籠手(こて)
夜明けの光が薄い朝霧をかき分け、辺境の街の石畳に降り注いでいた。
ヴァンとカールは、宿『暁の息亭』の木扉を押し開けて外に出た。
「とりあえず、旅の消耗品を買い直そう」
ヴァンが言うと、カールは無言で頷き、巨体を揺らしながら静かに後ろをついてきた。
最初に入ったのは、様々な香りが混じり合う小さな香辛料の店だった。
「いらっしゃい、お客さん。何を買いたいですか?」
白髪の店主が愛想よく笑いかけてくる。
ヴァンは棚を丹念に品定めしていたが、あるガラス瓶に目を留めた瞬間、ピタリと動きを止めた。その中に詰まった灰白色の細かな粉末を見つめ、思わず微かに声をもらす。
「これ……」
「おや、お客さん、目が利くね。これは東方の国から運ばれてきた、貴重な粉さ。肉料理の香り付けに使うと最高だよ」
「その小瓶を一つください」
即答だった。
ヴァンは受け取った小瓶を手のひらで転がしながら、微かに口角を上げた。
続いて訪れた肉屋では、店主の大男が自分の分厚い胸を叩いてみせた。
「おう! 手作りの乾燥肉はどうだい? 塩気が効いてて一ヶ月は保つ。旅の供には最高だぜ!」
ヴァンは差し出された肉の断面を慎重に確かめ、静かに頷くと「それを四塊ほど」と注文した。ずっしりと重い麻袋を、カールは何でもないことのように片手で肩へ担ぎ上げる。
その後、日持ちのするライ麦パン、根菜、乾燥ベリーを手に入れ、彼らの背負い袋はあっという間に膨れ上がった。
「一旦、宿に戻ろう。これじゃ身動きが取れない」
宿に戻ると、廊下で女主人と鉢合わせた。
「おや、随分と買い込んだねえ」
「ええ。これからの長旅に備えてね」
ヴァンは人当たりの良い、柔らかな笑みを浮かべて返し、荷物を部屋へ運び入れた。
***
身軽になった二人は、再び街の大通りへと出た。
「……今度は、どこに行く?」
「君の服を買いに行くんだ」
ヴァンは隣を歩く巨躯を見上げて、小さく息を吐いた。
「いいかい? 君の着替えのストックはもう残っていないんだよ。このままじゃ、東に着く前に君だけ裸で旅することになるぞ」
向かったのは、大通りにある仕立て屋だった。
店員は店に入ってきたカールの巨躯に一瞬だけ驚いたように目を瞬かせたが、辺境の街の商人らしく、すぐに愛想の良い笑顔を浮かべた。
「いらっしゃいませ。本日はどのような服をお探しで? 当店は小柄なハーフリングやドワーフから、お客様のように立派な体格のハーフオークまで、どんなサイズの服でも取り揃えておりますよ」
「それは助かります。動きやすくて、汚れが目立たないものを。……それと、同じサイズのものを四着お願いします」
「おや、四着もですか?」
少し驚いたように聞き返す店員に、ヴァンは小さくため息をつきながら肩をすくめた。
「……ええ。彼、すぐに服をボロボロに引き裂くか、洗っても落ちないくらい血だらけにしてダメにしちゃうんですよ。だから文字通り、使い捨ての消耗品なんです」
しばらくして試着室から出てきたカールは、身体にフィットした厚手の濃色のシャツと、丈夫な長ズボンを身に纏っていた。
厚手の布地を内側からはち切れんばかりに押し上げる分厚い胸板や、丸太のような腕の厚み。服という枠に収まりきらないその野性的な長躯に、仕立て屋の店員は圧倒されたように小さく息を呑んでいた。
「……どうだ?」
カールが少し窮屈そうに腕を回す。
「うん、悪くない。よく似合ってるよ」
ヴァンは素直に短く称賛し、予備の服を受け取った。
だが、店を出て歩きながら、カールの広い背中が筋肉の動きに合わせて布地をパンパンに張らせているのを見て、ヴァンの心中には早くも一抹の不安がよぎっていた。
(新しい服を買ったはいいけど、あの無茶な戦い方じゃどうせまたすぐに駄目になるだろうな……何かが足りない……)
そう思いながら視線を彷徨わせた時、すれ違った傭兵たちが帯びている鋭い剣と、使い込まれた革鎧がヴァンの目に留まった。
(……それだ)
ヴァンは小さく頷くと、歩き出そうとする巨躯の腕を掴んだ。
「カール、こっちだ」
「ん?」
「武器屋に寄るぞ」
武器屋の扉を開けると、油と鉄の匂い、そして奥の炉から来る熱気が鼻を突いた。
カウンターの奥で剣を磨いていた髭面の大男が手を止め、店に入ってきたカールの巨躯を品定めするように眺める。
「いらっしゃい。……見ない顔だな。武器か? それとも防具か?」
「彼の防具を探しています」
ヴァンが一歩前に出て、カールを指し示した。
「金属の重い鎧は動きが鈍るから着たくないそうで。軽くて、それでいて布よりはるかに丈夫なものが欲しいんです」
店主はカウンターから身を乗り出し、カールの分厚い胸板と、その全身から発せられる獣のような気配をじっくりと観察した。
「ほう……いい戦士だ。確かに、その馬力じゃただの布切れはすぐに破けちまうだろうな」
店主はニヤリと笑い、奥の棚からいくつかの武具をドサリとカウンターに置いた。
「なら、この牛革に鉄を張った『籠手』はどうだ。それと、軽量の肩当て。これなら動きを妨げないし、野獣の爪くらいなら弾き飛ばすぜ」
言われるままに硬い革の籠手を装着させられ、カールは手首を回してひどく訝しげに顔をしかめた。今まで獣皮か麻布しか身につけたことがなく、己の肉体だけを信じてきた彼にとって、それは異物でしかない。
「……硬い。邪魔だ」
「文句を言うな。それと、この分厚い硬革の胴着もだ。これなら金属の鎧よりは動きやすいだろ。それから、精鉄の短剣を二つと、ベルトを」
ヴァンはカールの不満を完全に無視して手際よく装備を選び、代金を支払った。
***
宿へ戻る道すがら。
カールは真新しい革の籠手と胴着を、煩わしそうに何度も弄っていた。
「……こんなもの、俺には必要ない」
カールが不満げにボソリと零す。
「俺は強い。怪我なんてしない」
その言葉に、ヴァンは歩きながらカールの鉄が張られた籠手を、指の関節でコンコンと叩いた。
「怪我をしないんじゃない。君の回復力が異常だから、すぐに塞がってるだけだろ」
「同じことだ」
「違うね。君が戦闘のたびに服をボロボロにして、その都度新しく買い直す僕の財布の身にもなってくれ」
ヴァンはわざとらしく溜め息をつき、呆れたように肩をすくめた。
「これ以上無駄な出費が増えるなら、毎日の食材の予算を削るしかなくなるけど……それでもいいかい?」
ヴァンが歩きながら横目でチラリと見上げると、カールはピタリと足を止めた。
「……」
口を半開きにして何度か瞬きをした後、カールは腑に落ちない顔をしながらも、籠手を外そうとはせず、ただ硬い革の感触に慣れるようにゆっくりと手首を回し始めた。
その素直すぎる様子を見て、ヴァンは小さく吹き出した。
「よし。じゃあ、早く帰って荷物をまとめるぞ。明日は出発だ」
ヴァンはわざと軽快な足取りで、カールの前を歩き出した。
背中越しに、カールの重い足音が規則正しくついてくるのを確認しながら、明日の旅路に思いを馳せた。




