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エピソード69 言葉の代価

南街道での襲撃そのものは、ラリオンまで及ばなかった。


だが、血の匂いは届いた。


革帯に残った。

服に残った。

五台目の荷車の木に残った。

車輪が町へ向かって転がるあいだ、負傷者を支えていた者たちの手にも残った。


翌朝には、南の交易場はもう袋や塩や布だけを数える場所ではなかった。


今ここで数えられているのは、戻ってきた者たちだった。


カイル・メルは黙ったまま荷車に沿って歩いていた。


まず、一台目の縁に掌を当てた。


次に二台目。


三台目。


四台目。


五台目では、手を少し長く止めた。


木には鉤の傷が残っていた。

側面には縄の跡。

車体を横へ引かれた場所だけ、板の色が明るくなっていた。


カイルはその筋を親指でなぞった。


それから手をさらに下へ移した。

昨日、傾いた荷車に牽引獣が巻き込まれないよう、自分で革帯を切った場所へ。


切った革帯は、すでに予備のものに取り替えられていた。


牽引獣も調べた。

四本の脚でまっすぐ立っている。


カイルはもう一度、板へ触れた。


「五台」


少し離れた場所では、デランがひっくり返した樽に座っていた。


冗談を言っていない。


彼にしては、それだけでも珍しかった。


カイルが顔を向けた。


「何だ?」


「別に」


「何か言いたそうな顔で見てる」


デランは爪で樽の縁を掻いた。


「五台とも目の前にあるのに、わざわざ数えるんだな」


「ああ」


「何のために?」


カイルは手を下ろした。


一瞬、その視線は荷車ではない場所へ向かった。


奥の壁際にある、布を掛けられた身体へ。


レスは本来、彼らと一緒に南へ帰るはずだった。


今度は、横たわったまま南へ連れ帰られる。


カイルはすぐには答えなかった。


「まずいことが起きると、目は見るべき場所を見なくなる」


もう一度、五台目へ触れる。


「手の方が嘘をつきにくい」


デランには冗談が見つからなかった。


だから、ただ頷いた。



交易場の脇の部屋へ移された重傷の見張りに、西の路地の老薬師が付き添い、包帯を替えていた。


ボルトはもう抜かれている。


今、一番危険なのは武器そのものではない。


武器が身体の中に残していったものだった。


卓の上にはラリオンの備蓄薬が置かれていた。


前の南方隊商から、薬師の確認を経て町が買い取ったものだ。


昨日の隊商が運んできた、残りの未検査の薬箱は別に置かれていた。


治療のためにも開けない。

以前からある検査済みの備蓄とも混ぜない。


新しい荷の小箱二つは、もう町から遠く離れていた。


森でそれを奪った者たちと一緒に。


部屋の前の卓で、ケルトはその区別が記録にも残るように書いた。


ただ、


『薬を喪失』


ではない。


『南方隊商の新規未検査貨物から薬箱二つを喪失』


エンナは隣に座り、書かれた文字を読んでいた。


以前に負った掌の傷のせいで、彼女の手はまだ思うようには動かない。


紙の端に指先を添えた。


「残して」


ケルトが彼女を見る。


「長いですよ」


「でも三日後になって、前に買った薬と同じ物だったなんて誰にも言わせなくて済む」


ケルトは下へ一本線を引いた。


「では、布も」


「ええ、別の項目に」


ケルトは書いた。


『新しい隊商の布一包み』


エンナがほんの少し笑った。


「長い記録が好きになったのね」


「短い間違いが嫌いになったんです」



昨夜のうちに、隊商側の使いが襲撃の報せを南へ持ち帰っていた。


だから、扉の向こうから二頭分の蹄の音がした時、セイガは誰が来たのかを考えるより先に門を見た。


入口の見張りより早かった。


彼は庇の下に立ち、壁には寄りかかっていなかった。


視線が門へ滑った。


騎手が二人。


先頭の男の深緑の外套。


その後ろの女の白い髪。


「早いな」


ちょうど負傷者の部屋から出てきたランゼも、そちらを見た。


「誰だ?」


「一昨日の客」


数秒後、ランゼにも見えた。


先頭を走ってきたのはタケル・ケル。


リエラ・ノルが少し後ろについている。


旗はない。


部隊もない。


見せつけるような護衛もない。


今回はタケルも、誰かが迎えに来るのを待とうとはしなかった。


自分から馬を降りた。


視線がすぐに荷車をなぞった。


傷の残る五台目。


板から落としきれなかった血の染み。


布を掛けられた身体。


そこまで見てから、タケルはカイルを見た。


「どれだけだ?」


カイルはすぐ答えた。


「一人死んだ」


タケルは黙っている。


「こちらは二人負傷」


カイルは部屋の方へ目を向けた。


「ラリオンの見張りも一人、重傷だ」


また短い間。


「薬箱が二つ」


カイルは板を手でなぞった。


「布が一包み」


タケルは五台目へ目を向けた。


「荷車は?」


「五台ともある」


「牽引獣は?」


「無事だ」


リエラはもう荷物を見ていなかった。


布を掛けられた身体を見ていた。


数を確認するだけにしては、その視線は長く止まった。


「名前は?」


カイルが彼女を見る。


「レス」


リエラはゆっくり繰り返した。


「レス」


カイルは何も言わなかった。


彼女は、その男が隊商にとっていくらの価値だったかを聞かなかった。


誰かが彼に借りを残していたかも聞かなかった。


代わりの御者を簡単に見つけられるかも聞かなかった。


ただ名前を覚えた。


タケルは五台目へ近づいた。


手袋をした手が鉤の傷のそばで止まる。


「誰が襲った?」


カイルの代わりにランゼが答えた。


「分からない」


タケルが彼を見る。


「五人逃げた?」


「ああ」


「一人はお前たちの手に?」


「ああ」


「二人は死んだ?」


「ああ」


タケルは数秒黙った。


リエラが聞いた。


「依頼主の名は出た?」


セイガが答えた。


「いや」


「雇われた場所は?」


「さらに南にある古い焼き場」


「報酬は?」


「刻印のない切り銀」


リエラが少し首を傾けた。


「都合がいい」


セイガが彼女を見る。


「それだけじゃ、誰が雇ったのかは分からない」


リエラの口元に、ほとんど見えない変化が浮かんだ。


笑みではない。


正しい答えを聞いたことへの、わずかな満足に近かった。


タケルはランゼへ視線を移した。


「ショーンゴも一緒だったのか?」


「いや」


到着してから初めて、タケルは反応を完全には隠せなかった。


ほんの一瞬だった。


だが、ちょうど交易場へ入ってきたサルマはそれを見た。


タケルが振り返る。


「いなかったのか?」


ランゼは盾の帯を直した。


「いなかった」


「誰が指揮した?」


「俺だ。街道で隊商を守った」


セイガが続けた。


「俺は斜面を見ていた」


樽の上からデランが手を上げた。


「俺は他の奴らが見てなかった所を見てた」


タケルの視線が彼へ向く。


デランは手を下ろした。


「俺を見ろって意味じゃないぞ」


リエラが小さく鼻を鳴らした。


ランゼは振り向きもしない。


「こいつが襲撃前に、偽の痕跡を見つけた」


タケルはもう一度デランを見た。


今度は見方が違っていた。


冗談を挟んだ男としてではない。


答えの一部として。



サルマが近づいてきた。


「襲撃を命じた者の名を聞きに来たのなら、こちらからは答えられないわ」


タケルが彼女に顔を向けた。


「なぜだ?」


「まだ誰なのか分かっていないから」


「レヴェンガルド?」


「可能性はある」


「ヴェルシャインの誰か?」


サルマは瞬きもしなかった。


「可能性はある」


リエラから笑みが消えた。


カイルさえサルマを見た。


だがタケルは、わずかに首を傾けただけだった。


「それを私の目の前で言うのか?」


「分からないと言っているの」


「仮説の一つが客にとって不愉快でも?」


サルマは真正面から彼を見た。


「そういう時ほどね」


数秒、二人はただ向かい合って立っていた。


やがてタケルが言った。


「いい」


サルマはその言葉を予想していなかった。


タケルは続ける。


「なら、こちらも依頼主を決めつけはしない」


リエラが革の鞄から薄い書類入れを取り出した。


その中には白紙と、ヴェルシャイン南方交易側で使う小さな印章が入っていた。


「ただし、起きたことには名前をつける」


ケルトはもうその書類入れを見ていた。


「何と記しますか?」


タケルは交易場へ向き直った。


荷車へ。


負傷者へ。


布を掛けられたレスへ。


「南方隊商への襲撃」


サルマはすぐ答えた。


「それでは足りない」


タケルが彼女を見る。


「なぜだ?」


「私たちの護衛下を進んでいたから」


交易場が少し静かになった。


完全にではない。


どこかで馬が蹄を鳴らした。


奥では誰かが箱を動かした。


それでも卓の周りにいた全員が、その言葉だけは聞いた。


タケルが聞いた。


「ヴェルシャインに、それを書けと言うのか?」


サルマが答えた。


「事実よ」


「事実は時に、商品より高くつく」


「荷を守るために何を失ったかなら、もう見たわ」


サルマは布を掛けられた身体へ目を向けた。


「今度は言葉の代価を見る」


リエラはまずサルマを見た。


次にタケルを見る。


タケルが手を伸ばした。


「紙を」


ケルトは動かなかった。


「こちらのを使います」


タケルが眉を上げた。


「何だと?」


「共同の記録なら」


ケルトは白紙を彼の前へ置いた。


「こちらの紙に書きます」


リエラが笑った。


「覚えるのが早いのね」


ケルトが椅子に座り直す。


隣にはエンナ。


サルマは二人のそばに立った。


卓の反対側にタケルとリエラ。


ランゼは通路のそばに残った。


セイガは最初から座らない。


デランはもう樽から降りていた。


誰にも頼まれていないのに、今は扉に近い位置へ移っている。


ケルトがペン先をインクへ浸した。


「どうぞ」


タケルが始めた。


「ヴェルシャイン南方交易側は、南方交易隊商への襲撃が発生したことを確認する」


エンナがすぐ指を上げた。


「ラリオンの護衛下にあった、と」


タケルが彼女を見る。


「今日は皆、その言葉が好きらしいな」


エンナが答えた。


「今日は高い言葉ですから」


ケルトはまだ続きを書かなかった。


タケルがリエラを見る。


彼女は何も言わない。


ほんのわずかに頷くだけ。


タケルが向き直った。


「いいだろう」


ケルトが書いた。


『ヴェルシャイン南方交易側は、ラリオンの護衛下にあった南方交易隊商への襲撃を確認する』


タケルは続けた。


「当方は、交易隊商およびその護衛者への攻撃を容認できないものと判断する」


ケルトが記す。


『襲撃は、いずれの国家への所属も確認されていない武装集団によって行われた』


さらに一行。


『当方は証拠なく、レヴェンガルド、ラリオン、その他いかなる勢力にも責任を帰さない』


サルマが短く頷いた。


「残して」


タケルは続けた。


「南方交易は停止しない」


それまで荷車のそばに立っていたカイルが、初めて完全に身体を向けた。


タケルもそれに気づいた。


「次の隊商も出す」


カイルが聞いた。


「いつだ?」


「予定通り」


「この後でも?」


「この後でもだ」


カイルは数秒彼を見た。


「いい」


タケルが付け加えた。


「失われた薬箱二つと布一包みを、ラリオンの債務として記録する必要はない」


ケルトが顔を上げた。


「まだこちらの所有物ではありませんでした」


「ああ。こちらの損失として扱う」


タケルはカイルを見た。


「失われた荷の分は、南方交易側が所有者に補償する」


カイルが歯を食いしばった。


「レスは?」


タケルはすぐには答えなかった。


カイルが一歩近づく。


「商品なら銀で埋め合わせられる」


掌に縄擦れによる古い傷痕のある右手が握り締められた。


「レスは何で埋める?」


リエラは目を伏せた。


タケルは視線を逸らさない。


「何を差し出しても、埋め合わせにはならない」


カイルはもう一秒、その場に立っていた。


それから拳を開いた。


「それでいい」


五台目へ戻っていく。


「もし今ここで人間の値段を口にする奴がいたら、俺がそいつの歯を折る」


デランがとても小さく呟いた。


「こいつとは値切り交渉したくないな」


ランゼには聞こえた。


だが今度だけは、口元がほんの少し動いた。



ケルトは続きを書いた。


リエラが卓の端へ小さな一覧を置いた。


「もう一つ」


サルマが見る。


「何?」


「次の医療品の便について」


ケルトがすぐ聞いた。


「検査条件は同じですか?」


「ええ」


「特別扱いはなし?」


「ええ」


「検査前には使用しない?」


「ええ」


エンナがリエラを少し注意深く見た。


「価格は?」


リエラが答える。


「前回と同じ基準で出すわ。少なくとも、今回の襲撃を理由に上乗せはしない」


サルマが目を細めた。


「街道の危険分を上乗せしない?」


「しない」


「なぜ?」


リエラは、まさにその質問を待っていたようにサルマを見た。


「最初の襲撃一つでこちらが値上げをすれば、襲った側はもう利益を得たことになるから」


サルマは反論しなかった。


それは、彼女にも受け入れられる答えだった。


タケルが付け加えた。


「だが、こちらから兵は出さない」


今度はサルマの視線が鋭くなった。


「頼んでいない」


「まだ、な」


「これからも頼まない」


タケルは頷いた。


「いい」


ランゼには境界線が見えた。


あまりにも明確だった。


交易は続く。


価格は上げない。


商品の損失はヴェルシャイン南方交易側が引き受ける。


だが、この文書でヴェルシャインの兵が街道へ出ることはない。


共同巡回もない。


二度目の襲撃者と戦うという約束もない。


支援。


だが同盟ではない。


サルマもそれを理解していた。


だからこそ、礼は言わなかった。



ケルトが文書を最後まで読み上げた。


読み終える頃には、通路に何人かの住民が立っていた。


客が来たという話は、命令より早く広がっていた。


唇を切った男も来ている。


前へ出ようとはしない。


ただ聞いていた。


隣には籠を持った女。


さらに職人が二人。


見張りが一人。


誰も叫ばない。


だが、問いはすでに彼らの中にあった。


それを口にしたのは役人ではなかった。


戦士でもない。


商人でもない。


人の輪の一番端にいた老女だった。


「じゃあ、ヴェルシャインは私たちを認めたのかい?」


ケルトが固まった。


エンナは文面を追っていた指を止めた。


サルマは何も言わない。


全員がタケルを見た。


この問いを予想していなかったはずがない。


リエラも黙っている。


タケルは紙へ少し近づいた。


「私は、見たものを認めた」


老女が眉をひそめた。


「それは答えじゃないよ」


「今日、私に言える答えはそれしかない」


彼は指で『ラリオン』という名に触れた。


「自らをラリオンと呼ぶ町がある」


指が『護衛下』という言葉へ滑る。


「その町の護衛がある」


今度は、卓に置かれた文書全体を示した。


「その町の記録がある」


視線がサルマ、ケルト、エンナ、ランゼを通る。


「そして、自分の言葉に責任を持つ者たちがいる」


それからタケルは老女へ向き直った。


「それだけあれば、私たちがあなた方と直接交易するには十分だ」


老女は引かなかった。


「王国はどうなんだい?」


タケルは静かに答えた。


「王国というものは、物事が存在し始めてからずっと後になって名前をつけたがる」


今度はサルマでさえ反応を完全には隠せなかった。


人々の中に低いざわめきが広がる。


喜びではない。


勝利でもない。


たった一つの言葉が、独立を叫ぶ十の声より大きなことをしたと理解した音に近かった。



ちょうどその時、ショーンゴが交易場へ入ってきた。


供もなく。


前触れもなく。


卓のそばでは止まらない。


少し横。


全員を見渡せる場所。


最初に気づいたのはタケル。


次にリエラ。


それから他の者たち。


ざわめきは勝手に消えた。


ショーンゴは布を掛けられたレスの身体を見た。


外の空気を吸いに出てきた隊商の一人、その包帯を巻いた腕を見る。


重傷の見張りが横たわる部屋の扉を見る。


最後に文書。


「終わったか?」


サルマが答えた。


「もう少し」


タケルがペンを取った。


「署名が必要だ」


ケルトが紙を寄せる。


最初にタケルが署名した。


交易側の第二代表としてリエラが二つ目の署名を入れる。


町側としてサルマが署名した。


記録の作成者としてケルト。


文言の証人としてエンナ。


最後にタケルが書類入れから小さな印章を取り出し、ヴェルシャイン南方交易側の印を押した。


タケルがショーンゴを見た。


「今回は、お前も署名するか?」


ショーンゴは動かなかった。


「いや」


タケルが少し目を細めた。


「お前が守るラリオンへの襲撃だろう?」


ショーンゴは彼を見る。


「ラリオンが俺のものなら」


短い間。


「こいつらは何のためにいる?」


視線がサルマへ。


ケルトへ。


エンナへ。


ランゼへ。


そして扉のそばの別の樽にまた座り、まるで偶然ここに居合わせただけという顔をしているデランにまで向いた。


ショーンゴは続けた。


「お前たちが交易する相手は町だ」


「なら、署名するのも町だ」


タケルはすぐには答えなかった。


リエラはショーンゴを注意深く見ていた。


その力ではない。


彼がしなかったことを見ていた。


ペンを取らなかった。


自分を最後の言葉にしなかった。


文書を自分個人の約束にも変えなかった。


タケルがペンを置いた。


「いい」


ショーンゴはサルマを見る。


「条件は?」


サルマは短く答えた。


「交易は続く」


「薬の価格は、襲撃を理由には上がらない」


「失った荷の責任はこちらには移らない」


「向こうから兵は出さない」


ショーンゴが頷いた。


「悪くない」


タケルが聞いた。


「それだけか?」


ショーンゴが彼を見る。


「他に何を望んでる?」


「人が死んだ後に値上げしなかったことへ、俺が礼を言うとでも思ったか?」


交易場がまた静かになった。


タケルがわずかに笑った。


「いや」


「なら、それで全部だ」


ショーンゴはランゼへ顔を向けた。


「見張りは?」


「生きてる」


「どの程度だ?」


ランゼは一瞬、顎に力を入れた。


「まだ油断できない。薬師が熱にも気をつけて見てる」


ショーンゴが頷く。


「隊商の負傷者は?」


離れた場所からカイルが答えた。


「二人とも生きてる」


ショーンゴは布を掛けられた身体を見る。


「レス」


カイルが頷いた。


ショーンゴは数秒黙っていた。


それから言った。


「失われた荷物としてじゃなく、家へ帰す」


カイルがゆっくり顔を向けた。


朝になって初めて、その目から硬さが消えた。


全部ではない。


ほんの少しだけ。


「ああ」


ショーンゴはそれ以上何も言わなかった。


長い演説より、その方が正しかった。



昼までには、文書が南の交易場の入口に掲げられた。


高すぎない場所に。


誰でも読めるように。


読めない者も、誰かに声に出して読んでもらえるように。


下には、タケルが押したヴェルシャイン南方交易側の印があった。


その隣にラリオン側の署名。


誰も


『承認』


とは書かなかった。


誰も


『同盟』


とも書かなかった。


誰も


『独立国家』


とは書かなかった。


だが、


『ラリオン』


という言葉は、ヴェルシャイン南方交易側の印と同じ一枚の紙に載っていた。


そして誰も、それを取り消し線で消さなかった。



*


夕方、まだ門が閉じる前。


タケルは、前々日に交易拠点として貸すことを決めた門近くの部屋で、卓についていた。


リエラが中へ入り、扉を閉めた。


卓には今日の文書の写しがあった。


その隣に別の紙。


署名はない。


印もない。


封印もない。


あるのは書き留めた内容だけ。


リエラが向かいへ座った。


「言葉を一つ認めたわね」


タケルは顔を上げなかった。


「どれだ?」


「『ラリオンの護衛下』」


「実際に護衛していた」


「私が言っている意味くらい分かってるでしょう」


タケルは紙の縁を指でなぞった。


リエラが続ける。


「昨日の襲撃の報せを受けて、私たちはショーンゴがどう動いたかを確かめたかった」


「ああ」


「でも、彼は街道には出ていなかった」


「ああ」


「それでも、護衛たちは五台の荷車をすべて町へ連れ帰った」


「ああ」


「一人を生け捕りにもした」


「ああ」


「逃げた五人も追わなかった」


「ああ」


リエラが身を乗り出した。


こめかみの淡い鱗が、一瞬だけランプの光を拾った。


「なら、もっと悪い答えを得たことになる」


タケルがようやく彼女を見た。


「誰にとってだ?」


「全部が一匹の怪物だけで支えられていると期待していた者にとって」


タケルは黙った。


リエラが白紙を一枚取った。


「ランゼは街道を守った」


一行目。


「セイガは二つ目の罠を見抜いた」


二行目。


「デランは偽の痕跡を見つけた」


三行目。


「サルマは証拠なしに依頼主を決めつけることを許さなかった」


四行目。


「ケルトとエンナは、たった一つの言葉を巡って私たちに交渉させた」


五行目。


リエラはペンを置いた。


「そしてショーンゴは今回も署名を拒んだ」


タケルが答えた。


「人が死んだ後でも、それを変えなかった。そこが一番気にかかる」


リエラは少し背を預けた。


「ただ力の強い反乱者なら、自分の名前を一番大きく書いたはず」


タケルは文書の写しを見た。


「だが逆をやった」


「町の者たちに、町の名で署名させた」


窓の外では誰かが門を閉めていた。


重い木が溝へ収まる。


リエラが静かに聞いた。


「これはまだ反乱なの?」


タケルは長いあいだ答えなかった。


やがてリエラの紙を取った。


左側に一つの言葉を書く。


『反乱』


その下。


『一つの中心』


『一つの力』


『唯一の中心が死ねば、すべてが終わり得る』


縦に一本の線を引いた。


右側には何も書かなかった。


リエラは見ていた。


「右は?」


タケルがペンを置いた。


「まだ名前をつけるには早い」


「今日、自分で言ったでしょう。王国は物事に名前をつけるのが遅いって」


「だからだ」


彼は窓の外を見る。


ラリオンの門。


ショーンゴがいなくても交代していく見張り。


文書がすでに数時間掲げられている交易場。


「明日から私が知りたいのは、ショーンゴがこの町を維持できるかどうかじゃない」


リエラは黙っていた。


タケルが最後まで言った。


「いつかあいつがただ横へ退いた時、ここに何が残るのかだ」


リエラは紙の右半分に残された空白を見た。


そこにはまだ言葉がなかった。


だが、その言葉が入る場所だけはもう生まれていた。



*


夜、風が交易場の文書を揺らした。


紙が板へ当たる。


一度。


二度。


三度。


ヴェルシャイン南方交易側の印は下に残っていた。


『ラリオン』という言葉は上に残っていた。


前日、南街道では五台の荷車を町まで通すために血が支払われた。


今日は誰も死ななかった。


誰も剣を抜かなかった。


誰も戦いに勝たなかった。


それでも初めて、ヴェルシャイン南方交易側が、ラリオンの護衛下で起きた襲撃を記した文書に、自分たちの印を残した。


時には、街道の代価は血になる。


そして時には、たった一つの言葉の方が高くつく。

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