容疑者
ヴァンとカールが、気を失った獣人の女性を連れて、人目を避けながら裏道を通って宿へ戻った頃には、すでに正午になっていた。
ほかの宿泊客に見られないよう、二人はできる限り足音を立てず、裏口から階段を上って、自分たちの部屋へ戻った。
部屋に入ると、カールは肩に担いでいた獣人の女性を「ドン」と音を立ててベッドの上へ下ろした。
その後、二人はベッドのそばに立ったまま、黙って一度、互いの顔を見合わせた。
(……それで、今はどうすればいいんだ? 起こすのか?)
ヴァンは腕を組み、軽くため息をついた。
(それにしても……今朝から、運の悪いことが次から次へと起こるな。最初は国境を通れなくて、その次は怒っていた傭兵、今度はこの獣人の女……)
ヴァンはベッドの上に横たわる獣人の女性へ視線を落としたが、彼女にはまだ目を覚ます気配がなかった。
(最近、僕の運が悪くなってるのかな……?)
…… ……
「とりあえず、もう昼だな」
ヴァンは顔を上げた。
「外に行って、何か食べるものを買ってくるよ。彼女の分も合わせて、三人分だな」
そう言って、ヴァンはカールのほうを向いた。
「悪い、カール。ここで彼女を見ていてくれるか?」
「……ああ」
カールはうなずいた。
「彼女が目を覚ましたら、まず落ち着かせて、勝手にどこかへ行かないようにして、僕が戻るまでここで待たせておいてくれ。とにかく、無茶はするなよ」
「わかった」
カールは壁際の椅子まで歩き、そこへ腰を下ろした。重い身体を受け止めた木の椅子が、かすかに音を立てた。
彼はそれ以上何も言わず、ただ静かにベッドの上の獣人の女性を見つめていた。
ヴァンは一度カールを見ると、ようやく少しだけ安心した。
「頼んだよ。すぐ戻るから」
そう言い残し、ヴァンは一人で部屋を出ていった。
* * *
その頃。
アールデンの城門の外では、巻き上がる砂埃とともに、一台の馬車がゆっくりと停車した。
十日間の強行行程を経て、ソウリュウたちはついに、国境に位置するこの町へ到着した。
最初に馬車から降りたのは、カミアとブレッドだった。
カミアは馬車を降りると、長衣の裾についた埃を手で払い、それから顔を上げて周囲を見回した。
行き交う商隊、荷物を満載した馬車、そしてあちこちから聞こえてくる呼び声。
「ここがアールデンなの……? ずいぶん騒がしいところね」
ブレッドは城門のほうへ目を向けた。
「ああ。とにかく、まずは中へ入ろう。商会の連中が俺たちを待ってる」
続いて、馬車の中から再び物音がした。
一人の少年が馬車の扉につかまりながら、顔を真っ青にして降りてきた。
「オエッ……」
ソウリュウは地面に足をつけた途端、両脚から力が抜け、身体が倒れそうになった。
「そ、ソウリュウ様!」
続いて馬車から降りてきたマリカが、慌てて彼のもとへ駆け寄り、身体を支えた。
「ご無事ですか?」
「……大丈夫」
ソウリュウは目を閉じ、そのまましばらく休んだ。
「ただ……やっと着いたんだな」
その様子を見て、カミアは思わず小さく笑った。
「ふふ。異界の勇者様が馬車に酔うなんて、意外ですわね」
「……誰にだって、苦手なものくらいあるだろ」
ソウリュウは恨めしそうに彼女を見た。
「それに……俺だって、こんなに揺れ続けるものに十日間も乗ったことなんてないぞ」
「ははは! 気にするな! 慣れれば平気になる!」
ブレッドは快活に笑いながら、ソウリュウの肩を叩いた。
ソウリュウの表情がわずかにこわばり、反射的にブレッドへ目を向けた。
その時、マリカの指が胸元の銀色のペンダントにそっと触れた。
ペンダントの中で、ごくかすかな光が一瞬だけ瞬いたように見えた。
マリカはすぐには口を開かなかった。ただ俯き、手をペンダントに添えた。
しかし、その時にはもう、ペンダントには何の反応もなかった。
……気のせいだったのだろうか。
彼女にも判断できなかった。
しばらくして、マリカは手を引いた。
門番に案内され、四人はほどなくして町へ入り、この町の商会へ向かった。
* * *
商会のホールへ足を踏み入れた途端、四人は、つい先ほどまで騒ぎが起きていた痕跡に気づいた。
ひっくり返された机や椅子はまだ完全には片付いておらず、石板の床にもはっきりとした亀裂が残っていた。
近くには、まだ立ち去っていない客が何人かおり、声を潜めて何かを話していた。
ブレッドは周囲を見回した。
「ここでさっき何があった?」
彼は近くにいた商会の職員へ歩み寄った。
職員は額の汗を拭い、苦笑を浮かべた。
「い、いえ……つい先ほど、足止めされて苛立っていた傭兵と、うちの者たちの間で少し揉め事がありまして。幸い、通りかかったお客様がすぐに助けてくださって、一撃だけで彼を制圧してくれました。すぐに騒ぎも収まり、大きな損害もありませんでした」
「一撃だけで?」
ブレッドの視線が、石板の床に残された亀裂へ落ちた。
彼はしゃがみ込んで亀裂を見つめ、それから立ち上がると、眉をわずかに上げた。
「すごいな。どんな人なのか、ぜひ会ってみたいもんだ」
職員は首を横に振った。
「残念ながら、その方は騒ぎが終わったあと、すぐに立ち去ってしまいまして。名前を聞く暇さえありませんでした」
「そうか……」
ブレッドは立ち上がり、少し残念そうに入口のほうを見た。
「それは惜しいな」
その時、ホールの奥から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「おお! 財運の神に感謝します! ついに、ついに到着されたのですな!」
豪華な服を着た、恰幅のいい男が足早に姿を現した。
この商会の会長だった。
「皆様が王国から派遣された特使様ですな!?」
会長は満面の笑みを浮かべながら近づき、両手でブレッドの手を固く握った。
その瞬間、ブレッドの顔から笑みが消えた。
先ほどまで人当たりのよかった青年は、一瞬にして王国騎士にふさわしい冷静さと鋭さを取り戻していた。
「はい、俺たちがそうです。会長殿、場所を変えて話しましょう」
「は、はい! こちらへどうぞ!」
会長は慌ててうなずき、四人を二階へ案内した。
* * *
応接室の扉が閉じられた。
ブレッドは席につくと、余計な挨拶をすることなく、すぐに本題へ入った。
「単刀直入に聞こう」
彼は会長を見る。
「十日前、封鎖命令が出されたあと、アールデンに足止めされている商隊や商人について、すでに全員の再確認を済ませているはずだな?」
「はい」
会長はうなずき、机の上から整理済みの資料を取り上げた。
「王国側からの要請に従い、最近この町へ到着し、現在も足止めされている商人たちについて、改めて確認いたしました」
彼は手元の記録をめくり、その中から数枚を抜き出した。
「その中から絞り込んだ結果、現在、特に注意すべきなのは三組です」
ブレッドが顔を上げた。
「三組?」
「はい」
会長は三組分の資料を順番に机の上へ広げた。
まず一枚目の資料を皆の前へ差し出した。
「一組目は、動物を売買している商人たちです。大規模な商隊で、数十人が所属しております。多数の鳥類、爬虫類、トカゲ、それに非常に巨大な野獣を一頭連れております」
そう言って、彼は二枚目の資料を手に取った。
「二組目は、陶磁器商人です。比較的小規模な商隊で、十人おります。主に東西両大陸の特色ある器具を取引しております」
最後に、三枚目の資料を机の上へ置いた。
「三組目は、布地を扱う商人です。人数が最も少なく、護衛を含めてわずか五人。主に絹と布地を販売しております」
会長が話し終えると、部屋は静まり返った。




