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黒獅子のお嫁さま  作者: 腹黒兎


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3/16

3.



獅子族の長である冨貴は、齢三十の美丈夫だ。

片膝を立てて座する姿は雄々しく尊大で、この場の支配者は正しく彼であった。

癖のある朱金の髪を緩くまとめ、ぎょろりとした金眼で目の前の烏兎を見下ろす。

大柄な獅子族の中でも飛び抜けて大きな冨貴と対面した烏兎は、威圧感で目を合わせる事もできない。震える両手を膝の上で押さえつけたが、両耳はぺたんと下を向いて震えていた。


「本当に黒いな。真っ黒だ」


太い声で紡がれた言葉に烏兎の体がびくりと震えた。

獅子族では黒は瑞祥だと、貴色なのだと聞いた。だからこれは褒め言葉なのだと頭で分かっていても、長年同じ言葉で蔑まれてきた烏兎には苦痛でしかない。


「本当に。藍墨殿にも劣らぬ黒色ですわね」

「些か小さすぎではないか?そのような形でちゃんと子が産めるのか?」

「藍墨殿には物足りぬかもしれないねぇ。ま、育てるのも楽しいやもしれないねぇ」


そう口々に囃し立てるのは冨貴の左横に並んだ奥方たち。

冨貴には四人の妻がいる。ニ夫人の芙蓉は艶やかな雲豹。三夫人の芍香はしなやかな虎。四夫人の茉莉は空狩猫。そして、冨貴の横で穏やかに烏兎を見つめる一夫人の残菊は夏の日の太陽のような豪華な金獅子だった。

獅子族は実力さえあれば妻を複数人持つ事ができる。複数の妻を養える度量と甲斐性があると見られるが、秩序良く御せなければ失笑を買ってしまう。妻が多く円満な家庭を築いている者は尊敬を集めている。

烏兎は大いに驚いたが、種族が違えばそういう事もあるのかと納得した。


「なんの為の顔合わせだと思ってるんだい。二人そっちのけで姦しい。冨貴も無遠慮にじろじろ見るんじゃないよ。怯えてるじゃないか」


冨貴の横に座った残菊が広い背中を遠慮なく平手で叩いた。大きな音に烏兎は首をすくめたが、冨貴は動じずにかかっと笑っていた。

なにかと世話をしてくれた残菊は族長の一夫人であった。


「すまないね。これが獅子族の長で私達の夫でもある冨貴だ。その横に座っている無愛想なのが冨貴の弟で藍墨と言う。烏兎、お前の夫君だ」


冨貴の横でずっと黙って座っていた藍墨が無言で目礼をしたので、烏兎も小さく会釈をする。

冨貴に比べれば小さいが、それでも迎えに来てくれた人たちよりも大きく見える。

本当に髪も目も黒い。初めて見た自分と同じ色合いの人。けれど、自分と違ってその色は彼にとても合っていて綺麗だと思った。

思わず魅入ってしまった烏兎と藍墨の視線が合う。途端に恥ずかしくなって、烏兎は慌てて手をついて頭を下げた。


「あ、あ、ぁの、ぅ、烏兎と、申しますっ。よろしくお願い、いたしまひゅ」


来るまでに何度も練習をしたのに、頭が真っ白になってしまい、噛んだ。吃った上に最後の最後で、噛んだ。

羞恥で顔を真っ赤にして小さく震える烏兎を残菊たちは微笑ましく見守った。


「まぁまぁ、お可愛らしいこと」

「初々しいわねぇ」


可愛いものが好きな芙蓉と小さな子に寛容な茉莉は烏兎を身内と認めた様だ。強い者が好きな芍香はそれほどでは無いにしても異論は無さそうだ。

獅子族の、族長の家系に入るならば教える事はたくさんある。せめて一年はこの屋敷で暮らしてもらわなければならない。冨貴の妻たちに気に入られなければ難しい話だが、問題はなさそうだと残菊は判断した。


「そう緊張するな。藍墨と夫婦になれば我ら家族の一員だ。遠慮は要らん」


冨貴は鷹揚にそう言うが、周囲から邪険にされてきた烏兎には家族の距離感が分からない。弟と同じように気安く接するにはまだ勇気も時間も足りない。

どう返事すれば良いのか困っていると、またも夫人たちが楽しげに話し始めた。


「まぁ。もう夫婦も同然ではありませぬか」

「祝言も十日後だものねぇ。藍墨殿、我慢ですわねぇ」

「我慢する必要などあるまい」

「ええい喧しい。静かにおし!」


残菊が一喝したが、夫人たちは心得たと頷いて声量を抑えておしゃべりを始める。慣れたその様子に烏兎は目を白黒させていた。


癒兎以外の人とほとんど接したことのない烏兎は、人が多い場所も賑やかな場所も苦手だ。

自分がどこに居ればいいのか分からなくなる。今だって出来るのならば、部屋に戻って布団に潜り込みたいぐらいなのだ。

周りが賑やかであるほど、烏兎だけが切り取られた暗闇に放り込まれた感じがした。

聞こえない声がこの場に居る事を責めてくるのだ。お前は異質で異色の忌み子だと。


–––––生まれなければ良かったのに。


苦々しく投げつけられた母の声が蘇り、耐えるように両の拳をぎゅっと握る。

十二歳になり小さな離れに住み始めてようやく息ができた気がした。弟しか訪れのない離れの暮らしは、寂しくもあったが、それ以上に心安らかだった。

離れの外から聞こえる賑やかな声は自分とは縁の無いものだと諦めてしまえば楽だった。寂しくなれば布団を被って寝てしまえばいい。

誰も要らない。癒兎だけいれば良い。


過去の闇に落ちそうになった烏兎を、冨貴の力強い声が現実に引き戻した。


「父母は隠居していてな、郊外で悠々自適に暮らしている。近々やってくるだろうから、その時に会ってやってくれ。そう言えば、雪兎ならば異能があるのだろう?」


何気ないその質問に、烏兎の体がぎちりと固まった。

よその血を拒む雪兎の一族は、能力の差はあれど皆が異能を持っている。

烏兎を除いて。

白い体毛の雪兎の夫婦から生まれた黒い娘。誰もが持つ異能が年頃を過ぎても顕現しない娘。

色だけでも不気味がられ嫌われていたのに、異能が顕現しない事で更に無能者の烙印を押されたのだ。


息が上手く吸えない。なんとか口で呼吸しようとするが震えで歯がカチカチと鳴る。

脳裏に大人たちの冷たい目が蘇る。汚いものをみるような目。両親は、特に母親は失望と嫌悪を隠しもしなかった。

優しくしてくれた残菊にあんな目を向けられたらと、思うだけで怖い。

溢れそうな涙を、唇をぎゅっと引き結んで耐える。


『烏兎』


不意に癒兎の声を思い出した。


『烏兎の異能はね、僕を幸せにしてくれる事だよ。烏兎だけが使える、僕の為だけの異能だ』


そう言って幸せそうに笑った癒兎。

治癒と予知の二つの異能を持つ癒兎の言葉に嫉妬もしたけれど、でも、本当にそんな異能だったら良いと思った。

私の異能は癒兎を幸せにするもの。

目を閉じれば、溜まっていた涙がぽとりと落ちた。


藍墨が体を浮かしかけるのと、烏兎が顔を上げるのは同時だった。

反らす事なく真っ直ぐに冨貴を見つめ、烏兎は微笑んだ。


「申し訳ありません。私に異能はありません」


がっかりさせるかもしれない。失望されるかもしれない。私の異能は他の人には分からない。

『みんなには内緒だよ』と、小指を絡めて笑い合ったあの日の約束は二人だけのものだから。



藍墨は二十四歳。烏兎は十五歳。

辛うじて九歳差。

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