第22話 城の外へ(1)
「この辺の書類はどうする?」
「その辺のはもうサイン書いたからハンコ押していいよ」
数日後、ローズマリーはガレディアの執務室で各方面から彼女に送られてきた書類の整理をしていた。
ローズマリーは軍の作戦会議への出席以外は何もしなくていいとガレディアに言われたが、自分だけ何もしないわけにはいかないと頼み込み、作戦会議の時以外は彼女の執務の補佐をしている。
それまでガレディアは膨大な量の執務を全て1人でこなしていた。
自分の仕事を終え、手隙になったアルバートが偶に手伝ってくれる事もあったがその量は凄まじく、寝食を削って執務に追われるのは常態化していた。
しかし、ローズマリーが補佐をしてくれるようになってからは普段なら丸一日かけて行っていた仕事量が2/3の時間で終わったりと作業効率が格段に上昇したのだ。
「マリーが手伝ってくれるようになってからすごく助かるよ。アルバートには自分の仕事もあるから頼めないし」
「これくらい構わないさ。これくらいしか私に出来る事は無いのだし、君が物凄く多忙だったのに今まで何もしてこなかった自分が腹立たしいよ」
「そんな事ない」
感謝の言葉を素直に述べるガレディアに対し、ローズマリーは自虐と自分への怒りを口にしながらへり下る。
そんなローズマリーにガレディアは唇を噛み締めて少し不機嫌になり、すぐさま彼女を反論した。
「寧ろ腹立たしいのは私の方。あの日から私はずっとマリーに甘えて、依存して、助けてもらってばっかりだし今だってそう。マリーが居なかったら今頃どうなってたか分からない。今、私が私でいられるのは全部マリーのおかげなの」
「ガレディア……」
2人の間にしばらく沈黙の間が訪れ、そしてそれを遮るかのように何者かが扉をノックする音が響いた。
現在、彼女の存在を知る者はアルバートと十軍長を除けば国の重役を担っている者だけで彼らにも素性は明かしていない。
ガレディアの執務室には毎日のように魔王城で働いている者が数多く訪れるので、末端の者に彼女の存在がバレてしまう事を防ぐため、訪問者が来た際は認識阻害の魔法をかけてその場をやり過ごしているのだ。
いつものようにローズマリーは一旦作業をやめ、認識阻害魔法をかけてからガレディアのみに伝わる合図を送る。
「どうぞ」
「失礼します。魔王様」
ガレディアから入室の許可が下り、執務室の扉を開けたのは数日前にサミエルに叩かれた箇所にガーゼを付けたキルフィスだった。
「どうしたの?その怪我」
「お恥ずかしい限りですが、数日前に階段から足を踏み外してしまいまして」
ガレディアに怪我の事を聞かれたキルフィスはこの間の事を隠し、後頭部を掻きながら自嘲気味にいつもの飄々とした態度で話す。
「もうすぐ戦争が始まるのだから気を付けなさい。それで要件は?」
彼に軽く注意するとガレディアは本題に戻り、何の用で執務室を訪れたのかを机から溢れんばかりに積まれた書類を処理しながら尋ねる。
ガレディアからの質問にキルフィスは態度を改めてから一つの要件を口にした。
「ローズマリー殿と話がしたいのですが、我が邸に招いてもよろしいでしょうか」
キルフィスからのとんでもない要望にガレディアは書類の上を走らせていたペンを思わず止まらせた。
ローズマリーを城の外へ出すという事は最重要国家機密といっても過言ではない彼女の存在が民衆にバレてしまう危険性がある。
魔王ともあろう者が敵である人間を己の城に匿い魔王軍将という役職に就かせている事が公になれば、ガレディアの信用は地に落ちて最悪の場合、暴動が起きかねない。
そんなリスクを伴う事をましてや話がしたいというだけで彼女を城の外に連れ出そうとするキルフィスにガレディアは当然、快く思わなかった。
「……貴方、自分が何を言ってるのか分かってるの?」
ここに来て頓珍漢な事を言い出すキルフィスに、ガレディアは頭を上げると威圧的な低い声と獣の如く鋭い眼差しで彼を睨む。
明らかにガレディアから快く思われていないのに対してキルフィスは俄然態度を崩さず、腕を後ろに組んだまま真剣な表情で彼女を見下ろした。
「自分が何を言っているのかは充分承知しております」
「では何のために彼女を自宅に招く必要があるのか説明してもらおうかな。そんなに他人には聞かれたくない話をするつもり?」
ガレディアは多大なリスクを犯してまで自宅でローズマリーと話がしたい理由をキルフィスに聞くが、声からして却下する気は満々だった。
「それにつきましてはーー」
「私は構わないけど」
キルフィスが理由を述べる直前、何を考えたのかローズマリーはさっきまでかけていた認識阻害の魔法を解き、キルフィスの要望をあっさり飲んだ。
ローズマリー本人からの突然の承諾にガレディアはもちろん、キルフィスも目を丸くしながら唖然して彼女の方をただ真っ直ぐに見つめた。
「ちょっと何を言ってるのマリー!?もし民衆にマリーの事が知れ渡ったらどうなるかなんてマリーが一番分かってるでしょ!」
キルフィスの誘いに自ら乗ろうとするローズマリーにガレディアは慌てた口振りで至極当然な事を言って彼女を引き止める。
それに対しローズマリーは腕と足を組みながらいつもの澄ました顔で口を開いた。
「キルフィスがわざわざ自分の家で私と話がしたいのは、それこそ君にすら聞かれる事を拒まれるような重要な話があるのでしょう。何故私なのかはわからないが魔王軍の軍長がそこまでするのだから私にしか頼めない事なのだろうし、もし彼の話が下らない事だったら速攻で転移魔法を使ってここに帰ってくるから」
ローズマリーは最初はガレディアの方を向き、心配をかけないように宥めた上で視線をキルフィスに向けながら彼に牽制をかけた。
突然、彼女がこちらを向いてきた事にキルフィスは驚きと同時に悪寒を感じ、身体を一瞬震わせる。
ローズマリーにあっさり言いくるめられたガレディアは一抹の不安と不満を抱えていたが、少しの間を置いてから呆れるようにキルフィスの要望を渋々受け入れた。
「……分かった。彼女との対話を許可します。だけどもし彼女に危害を加えるような事をしたら……分かってるでしょうね?」
「感謝致します。魔王様」
ガレディアは彼がローズマリーを誑かさないよう眉をひそめながら、先程と同じ口調で釘を刺すように忠告する。
許可が降り、正式にローズマリーを自宅に招待できるようになったキルフィスは深々と頭を下げてお礼を述べた。
(魔王様の執務室に彼女がいた事はおろか彼女から誘いに乗るとは思って居なかったしこれは好都合なのだが、何故彼女は私の話を易々と受け入れるのだ。邪な考えを持つ者はすぐに分かると言っていたから敢えてなのか。どちらにせよこの好機を逃すわけにはいかない。)
頭を下げながら、キルフィスはローズマリーが何故自分から要望を飲んだのか理由を頭の中で考える。
「では行きましょうか。ミス・マリー」
そして頭を上げてローズマリーの方を向くと中腰になりながら手を差し伸べ、舞踏会で婦人をエスコートする紳士のような体勢を作り出す。
そのような振る舞いをするキルフィスにローズマリーは何の関心も持たず、彼の真横を素通りして扉の方へ向かうと退室を促した。
「ほら、行くんでしょ。さっさと来なさい」
彼女への敬意を完全に無下にされたキルフィスはハハッと乾いた声を出しながら苦笑いすると後を追う。
ローズマリーが認識阻害魔法をかけようとした時、寂しげにこちらの方を見つめるガレディアが瞳に映った。
するとローズマリーはキルフィスに先に執務室を出るように言って退室させた後、踵を翻してガレディアの方へ足を運んだ。
「ど、どうしたのマリー」
顔色を一切変えずにこちらへ向かってきたローズマリーに、ガレディアは戸惑いながらも自分の真横に立つ彼女を一点に見つめる。
「動かないで」
そう一言告げるとローズマリーは腰を下ろし、長い金髪を床に広げながらガレディアの頬に軽くキスをした。
その瞬間、ガレディアは一瞬で自分の髪や瞳の色と同じくらい顔が赤くなり、心臓の鼓動が一気に加速する。
「な、なななな何をするのマリー!?」
ローズマリーのいきなりのキスにガレディアは、キスされた場所に手を当てて机の上の書類を宙に舞わせながら椅子から立ち上がった。
それもそのはず、2人は今まで抱き合ったり、一緒に寝る事は出会ってから毎日してはいたが、キスは一度もした事は無かった。
ガレディア自身はいつかローズマリーにキスしたいと思ってはいたが、それはもっと親密の関係なってからだと考えていた。
だが、何の経緯もなしにたった今ローズマリーからキスをされたガレディアは混乱し、今までに類を見ない程取り乱す。
そんな彼女をからかうようにローズマリーは微笑みながら自分の唇に人差し指を当てると何も言わず、顔を紅潮しながらこちらの方を向いて棒立ちしているガレディアを放置し、認識阻害の魔法をかけてから執務室を出ていった。
ローズマリーが執務室を出た後、1人ぼっちになったガレディアは先程彼女からされたキスの事で頭の中が圧迫される。
「……ずるい。本当にマリーはずるい」
ガレディアは涙目になりながら恨めしそうに呟くと、火照りが治らない顔に両手をくっ付けながらその場にうずくまった。




