14. 最終話
祝言の日は雲一つない快晴だった。
透き通る空を彩るように庭の桜が花開き、慶事に色を添えている。
冨貴の屋敷は朝から慌ただしく人が行き交っていた。中でも忙しく立ち回っているのは残菊が率いる女衆で、朝から煮炊きや掃除、会場の準備、そして花嫁の身支度にと忙しい。
男手が役に立つ事は少なく、用が済めば大人しくしておけと、酒と肴が置かれた広間に集められていた。
家の用事、特に慶事に関しての女衆の迫力には強面の男たちも敵わない。
五つ紋の黒紋付羽織袴の藍墨がやってくると、広間は盛り上がった。めでたいとあちこちで酒が飛び交う。
「てめぇら、酔い潰れたら放り出すぞ」
冨貴の軽口に「そんな弱かねぇよ」などと返しながら盃を仰ぐ。
この後祝い事があるので、普段よりもかなり酒量を抑えているが、皆の手から盃が離れることはない。
冨貴は酒を注ぐ為に藍墨に近づいて声を顰めた。
「痕つけてんじゃねぇよ」
「見えないと意味がないだろう?」
「気持ちはわかるが、菊の機嫌が悪くなる」
「知るか」
一口で飲み干した生意気な弟の脇腹を肘で突けば、弟は兄の顔を目掛けて拳を繰り出す。難なく拳を鷲掴んだ逆の手を相手の腹へと打ち込めば、後ろに引いて交わされる。そこから軽い取っ組み合いが始まった。
血気盛んな男共がやんやと囃し立てる中、黒留袖の天香がするりと間を抜けてやってきた。じゃれあう息子たちの脳天に容赦なく手刀を食らわす。
「何をしている」
広間の喧騒を一気に凍りつかせる声に、冨貴も藍墨も気まずそうに視線を外した。
「元気が余っているなら、庭で父と戯れるが良い」
皆も?
涼やかに笑えば、冨貴を筆頭に「申し訳ありません」と皆が一斉に頭を下げた。
「天ちゃん、晴れの日に何させる気だい。流石に全員はきついぜ」
天香の後ろから望月がのんびりとやってくる。
今日の主役は藍墨と烏兎なので、望月も天香も三つ紋の礼装である。
「藍墨。夢天楼から祝いが届いたから新居に運んでるぞ。んな顔すんな、詫びも含んでるんだ。くれるもんは貰っとけ」
「そうだぞ。正絹や紬の反物もあったから新しい着物でも仕立てれば喜ぶんじゃないか」
父と兄に言われ、渋々と頷いた。
確かに物に罪はない。詫びを含んだからと言って、手心を加える気も口を出す気もこちらにはない。
その後は、花街関連のいくつかを話し、他の業種の話に移る。
途中、天香は「そうやって大人しく仕事の話をしているが良い」と退出した。
兎角、準備の段階で男共の出番は無いに等しい。
「刻限にございます」
萌黄の色紋付を来た芍香が広間の皆に移動を願う。主役の藍墨を先頭に冨貴、望月が続き、他の面々も順に続く。
桜が咲き誇る庭の池を渡り集会所へ上がる。襖を外したそこはいつもよりも広々としている。
一番奥に金屏風が置かれ、四席用意されている。その両脇に二列の座布団が敷かれている。
藍墨は上座の真ん中に座り、その右横に冨貴が座る。望月は右側の一番奥の前列に座り、順々に席に付いていく。男たちが座ると、正装をした女たちが空いた席に座っていく。この席順も決まっていて、望月たちの対面になる左側に芙蓉たち夫人と子供たちが座っていく。
そして、最後に残菊に手を引かれた花嫁姿の烏兎が真ん中を通り、藍墨の正面に静かに座った。
白の綿帽子と白無垢は烏兎が持参した花嫁衣装だ。白の刺繍で祝い紋が描かれている。
母が嫁いだ時の白無垢を、どんな想いで手放したのか烏兎には分からない。実は愛されていたなんて甘い夢は見ない。恐らく癒兎が口添えして用意したのだろう。
経緯はどうあれ、自分が花嫁衣装を着れるなんて思いもしなかった。
本当は憧れていた。里で、こっそりと見た花嫁様は綺麗で嬉しそうだった。忌み子と言われる自分には関係のないものだと思っていた。
この婚姻が里の未来の為のものだとしても、藍墨の為に花嫁衣装を身に纏える幸福に眩暈がしそうだ。
「雪兎の烏兎と申します。本日より金獅子の一族に入る誉れを頂きました。幾久しくよろしくお頼もうします」
小柄で愛らしい花嫁が緊張で震える口上は微笑ましく、皆が暖かく見守る中、藍墨がしっかりと頷いた。
「斯様に愛らしい花嫁を迎え、この身の幸運を喜ぼう。俺の唯一人の妻として迎えよう」
藍墨の宣言に周囲が騒ついた。
重婚が許される立場であり、次代の黒獅子を強く望まれる藍墨が他は娶らぬと宣言したのだ。
冨貴は目を丸くして弟を見た。残菊も目を丸くしたがすぐに口元を綻ばせた。
異議を唱えようとした者たちより早く、藍墨が口を開く。
「俺の妻は一人で良い」
決意のこもった声に冨貴は苦笑し、他の者は騒つきながら父親でもある先代の望月を見つめた。
望月は口端を上げて愉しそうに笑っていた。
「いいんじゃねぇか。但し、お前一人の荷じゃねぇ。覚悟を決めていけ」
黒獅子を望む婚姻で、烏兎にかかる期待は計り知れない。妻を一人とするならば、もしも黒獅子が産まれなかった場合、藍墨への批判よりも烏兎への批判が大きくなる。
それを分かった上で、守る覚悟を持てという言葉に藍墨が頷くのを確認して、白無垢の花嫁へと視線を向ける。成り行きをおろおろと見守っていた烏兎と目が合った。
「烏兎。お前さんには重すぎる夫だが、できる限りでいい、支えてやっちゃくれないか」
それは先代の立場ではなく父親の言葉だった。
突然の事態に弱い烏兎は、きょろきょろと周囲を見回し、何か答えなければと大いに慌てた。
「は、はい。あの、えっと、全力で頑張りますっ」
望月へ体を向けると指をついて頭を下げる。勢いがついて綿帽子がぐらりと揺れて落ちかけた。
ぎょっとした残菊が慌てて駆け寄ると身なりを整える。
望月はぶはっと笑うと、嬉しそうに目尻に皺を作った。
「応。全力で頼むぜ」
望月の横に座った天香が珍しく薄く微笑んでいた。
烏兎は藍墨の隣に座り、その隣に残菊が座る。族長夫婦に挟まれた二人の元に芍香が盃と銚子を乗せた屠蘇台を捧げ持ち二人の前に置く。
冨貴が祝いの言葉を述べ、三三九度の盃が交わされる。
屠蘇台を下げる芍香と入れ替わりに、医師でもある薬屋の朱氷が小さな小箱と薬箱を持って烏兎の前に座った。
小箱の中には象牙で作られた金獅子族の刻印判が入っている。獅子の彫刻がされたその判の部分には細かな針が剣山のように生えていた。
朱氷は烏兎の左手を取りその甲を消毒をすると、色粉を付けた刻印判をぎゅっと押しつけた。
判に付いた細い針が刺すちくちくとした痛みに烏兎の顔が歪むが、恐れていたよりも痛くはなかった事に安堵した。
刷毛で余分な粉を落として、ひやりと冷たい布で拭われる。烏兎の手の甲には残菊や花王たちと同じ獅子族の刻印が描かれている。
不思議な気持ちでそれを見つめる。
これで、本当に金獅子の一族となった。なんだか誇らしくて照れ臭い。
「本日、ここに新たな輩を迎え、新しい夫婦が誕生した。二人の未来と我等の繁栄を願って、皆のお手を拝借したい」
冨貴の掛け声と共に参列した皆が拍子よく手を叩く。三本締めが終わると藍墨と烏兎は皆に感謝の礼をし、烏兎は着替えの為に残菊に手を引かれて席を立った。
この後は、そのまま酒宴となる。
隣の部屋に移動した烏兎は、黒地に鮮やかな牡丹が咲き乱れる打ち掛けに着替え、化粧直しをされていた。
「烏兎」
正面に座っていた残菊が姿勢を正すので、烏兎も自然と背筋が伸びた。
「今日から名実共に、金獅子一族の一員で、私達家族の一員だ。何かあれば頼りなさい。皆があんたの力になる。そして、烏兎も皆の力になっておくれ」
優しく微笑む残菊の言葉が嬉しくて泣きそうになったが、なんとか耐えれた。
何も出来ないと引きこもっていた時とは違う。自分にも出来ることがあり、誰かを助ける事が出来る。
烏兎は自分の将来が広がっているのだと感じた。
二年後。
冨貴の屋敷の隣に建つ藍墨の家は、昨夜から騒がしかった。
夜通し付いていた灯りが消え、朝日が昇り空が青く澄んだ頃、元気な産声が家中に響いた。
昨夜から泊まりこんでいた望月は元気な産声に目を輝かせ、意味もなくうろうろと動き回っていた藍墨は尻尾をゆらゆらと揺らしながら産屋となっている部屋の前で立ちすくんだ。
待っている間もふぎゃふぎゃと元気な声が聞こえてくる。
しばらく待てば障子がすっと開き、ふくよかな産婆が現れた。
「おめでとうございます。元気な双子ですよ」
部屋の中では、残菊があれこれと片付けに動き、布団の横に座っていた天香が藍墨を見て微笑んで一つ頷いた。
浅い息を吐く烏兎の枕元に座ると、手の甲で青白い頬を撫でる。見上げてくる瞳から溢れ出る涙を親指の腹で拭う。
「頑張ったな」
藍墨の労いの言葉に、泣いて声が出ない烏兎は何度も頷いた。小さな体での出産は大変だっただろう。
黒獅子を望む期待は大きく、烏兎の負担は予想以上に大きかったはずだ。だが、藍墨に向ける笑顔は曇る事はなかった。
烏兎の向こう側でもぞもぞと動く双子に目を向ける。
薄い金色の耳と真っ黒な耳の双子はまだしわくちゃで可愛くは見えなかったが、我が子だと思えば情が湧いてくる。
「とても、可愛い、ですよね」
赤児を見つめ、ようやく切れ切れに話す言葉には愛情が溢れている。「そうだな」と答え、烏兎の細い右手を両手で優しく握る。
「ありがとう」
「私こそ。ありがとう、ございます」
愛して、愛されて、沢山の想いをもらい、捧げた。
そして、これからも更に沢山の想いをここで増やしていける。
烏兎は花咲くような笑顔を浮かべた。
ー 完 ー




