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黒獅子のお嫁さま  作者: 腹黒兎


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6/16

6.



烏兎は朝から緊張していた。正確には昨晩、冨貴から父母との顔合わせが今日あると聞いた時からだ。

晩ごはんを食べた後でよかった。食べる前に聞いていたら絶対に喉を通らなかっただろう。

今日の朝ごはんは食べる前から喉を通る気がしないので諦めている。


「どうした?」

「へ?ふぁ、は、はい?」


藍墨の帯を持ったまま呆けていたらしい。

慌てて帯を差し出すが、藍墨は烏兎を見たまま動かない。

じぃっと見られて居心地が悪そうにあちこちに視線を彷徨わせていると、藍墨の手が烏兎の左頬に触れ顔を上げられて視線が合う。

何も言わないけれど、その目が心配しているのが分かった。


「あ、あの、昨日、寝付きが悪くて、あの、ちょっとだけ、寝不足……で。その、あの、ごめんなさい」


言っていて恥ずかしくなった。

こんな事で心配させるなんて。呆れたかもしれない。

藍墨の手が添えられたまま俯けないので、視線だけが横や下を彷徨う。

ふぅとため息が聞こえ、知らずびくっと体が竦む。頬に添えられた手が離れ、頭の重みに任せて顔が下を向く。両手に持っていた帯が取られ、しゅっと藍墨が帯を締める音がする。

どんな表情をしているか怖くて見れず、足元の畳を見つめたまま組んだ両手に力が入った。


「辛いなら少し寝るといい」

「え…」


反射的に顔を上げれば、いつもより優しい目で告げられる。


「だ、大丈夫ですっ。頑張れます」

「…そうか」


背筋を伸ばして握り拳を作って宣言すれば、ふっと微笑まれた。

途端に嬉しい気持ちが溢れる。さっきまであんなに焦燥していたのが嘘みたいだ。

藍墨に呆れられたり嫌われるのは嫌だと思った。残菊や芙蓉たちに嫌われるのも嫌だが、全く同じではない。上手く言えないが、違うのだ。

嫌われたくないのは、夫婦になるからだろうか。

初めての感情に戸惑いながら、烏兎は部屋を後にした。




藍墨の両親が到着したのは昼近くになった頃だった。

先代でもある望月(もちづき)は、獅子族にしては小柄で穏やかな雰囲気の好々爺とした淡い月の様な金獅子で、共に来た冨貴と藍墨の母親でもある天香(てんか)は、夫よりも背が高く凛とした金獅子であった。


顔合わせは、藍墨と初めて会った広間で行われた。

上座には冨貴が座り、その左側に望月と天香、右側に藍墨と烏兎が座る。

藍墨の横に座るだけでも緊張するのに、正面には厳しい面持ちの天香が座っている。緊張しすぎて、なんとか食べた僅かな朝ごはんが迫り上がってきそうだった。


「成る程。聞いていたよりも見事な毛色だな。これは、重畳、重畳」


望月はにこりと笑い、二度三度と頷いた。彼はほっと安堵できる柔らかな雰囲気を持つ人だった。

その横に座る天香は色合いこそ冨貴に似ているが、無表情なところは藍墨に似ている。だが、彼よりも威厳と自信に溢れた姿勢は里の予知者である老婆を思い出させた。


「異能は無いと聞いたが確かか?」


女性にしては低く厳しい声で問われ、烏兎の耳がぴんっと立った。


「は、はい。申し訳、ありません」


手をついて頭を下げる。謝るのはもう癖のようになっている。残菊たちからも注意されるのだが、長年の癖はそう簡単に治らない。


「顕現せぬのは其方のせいか?」

「え……い、いえ」

「ならば容易く頭を下げるで無い。己が言動に誇りと自負を持て」


声を荒げているわけでもないのに、その声には力があった。知らず、烏兎の背筋がぴんと伸びる。


「まぁまぁ。まだ来たばかりだろう。ゆっくり慣れてもらえればいいじゃないか」

「貴方の調子では何年かかるやら。兎。もう一度礼をしてみせよ」


言われて、もう一度手をついて頭を下げる。

何も言われない事が不安になってそろりと顔を上げると厳しい眼差しとかち合い、慌てて頭を下げた。

目の前にある畳の目を見ながら困っていると、天香の鋭い一喝が屋敷に響いた。


「残菊っ!!」


咆哮のような声を正面から浴びて、烏兎の体は驚きに跳ねた。

直後に小走りに走ってくる音が部屋まで近づき、一拍置いて烏兎の背後の襖がすっと開いた。


「お呼びでしょうか」


さっきまで走っていたとは思えない優雅さで残菊は一礼をした。


「本日よりこちらに厄介になります。皆に伝えておきなさい」

「は、はい。承知しました」


戸惑いながらも了承した直後に、望月はのんびりとした声で天香に問いかけた。


「え?天ちゃん泊まるの?儂は?」

「貴方がいてなんの益になりましょう。疾くお帰りください」

「えー?儂も泊まりたい。って事で、残菊、よろしくな」

「はい。畏まりました」


話がとんとんと進んで行く中、藍墨が無言で烏の肩を上に押し上げて頷く。体を起こしていいのだと判断し、座り直すとまたも天香が話しかけてきた。


「兎。其方、礼儀作法は誰に習った?」

「え?あの…」


礼儀作法なんて習った事はない。

滅多に無いが、目上の人に会う時は、癒兎が教えてくれた。その教えも『頭さえ下げてればいいよ』と簡単なものだった。それでいいのかと不審がれば、癒兎は『頭下げてれば嫌な顔見なくて済むでしょ』と悪戯顔で答えてくれた。

あれを習ったと言っていいものか。


「母上。烏兎です」


返事に戸惑っていると、隣に座った藍墨が天香に話しかける。


「なんと?」

「烏兎です」


問いかけに間髪入れずに答えた藍墨を見て、天香は目を丸くした。

珍しい物を見たと、にぃと愉しげに笑む。滅多にない妻の笑みを見た望月は目を逸らして冨貴に何事かを話しかけていた。親子二人して顔色が若干青い。

そんな二人を見もせずに、天香は「成る程」と呟いて「烏兎」と名前を呼んだ。


「今日から礼儀作法を教えよう。昼餉が終われば私の部屋まで来るが良い」

「は、はい。あの、よろしくお願いします」


烏兎たちの背後にいた残菊は、それを聞いて気の毒そうな顔をしたが、他人事ではないと自らも気を引き締めた。

そして、祝言の日まで天香による指導が行われる事となった。もちろんそれは烏兎だけではなく、屋敷に住む全員が対象であった為、なかなかに気の抜けない日が続くのであった。



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