、剣を構えてコウの元に走る。ベリルは剣を振りかぶり、コウに斬り掛かった。
「…………」
しかし、コウはそれを槍で受け止めた。既に意思なきその肉体は、創り変えられた天使として、本能だけで動いていた。悪を滅する、正義の使徒として。
「ハッ、ざまあねぇな!今度はお前が操り人形になったのか!」
「…………」
「お前が俺から全てを奪ったんだ……姉さんを、俺の身体を……俺の自由を!」
ベリルはコウから剣を離し、別の角度から斬り掛かった。コウは身体を逸らしてそれを躱し、槍を振るう。
「甘えんだよ!」
ベリルはそれを弾いて、その隙に剣で斬り払う。コウの身体から赤い血が流れ、コウの動きが鈍くなる。
「…………!」
「どうだ!俺はお前よりも強い!いつも部屋の中でウジウジしていた、お前よりもだ!」
ベリルの瞳に宿る光が加虐性を増し、剣に邪悪な光が宿る。それを見て、フェリスは目を見開いて驚く。
「なっ……!まさか、それは……!」
「とどめだ……!――くらいやがれっ!」
「駄目です、それは――!」
フェリスの静止も虚しく、光が宿った剣がコウを捉える。コウの身体は真っ二つに斬り裂かれ、彼についている羽根は消失した。コウはその場に倒れ、槍を取り落とした。
「はは……!やった、やったぞ!俺の勝ちだ!これで俺が、完全な悪魔に……!」
「――それはどうだろうな」
ベリルが愉悦の笑みを浮かべた時……誰かの声が響き、彼の目の前に、二つの影が現れた。水を刺されたベリルは、怒りの表情を浮かべて影を見る。
「誰だ!?」
「――俺は、スレイプニール。この世界……世界0001の――管理者だ」
影の一つは、神秘的な服を纏った男だった。男――スレイプニールはベリルを見て目を細め、彼の隅々まで視線を向ける。
「……ふむ。報告の通りだな。まさか、これ程までに似ているとはな……」
「なんだ、お前は……!邪魔するんじゃねえよ!」
ベリルは激昂し、スレイプニールに斬りかかる。しかし、その刃が彼に届くことはなかった。刃は、もう一つの影によって止められたからだ。
「――痛くもかゆくもねぇな。お前――本当に同族か?」
それは、異形の怪物だった。怪物の漆黒の腕がベリルの剣を容易く受け止め、怪物は獰猛な笑みを浮かべた。それを見て、ベリルは恐怖を感じながら、口を開いた。
「……お、お前、なんなんだよ……!」
ベリルの言葉を聞いた怪物は、笑みを浮かべながらこう言った。
「俺か?俺は――ベリル。やっと見つけたぜ、俺の偽物野郎」
怪物の言葉に、ベリル――いや、ベリルの偽物は。目を見開いて、剣を取り落とした――
――――
「……俺が、偽物……?な、何を言ってるんだ?」
「そのままの意味だ。お前は俺じゃねぇよ。名無しの悪魔……それが、お前だ」
ベリル――ネームレスは、意味が分からないといった表情を浮かべ、頭に手を当てた。それを見て、怪物――ベリルは、どこか愉快そうにネームレスを見る。
「そこのクソ天使にお前を教えられた時は、びっくりしたぜ。なんせ、俺の名を騙る偽物の悪魔が現れたっていうんだからな。クソ天使が俺を騙すために嘘をついたのかと疑ったぞ」
「……天使は嘘をつかないんですよ、バカ悪魔」
フェリスがため息を吐きながら、ベリルに悪態をつく。そして、ネームレスの方を見て、視線を鋭くする。
「……あなたは不完全な儀式によって生まれた、異界の悪魔……未熟な子供の闇……それがあなたの正体です」
「で、俺達はこの世界に来たお前を消すために、そこのクソ天使に一芝居打たせて、お前を完全に消去するためにやってきたんだ」
ベリルの言葉に、ネームレスはハッとする。フェリスがコウを天使の姿に変えたこと……そしてコウが殺された時の、あの必死の表情……それは全て、自分をここまで追い詰めるための芝居だった――!
「……ホロウがあなたを捕らえたのは想定外でしたが……奴を表に出せたのは大きな成果でした。あとはあなたを消去すれば……この大がかりな演劇も、フィナーレを迎えるでしょう」
「……!?」
――嘘だろ。俺が……消される?こんな、奴らに……?ネームレスの思考が真っ白になり、彼は動揺したように顔色を青くする。
「……い、嫌だ!やめろ!俺はただ、自由になりたかっただけなんだ!消さないでくれ!」
「……申し訳ないのですが、あなたがこの世界にいることは、許されないことなのです」
「……名無しの悪魔は、存在するだけで、本来あるべきはずの世界の姿を変えてしまう。管理者として、見過ごすわけにはいかない」
「そういうわけだ、偽物野郎。お前に恨みはねぇが、とっとと消させて貰うぜ」
ネームレスの元に、フェリス、スレイプニール、ベリルの三人が迫る。ネームレスはすっかり戦意を喪失し、その場にへたり込んだ。
「あ、ああ……」
「せめて一瞬で消してやるぜ、偽物野郎――!」
ベリルが拳を振り上げた、その時――ネームレスの身体が、撃ち抜かれた。ネームレスは血を吐いて、声も上げずにその場に倒れた。突然の事態に、ベリルは首を傾げる。
「あ?なんだ今の……おい、クソ天使。てめぇの仕業か?」
「い、いえ。私は何もしていませんが……」
「……俺も同じだ。今の攻撃は、一体……」
「――俺の、攻撃ですよ、皆さん」
背後から聞こえた声に、三人は振り返る。……そこには、先程殺されたはずの少年――コウの姿があった。
「嘘……####コウ?……あなたは先程、私が≪天使化≫したはずで……」
「ああ、あの無意味な行動ですか。天使になど、なるわけがないでしょう。少し一芝居打っただけなのですから」
コウは手をかざすと、自らの背後に六つの羽を出現させる。それを見て、フェリスは目を見開いて驚く。コウは無表情のまま、声だけは抑揚をつけて話を続ける。
「まぁ、この身体に巣食う病を治してくれたことには感謝します。おかげで……本来の力を取り戻せました」
「……なるほどな。この魔力……てめぇが本物の名無しの悪魔か」
ベリルの言葉に、コウは口角を少しだけ上げた。コウは警戒する三人を他所に、ネームレスの元に歩いていく。
「……少しだけ、違いますよ。ベリルさん。俺は名無しの悪魔じゃありません。俺は――顔無しの悪魔、と呼ばれています。そこで可愛らしく眠っている、本物のコウを糧として生まれた、異界の悪魔です」
「顔無しの悪魔……つまり、今貴様が攻撃したのは……ネームレスではなく、####コウ……!?」
スレイプニールの指摘に、コウ――フェイスレスは残虐な笑みを浮かべて実に嬉しそうに答えた。
「お見事!流石は神の使徒ですねぇ!随分と頭の出来も良いようで!」
「……貴様は何を企んでいる。俺達を欺き、器である####コウを殺した……貴様の目的は、なんだ!」
スレイプニールの言葉に、フェイスレスはわざわざ考えるような素振りをして、愉快そうに羽を羽ばたかせる。
「目的……目的ですか。特にありませんよ、目的など」
「……何?」
「強いて言うなら……せっかく記憶を取り戻して、自由になったんですから、楽しい事がやりたいです!例えばそう……この素直で純真なコウさんを、絶望に叩き落とすとか!あ、でももう死んでるんでしたっけ!アハハハハハハ!」
フェイスレスはコウの頭を掴み、残虐な高笑いをあげる。三人は警戒したように身構え、フェイスレスを睨む。
「……そこのバカ悪魔も大概ですが……あなたは、倫理観の欠片もない最悪の馬鹿ですね……!」
「ま、悪魔ってやつはこんなもんだよな……!あと言っておくがクソ天使、俺はもう少しマトモだろが?」
「……貴様はこの世界に害をなす存在だ。俺は貴様を、見逃すことはできない……!」
武器を構え、臨戦態勢となった三人を見て……フェイスレスはコウの頭を離し、地面に落とす。その顔には、なおも残虐な笑みが浮かべられていた。
「皆さん、とても怖い顔をしていますね。……ですが、すぐに笑顔にして差し上げますよ――≪改変≫」
フェイスレスが手をかざすと、辺りの景色が歪み始め、世界が赤い光に包まれる。異様な光景を前にして、三人は狼狽え始める。
「……っ!なんですか、これは!」
「偽物野郎、てめぇ一体何しやがった……!?」
「これは……!ベリル、フェリス!撤退だ!この光に包まれたら、もう――」
スレイプニールが言い終える前に、三人の姿が消える。同時に、虚無龍に荒らされていた地形も……元の姿に戻っていく。いつの間にか、コウの姿も消えていた。元の姿に戻っていく世界を眺めて、フェイスレスは愉悦の感情に満たされる。
「……やり直しましょう、最初から」
フェイスレスの羽が羽ばたき、彼の頭の上に光の輪が現れる。まるで天使のような姿に変わった彼は、喜色を乗せた声で呟いた。
「俺と出会わない世界を――神が蘇る世界を」




