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黒獅子のお嫁さま  作者: 腹黒兎


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2/16

2.


烏兎が婚姻の為に生まれ育った雪山を出たのは四日前の朝だった。


雪深い山に住む雪兎の一族は皆一様に白髪赤眼である。他所者を受け入れない彼等は、能力の大小はあれど皆が異能を持って生まれた。

その中で、黒髪黒眼を持って生まれた烏兎は、十五年経っても異能が開花せず無能の烙印を押され、里からも両親からも疎まれ嫌われていた。

唯一、双子の弟の癒兎だけが、烏兎を愛してくれた。

癒兎は烏兎と違い、雪兎らしい白銀の髪に赤い目を持ち、里でも稀有な予知の異能を持っていた。幼い頃から予知者である貴詠様の後継者として働いている癒兎は、両親の誇りであり愛おしい息子だったのだろう。たまに会うと弟の素晴らしさを説き、なぜ烏兎が生まれたのかと嘆くのだ。

双子なのにあまりにも違う扱い。それでも、癒兎は烏兎が大事で、烏兎は癒兎が大切だった。


三年後に疫病が里を襲う。それに効く薬を持つのが獅子族だと予知された。

獅子族は、瑞兆とされる黒獅子に生まれた族長の弟の為に、黒い毛並みの嫁を求めた。

雪兎族は、黒く生まれた異端の烏兎を里から出したかった。

かくして、両者の思惑が合致し、烏兎は黒獅子に嫁ぐ事が決まったのだった。


双子の弟の癒兎と数人が見送る中、烏兎は背負子に乗せられて生まれて初めて里の外へ出た。

烏兎が見上げるほど背の高い獅子族の男の背に背負われれば視界がぐんと高くなる。まるで大男にでもなった様だった。

足がぶらぶらと宙に揺れる事に不安を抱いていたが、逞しい獅子の歩みはしっかりしていて安定している。しばらくすれば、初めて目にする外の景色を楽しむ余裕もできてきた。

葉の落ちた木々に積もる雪や、その隙間から見える青空は風で巻き上がった細かな雪のせいできらきらと輝いていた。

肌を刺す寒さにも気にならない程、目に映る景色が新鮮だった。他の事で気を紛らわせないと泣いてしまいそうだった。

ざっざっ。と、雪を踏みしめる音が次第に速くなり、流れる景色が速度を増す。

すごい。速い。と、呑気に驚いていた烏兎に背負う獅子の男が声をかけた。


「これから崖を降りる。口を開けるなよ。噛むぞ」


その直後、返事をする間もなく、落ちた。

一瞬体がふわりと浮いたと思ったら、一気に体が下に引っ張られていく。どんどんと通り過ぎていく景色は線のように離れ、色しか分からない。白い半月がやけによく見えた。それが烏兎が最後に見た雪山の景色だった。

獅子たちは、ただ落ちているのではなく、足場を探しながらジグザグに崖を駆け降りて行くのだから背負われた烏兎には堪らない。

胃の腑が浮き上がるなんとも奇妙な感覚と上下左右に揺れる視界に耐えかねた烏兎は悲鳴一つあげる事なく失神した。



たった一晩。気を失っていた烏兎にすれば数刻にも満たない間に、彼女の世界は一変していた。

朝告げ鳥の声で目を覚ました烏兎は、軋む体を何とか動かして体を起こした。


「ぅゔ〜…」


身体のあちこちが痛い。吐き気もあるし、まだ目が回っている気もする。

落ち着く為にも深呼吸を繰り返して、ようやく顔を上げられるようになった。

周りを見れば、木を利用して蚊帳のように大きな布を張った中にいるのが分かった。薄いが綿を詰めた敷物の上に寝かせられている。

きょろきょろと周りを見回しても誰もいない。だが、外から聞こえた声をぴんと立った烏兎の黒い耳が拾った。

昨日の獅子族の人たちは外にいるようだ。

立ち上がって、手櫛で髪を整えて着物の乱れを直す。

思えば、寝ている烏兎を起こして小言を言いながらも身支度をよく手伝ってくれたのは癒兎だ。あの日、結婚を知らされた日も、烏兎を起こして髪を梳いてくれた。

優しい手つきを思い出しただけで、もう会いたくなってしまう。

ふるふると頭を振って泣きそうになる気持ちを吹き飛ばす。


布を少しだけめくって外を覗けば、夜明け前の透明な空気の中、獅子族の男たちが焚き火を囲んで雑談をしている。

彼等は烏兎がいた里の大人の誰よりも背が高くて逞しい体つきをしていた。

里の大人さえも怖かった烏兎が彼等に声をかけるのはとても勇気がいる。起きたものの、どうすれば良いか分からずに立ち竦んでいた。


「ゆと…」


いつも助けてくれる片割れの名前を呟いた唇をギュっと噛み締める。

自分で行くって決めたんだ。自分が癒兎のいない道を選んだのだ。

獅子族と仲良くなって、薬をもらえるように、癒兎の役に立てるように頑張るのだ。

懐に入れた守袋を着物の上からそっと押さえる。別れの朝に「御守り」だと貰った大切な物がそこにあった。

意を決して、烏兎は風にかき消えそうなか細い声で挨拶をしたのだった。



固くて顎が疲れる携帯食をなんとか食べ終えて、出発の準備を始める。

手伝いたいと思っても、手際の良い彼等はあっという間に片付けて出立の準備をしてしまう。

人と話す事さえ緊張する烏兎は、声をかける事も満足に出来きずに肩を落とした。

俯いていると徐々に足元を明るい日差しが照らしている。

ふと顔を上げた烏兎は言葉を無くした。

先程まで薄暗くて見えなかった景色が、朝日が登った事で遠くまで見通せるようになっていた。


見慣れた雪はどこにも無く、遮る物のない視線の先には乾いた大地と空がずっと遠くまで広がっている。

木々はまばらで、踏み固められた茶色い道が線の様に伸び、その先に家の様な建物が点在している。その遥か向こうにうっすらと見える山はどれほど遠いのか見当もつかない。

山と違い遮蔽物の殆ど無い平地は、限りない自由と開放感と、縋るものの無い恐怖を感じさせた。どこにでも行けるようでいて、どこに行けばいいのか分からない。不安定な足場に眩暈がする。

言い得ぬ不安に後退りした烏兎は、背後を振り返った。烏兎が歩いては戻れぬほど遠くに雪山が見える

山頂から中腹までを白く染めた山は険しく、登る事など想像もできない。

目を凝らしても集落は見えない。だが、あの山に里があり、自分は下りてここにいるのだ。

里から出たという実感はなく、まだ足元がふらつくせいか現実味も薄い。

だが、大切な癒兎はまだあそこにいるのだ。その事実が重くのしかかる。


「癒兎……」


優しく自分を呼ぶ声も、引いてくれた手も、癒兎が与えてくれる物、全部、全部、あそこに置いたまま。

寂しくて、悲しくて、胸が苦しい。

泣きたくなるのを唇を噛んで耐える。自分で行くと決めたのに、今泣いたら決心したもの全部が崩れてしまいそうだった。

癒兎がいない。それだけで足元が崩れてしまいそうな程、烏兎は不安定になっていた。


『僕は必ず、君に会いに行くよ』


癒兎の言葉を思い出す。

癒兎は嘘をつかない。約束を破らない。

絶対に、癒兎は私に会いに来てくれる。

大丈夫。癒兎、私、頑張るから。癒兎に会えるまで頑張るからね。

決意を固めた烏兎だが、平地を疾走する獅子の速さに早々に意識を飛ばす事となる。



山道ではなく崖を降りた理由。

「この崖近道じゃないか?」「行くか」「行こう」

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