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黒獅子のお嫁さま  作者: 腹黒兎


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10/16

10.



薬屋はすぐそこだと桐榮は言ったが、運動不足の烏兎にはかなりの距離があった。住宅地を抜けただけなのに息切れがする。

徐々にすれ違う者や追い越していく者が増えてくる。人混みを歩き慣れていない烏兎は、少し余所見をするだけで、あっという間に桐榮と逸れてしまいそうになった。

途中「待って」と何度か桐榮に話しかけたが、息が切れるせいで桐榮には届かなかったらしくその差がどんどんと広がってしまう。

慌てて小走りで追いつこうとした時、すれ違いざまに人にぶつかってしまった。たたらを踏んだだけで転ばずに済んだのは幸いだった。


「ご、ごめんなさい」


咄嗟に謝ったが、相手は顔を顰めて睨みつけてくる。

相手は灰熊と葛狐の若者だった。


「いってぇな。どこ見て歩いてんだよ」


灰熊の男が威圧的に見下ろしてくるのが恐ろしくて、烏兎は両手を組んで後退りしたが葛狐の男に手首を掴まれ動けなくなった。


「あ〜あ、痛いそうやなぁ、骨が折れてたらどうしてくれんの?」

「あ、ご、ごめんなさ…ぃ」

「あ?人に怪我させといて謝ってすむと思ってんのか?」


灰熊はぶつかった腕に手を当てて凄んでくる。

葛狐は烏兎の手を離さないまま灰熊に何やら耳打ちをした。それを聞いた灰熊は腕を抑えて大袈裟に呻いた。


「痛ぇ痛ぇ。こりゃ骨にヒビが入ってるかもしれねぇな」

「困ったな。これから仕事があるのに、どうしてくれんだよ?なぁ、兎?」

「え?あ、だ、大丈夫、ですか?」

「大丈夫なわけねぇだろ。どうしてくれんだよ、しばらく働けねぇよ」


灰熊が上から睨め付けてくるものだから、烏兎は身がすくんでしまう。


「あ、あの、お医者様に…」

「あー、無理無理。俺ら忙しいんだよね。これから仕事だって言っただろ?」


痛がる灰熊を労りながら、葛狐が困り顔で説明する。


「なぁ。あんたのせいで怪我したんだから、こいつの代わりに、お仕事、手伝ってよ。そしたら許してやるよ」


葛狐が細い目を更に目を細めてにぃと笑う。

その笑顔がなんだか恐ろしく感じたが、代わりに仕事をして許してもらえるならと、烏兎は小さく頷いた。


「んじゃ。お店、行こっか」

「あ、あの、私、な、何をするんですか?」

「大丈夫、大丈夫。簡単な仕事だから」


葛狐は上機嫌で烏兎の手首を離さぬまま歩き出す。烏兎の後ろを灰熊がにやにやしながら付いてくる。

葛狐と灰熊に挟まれて、烏兎は怖くて泣きそうになりながらも足を動かした。

途中、視線を動かして桐榮を探したが、どこにも見当たらなかった。

事情を説明して、残菊たちへの伝言を頼もうと思ったが、こんな怖い人達に会わせなくて良かったのかもしれないと思い直した。



葛狐と灰熊に連れて行かれたのは、色鮮やかな建物が建ち並んだ通りだった。日中なのに人通りが少なく、なんだか足を踏み入れるのを躊躇うような通りだが、葛狐と灰熊は慣れた足取りで進んでいく。

足を止めたのは、周りよりも特に煌びやかな建物だった。

周囲と同じ二階建ての建物は、赤や金色の植物が巻き付いた緑色の二本の柱が入り口にあり、朱色の扁額には『夢天楼』と書かれている。入口らしき扉の横には大きな格子窓があるのが印象的だった。


夢天楼の扉を開けて中に入れば、広い玄関は薄暗く静かだ。人の気配が少ない。

葛狐は玄関横にある木製の扉を叩いて「婆、いるか?」と声を張る。


「五月蝿いね。こんな日中に来るなんてどこの糞狐だい」


扉から出てきたのは白髪混じりの老婆だった。烏兎よりも少し背の低い老婆は砂鼠特有の毛のない尻尾を不機嫌に床に打ちつけた。


「相変わらず、口の悪い婆だな」

「へっ。糞狐に言われたかないね」

「兎連れてきたから見てくれよ」

「兎とは珍しいね。ふん、まぁいい。上がんな」


顔をくいっと動かして、老婆は扉の中へと戻って行く。

履き物を脱いだ葛狐が烏兎の手を引っ張る。

なんだか嫌な予感がして、その手をどうにか振り解こうとしたがびくともしない。焦れた葛狐が舌打ちをして、烏兎の頬をぱしりと叩いた。

不意打ちの衝撃に視界がぐらりと揺れた。歯が当たったのか、頬の内側が切れて血の味が口内に広がる。


「暴れんなよ。怪我させた詫びに仕事するって決めたのはあんただろ?」


強く手首を握られて、痛みに顔を顰めると更に顔を近づけて耳元で囁いた。


「また殴られたくないなら、大人しくしとけよ」


痛いのは嫌だろ?

毛並みに逆らうようにれろりと耳を舐められた。湿った感触に怖気立ち、全身に鳥肌がたった。

気持ち悪い感触を拭き取りたいのに手は動かせない。葛狐は震える烏兎を乱暴に扉の中に突き飛ばした。


扉の中は小部屋になっていて、さっきまで寝ていたのか、部屋の端には乱れた布団が置かれたままだった。

倒れ込んだ烏兎が上半身を起こすと、目の前に老婆がいた。恐怖で後ろ向きに這えば、仁王立ちした灰熊の足にぶつかる。強面の灰熊に見下ろされ身をすくませていると、老婆が烏兎の顎を持ち上げ右、左と動かす。


「怪我させんじゃないよ。ったく」

「軽くだろ。仕込みが終わる頃には綺麗に消えてるさ」

「ふぅん。肌は綺麗だね。きめが細かくて白い。触り心地も悪くない」


しみの浮いたかさかさの手が烏兎の頬や首を撫で回す。


「あんた、歳はいくつだい?」

「……あ、あの……」

「はっきり答えなっ」

「じゅ、十五、です…」

「はんっ。ちょっと薹が立ってるね。十二にしちまおう」


老婆はひひひと前歯が抜けた口で笑った。


「お前さん、おぼこかい?」

「おぼこ?」


言葉の意味が分からず首を傾げる。


「察しが悪いね、処女かって聞いてんだよ。男とまぐわった事があるのかいっないのかいっ」


老婆が唾を飛ばして問いかけてくるが、烏兎には言葉の意味が分からない。困ったように首を傾げる様を見て老婆は呆れた。


「呆れた。どこの箱入り娘だい。まぁ、いいさ。初物なら値段は上がるからね。ほらよ、これ以上は出せないよ」


老婆は押入から頑丈な箱を取り出すとそこから紙幣を数枚取り出して葛狐に見せた。


「これぽっちかよ、くそ婆。初物の兎だぜ?もう少し張るだろ?」

「黙んな糞狐。気に入らなきゃ他に行きな。まぁ、うちより高く買うとこがあればの話だかね」

「足元見やがって。磨けば上級にもなれんだろ」

「馬鹿を言いでないよ。顔と体で上がれるのは中級までさ。上級は学も教養もいるんだよ、うちの御職にいくら注ぎ込んでると思ってんだい」


葛狐と老婆の言い合いは続き、葛狐は追加の紙幣を数枚貰って喜んでいたが、老婆はそれ程悔しがってはいなかった。恐らくこの駆け引きも想定内だったのだろう。

葛狐は紙幣を懐に仕舞うと「んじゃ、頑張って稼げよ」と声をかけて、灰熊と店から出て行ってしまった。

残された烏兎は金の入った箱を片付ける老婆を見た。

早く仕事を終わらせて屋敷に戻らなければならない。


「あ、あの、私、何をしたら、いいんですか?」


ここが何かのお店なら、掃除とかだろうか。

料理はまだ自信ないが洗濯や掃除ならなんとかなりそうだ。

烏兎の言葉を聞いた老婆は目を丸くした後、大笑いをした。


「この期に及んで、理解してないとはね。本当に箱入りの田舎者じゃないか」


老婆は、皺だらけの顔をぐっと近づけてきた。燻した煙のような妙な匂いがする。


「良いかい?あんたは売られたのさ」

「え?で、でも、あの、代わりにお仕事をするだけって……」

「仕事はしてもらうよ。あいつらに払った金額に、住み込みの部屋代に食事代、衣装代、その他雑費、店にあげる上納金、全部払い終わるまでね」


老婆が告げた内容に烏兎は目を丸くした。

部屋代に食事代とはなんだろう。まさか、何日もかかる仕事なのだろうか。


「あ、あの、困ります。私、帰らないと」

「あんたがいなくなったら、こっちも困るんだよ。なにかい?さっきの糞狐に払った分に迷惑料を添えて今すぐ払ってくれるのかい?」


老婆は意地の悪い顔で指を突きつけてくる。

烏兎にそんな大金が払えるはずもない。お金など持った事がないのだ。どれだけの大金なのかさえ分からない。


「でも、でも…私……」


帰らないと。

藍墨や残菊たちが心配するかもしれない。急にいなくなったから桐榮も心配しているかもしれない。

でも、帰る為にはお金を返さないといけない。


「帰りたきゃ、早く稼いで金を返すこったね。恨むんなら、あんな糞狐に捕まった自分の不運を恨みな」


老婆はきひひと笑い、途方に暮れる烏兎の黒髪をさらりと撫でた。



※ 雪兎、葛狐、灰熊等、一部の種族は架空のものです。

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