茶碗蒸し
「酒、か……」
ヴァンは広場の端にあるベンチに寄りかかり、少し離れた場所で賑わう群衆を眺めていた。視線は、無意識のうちに杯を掲げて顔を赤くしている酔っ払い達へと引き寄せられていた。
周囲の喧騒が、まるで目に見えない膜に遮られたかのように遠ざかっていく。僕の呼吸が知らず知らずのうちに浅くなり、脳裏に埃を被っていたある光景が抑えきれないほど鮮明に浮かび上がり。
薄暗い部屋の中。憔悴しきった顔で、うつろな目をした男が、一人机に向かって黙々と酒を飲んでいる。安物の粗悪な酒が小さなグラスに少しずつ注がれ、それを麻痺したように喉の奥へ流し込む。その繰り返し。
当時の自分は、数歩離れた場所から、そんな彼をただ静かに見つめていた。
あの時、自分は一体どんな目で『あの男』を見ていたのだろうか?
怒り? 哀れみ? それとも憎悪?
おそらくその全てがあった。だがそれ以上に強かったのは、まるで赤の他人を見ているかのような、心が冷え切るほどの無関心と失望だった。
ヴァンの口角が徐々に下がり、指先が微かに冷たくなっていく。いつも顔に浮かべている温和な笑みが消え失せた。今、彼の瞳の奥に宿る冷たさは、記憶の中で男の飲酒姿を見つめていた自分と全く同じものだった。
「ねえ、お母さん、僕もお父さんが飲んでるあれ飲みたい!」
その時、少し離れた場所から聞こえてきた子供の声が、底知れぬ闇へ堕ちていくヴァンの思考を唐突に引き戻した。
ヴァンが声の方へ視線を向けると、四、五歳くらいの男の子が遠くで酒を飲んでいる父親を指差し、母親の袖を引っ張って甘えていた。
「ダーメ」女は優しく、しかし毅然と首を横に振り、子供の襟元を直してやった。「あれはお酒。大人にならないと飲めないのよ」
「えー、一口だけ! 一口舐めるだけだから!」
「ダメなものはダメ」女は男の子の鼻を軽くつまみ、笑いながらなだめた。「いい子だから、甘くて美味しいブドウジュースにしましょう?」
「えーっ」男の子は不満そうに頬を膨らませた。「じゃあ、お父さんたちが食べてるあれが食べたい!」
男の子が指差したのは、テーブルの上に置かれたスモークソーセージとハードチーズだった。
女は少し困ったように笑った。「あれはね、大人がお酒を飲む時のおつまみよ。あなたには味が濃すぎるし、塩辛すぎるわ。ほんの少しだけよ」
「わかった、少しだけね」男の子は妥協した。
「その代わり――」女は野菜サラダの皿を男の子の前に押し出し、優しく彼のおでこを小突いた。「お野菜もたくさん食べなきゃダメよ」
「えーっ、やだぁ!」
その親子の生活感あふれるやり取りを聞いているうちに、ヴァンの瞳の奥にあった氷はいつの間にか溶け去っていた。親子の背中を見つめていると、どういうわけか、今朝見たあの懐かしい夢の情景が、目の前の光景と徐々に重なり合っていった。
『じゃあ、作り方教えてよ! そうすれば毎日食べられるじゃん!』
『いいわよ。でも、こればっかりじゃなくて、ちゃんと野菜も食べなきゃダメよ』
「なんだか……」
ヴァンは深呼吸をし、両手で自分の頬をパチンと強く叩いた。心の底に漂っていた暗雲を完全に振り払い、いつもの温和で元気な状態へと完全に立ち直った。
(なんだか急に食べたくなってきたな、あれが……)
ヴァンはベンチから立ち上がり、顎を撫でた。
(この世界で上手く作れるかはわからないけど……とにかく、まずは買い出しに行こう)
ヴァンはすぐに市場の屋台へと足を向けた。
食材を選んでいる最中、ヴァンの脳裏に、未だに宿屋で寝込んでいるであろう二匹の「酔っ払い猫」の姿が自然と浮かんだ。
(時間的に、そろそろ目を覚ます頃かな? 宿酔い(ふつかよい)の後は胃腸が弱ってるはずだし、味の濃い肉料理なんて食べられないだろうな……ついでに、あの二人の分も作ってあげるか)
ハナとカールが今頃頭を抱え、絶望に満ちた悲惨な顔をしているだろうと想像すると、ヴァンは自分でも気づかないうちに、口元に軽快な笑みを浮かべていた。
宿屋に戻ったヴァンは、厨房の人間から陶器の器といくつかのカップを借りると、買ってきた荷物を持って宿の裏手にある馬小屋のそばへと向かった。
小さな焚き火を起こし、先ほど買ってきたものを一つずつ並べていく。六つの新鮮な卵に、清潔で通気性の良い麻布。
環境が粗末なため、今回の調理には凝った道具は一切ない。
ヴァンは卵をすべて素朴な陶器の器に割り入れ、ひとつまみの塩を加え、木のスプーンで素早くかき混ぜた。続いて、空になった卵の殻の半分を計量カップ代わりにし、手際よく正確な分量の水を卵液に加えていく。
精密な計量カップなど必要ない。これは記憶の中の昔の人々から受け継いできた、最もシンプルで実用的な生活の知恵だ。
水と卵液を完全に混ぜ合わせ、表面に浮いた泡を丁寧にすくい取ってしばらく寝かせた後、ヴァンはその淡い黄色の液体を三つの分厚い陶器のカップに等分して注ぎ入れた。
大きな鉄鍋の底に少しだけ水を張り、湯が沸いたところで、陶器のカップを慎重に並べる。
そして、ヴァンはあの清潔な麻布を取り出した。
麻布をピンと張って鍋の口を覆い、最後にその上から鍋の蓋を被せて重石にした。蓋に付いた水滴が落ちて表面を台無しにするのを防ぐためだ。
馬小屋のそばの粗末な土の上でありながら、ヴァンはまるで精密な芸術品でも彫り上げるかのように、全神経を集中させて火加減をコントロールしていた。
十数分後、ヴァンは鍋の蓋を取り、麻布をめくった。
立ち昇る湯気と共に目の前に現れたのは、表面が鏡のように滑らかで、微風に揺れるほどぷるぷるとした、まるでプリンのように完璧な『卵の蒸し物(茶碗蒸し)』だった。
(これにごま油と醤油を数滴垂らせれば完璧なんだけど……あいにくこの世界にはそんなものはないからな。少なくとも、ここには)
ヴァンは少し残念そうに笑ったが、すでに代替品は考えてあった。
――コン、コン、コン。
ヴァンはトレイを手に、ハナの部屋の前にやって来た。
朝の静寂とは打って変わって、今度はすぐにくぐもった抗議の声が聞こえてきた。
「うぅ……叩かないで……頭が割れそう……」
しばらくして、ドアが細く開けられた。鳥の巣のように髪をボサボサにしたハナが、こめかみを押さえながら、殺意に満ちた虚ろな目でヴァンを睨みつけた。
「そんなに強く叩かなくてもいいでしょ……アタシをもう少し寝かせないと死ぬ呪いにでもかかってるわけ……?」
ヴァンは彼女の文句を完全にスルーし、笑顔で隣の部屋を指差した。
「顔を洗って、隣の部屋で少し何か食べなよ」
「はあ? ご飯? 今?」ハナはまるで恐ろしい冗談でも聞いたかのように顔をしかめた。「アンタ、本気で言ってるの? 今、アタシの胃の中は荒れ狂ってるのよ。もしあの脂っこい焼き肉なんか見せられたら、間違いなくその場で吐いてみせるわよ……」
口ではそう文句を言いながらも身体は正直で、彼女は重い足取りを引きずりながら、おとなしくヴァンの後ろについて隣の部屋へと入っていった。
部屋の中では、カールがベッドの背もたれに寄りかかっていた。巨大な手のひらで強く眉間を揉み込み、顔面を蒼白にしている。明らかに彼もまた宿酔いの極度な苦痛の中にいるようだ。
ハナは部屋に入るなり、さらに文句を続けようとしていた言葉を喉の奥に詰まらせた。
なぜなら彼女の鼻をくすぐったのは、いつものあの強烈な肉の焦げる匂いではなく、極めてあっさりとした、優しく奇妙な香りだったからだ。
ヴァンはトレイをテーブルの上に置いた。
彼らの前に並べられたのは、数切れのパン、レタスのサラダ、マッシュルームのスープが三つ、そして、三つの陶器のカップ。
カップの中には、淡い黄色の、ゼリーのようにぷるぷるとした柔らかいものが入っていた。そしてその上には、ヴァンが買ってきたミートスープの煮汁が、ほんの少しだけ絶妙にかけられていた。
スープの塩気と旨味、そして表面に浮かぶ微量の油脂が、醤油とごま油の代わりを辛うじて果たし、味付けの空白を埋めているのだ。
「食べて」ヴァンは木のスプーンを二人に手渡した。
ハナは半信半疑で、スプーンで少しすくって口に入れた。
強く咀嚼する必要すらなかった。温かく、信じられないほど滑らかな卵の蒸し物が、肉のスープの塩気と旨味をまとって、喉を優しく滑り落ちて胃へと収まっていく。
その瞬間、ハナは自分の胃袋が温かい両手で優しく撫でられたような感覚に陥った。宿酔いによる吐き気や胃の焼けるような感覚が、この穏やかな力によって一瞬で癒されていく。
「……美味しい」ハナは目を丸くし、眼底にあった苦痛の大部分を拭い去った。
もう一人のカールに至っては言葉すら発さなかった。彼はスプーンを使い、その卵の蒸し物を二、三口で丸呑みにしてしまった。きつく寄せられていた眉間のシワも、それに伴ってすっかりと解けている。
アルコールに苛まれ、ひどく弱り切った今の身体にとって、この複雑な調味料を一切使わない、純粋で滑らかな卵の蒸し物は、まさに至高の救済だった。
ヴァンは腕を組み、ついさっきまで「元気がない、食欲がない」と言っていた二人が、今や勢いよく食べている姿を静かに見守っていた。
いつの間にか、ヴァンの顔には夢で見たあの母親と同じような――優しさの中に、ほんの少しだけ呆れ(あきれ)の混じった笑顔が浮かんでいた。
「パンが足りなければまだあるし、卵の蒸し物もまた作ってあげるよ」ヴァンは優しくそう言うと、テーブルの端にあるレタスのサラダの皿を指先でトントンと叩いた。
「でもその代わり、君たち二人は――この野菜も全部食べなきゃダメだからね。最近、お肉ばっかり食べてるでしょ。君たちのためを思って言ってるんだよ」
「えーっ」
「うっ……」




