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黒獅子のお嫁さま  作者: 腹黒兎


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7.



勢いよく襖が開き、元気いっぱいの桐榮が姿を表した。


「兎!今日こ、そ、は………」


部屋の中にいた人物を見て、さぁと顔が青ざめる。

中では、烏兎が歩き方の練習をしていた。そして、その側には姿勢良く座った天香がいた。


「お、お邪魔しましたぁ」


そろっと後退りする桐榮の脛に天香が投げつけた扇子がばちりと当たる。


「丁度良い。中にお入り」


痛みに踞った桐榮に冷ややかな声が届く。

怒っている感じではない。だが、逆らっちゃいけないと本能が危険信号を発していた。

桐榮はこの厳格な伯母が苦手だった。

口煩い訳ではない、手を上げられた事もない、ただ空気を張り詰めたような雰囲気に気圧されるのだ。加えて、滅多に緩まない表情や、寡黙さが苦手意識を更に助長していた。

渋々と中に入り正座をする。


「桐榮、明日から朝餉が終わればおいでなさい。烏兎と共に見てあげましょう」

「え!えぇ!!………はい」


不満の声をあげれば鋭い眼差しを向けられ、渋々と承諾をする。

不満は多々あれど、この伯母を尊敬している父母の協力は得られないのは分かっている。

ぺたりと垂れた耳や不安に揺れる尻尾が可愛いと、烏兎は思ったが賢明にも口にはしなかった。



その日は桐榮も巻き込んで、畳の歩き方や座り方を何度も練習した。

教えてもらって初めて畳の縁を踏まない事、畳の敷かれ方や部屋の広さによって歩き方が違う事を知った。座り方、立ち方、何気なくしている動作をほんの少し変えるだけで見違える。


「物事には道理がある。作法も所作も道理が分かれば難しくはない」


立つ時、座る時、歩く時、その道理が分かれば所作の意味が分かると天香は言う。

お手本を見せてくれた天香の動作は流れる様に自然で洗練されていた。しかし、自分と何がどう違うのかは烏兎には分からなかった。そう素直に言えば「分からない事が分かっただけでも良い」と言われた。

常日頃から注意して動けば自然と身につくらしい。

流石に、桐榮は母親から教わっているせいか、烏兎よりも様になっていた。それでも天香の指導は容赦がなかった。


終わって部屋を出た時は二人とも疲れ切っていた。

桐榮を玄関まで見送る途中、前を歩いていた桐榮が振り返りびしっと指を指してくる。


「あんたのせいよっ!」


疲れのせいか、前回よりも精彩さに欠けるその動作に思わず「大丈夫?」と聞けば、顔を赤くする。


「大丈夫よっ!当たり前でしょ!私はね、弱い兎なんかとは違うんだからっ」

「あ、うん。そうだね。桐榮ちゃん、年下なのにすごい、ね」

「は!?バカにしてんの。明日こそは見てなさいよ」


捨て台詞を残して走り去って行く彼女に手を振って見送る。

桐榮は初めて会った時から元気いっぱいだ。毎回怒鳴られているのだが、生命に満ち溢れた目は逸らす事も嫌悪に歪む事なく烏兎を見てくる。触れる事にも躊躇がない。

陰口ではなく、烏兎を前にして吐かれる暴言は彼女のように真っ直ぐだ。

まるで友達みたい。そう言ったらまた怒られるかもしれない。

その様子が容易く想像できて、烏兎は思わず笑ってしまった。




晩ご飯の最中も、箸の上げ下ろしから器の持ち方まで注意された。


「無理にせずとも良い。ただ、忘れぬようになさい」


天香は何度も同じことは言わない。道理を説きながら教えてくれる。後は自分で気をつけなさいという事なのだろう。ただ、何度も同じ間違いをすると厳しい声で叱咤される。

天香の説明は簡素で的確で分かりやすい。

ため息もつかず、舌打ちもされず、しつけだと叩いてもこない。

まだ自分から話しかけるのは苦手だし、話しかけられると緊張するが、里にいた時よりも烏兎は楽しく過ごせていた。


普段使わない筋肉を使ったからか、元々運動不足なのにここ数日動き回ったせいか。晩ご飯の片付けを終えた頃には、烏兎の体はあちこち痛みが出てきていた。

痛くて重いこの症状は覚えがある。この屋敷にやってきた時に経験した筋肉痛だ。あの時ほどひどくは無いが、足や背中が動かす度に痛む。


「うぅ〜。いたぃ〜」

「動けるなら大丈夫さ」


痛む体を動かしてお湯をかける。

隣では同じように残菊が体を洗っていた。

屋敷のお風呂は、獅子族の大人がニ人が余裕で入れる埋め込み式の湯船と広い洗い場がある。

湯船には熱い湯が並々と張られ、一日の終わりに入浴するのが習慣らしい。

里では水は貴重だったので、風呂といえば一畳程の狭い蒸し風呂だった。それも数日に一回程で、普段は手拭いで体を拭くだけ済ませていた。

風呂場を教えてもらった時は、湯船を池か何かと勘違いをしてしまい、残菊に驚かれたあげく笑われてしまった。

使い方も分からない烏兎の為に残菊が共に入って教えてくれのだが、これがなかなかに恥ずかしい。

小さな頃は別として、三つ四つの頃から一人で風呂も着替えもしてきたので、誰かに裸を見られるのが恥ずかしくてたまらない。

二日目からは一人で入れると言ったのだが、何故か受け入れてもらえず、祝言までという条件付きで共に入る事になった。

烏兎があまりにも小さいので、溺れるのではないかと案じられているとは思ってもみなかっただろう。


「あったかい…」


お湯に浸かるのも慣れてきた。ほぅと息を吐けば、体が弛緩する。

普段は残菊と入浴する花王だが、烏兎が来てから父や兄の栄花(えいか)と一緒に入浴し始めたらしい。


「一丁前に男ぶってんのさ」


笑いながらもどこか誇らしげな表情だった。

母親とはこういうものなのかと改めて思う。

母親どころか父親も烏兎を毛嫌いしていた。烏兎の婚姻が決まっても何も言わず、旅立つ日にも顔を見せなかった人たち。あの日、やはり自分の家族は癒兎だけなのだと思い知った。


癒兎に会いたいと、夜が訪れる度に思う。

話したいことがたくさんあるの。聞いて欲しい事がたくさんあるの。

癒兎。癒兎。癒兎。

私ね、私、ね––––––––––


「烏兎っ!!!」


浴室に響いた残菊の声をどこか遠くに感じながら、烏兎の意識は薄れて行った。





雪解けの庭に咲いた赤い花に、ひらひらと飛んでいた蝶が止まる。

青い、空みたいな綺麗な翅がゆったりと動く様を二人で見ていた。

「きれい」と呟くと癒兎は躊躇いなく蝶を捕まえた。そして––––––––––


蝶が羽ばたく。無数の蝶が空へと翅を広げて飛んでいく。まるで空が動いているよう。

視界が蝶で埋まっていく。


「ゅ、と……、癒兎っ」


どこ。

見えない。

見えないの。

置いていかないで。



目を開けると木目の天井が見えた。

さらりと吹き抜ける風が心地良い。自分がどこにいるのか分からなくて何度か瞬きを繰り返す。


「起きたか?」


低い声が聞こえ、そちらを向けば藍墨が側に座っていた。


「藍墨、さま?」

「風呂でのぼせて倒れたそうだ」

「……あ」


残菊の驚いた声を覚えている。迷惑をかけてしまった。

気落ちする烏兎の額から手拭いを外して、手桶の水で絞り直すと優しい手つきで再び額に当ててくれる。ひんやりとした感触が心地良い。

そして時折、優しい風がふわりふわりと通り抜けていく。


「きもち、い…」


夢見心地で呟くと「そうか」と応えてくれる。

いつも側にいたのは癒兎だった。

藍墨は癒兎とは何もかも違う。大きな体、黒い毛並み。なのに、どうしてだろう。

どうして、同じように側にいると安心するのだろう。

ふわりと凪ぐ風を感じながら、烏兎は再び眠りに落ちた。

すぅすぅと眠る烏兎の頭をひと撫でして、藍墨は異能で起こした風に揺らぐ黒髪を見ていた。



活動報告に家族構成を載せてます。

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