9.
烏兎がいなくなった。
食事の支度に現れないことを訝しんだ残菊たちが屋敷中を捜したが、どこにもいない。
最近は自分でする事を見つけては屋敷のあちこちで働いていたので、姿が見えなくてもどこかにいると皆が思い込んでいた。
履き物が無かったので、外にあるのだろうと物置や庭や集会所、縁の下まで探したが見つからない。
「井戸に落ちたのではないのかねぇ」
「全部の井戸を見たけどそんな形跡もなかったよ。木の上で寝てんじゃないか?」
「そんな子どもではないわ。まさか、池に落ちてはないでしょうね」
「浅い池に落ちたところで濡れて終いだろう」
ああだこうだと騒ぐ夫人たちを見ていた天香がぱしりと手を打つ。部屋に響いた音に四人の視線が天香に集まる。
「皆、最後に見たのはいつだ?」
そして、一人一人が烏兎を見かけた頃を話し終えた結果、最後に会ったのは天香と言う事が分かった。
「桐榮を先に帰して、少し練習をして終えたが、それ以降は見ておらんな」
「帰る桐榮に朱氷の店までおつかいを頼みましたが、烏兎は見てないわねぇ」
「屋敷周辺の者にも聞いてみよ」
天香の一言で屋敷の警護の者や手伝いの者まで聞き込みがされた。
その中で周辺警護に当たっていた男が、屋敷の外を歩いていた少女二人を見かけたと言う。顔はハッキリ見てないが、一人はまだらな金髪で、一人は黒髪だったという。角を曲がる一瞬の事だったので、黒髪の少女の耳は伏せていたのかうさぎ特有の長い耳だったかは分からないという。
まだらな金髪はおそらく桐榮だろう。
「紫琴の屋敷に使いを出せ。桐榮に何か知らぬか聞いてこい」
天香の命令に警護の男が素早く動いた。
入れ替わりに望月たちが顔を出した。
「出迎えがないと思ったら何事だい?」
「烏兎がおらぬ」
「どういう事?」
「たわけ。言葉のままだ」
天香の言葉を聞き、冨貴と藍墨が残菊から経緯を聞いた。身を翻す藍墨の肩を冨貴が素早く掴む。
「まだ動くな」
「だがっ」
「落ち着けと言っている」
威圧をかけられ、藍墨は悔しげに唇を噛んだ。なんの情報も無ければただの徒労に終わる。
分かっていても気だけが急いた藍墨は、行き場のない苛立ちをぶつけるわけにもいかず、深く息を吐いてやり過ごした。
動ける人員を集めていると、顔に傷を持つ獅子の男が桐榮を肩に担いでやってきた。
一同が集まる部屋に入ると桐榮をどさりと落とし、どすっと座ると両拳を畳につけ深々と頭を下げた。
「此度はうちの娘の所業。面目もありません」
父の横で桐榮も姿勢を正して畳に額づく。
冨貴は腕を組み渋面を叔父に向けている。桐榮親子を囲むように残菊たちや藍墨が静かに成り行きを見守っている。
望月と天香は、一歩離れた場所で皆を見ていた。
「叔父殿。詫びは後で聞く。仔細は?」
「はっ。桐榮」
父に呼ばれた桐榮は真っ青な顔を上げた。唇が細かく震え、はくはくと動くが声にならない。
じわりと涙が浮かび上がり堪えるように唇を噛み締めたが、溢れた涙がぼたぼたと膝に落ちていく。
「桐榮。泣かずに話さんかっ」
「…うっくっ。ふぅ……ゔぅ〜」
父の叱責に、口をぎゅっと固く結んで泣くのを堪えようとするが益々涙が溢れ、鼻水もだらだらと垂れて、顔面が酷いことになっている。
桐榮とて、烏兎が帰っていないとは思ってなかったのだ。ちょっとした意地悪がこんな大事になるとは思っても見なかった。
自分が悪いと思ってもいるが、いなくなった烏兎も悪いと思っていた。
「ゔっぐ。らって、うじろ、いなかったからがえっだっておもっ…、いなぐなっ…とか、知らないし」
中々実のある話をしない桐榮にじれた藍墨が立ち上がったが、それを制するように残菊が桐榮の正面に座った。
残菊はぐずぐずと泣く桐榮を抱きしめて、その背中を擦った。
「落ち着きなさい。話を聞きたいだけさ。責めてるんじゃないよ」
優しい手つきに、しばらくすると桐榮の涙が止まった。鼻を噛んで少し落ち着くと、残菊は体を離して真正面から桐榮をじっと見た。
「烏兎と外に出たんだね」
少し躊躇ってこくんと頷いた。
「どこまで一緒だったか覚えてるかい?」
「柳橋を、渡るまでは、いたと思う。声、聞こえてたから」
柳橋とは住宅地と不夜街を区切るように流れる川にかけられた橋の名前である。
「それから人が増えてきて、薬屋が見えて、振り向いたらもういなかったの」
「悲鳴は聞いてないね?」
真剣な問いに、こくりと頷く。
悲鳴や喧嘩の声はなにも聞こえなかった。だから、先に帰ったと思ったのだ。
「私、こんな事、に、なるなんて、思わなくて。ちょっと困らせようとしただけ、なのに」
「そうか。だがやって良い事と悪い事がある。そのケジメはつけなきゃならないよ」
残菊の言葉に、桐榮は小さく頷いた。
「柳橋を中心に目撃情報を集めろ。動けるやつ全員だ。探している黒兎は黒獅子の花嫁だと大々的に広めろ。しらみ潰しに探し出せっ」
冨貴の号令に集まっていた男達が散っていく。
それを見送った天香が芙蓉を呼んだ。
「花街にも遣いをお出し。兎を売るなら娼館が割りがいい」
「畏まりましたわ」
大人達が慌ただしく動く中、父親も捜索に出たせいで桐榮はぽつんと座ったままだった。どうしていのか分からず、ぼんやりと周囲を眺めていた。
その側に天香が近づく。
「桐榮」
呼ばれて顔を上げたその頬を手加減無く引っ叩いた。横に吹っ飛んだ桐榮がのろのろと上半身を起こし、怯えた顔で天香を見上げる。
「我等の力は、弱者を庇い強者に向ける為にある。父も母も誇り高くあれと教えなんだか」
それは小さな頃から言われつづけられた言葉だった。
弱者とは自分よりも幼い子ども達だと思っていた桐榮は、自分よりも弱いと分かっていながら年上という事実と少しの嫉妬から烏兎を除外していた。
「烏兎に刻印が無い以上、危険は五つの童と変わらぬ。その意味を教えぬ大人の責もあるが、だからと言って其方の責が消える訳でもない。しばらく謹慎しておれ」
桐榮は座り直して深く一礼をすると、茉莉に支えられて家へ帰った。
刻印がされる五歳までの子どもたちは大人に守られて育つ。一人で外出する事は無いし、一族の皆が庇護する中で様々な決まりやしきたりを学ぶ。
刻印がされれば、その一族の庇護下だと明示されるので、人攫いなどに遭う確率が減るのだ。
「残菊」
「はい」
「身内だからと甘えた事しか出来ぬなら一夫人など降りてしまえ」
「申し訳ありません」
長の一夫人はただの順番ではない。時に長の代わりを務め、女衆を率いて陰日向に支えなければならない。
代替わりしたばかりだからと言い訳できる立場では無い。
「天ちゃん、天ちゃん。隠居した儂等が口を挟むもんじゃねぇよ。見守るのも務めだ」
望月が天香の肩を優しく叩けば、呆れたような目を向けたが反論の代わりにため息を吐き出した。口出しが過ぎた自覚はあるのだ。望月は放置し過ぎだと思わなくは無いが。
望月は広間の上座にどかりと座り息子たちを見上げる。
「さあ。–––––見せてもらおうじゃねぇか。お前達の手腕を」
がらりと雰囲気が変わった望月が薄く笑みを浮かべる。それは普段の穏やかなものとは違い、酷薄な冷たい笑みだった。
試されている。
天香を除いた皆の背筋に冷たいものが走る。
隠居して尚、その存在にまだ届かないと叩きつけられた冨貴は気合を入れ直した。




