ジータンミェン(鶏蛋麺)
日が落ち、町に夜の帳が下り始めた頃。二人は宿屋に戻ってきた。
ヴァンはさっそく宿の女主人に頼み込み、裏庭にある古びたかまどを貸してもらう約束を取り付けた。
「少し待っててくれ、カール。……村で世話になったお礼だ。今日はとびきり美味いものを作ってやるよ」
そう言って、ヴァンは買ってきたばかりの小麦粉に水を少しずつ加え、滑らかになるまでこね始めた。手に伝わる生地の柔らかな弾力が、どこか心を落ち着かせてくれる。
生地を寝かせた後、宿の厨房から借りてきた麺棒を使って薄く平らに伸ばし……生地を折りたたんでから、ナイフで細く切り分けていく。
手打ち麺の完成だ。
かまどに薪をくべ、真新しい鉄鍋を火にかける。
鍋が十分に温まったところで、市場で買ってきたあの豚の脂身を細かく刻んで放り込んだ。
ジューッという小気味良い音と共に、端肉から透き通ったラードがたっぷりと溶け出し、濃厚な動物性の香りが裏庭に立ち込める。カリカリになった肉かすを一度取り出し、ヴァンは多めに取れた脂の大部分を、空になった小さな壺へと移して保存した。
鍋の底に目玉焼き用の油を少しだけ残し、そこに今日買ってきた卵を割り入れる。
バチバチと油が爆ぜ、白身の縁がチリチリと焦げて黄金色に変わっていく。目玉焼きの両面が香ばしく焼けた完璧なタイミングで、ヴァンは鍋の中に熱湯を勢いよく注ぎ込んだ。
――ジュワァァァァッ!!
猛烈な湯気が立ち上る。
沸騰した湯と熱い油が激しく衝突し、卵のタンパク質を媒介にして、まるで見えない魔法でもかけられたかのように、あっという間に白濁し、濃厚な白湯スープへと姿を変えた。
「よし……」
ヴァンはそこに先ほど打った麺をバラバラとほぐし入れ、塩で味を調える。最後に青菜と薄切りにした干し肉、それに先ほど取り除いたカリカリの肉かすを散らせば、完成だ。
宿屋の裏庭に、暴力的なまでに食欲をそそる匂いが漂い始めていた。
乳白色の濃厚なスープが鉄鍋の中で煮立ち、動物の脂のコク、目玉焼き特有の焦げた香ばしさ、そして青菜の爽やかな香りが混ざり合っている。
ヴァンは熱々の木椀をカールの前に差し出すと、かまどの反対側に腰を下ろした。
「ほら、熱いうちに食べて。火傷しないようにね」
カールは無言で頷いたが、その視線はすでに、椀の中の見たこともない料理に完全に釘付けになっていた。
「これは僕の故郷の料理でね。『ジータンミェン(鶏蛋麺)』っていうんだ」
カールは何も聞かず、不器用な手つきで木のスプーンを使い、手切りの麺を濃厚な白湯ごと口に運んだ。
その瞬間、常に警戒で張り詰めていたハーフオークの尖った長い耳が、ピクリと上へ跳ねるのをヴァンははっきりと見た。
「……味はどう?」
「美味い」
カールは顔の半分を椀にうずめたまま、もごもごとした、しかし極めて真剣な声で付け加えた。「それに、すごく温かい」
「それはよかった」
カールが大口で豪快に麺を平らげていくのを見て、ヴァンはすっかり安堵した。
薪がパチパチと爆ぜる音と、麺をすする音だけが夜の裏庭に静かに響く。
やがて、少し落ち着いた頃合いを見計らい、ヴァンは手元の椀を見つめながら、ぽつりと切り出した。
「……わざわざここまで送ってくれてありがとう。この間、本当に世話になったな」
カールはスプーンを動かす手を一瞬だけ止め、ヴァンを見た。
「ここから先の東への旅は、僕一人で行くよ。カールにはカールの帰る場所があるし、これ以上付き合わせるわけにはいかないからな」
カールは静かにヴァンを見つめ返した後、短く応えた。
「……そうか」
「ああ。だから明日の朝には、お別れだな」
「……うむ」
カールは極端に短い鼻音で応え、再び椀へと視線を落とした。
静かな裏庭に、少しの間だけ沈黙が降りた。気まずいものではない、ただパチパチと燃える薪の音だけが間を埋めている。
やがて、ヴァンがふと笑みを浮かべて口を開いた。
「昔見た番組の影響かもしれないけど、別れ際って、こういう温かいものを食べるもんなんだよ」
ヴァンはそう言うと、少し真顔になった。
「気に入ったなら、詳しい手順を教えておくよ。村に帰ったらセヌイに話して、彼女に作ってもらいな。……でも、絶対に自分で火をいじろうとするなよ。間違いなく大惨事になるから」
その言葉を聞いた瞬間、カールはスプーンを止め、以前自分が焼いた血の滴る黒焦げの肉塊を思い出したのか、少しバツが悪そうにスッと視線を逸らした。
ヴァンは自分の椀を両手で包み込み、手のひらに伝わる熱を感じながら静かに呟いた。
「でも、もっとまともな厨房と香料があれば、もう少し美味しく作れたかもしれないな」
「……まだ、美味くなるのか?」
カールが顔を上げた。そのエメラルドグリーンの瞳には、純粋な探求心が輝いていた。
ヴァンは笑って首を横に振った。
「いや、そうとも限らない。最高の食材よりも、本当に味を決めるのは、料理を作る人間の食材への理解と手際、そして『心』だと思うから」
「……心?」
「ああ。料理はただ食べるためだけのものじゃなくて、それを食べる人のために存在するものだからね」
ヴァンは顔を上げ、揺れる炎越しに、目の前の彼を穏やかな眼差しで見つめた。
「客や友人、あるいは家族のために。食べる人に幸せを感じてほしい、寒い夜に温まってほしいと願うからこそ、作る時に全身全霊を注ぎ込む。……今夜みたいにな」
「…………」
夜の帳が下りた宿屋の裏庭には、薪が燃える音だけが静かに響いていた。
ふと、ヴァンは言葉を切った。手元の椀の中で小さく波打つスープを見つめ、何かに気づいたように、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「あ、ごめん。自分勝手に退屈な話ばかりして……ウンザリしただろ?」
カールは首を横に振り、ただ静かに彼を見つめ返した。
「普段の僕はこんなにおしゃべりじゃないのに……」
ヴァンは踊る炎を見つめながら、苦笑いを浮かべて息を吐いた。
「たぶん、今夜の風が心地よかったからか、それとも……久しぶりに『人の暮らし』がある町に辿り着いて、無意識のうちに張り詰めていた糸が解けてしまったのかもな。なんだか、ようやく本当に一息つけた気がするよ」
ヴァンは、裏庭から見える異世界の美しくも見知らぬ星空を見上げ、独り言のように小さく呟いた。
「そういえば……最後にこんな風に、何の気兼ねもなく誰かと話をしたのって、いつだったかな……?」
ヴァンは、現代社会人特有の感傷めいたその呟きに、カールが答えてくれるとは思っていなかった。
だが次の瞬間、岩を擦り合わせたような彼の低い声が、夜の静寂に唐突に響いた。
「……つらいよな、今まで」
その言葉を聞いた瞬間、ヴァンの身体はビクリと強張った。
無意識に顔を向け、向かいに座る彼を呆然と見つめる。普段の冷静で大人の余裕を被った表情は消え失せ、そこにあるのは全く無防備な驚きの色だけだった。
揺らめく炎がヴァンの影を長く伸ばす。彼の口元がわずかに動き、何かを言いかけようとしたが、結局言葉にはならず、唇をギュッと一文字に結んでしまった。
少しの間の後。
ヴァンは鼻からフッと、重い荷物を完全に下ろしたかのような、ごく小さな溜め息を漏らした。
強張っていた唇のラインがゆっくりと緩み、口角が柔らかく上がる。浅くはあるが、たまらなく晴れやかな微笑みの弧が描かれた。
彼は再び顔を上げ、夜空を見つめながらぽつりと答えた。
「……そう……かもね」
カールはそれ以上何も聞かなかった。ただ黙って椀をあおり、最後の一滴までスープを飲み干すと、空になった椀を静かに置いた。
ヴァンはその椀を受け取り、自分のものと一緒に空の鉄鍋の中へ手早くまとめる。それから、両手をこすり合わせてふうっと小さく息を吐くと、首をすくめながら肩をさすった。
「……だいぶ冷えてきたな。ここの片付けは僕がやっておくから、カールは先に部屋に戻って休んでてくれ」
「……ああ」




