第45話 それぞれの気持ち+3
一ノ瀬が真っ先に相談しに行った相手は黒岩だった。生徒会書記を継ぐ関係上、前職に聞くことが手っ取り早いと考えたからだ。
「黒岩先輩、よろしくお願いします!」
「ああ。よろしく頼む」
「早速ですが、書記は何が仕事なんですか?」
「書記の仕事は大きく三つだ。
一つは、球技大会や文化祭の活動報告書の作成だな。壁新聞部の記事の隣なんかに生徒会も書いた記事を掲載しているわけだ。理想としてはイベント毎に書いていくことだな。
二つに、部活のポスターのチェックだ。どの部活も毎年ポスターを作るんだが、そのポスターで部活に関係ないことを書いている、もしくは、著作権を違反しているものは掲載を認めないように。ポスターを作った部活だけでなく、生徒会全体も問題視されるからな。そこは注意しておけ。
三つに、学園生徒規則が改訂されたときに、それを文書に残すことだ。生徒会室にこれまでの変遷がまとめられたものがあるから、八前に聞くといい。人によって書き方が違うが、これまでの書いてきたものを見て書きやすい書き方でいいから、それにちゃんとメモしておくといい。任期終了時に活動報告書を書くときに同じようなことを書かないといけないからな」
「な、なるほど…?」
分かっているのか心配になってきた黒岩は念を押すように「分からないときは八前に聞くといい」と千秋を犠牲にすることで不安を解消した。
「そういえば、前期の頃は誰が書記をしていたんですか?」
「識宮真紅。あそこにいる識宮さんの兄だ」
「真白ちゃん、お兄さんがいたんだ。なんでもこなすイメージから一人っ子だと思ってた」
「あそこの家は一般家庭とは少し違うからな」
「……違うんですか?」
「知らないのか? 識宮家は七原四大名家のうちの一つで、昔から学問においてはトップレベルの名家だぞ」
「四大名家?」
「金融の七原家、学問の識宮家、末裔の金城家、豪農の花園家で四大名家だ」
「だから勉強がよくできるのかあ」
一ノ瀬は聞くことを聞けたので黒岩に「ありがとうございました」と礼を言ってから、気になった人に対して向かっていく。
「ねえねえ真白ちゃん」
「はい。どうかしましたか?」
「真白ちゃんは七原四大名家って聞いたけど、それって何なの?」
識宮は一瞬顔を強張らせて息を飲んだ。
目の前にいる相手はただ好奇心で聞いてきただけだと言い聞かせて、一ノ瀬に向き直る。
「さあ? 私もあまりよく知りません」
識宮は何故か嘘をついてしまった。
頭では許していたのに、心は許さなかった。
「ご、ごめんなさい。上手く説明できないというか」
なんとか繕おうとしても、出てくるのは言い訳だけ。
それを見ていた一ノ瀬は、特に気にすることなく、「説明が難しい話がいっぱいあるのは分かるな」と無邪気に笑ってみせた。
「ごめんね。難しいこと聞いちゃって。真白ちゃんが説明できないことは、あたしだって理解できないし」
「いや、ちがっ……」
「あ、そうだ。千秋くんにも聞きたいことがあったんだった。また後で話そう!」
一ノ瀬はスキップでもしそうなくらい調子良さそうに歩いていき、少しだけしか伸ばさなかった手では届きそうにもない。
そうして識宮は通路に一人取り残されてしまった。
「何かお困りごとがあるようで」
「ひゃあ!?」
「そんなに驚くことないのに」
識宮が驚いたのは、千春が背後から話しかけたのが原因だった。
「それで、何を考えてたの?」
「え、いや、何も……」
また嘘をつく口を識宮はどうすることもできなかった。
千春はじっと識宮を観察した後、何か思い付いたように左手の手のひらを前に出す。
「…飴?」
包みに入ったものの形がハッキリと現れたそれは、紛れもなく丸い飴だ。
「気が張っているようだったからさ、舐めてリフレッシュしな?」
「あ、ありがとうございます」
識宮は千春の手から包みをつまみ上げ、包みの両端を引っ張ってピンクと白のマーブル模様ができた飴を出す。
口の中へと放り込むと、いちごミルク味の甘い味が広がった。
「それのお返しに、ちょっとした雑談だと思って聞いていってほしいことがあって。いいかな?」
「それは構いませんが、こんな通路の真ん中で話さなくても……」
「お兄さんとは今も仲が良い?」
千春の問いに識宮の表情が一変した。驚きあるいは恐怖を感じているような顔で、識宮は千春を警戒していた。
「何を驚いてるの? 識宮真紅は第23回生徒会。私と一緒に勤めた名前が出てくるのは何も不自然じゃないでしょ?」
「……。」
鋭い眼差し。それでも千春が見下ろすかたちになっているのは変わらず、このくらいで怖じ気づく千春でもない。
「まあ、無理もないか。真紅に聞きたいことがあったんだけど」
「え、あ、そのくらいなら……」
「え? やだよ。自分に危害が及ばないと分かった途端に心を許す相手に何を話すことがあるのさ」
「…え?」
「それに、真紅の連絡先くらい私も持ってるし」
これがトラップだと気づいたのは、もう手遅れになってからだった。識宮にとって初めての騙し技は、意図も簡単に引っ掛かってしまった。
「な、なんでこんなことを」
「ちょっと心配だったんだよね。その立ち振舞い」
千春が言うことに、識宮は全く理解が追いついていなかった。
それこそ、相手が何を言ってくるのか分からない恐怖があった。
「私情を隠すなら、もっと複雑に考えないと」
「どういうことですか」
「深くは教えないよ。それを考えるのは識宮家に産まれた人がすることだよ」
識宮には千春が何を言おうとしているのか分からなかった。ただ一つだけ、今のは説教なんかではなく、助言だったことは分かった。
それでも、何か一つくらいは言い返しておきたかった。
その時に放った言葉は思ったよりもすらりと言葉にできた。
識宮は千春が一瞬驚いたことに気付くことはなく、胸の中でつっかえていたものが取れたことに不思議と安心感を覚えていた。
千春と瑞希が全体を取り仕切った後、二人は雪乃と日向を連れてどこかに姿を消していた。
よくあること、と言ってしまえばその通りなのだが、千秋としてはやるべきことが半分くらい分かっていなかったので、そのあたりの説明を求めたかった。
「なあ、千秋。誰も来ないけど良いのか?」
「良くはない……けど、実は聞きにくるべき人とまだ連絡できてなくて、今日ここにいないんだよ」
「それって、前も言ってた人?」
「ああ。多分、上手く説明が行き届いてなかったか、忘れてるだけだと思うけどな」
千秋は一度だけ御嶽と話をしたことがある。
そのときは一体何について話したのだろう。
何か大切なことを話した気もするし、そうでない気もする。生徒会役員になったばかりで、重要なことを学んでいた頃の出来事だったためにいろいろな話が混ざっている。
「人のことなんて、いくら考えても分からないよな」
千秋は諦めの言葉を吐露して、御嶽のことを考えるのを中断する。
背凭れに体を預け、気が張った心を少しだけリラックスさせる。
「あ、千秋。僕、ドリンク取ってくるね」
「じゃあオレも」
「報告しなくていいから」
空のグラスを持ってドリンクバーを取りに行った隙に、千秋はスマホに千春から連絡が来ていないかを確認するが、残念ながら連絡は母からのもの以外来ていなかった。
(……母さんから?)
引き寄せられるように指は新着と表情されている欄に触れ、母からのメッセージが表情される。
『千春から聞いたわ。来年も生徒会をやることにしたのね。母さんは遠くから応援しているから、千秋がしてみたいことを積極的に取り組んでみなさい。困ったときはいつでも力を貸すわ。
とは言っても、今はフランス部署の仕事が上手く回っていないから、直接手を貸すのは難しいけれど。
それと、春休みに入ったら私もイギリスから戻るつもりだから、その時にまた会いましょう。もちろん、雪乃ちゃんと日向ちゃんも一緒にね?』
メッセージを見終わった千秋は気だるげな猫から「ok」という吹き出しが出ているスタンプを返し、スマホを制服のポケットに仕舞う。
「今年も帰ってくるんだ」
「……いつからそこにいた」
「うん? メッセージを開いたときかな」
千春は千秋の座るソファーの背凭れの上から、悪びれもなく答えてみせる。
千秋はソファーの上で体の向きを変えて、千春を視界の中に捉える。
「勝手に人のスマホを見るのは良くないと思うが」
「それは姉の特権で問題ないでしょ?」
「プライバシーの侵害だ」
千秋は分かりやすくため息をついてみせるが、千春はそれを軽く笑うだけだった。
「雪乃ちゃんも日向ちゃんも、私が見ても怒らないのに。逆に嬉々として見せてくれるよ?」
「それは女子同士だからっていう理由もあるだろ」
「いやいや。そんなことないと思うけど」
「じゃあ、どんな画面を見せたんだよ」
「アンタの寝顔の写真とか、よく見せてくれるよ?」
「ああ……うん。なるほど」
それなら雪乃も日向もやりかねない。というか、過去にしていたことはもともと知ってはいたが、まだ続けていたことは知らなかった。
撮られる側はかなり恥ずかしいのだが、それを自身の姉に知られていることがもっと恥ずかしい。これは今度お仕置きをしないといけないようだ。
「って、それはまあ置いておくとして、どこに行ってたんだよ」
「内緒。それは今アンタが気にすることじゃない」
こういうときは何を言おうと千春は意思を曲げないので、千秋は仕方なく諦める。
「それで、戻ってきたのには理由があるんだろ? なにか用があるのか?」
「ああ。そうそう。せっかく生徒会を続けることになったんだし、ちょっとくらい甘やかそうかなと思って」
「日向みたいに構われなくて寂しいとか言うつもりか?」
「言ったら、ダメなの?」
千春は普段千秋に見せている表情とは異なる顔で千秋に問う。
一瞬、千秋は目の前にいる人物が本当に自分の姉であるのか疑った。
無垢で責任感を持たない、何年も前から見なくなったその表情と声に、千秋は懐かしさを覚えていた。
「な、なんだよ、いきなり」
「知ってるよ、千秋が頑張ってきたことくらい。例え分からない奴がいても私が完璧に証明する」
千秋の肩の上を千春の腕が通過し、千秋の胸あたりで手が止まる。弱い力で腕を交差させ、千春は静止した。
ぎゅっと抱かれる感覚は、大切に扱われているぬいぐるみにでもなったようで、温かさと優しさを肌で感じる。
(なんで、いきなり……)
千春の行動に理解が追いつかず動けなかった。
いや、その温かさをもっと感じていたからかもしれない。
だが、その温もりは長く続かない。
千春が千秋から離れていき、何事もなかったかのように、千春はソファーの向こう側で笑った。
「ふふっ。さてと、お仕事の時間だよ。休憩時間は終わり」
千春はもう、あの時の千春とは違った。いつものちょっと厳しくて、不思議な存在に戻っていた。
どういう心境の変化があったのか、それが分からない千秋には、千春が何を求めていたのかも分かりはしない。
「じゃ、私は桐谷さんのところ見てくるから」
「あ……千春姉」
「今は他人のふりをする。それが私たちの約束でしょ?」
すっかりいつもの表情に戻った千春は、いつも通りの厳しさで、いつも通りのミステリアスな行動で、千秋の前から姿を消す。
他人のことなんて分からない俺たちには、こうするしかなかったのだから。
千秋の前から離れた千春は、識宮のことばかり考えていた。
あの時の識宮の顔から伝わってきたのは、冷たい怒りのようなものだった。
(制限なく動ける貴方とは違う、か。ごもっともな反論だ)
勿論、雰囲気的に何か言い返されることは予想していた。あの子は兄とは違って我が儘なことは立ち振舞いから分かっていた。
事実、彼女は自身の安全を最優先にして、都合の悪いことを言われれば立場の違いを持ち出す。
一言で言えば、それは拒絶だ。
(だけど、千秋と共に生徒会をするのなら、その癖は解消しないと、いつか大変なことになる)
千春は卒業が迫るこの時期に、もう少しだけ仕事をすることを決めた。
それが自分の我が儘だということを心に刻んで、崩れた表情を戻してから瑞希のもとへ行く。




