第二十八話 アカリ
それからの道中は、とてもスムーズだった。オリーリヤが襲いかかるミラードを次々と倒し、私達への攻撃はイヴリプスが全て防いでくれている。何でも、イヴリプスは回復魔法と防御魔法というもののエキスパートらしく、並の攻撃では歯が立たないのだとか。……まるで、ゲームみたいな話だ。
「……オリーリヤ。今さらだが、私達はどこに向かっているんだ?」
オリーリヤに連れられて、数時間程度。元の世界に戻るためにずっと彼女の後ろをついて行っていたのだが、何か出口のようなものは見当たらなかった。不安な気持ちでオリーリヤに尋ねると……彼女は、丁寧に答えてくれた。
「俺様達が向かっているのは、次元のヒビがある場所だ」
「次元の、ヒビ……」
「まぁ、簡単に言えば、この世界と別の世界が繋がっている通り道のようなものだな。そこを通れば、おそらく貴様らの世界に戻れるはずだ」
「……次元のヒビ、ですか。それは、かなり危険なもののはずですが」
オリーリヤの言葉に、母さんが警戒したような反応を見せる。そんな母さんの顔を見て、オリーリヤは不敵な笑みを浮かべる。
「ほう、次元のヒビのことも知っているか。貴様は本当に変わった人間だな」
「……次元のヒビは、世界の記録が眠る不安定なゲート。下手をすれば、通った人間がヒビの一部になることもある危険な場所です」
「その通りだ。随分と博識なことだ」
母さんの言葉に、オリーリヤは頷いた。……どういうことだ……?何故、オリーリヤはそんな場所を目指している?そう疑問に思っていると、彼女は笑みを崩さずに言葉を続けた。
「しかし、俺様やイヴリプスがいるなら話は別だ。俺様達「神の使徒」は、世界を渡る力を得ている。俺様が貴様らと共にヒビを通れば、貴様のようなでか女がヒビの一部になることはない。もちろん、ビャクヤとそこの小娘もな」
「なっ……またでか女と……!訂正しなさい!」
「ふん、事実を述べて何が悪い」
母さんに身体を揺さぶられても、オリーリヤはどこ吹く風だ。……オリーリヤは母さんに当たりが強いが、ちゃんと私達が元の世界に戻れる方法を考えてくれていたのだ。私はホッと安堵の息を吐いた。
「……それで、そのヒビとやらはどこにあるんだ?」
「まだ少し先だな。……ここから先は、ミラードの数が多くなる。イヴリプスから離れるなよ」
「結界魔法が持つか、わからないけどねぇ……でも、ビャクヤちゃん達は、私が守るからねぇ」
「カッカッカ。イヴリプス、ビャクヤ達はこっちだぞ?」
見当違いの方向を向いているイヴリプスをオリーリヤが注意すると、イヴリプスは笑みを浮かべながらこちらに向き直った。
「あら、ごめんなさいねぇ。最近、目が悪くなってねぇ……」
「……それは、本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫よぉ。魔法はしっかりと発動しているからねぇ」
……何故だろう、とても不安を感じる。いや、この人が凄い人というのは分かっているが……
「――さて、そろそろ休憩としよう。そこの小娘が、随分と疲れているようだからな」
……突然、オリーリヤがそんな事を言って、私の後ろを指差した。……彼女の指差す先にいたのは、これまでずっと黙っていたアカリだ。アカリは息が荒く、顔色がどこか悪いように見えた。
「アカリ!?どうした、大丈夫か!?」
「……ごめん、ビャク姉。ちょっと疲れちゃって……」
私がアカリの肩に手を当てて顔を見つめると、アカリはどこか申し訳なさそうに視線を逸らした。……確かに、ここに来てからずっと歩きっぱなしだったからな。疲れるのも無理はない。
「謝らなくていい。……イヴリプスさん、水と何か食べ物を貰えますか?」
「お菓子しかないけれど、それでもいいかい?」
「大丈夫です。……アカリ、少し休憩しよう」
「う、うん……分かった」
「オリーリヤ、すまない。安全な場所に案内してくれないか?」
オリーリヤにそう言うと、彼女はすんなりと頷いてくれた。
「よし、ならばそこの建物の中がよかろう。もしミラードが襲ってきたら、俺様とでか女でなんとかする」
「またでか女……!こ、コホン。安心してください、二人共。二人は私が守ります」
「ありがとう、母さん」
こうして、私達は建物の中で休むことになった。
――――
「……ほら、これを食べるといい」
「……ありがと」
アカリにイヴリプスからもらったお菓子を渡すと、アカリはそれを少しずつ齧る。今、この建物の中にいるのは私とアカリだけだ。オリーリヤとイヴリプス、そして母さんの三人は、ミラードに襲われないようにと見張りをしてくれている。私はアカリの隣に座ると、自分の疲れを取り除くように息を吐いた。そしてアカリがお菓子を食べ終わるのを見て、会話を始めた。
「……すまない、アカリの体調を考慮していなかったな」
「だ、大丈夫だよ。僕も皆に何も言ってなかったからさ。ビャク姉のせいじゃないって」
「……いや、私の落ち度だ。自分のことで精一杯で、アカリの不調に気が付かなかった……アカリは、私が守ってやらないといけないのに」
「……!ビャク姉……」
……私は俯き、拳に力を込める。思えば、気づける場面はあったんだ。アカリはこの世界に来てからずっと、どこか切羽詰まった様子だった。母さんが青い勾玉を壊した時も、オリーリヤと一緒に行動している時も……ずっと、アカリは笑っていなかった。ちょっと考えれば、すぐに異変に気づけたはずだ。
「……すまなかった」
「……謝らなくていいよ。悪いのは寧ろ……僕の方じゃん」
アカリは私の手を取って、泣きそうな表情で私を見上げた。その表情を見て、私は目を見開いた。
「……アカリ?」
「……この世界に来たのは、僕があの勾玉を持ってたせいでしょ。ビャク姉も母さんも、僕のやらかしに巻き込まれただけ……謝るのは、僕の方だよ」
アカリは視線を落として、私に身体を預けてくる。普段とは違うアカリの様子に、私は言葉を発せられないでいた。
「……あの勾玉を拾った時……またコウ君に会えた気がした。コウ君が帰ってきたって、嬉しかった。……だから、手放せなかったんだ」
「アカリ……」
「ちょっと冷静になったらわかるのにね。あの勾玉が……コウ君の偽物だって。でも、僕は馬鹿正直にあの勾玉を信じて……二人を巻き込んで、母さんに酷い事を言った」
少し間をおいて、アカリのしゃくりあげる声が聞こえてくる。
「……ごめん……ごめんなさい……」
……そうか。アカリはそれ程までに、コウの事を……大切に思っていたんだな。死んだことが受け入れられなくて、まだ生きていると信じたくて……そこを、あの勾玉に付け込まれた。
「……大丈夫だ、アカリ。謝らなくていい」
私は、泣きじゃくるアカリを優しく抱きしめた。すぐに、アカリの涙交じりの声が返って来る。
「でも……僕のせいで……」
「家族が死んだのを哀しむことは当然のことだ。死んだ事実を受け入れられないのも、まだ生きている事を信じたくなるのも、おかしな話じゃない」
――今でも、私は昔の夢を見る。コウと過ごした日々の事を。三人で過ごした、あの楽しい日々を。
「……私もずっと、コウと過ごした日々を忘れられない。お前と一緒だ。私達は――ずっと三人一緒だったからな」
「ビャク姉……」
「何度も三人でゲームをした。コウを連れて出掛けた事もあったな。他愛もない話をした。二人との思い出は……私にとっての宝物だ」
「……うん、僕も、同じだよ。ビャク姉がいたから、コウ君がいたから、今の僕がいるんだ……」
アカリは涙で濡れた顔を上げ、私の顔を見つめる。私は笑みを浮かべながら、アカリの頭を撫でる。
「……コウは私達の中で生きている。紛い物の勾玉じゃない。本物のコウは、心の内にいるんだ」
私は自分の胸に手を当て、アカリの瞳を見つめ……穏やかな声色で告げる。
「だから……泣いてもいい。悲しんでもいい。お前の気持ちは私達が受け止める。私達は……これからも、ずっと三人一緒だ」
「……っ、ビャク、姉っ……」
アカリは私の胸に顔を埋め、声をあげて泣いていた。私は瞳を閉じて、アカリの背中を優しく撫でた。……姉は、妹に優しくするべきだからな。そうだろう……?……コウ。
――――
「……ふむ。一件落着、と言うやつか?」
建物の入り口で、私の隣に立つ異形の少女は言う。私は彼女に鋭い視線を向けながら、返事をする。
「……そうですね。あなたの思惑通りです」
「カッカッカ!正確に言えば、イヴリプスの企みだがな」
「おや、私は何もしてないけどねぇ……でも、ビャクヤちゃんとアカリちゃん、さっきより笑顔になった気がするねぇ」
「……はい」
……この裏世界に来てから、アカリさんはずっとどこか浮かない顔をしていた。それを察知したイヴリプスさんが、オリーリヤさんに助言し――どうやって助言したのかは分からないが――アカリさんは、自分の本心をビャクヤさんに明かし、元のアカリさんに戻った。
「……ありがとうございます。おかげで、心のつかえが取れました」
「なに、礼には及ばん。乗りかかった船と言うやつだ。それに、俺様はただ休憩を取ろうと言っただけだからな」
オリーリヤさんはそう言って口角を上げ、右手で私の肩を叩く。私はそれを甘んじて受け入れながら、建物の中でアカリさんをなだめているビャクヤさんを見る。
(……本当に、大きくなりましたね……)
私の大切な、二人の娘。彼女達は小さな頃と比べて身体も大きくなり、精神も大きく成長した。でも同時に、子供であるがゆえの危うさを孕んでいた。
(……でも、彼女達は成長している。コウさんの死を受け止め、また歩みを進めようとしている。……私よりも)
……コウさん――大切な息子が事故で亡くなった時、私は胸が張り裂けるような思いでした。彼は賢い子でした。私よりもアカリさんとビャクヤさんの事を知っていて、人の些細な変化にも気付ける……とても、優しい子だったのです。あの人と離婚し、疎遠気味になった時も……コウさんは私に、息子として接してくれた。それが、どれほど嬉しかったことか。
(……まさか、私より先に逝くなんて……)
私もまだ、あの子の死を乗り切れていない。けど、ビャクヤさんが言ったように、私の中にもあの子は生きている。私が忘れない限り、ずっと。――そうやって少し黄昏れていると、ふと、オリーリヤさんが私の方を見てこう言った。
「……ふむ、良い顔をするじゃないか。でか女」
「……いい加減、でか女と呼ぶのを止めてください。私にはミコトという名前があるのですよ」
「カッカッカ。俺様は俺様が認めた奴しか名を呼ばん主義でな。今更治るまいよ」
オリーリヤさんはそう言って、空の方に視線を向けた。彼女は私よりも幼い少女のように見えるが、その雰囲気は、どこか大人びているように見えた。
「……あなたは、不思議な人ですね」
「ほう。俺様が不思議な人、か。何故そう思う?」
「……私達を助けてくれたり、手を貸してくれたり……でも、いい人かと思いきや、傍若無人な振る舞いをしたり、変なあだ名をつけたり……これが不思議な人でなければ、なんだというのですか」
「カッカッカ。俺様は自分の欲望に従っているまでだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「……欲望、ですか」
「うむ。己の欲に従い、自らの正しさを証明する……それが、俺様の生きる意味だ」
オリーリヤさんはそう言って、得意げな笑みを浮かべた。
「……私、やはりあなたが苦手です」
「カッカッカ!それは残念だ。同じ強者同士、話が合うと思っていたのだがなぁ?」
「……ふん」
私がそっぽを向くと、オリーリヤさんが右肘で小突いてくる。それを少し疎ましく思いながらも、どこか悪い気はしなかった。
――――
休憩が終わり、再びオリーリヤに連れられた私達は、ついにヒビの場所に辿り着いた。道中はミラードに襲われる事はなかった。
「……ここが、次元のヒビだ」
オリーリヤの指差したその場所には、虹色の霧のようなものが掛かっていた。手を伸ばしても距離は縮まらず、手を引いても遠ざかっているようには見えない。……それだけで、ここは人間の理解の範疇を超えた場所だということが分かった。
「あとは俺様とイヴリプスが道案内をするだけだな。準備はいいか?」
「……ああ。もちろんだ」
「……僕も、大丈夫」
私とアカリが返事をすると、オリーリヤは何やら意味深な笑みを浮かべてアカリの方を見た。
「ほう……小娘、良い顔になったじゃないか」
「こ、小娘?それって僕の事?」
「ああ。強き戦士の顔だ。俺様の一番好きなものだな」
「強き、戦士……?」
……アカリはわけがわからないといった様子で首を傾げている。私にも意味は分からないが、悪い意味ではないんだろうなということは分かった。
「……ふざけていないで、道案内をしてください」
母さんがそう言うと、オリーリヤは笑い声をあげた。
「カッカッカ。ちょっとしたお茶目と言うやつだ。――それでは、行くぞ。ヒビを開けてくれ、イヴリプス」
「わかったよぉ。じゃあ、少し待っていてねぇ」
オリーリヤの指示でイヴリプスがヒビに手をかざすと、虹色の霧に白い光が差す。光は霧を押しのけ、その幅が広がっていき……やがて、白い裂け目が生まれた。
「綺麗に開いたよぉ。これで通れると思うんだけどねぇ」
「上出来だ。よし、ついてくるがいい。ビャクヤ、小娘。あとでか女」
「だ・れ・が!でか女ですかっ!」
オリーリヤが裂け目に向かって歩きながら手招きをすると、あだ名呼びに苛立った母さんが真っ先についていく。私とアカリはそれに続いて、オリーリヤの後をついていく。
「……なんだ、ここは」
裂け目の中には、異様な光景が広がっていた。見たこともないような町並みや、怪物と戦う人々の姿。それらがスクリーンに映る映像のように、その空間の背景となっている。
「一応言っておくが、あれらに手を伸ばしたりするなよ。下手をすれば、貴様らもあの背景の一部となるぞ」
「……!?」
オリーリヤの言葉に、私は伸ばしかけた手をさっと引っ込め、前を向いた。アカリも同じように辺りを見渡すのをやめて、自分の身体を抱く。
「……二人を怖がらせないでくれませんか?」
「カッカッカ。万が一の事があっては困るからな。必要な注意だ」
オリーリヤはそう言って、引き続き前を歩いていく。アカリは母さんにしがみついて、ガタガタと震えながら辺りを警戒していた。
「……アカリさん、大丈夫ですよ。普通に歩いていれば問題ありません」
「そ、そうなの?」
「……不安なら、そのままでも構いませんよ」
怯えた様子のアカリに、優しい声を掛ける母さん。私はそんな二人を見ながら、ひたすらにヒビの中を歩いていく。――やがて、オリーリヤが足を止めた。
「――着いたぞ。ここがおそらく、貴様らの世界に繋がる場所だ」
「ここが……?何もないぞ?」
そこは、明らかに道の途中といったような場所だった。私の言葉を聞いて、オリーリヤは不敵な笑みを浮かべる。
「イヴリプス。結界は張ったままか?」
「もちろんだよぉ。あと六十六時間は持つだろうねぇ」
「よし。……では、皆、後ろを見てみろ」
オリーリヤの言う通り、私達は歩いてきた道を振り返る。……すると、そこには見覚えのあるものが映っていた。
「あれは……私の部屋か?」
それは、自宅の私の部屋――この世界に来る直前まで、私達がいた場所だった。アカリと母さんも同じ事を思ったのか、目を見開いて驚いていた。
「ほんとだ、ビャク姉の部屋だ……」
「……なるほど、これが次元のヒビ……まさしく、世界を繋ぐ橋ですね」
二人の言葉を聞いて、オリーリヤは満足そうに笑う。彼女は私の近くまで歩いてくると、軽く私の背中を叩いた。
「どうやら道は正しかったようだな。あとは、貴様らがあそこまで歩くだけだ」
「……あなた達は、来ないのか?」
「もう俺様達の役目は終わった。そうだろう、イヴリプス?」
「そうだねぇ。結界も張ったままだから、安全に戻れるはずだよぉ」
オリーリヤとイヴリプスは笑い、私達の横に立つ。……そうか。この二人とも、もうお別れなのか。なら、礼儀は尽くさないとな。
「……本当にありがとう。オリーリヤ、イヴリプスさん。あなた達に出会えてよかった」
「あ、ありがとうございました!」
「……一応、礼は言っておきます」
アカリと母さんも続いて礼を述べた。オリーリヤとイヴリプスは変わらぬ様子で言葉を返した。
「カッカッカ!何、俺様は道案内をしただけだ。だが、その礼は素直に受け取ってやろうではないか」
「短い間だったけど、楽しかったねぇ。また、どこかで会えるといいねぇ」
二人の言葉を聞いて、私は笑みを浮かべた。――オリーリヤは、私達の進む先を指差した。
「さぁ、行け。お前たちの世界へ。――また会おう、ビャクヤ」
「……ああ」
イヴリプスは、柔らかな笑みを浮かべたまま、アカリと母さんの手を握った。
「アカリちゃんも、ミコトちゃんも、また会えるといいねぇ」
「うん!イヴリプスさん!」
「……ええ。またどこかで」
そうして、別れの挨拶を済ませ、私達はヒビの先へ歩き出した。進むたびに視界が歪み、周りの風景が徐々に切り替わっていった。……だが、不思議と恐怖は感じなかった。ただ温かな気持ちが、私の心の中に広がっていた。
――――
「……ふむ。上手くいったようだな」
視線の先……元の世界に戻ったビャクヤ達を見て、オリーリヤは呟く。彼女の横では、イヴリプスがビャクヤ達に向かって手を振っていた。
「可愛らしい子たちだったねぇ。里の子たちも、あれくらい素直だったらよかったんだけどねぇ……」
「……また、昔の話か?」
イヴリプスの言葉に、オリーリヤは首を傾げる。しかし、イヴリプスはオリーリヤの問いには答えず、笑みを浮かべるだけだ。いつも通りの彼女の姿に、オリーリヤは少し口角を上げた。
「まぁいい。そろそろ、任務に戻るとしよう。また、スレイプニールに叱られてしまう」
「そうだねぇ……いつまでも、ヒビの中にいるわけにはいかないからねぇ」
イヴリプスの言葉に頷き、オリーリヤは元来た道を辿っていく。その後ろを、イヴリプスがついていく。
「――深淵の神剣の調査、か。全く、使徒使いの荒い同僚だ」




