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黒獅子のお嫁さま  作者: 腹黒兎


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8/16

8.


家族の中でも鼻が効く桐榮は、部屋に入った途端に顔を顰めた。部屋中につんと鼻につく薬の匂いが充満している。この匂いはよく知っている。父が腰や肩によく貼っている湿布薬だ。

臭い。

少し薄れているが、鼻がいい桐榮は臭いを感じ取ってしまう。

うぇと顔を顰めれば天香にたしなめられて、むっとしたものの顔には出さずその匂いの隣に座る。

できれば座りたくないが、伯母に比べれば匂いの方がまだマシだった。


「臭い」

「あ、あの、ご、ご、ごめん、ね。朝、剥がしたんだけど、その、まだ…臭う?」


桐榮が不機嫌な理由の一つが、臭いの元になっているおどおどした黒兎だ。

もう数日もすれば大好きな従兄弟と結婚するという女。小さいし、びくついてるし、頼りなさそうだし、一体どこが良いのか桐榮にはさっぱり分からない。

あの立派な従兄弟の隣にこんなひ弱な兎が立つなんて許せない。毛並みが黒いぐらいで、尊敬できるとこなんてかけらもない。

この頼りない兎が一夫人になって、私がニ夫人だなんて納得できない。


桐榮が嫌だと駄々を捏ねたところで中止になる訳もなく、結局のところむくれて八つ当たりするぐらいしかできないのであった。

ちょっとだけ虐めてやろうと思っていたら、苦手な叔伯母に会うし、一緒に礼儀作法を習う羽目になるし、全くもって不運続きだ。もう一つ予想外だったのは、なぜかその兎に懐かれてしまった事だ。

ちょっとだけ年上のくせにお姉さんぶって話しかけてきたり、心配してくるのも腹が立つ。

そんな兎は居残り練習中だ。ざまをみろ。

さっさっと帰ろうとしたところで茉莉に出会った。左手で抱っこした1歳の黄梅がぐずっている。


「あら、丁度良かった。おつかいに行ってもらえるかしらぁ」

「えぇー」

「ありがとねぇ。朱氷のとこに行って薬を補充してきて欲しいのよねぇ」

「えー、めんどくさい」


右手に持っていた薬箱をぽんっと渡される。桐で作られた薬箱は、中身が減っているせいか見た目程重くは無い。


「はい。これ。帰ったらお駄賃あげるからねぇ」

「いくら?」

「櫻屋の最中と豆大福、かしらねぇ」

「現金じゃないの?」

「現金だと安くなるねぇ。それでも良いなら、私は構わないけどねぇ」


確かに。老舗の櫻屋は味もいいけど値段も高い。桐榮のお小遣いでは買えない菓子だった。


「仕方ないから行ってあげる」

「頼むわねぇ」


そう言うとぐずって泣き出した息子をあやしながら部屋へと戻っていった。

桐榮は薬箱を抱えて玄関へと向かう途中で、烏兎と出会ってしまい思わず顔を顰めた。そんな心情など知らない烏兎は、見送りをしようと小走りに近づいて来る。走っているとは思えない遅さに呆れた。


「桐榮ちゃん、あ、あの、お疲れ様…」


あの程度の距離で息を弾ませる脆弱ぶり。子どもにも簡単に負けそうだ。

桐榮は手元にある薬箱を見てある事を思いついた。それは、ほんの悪戯心からだった。




初めて外から見た屋敷は、庭木が多いせいか屋根がほんの少し見えている。横に長く続く塀がどこまで伸びてるのか興味深かった。


「置いて行くわよ」

「あ、ご、ごめんなさい」


慌てて先を歩く桐榮に追いつく。

冨貴の屋敷の向かい側も似たような屋敷があり、冨貴の兄弟が住んでいると桐榮が教えてくれた。屋敷の塀がやっと途切れると、冨貴の屋敷ほどでは無いが大きな屋敷がまた並んでいる。

この辺りは高級地でお金持ちしか住めないのだと桐榮が自慢気に話す。桐榮の家も近くにあるがこの場所からは見えないと知り、烏兎はちょっとだけ残念に思った。


二人が向かうのは不夜街にある薬屋である。

住宅地に近い街の端にある薬屋は、冨貴達の仕事の一つらしい。


「あんたがたくさん使うせいで薬が無くなったのよ。これから買いに行くから付き合いなさいよ」


そう桐榮に言われた烏兎はためらいながらも共に行くことにした。

三年後に里を襲う疫病の薬がそこにあるかもしれない。いずれ癒兎から手紙なり連絡があるかもしれない。その時までに少しでも助けになれたら良いと珍しくやる気を出した。

出かける事を誰かに伝えようとしたが、桐榮が急いでるからと急かされてそのまま出てしまった事だけが気にかかる。遠くないと言う桐榮の言葉に、それならばと屋敷の外へと足を踏み出した。



やってきた時は夜であったし、疲れもあって景色などほとんど覚えていない。周囲が珍しくてついつい遅れがちになり、慌てて桐榮に駆け寄って行く事を繰り返している。

屋敷の規模が小さくなり、なだらかな坂を下れば里と変わらない大きさの家が並ぶ住宅地がある。住宅地を区切るように川が流れていて、橋が掛かっていた。橋を渡れば不夜街も近い。

すれ違う人の多さに驚きながらも、烏兎へ必死で桐榮の後について行く。


「桐榮ちゃん、まだ?」

「もう少し先よ。何よ、もう疲れたの?私より年上でしょ?しっかりしなさいよね」

「あ、ご、ごめん、ね」


桐榮は鼻を鳴らして前を向くと再び歩き始める。薬箱を持っていて手を繋げないなら、ゆっくり歩いてあげる事もできたし、腕を掴ませてあげる事もできたが、桐榮はあえて何もしないし言わなかった。

人の多さに慣れていない田舎者がちょっと迷子になる事もあるだろうと、桐榮は悪い笑みを浮かべた。

べそかいて泣けばいいんだわ。

だから名前を呼ばれても「待って」と小さな声が聞こえても、知らないふりをして足速に歩いた。

街の端にある薬屋の看板が見えてようやく振り返った。情けなく泣いている顔を見てやろうと意地悪く思ったが、後ろに黒い兎はどこにもいなかった。


「え…?やだ、本当に迷子になったの?」


なんて鈍臭い兎なんだろう。私の歩く速さに追いつけないなんて情けない。

ここまではそんなに難しい道のりじゃない。ほぼ一本道だ。薬屋の名前も教えてある。

そう考えた桐榮は、もう一度だけ後ろを確認して薬屋へと足を向けた。

どうせすぐ追いついてくる。

困ったように「ごめんね」と、吃りながらも謝ってくるに違いない。

はぐれる方が悪いのよ。

後ろめたさを感じながらも桐榮は薬屋の扉を叩いた。


だが、用事を終えても烏兎は現れず、帰り道をきょろきょろと捜しても見つからない。

きっと見失ったから帰ったんだわ。黙って帰るなんて、なんて失礼で恩知らずな兎だろう。

桐榮は腹をたてながらも茉莉に薬箱を渡し、お駄賃のお菓子を貰って家に帰った。

美味しいお菓子に舌鼓を打ち、晩ご飯の時間に本屋敷から烏兎を知らないかと使いの者が来るまで、桐榮は烏兎の事をすっかり忘れていた。



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