第47話 それぞれの気持ち+5
初めに出ていった楠と長森、識宮に続いて、一ノ瀬と桐谷、黒岩がカフェを去ると、この場に残るのは千秋と千春、雪乃と日向、瑞希だ。
「中々上手に躱したね」
「あれが上手だと思うか?」
「もちろん。相手に最低限の情報だけを渡して、相手の怒りを治める。実に合理的で効率がいい」
「それだけ相手を信頼してないことが後から知られることになるだろ」
「もともと信頼されるつもりもないくせに」
千春は千秋の心を見透かしたように言う。
実際、それは間違ってはいない。
黒岩という人物は何より正義であることを貫こうとする上で、嘘を決して許さない性格だった。
下手に物を言うのなら、竹刀で頭を叩かれてもおかしくないくらいだ。
「俺はもう少し、他人への評価をしていいのかもしれないと思っていたんだが」
「じゃあ私の評価も上げておいてよ」
「それはない……って、千春姉が離席する前のあれは何だったんだよ」
「少しは癒しが必要かなと」
「何が癒しだ。急に抱きついてくるから困惑しかなかったぞ」
「それはどうかな。名残惜しそうにしてたように見えたけど」
それはない。断じてそんなことはない。
例え昔の幼さのある千春に見えたとしても、そんなことはない……はず。
首を横に降った千秋に千春は微笑むだけで何も言おうとはしない。
「あ、そうだ。日向ちゃんが雪乃ちゃんと一緒に料理教えてもらってるけど、アンタもくる?」
「女子四人でワイワイやっててくれ」
「大丈夫大丈夫。瑞希は先に帰ったから。今なら宮本さんがいて男女比は2対3! さらに雪乃ちゃんが作った料理を楽しめる!」
「それ、出来上がったものの処理をしろと言ってるのか?」
「……そうとも言えるのがなぁ。流石雪乃ちゃん」
「わかった。俺も行くよ」
千秋が立ち上がり、立ち止まった千春の横を通ったとき、小さく「ありがとう」という感謝が聞こえた。
(だから、それは何なんだよ……)
遠い昔の記憶と感情を思い起こされているようで、少し嫌な感情とあの時に戻りたいという気持ちがかき混ぜられる。
それでも千春は、何も教えてくれない。自分で考えろというメッセージのように感じて、千秋は歩みを止めなかった。
厨房には異様な光景が広がっていた。
皿を置くために備え付けられた机の上には紫色のオムライス(?)が一つ置かれており、その奥には雪乃と日向、宮本さんが「どうしてこうなった」と言いたげにオムライスを視線を向けていた。
「あの、なに……いや、なんだこれ?」
「オムライスをつくるつもりだったんだけど……」
「オムライスとは真反対の色合いをしているように見えるのは俺だけか?」
「ううん。わたしも」
日向はオムライス(と呼ぶには些か抵抗があるが、雪乃が言うからオムライスであろうもの)を避けて千秋の方へ移動すると、千秋の手を両手で握って体を寄せる。
「なんでこんなことに?」
「もともとは青色だったんだよ? それが麻婆豆腐のタレを加えて今の色になって……」
「……いい加減、雪乃は何でも入れる癖を解消してくれ……」
もともと青色なのも謎ではあるが、それは置いておいて。この見た目をしたおそらくオムライスを食べる勇気は普通の人であればないだろう。
千秋も一普通の人なので――
「七くんのために頑張ってつくったんだけど……」
「それなら仕方ない」
はい。食べます。
雪乃からそう言われれば、食べないという選択肢は一瞬で消し去るのも当然だ。
「た、食べるの…?」
「当たり前だろ。俺のために作ってくれたのなら、俺が食べないでどうする」
「七くん…!」
心配する日向と、感動する雪乃。そして厨房の外から見守る千春。
そんな三人と宮本さんに見られる中、千秋はおそらくオムライスを一口食べてみる。
おそらくオムライスはちょっと不思議な味がした。
まず感じたのはほんの少しの酸味。ケチャップ由来のものではなく、お酢のような調味料によるものだ。しかし、それがなぜオムライスに入っているのか。
さらに卵だけを食べると分かるが、砂糖の入れすぎでかなり甘い。
逆にご飯だけだと油分が多くべちゃっとした食感があり、さらに塩味がある。塩でも入れたのだろうか。
総評すると、個別に食べても一緒に食べても味が変わる不思議な食べ物、といったところだ。
見た目以上の異端さがなかったのが唯一の救いだが、リピートはないと断言できる。
用意されたおそらくオムライスを一人で食べた千秋は、ゆっくりスプーンを置き手を合わせた。
「要特訓だな」
「頑張ります……」
次に食べるときはもう少し味も楽しめる料理が出てくるといいな、と千秋は心の中で吐露するのであった。
「いやぁ。お疲れ様」
「千春姉は離れたところで見守ってただけだろ」
「一緒に食べたかったの?」
「毒味させてやろうかと思って」
「ひどいなぁ。わざわざ危機回避したっていうのに」
「千春姉の方が余程酷いこと言ってるだろ」
千秋と千春が小さな口論を繰り広げてると、それを見慣れていない宮本さんが仲裁に入る。
二人して仲裁には我関せず、勝手に口論を止める。宮本さんは言いたいだけ言った二人がすぐに何ともなかったかのようにするのを見ているだけになっていた。
その光景に慣れている雪乃と日向にとっては何も思うことはない。
「用事も済んだことだし、そろそろ帰るか」
「そうだね。暗くなる前に帰ろう」
千秋たちが帰ろうとすると、宮本さんが千春を呼び止めたため、全員が立ち止まる。
「八前さんには悪いけど、これを瑞希ちゃんに届けてほしいんだ」
宮本さんはそう言うと、千春に片手だけでは持ちにくい、リボンで装飾された立方体の箱を渡した。
千春はそれが何なのか聞くこともなく、「瑞希にだね」と確認を取るだけだった。
その反応を不思議に思った宮本さんはやはり千春に訊ねる。
「中身が気にならないの?」
「うん? だって、受取人は私じゃないし。正体が分かったとしても、誰かに言うわけでもない。なら、聞く必要はないでしょ?」
「そういうものかなぁ…? まあ、気にならないならわざわざ言わないけどさ」
千春の意見を聞いて、宮本さんは「じゃあ、頼むね」と改めて言うと、ホテルのカードキーのようなものと、鍵を千春に渡す。
「そういうことだから、三人は仲良く帰ること。いいね?」
「千春姉も道中気をつけてな」
「はいはい。じゃ、また後で」
千春は宮本さんに礼を言ってから一足先にカフェを出ていく。
千春に次いで千秋たちも宮本さんに挨拶をしてからカフェを出た。
一足先にカフェを出た千春の背中はもう遠くにしか見えなかった。
「俺たちも帰ろうか」
「そうだね」
「そうしようか」
雪乃と日向は千秋が間になるように立ち、自分たちのペースで家路についた。
用事が増えた千春は先に用事を終わらせるため、桐谷や瑞希が現在借りている学生向けマンションに足を運んでいた。
エントランスに差し掛かると大きなガラス戸があり、それはこのマンションの契約者だけが使える出入口である。
千春はそれを横に避け、暗がりの中にある扉の電子錠にカードキーを当てると、扉の鍵が一時的に開く。
人感センサ-によって間接照明がつき、少し進んだ先にある扉の電子錠にもカードキーを当てて開ける。
扉が閉じ、鍵が掛かったのを確認してから、千春はエレベーターを利用して3階に上がる。
一番端の部屋、307号室を借り受けた鍵で開けて、瑞希の部屋に入る。
瑞希がいないことは知っていた。だからこんな空き巣に入るみたいに堂々と立ち入ったのだが。
「……お姉ちゃん?」
声変わりを迎えていない男の子のような、単に女の子のようなどちらとも認識できる声で千春に呼び掛けた人がいた。
髪は切っていないためか長く、背は日向と同じくらいの中性的な子が一人。カーテンが閉め切られた部屋の中、明かりをつけることなく立っていた。
「ごめんね。私は君のお姉ちゃんのお友達。宮本さんから頼まれたものを持ってきただけだよ」
「そうなの…?」
「うん。これを置きに来たんだよ」
立方体の箱をその子に見せると、その子の表情は少し和らいだように感じた。
「君はお姉ちゃんが帰ってくるまで一人で大丈夫?」
「……たぶん。だけど、ちょっと心配」
「それなら、私でよければ一緒にいようか?」
「……いいの?」
「もちろん」
千春の言葉を聞き、その子は朗らかに微笑んでみせた。
千春は以前、この子と会ったことがある。
それはつい先日のことではあるが、あのときはこの子は寝ていたから、双方の認識の下で会うのは初めてだ。
瑞希から聞かされていたとおり、この子は瑞希の弟である。まだ高校生ではないとすると、中学生くらいが妥当な年齢だと推測できる。
今の時期は中学生でも授業があるはずだが、それに出席しなくて良いのだろうか。
訊きたいことは山ほどあるが、今はそんな個人的な疑問をぶつけるときではないことくらい、千春には分かっている。
千春は何かしらに座ろうと部家の中を見渡してみると、数脚の椅子を見つけたので、その中でも一番背の高い椅子に座り、左脚の脛の前に右脚を出してクロスさせる。
「君も寛いでいて良いんだよ? なんて言ったってここは君のお家なんだし」
「う、うん。そうする」
彼はぎこちなく椅子に腰かけると、何度も座り直してから椅子の上で落ち着いた。
本当に彼はこの家に住んでいるのかと疑問が浮かび上がってくる。
もともと、瑞希も元はここに住んでいたわけではない。少し遠くの地からこの学園を選び、マンションを借りているため、こちらに来たばかりの頃は慣れないことが多かったらしい。
だが、それも、三年間使い続ければ難しいことも減っていったと言っていた。
流石に彼も三年はここにはいないはず。だが、瑞希とあの夜、あの橋の上で語ったときには、すでにここに来ていたような気がする。
それは、近くでずっと見守ってきた瑞希が、あれだけ調子を下げていたからだ。
その理由こそ、彼だ。
私はもう少し、彼のことを知らないといけないらしい。
「そういえば、自己紹介がまだだったね」
私は彼にそう切り出してみる。
やはり名を聞くのであれば、先に名乗るのが作法というもの。
「私は八前千春。さっき言ったとおり、君のお姉ちゃんの友達だよ。よし、次は君の番」
「ぼ、僕の名前は、春川美羽……です」
「そっか。美羽くんか」
この子は嘘を吐いている。私はそんな気がした。
七瀬と春川。この名字の違いはなんだろう。
単に言い間違えたというわけではなさそうで、千春が弟というのであれば弟なのだ。
義理の弟という可能性はあるが、そのときは瑞希はちゃんと義理だと説明するはずだ。
(本当に美羽くんは自分の名字が春川だと思っているのか、それとも何気ない顔をして嘘を吐いたか……)
どちらにしろ、これまでに瑞希から聞いた話により、それらを本人に訊くのは躊躇われた。
このことは瑞希に訊く方が私にも瑞希にも都合がいい。
とりあえず瑞希には美羽と会ったことだけ連絡しておいて、しばらくの間は美羽とお喋りをすることになった。
しばらく、とは言っても、瑞希が帰ってくるまでに美羽は寝てしまっていた。
瑞希はカラオケを途中で抜け出してきたらしく、適度に疲れていた様子だった。
「ごめん千春。気付くのが遅れちゃって」
「大丈夫。こっちもそこまで手間のかかることにはならなかったから」
「美羽とは何か喋った?」
「ちょっとだけね。さっきまで起きてたんだけど、疲れて寝ちゃったみたい」
千春の証言に瑞希は胸を撫で下ろした。
それから、千春に対して申し訳なさを感じながら、瑞希は元気なく提案をする。
「……多分、千春には訊きたいことがあると思うけど、先延ばしにしてもいいかな?」
「もちろん。気持ちは分かるから」
「……今日はありがとう。折角見ててもらったのに悪いけど、美羽が起きる前に帰ってほしいの」
なんとなく、瑞希が恐れていることが何なのか千春には分かった。
寝ている美羽が起きていても聞こえないくらい小さな声で思ったことを瑞希に言ってみる。
「認識がズレてるから?」
「……わかった?」
瑞希も千春を真似をして小さな声で返す。
「ここに来たときに瑞希と間違えられたからね。そういう感じだとは思った」
「鋭いなぁ千春は。多分、美羽の千春への認識は私。子どもたちが演技でなりきってるように見えているのと同じだね」
「つまり、美羽くんが起きたときに私と瑞希がいると美羽くんの認識だと瑞希が二人いるように見えるわけだ」
「そう。だからごめん。今日は帰ってほしいな」
先ほどの頼み方とは異なり、上下関係を作るようなものではなく、友達関係としての頼み方に千春もすぐに頷く。
「でも、埋め合わせはしてね?」
「うん。約束する」
そうして千春は瑞希に玄関まで見送られて家路につく。
エントランスに出たところでマンションに戻ってきていた宮本さんを見つけ、その人の名を呼ぶ。
宮本さんは微笑みを崩さず千春を見て、配達物の件への感謝を告げた。
「仕込みが上手いね。分かってたんでしょ?」
「……まあね」
カフェにいたときとは違う、優しさのない声で返された言葉に千春はため息をつく。
「君だって、分かっていたんだろう? その上で僕の頼みを引き受けた」
「ここまで複雑な思いになると知っていたら引き受けなかったけどね」
「酷いなぁ。それじゃあまるで僕が君を罠にかけたみたいじゃないか」
「本当のことでしょ? あなたは瑞希たちがどんな関係なのか詳しく知ってたみたいだし」
宮本さんは乾いた笑いを披露してみせる。
騙されたわけではない。自分から歩み出したことなのだから、それを知る権利は千春が持っている。
千春は宮本さん相手に引く気はなく、それは宮本さんにも十分分かっていた。
だからこそ、エントランスでこんな状況を見せるわけにはいかない宮本さんが先に折れた。
「僕らの思いは同じはずだよ。『瑞希ちゃんを少しでも休ませたい』ってね。それを後々続けるのなら、君だってそれを知っておいた方がいいと思うけど?」
千春としては宮本さんの考えには大部分賛成だ。それでも、自分だけ知らないことがあったまま行動させることには反対だった。
だから今回のことには腹を立てたのだ。
「でも、君も同じ思いがあるはずだろう?」
相手に与える情報は最小限に抑える。
ああ。そうだ。私も同じことをしていたんだ。
それを理解した千春は、力なく背筋を伸ばし、宮本さんに「頼まれたことはしましたから」と言い残してエントランスから外へ出た。
(……はぁ。千秋は私のこと、許してくれてるかな…?)
少しだけ帰るのが嫌になりながら、千春は一歩ずつ三人の待つ家へと歩みを進めていった。




