泥包み焼き・簡易版
カールの背中が夜の林に溶けて見えなくなった直後、ヴァンも静かに立ち上がり、別の方角から森の奥へと足を踏み入れた。
夜露に濡れた下草を踏みしめ、湿った土と朽ち木の匂いを辿りながら大樹の根元を探る。そこには、落ち葉の陰に隠れるようにして、数株のキノコが静かにふっくらとした傘を広げていた。
ヴァンはキノコの色と傘の裏のひだを慎重に観察した後、慣れた手つきでナイフを滑らせて茎を切り取る。断面から滲み出た汁をほんの少し手の甲に塗りつけ、しばらく待った。
(……皮膚に刺激はなし。少しナッツのような香ばしい匂いもする。これなら煮ても焼いてもいけるし、いい出汁が出そうだ)
慎重に数株を摘み取って焚き火に戻ると、ちょうどカールも、両手で抱えきれないほどの巨大な水生植物の葉を持って帰ってきたところだった。二人の間に、余計な言葉は必要ない。カールが葉を水で洗い流している間、ヴァンはリュックからなけなしの調味料――琥珀色の蜂蜜と、粗塩の小瓶を取り出した。
まずは下処理を終えた真っ白な鳥肉の表面に、ナイフの先で浅く幾つもの切れ目を入れていく。そこへ指先を使って、塩の粒を隙間まで丁寧にすり込んだ。続いてとろりとした蜂蜜をすくい、肉の表面全体に薄く、均等に塗り広げる。
さらに、手持ちのしなびたリンゴと先ほどのキノコを細かく刻み、鳥の空っぽの腹の中へとぎっしりと詰め込んだ。
仕上げに、カールが持ち帰った分厚い葉で肉を隙間なく幾重にも包み込み、その上から川べりで集めた粘り気のある湿った泥を、空気が入らないよう分厚く塗り重ねていく。
(泥の殻がオーブンのような役割を果たし、分厚い葉が内部の水分を閉じ込める。肉は自身の脂と水分で蒸し焼き状態になり、そこに腹に詰めたリンゴとキノコの風味が溶け込んでいくはずだ)
頭の中で味の設計図を組み立てながら、ヴァンは不格好な泥の塊を焚き火の横の浅い穴に据えた。その上から、赤々と燃える熱い灰と薪を被せるように投げ入れる。
「よし。あとはじっくり火が通るのを待つだけだ」
ヴァンがそう言うと、カールは短く頷き、焚き火の横にどっしりと腰を下ろした。
* * *
ゆっくりと時間が流れ、月が西の空へと傾いていく。
夜風が森の木々を揺らすざわめきと、薪がパチパチと爆ぜる音だけが周囲を満たしていた。
やがて薪が燃え尽き、白い灰が宙を舞う中、ヴァンは手近な太い枝で灰の山を慎重に掻き分けた。
「……そろそろいいか」
その声を聞くや否や、カールが無言で立ち上がった。彼は分厚く硬い手のひらで、火の熱が残る泥の塊を灰の中から無造作に転がし出す。
平らな石板の上に乗せられた熱々の泥の殻を、ヴァンが短剣の柄で小突いた。
**パリッ、パキパキッ**――。
小気味いい音と共に硬い泥に亀裂が走り、そこから凝縮された動物性の脂と、キノコの芳醇な香りが、白い湯気の柱となって一気に夜の冷気の中へ噴き出した。
泥の殻を割り、熱でしんなりとした葉を慎重に開く。立ち昇るもうもうとした熱気の中から現れたのは、蜂蜜で美しくカラメリゼされ、黄金色に照り輝く丸鳥だった。
ヴァンはまず、ナイフで胸肉のあたりを小さく削ぎ切り、自分の口へと運んだ。
咀嚼した瞬間、ぶわりと熱い肉汁が口の中に溢れ出す。
(……驚いたな。信じられないくらい柔らかい)
泥と葉で密閉したことで、肉は一切パサついておらず、繊維の奥までしっとりとしている。表面にすり込んだ塩気と蜂蜜の甘みが焦げた皮の香ばしさを引き立て、腹に詰めたリンゴは熱で完全に煮崩れていたが、その爽やかな果実の酸味が肉の奥深くまで浸透し、野鳥特有の泥臭さを完璧に消し去っていた。
「……意外と悪くないな」
ヴァンは満足げに小さく呟くと、一番肉付きのいい大きな腿肉を根元から切り離し、カールへと差し出した。
「ほら、お前の分だ。熱いから気をつけろ。……味はどうだ?」
カールは受け取った大きな肉の塊に、躊躇なく勢いよくかじりついた。
「熱っ……」
低い唸り声を上げるが、咀嚼する口は全く止まらない。肉汁で口の周りを汚すのも気にせず、ただ無心に骨から肉を削ぎ落としていく。ヴァンからの問いかけに言葉で答えることはなかったが、美味いものを前にした喜びに、その尖った緑色の耳が微かにピクリと揺れ続けている。その分かりやすい反応だけで、ヴァンには十分すぎるほどの答えだった。
カールが夢中で肉に食らいついている間に、ヴァンは鞄から石のように硬い黒パンを取り出した。
ナイフで横半分に切り分け、まずは削ぎ落としたしっとりとした鳥肉を数切れ乗せる。さらにナイフの先を使って、鳥の腹を少し切り開いた。そこから、肉の旨味とリンゴの果汁をたっぷりと吸い込んで煮詰められたキノコをすくい出し、肉の上へと山盛りに乗せる。最後に上からパンで挟み込み、特製の即席サンドイッチを両手で持ち上げた。
大きく口を開け、一口、噛み締める。
(……美味い)
あんなにカチカチだった黒パンの断面が、鳥の脂とキノコの旨味が溶け込んだ熱いスープをスポンジのように吸い込み、驚くほど柔らかく変貌していた。パンの素朴な麦の香りに、ジューシーな肉の甘み、そしてキノコの濃厚な風味が口の中で一つに混ざり合う。三つの異なる食材が、見事な相乗効果を生み出していた。
ヴァンはもう一つの黒パンも同じようにナイフで割り、肉とたっぷりのキノコを挟み込んで、顔を上げずに食事を続けているカールへと手渡した。
「ほら、こっちも食ってみろ」
カールは両手でそれを受け取ると、こぼれ落ちそうになるスープを吸い込むようにして、大きな口を開けて頬張った。
頭上では、雲が切れて冷たい月光が森を照らしている。
時折吹き抜ける夜風が木の葉をざわめかせ、足元の焚き火が赤い火星を散らしてパチパチと爆ぜる。
静かで、どこか冷酷な異世界の夜の森。だが、二人が座るこの小さな焚き火の周りだけは違った。
「だろ? キノコと肉の汁を吸わせると、この硬いパンも案外いけるんだ」
「……ん。うまい」
二人が笑みを浮かべながら言葉を交わし、食事を楽しむ音だけが、夜の森へと響き渡っていた。




