第42話 それぞれの気持ち
桐谷との事務仕事を終えてから、不自然なことが起きることはなく、普段と特に変わらず雪乃と日向の甘える攻撃を受けていた。
学園に登校すればちょっと機嫌の良い一ノ瀬と今日の打ち上げについて喋り、後から来た楠と長森を見るなり一ノ瀬は話を切り上げて女子の陣営へ入って行った。
「やっぱり佑斗とは一緒になりたくないみたいだね」
「一ノ瀬から嫌われるのは別に問題ないけど、それによって女子からの評判が悪くなるのは大問題なんだよなぁ」
「一ノ瀬さんと仲良くすればいいのに」
「それは嫌だね」
「なんでさ」
「だって、アイツは狂犬そのものだぜ? なんか言えば噛みついてくる勢いで反論してくるし、勝負事で負けそうになると怒るしで、それを真っ向から受けるオレの身にもなってほしいくらいだぜ?」
一ノ瀬と楠は周りから犬猿の仲と呼ばれるほど馬が合わない。双方ともに喧嘩は買う主義で、さらに負けず嫌いとなれば仕方のないことなのかもしれない。
それでも同じクラスにいる間は仲良くしてほしいと思うのはおかしいことだろうか。
「っていうか、楠と一ノ瀬はいつからそんな関係になったんだ?」
「そういえば僕も知らないかも。気づいたら喧嘩してるイメージがあるから疑問にすら思わなかった」
「別にいつも喧嘩してるわけじゃないけどな」
楠は長森の発言に訂正してから、千秋の問いに「うーん」と悩む声を漏らした。
数秒悩んで得た答えは「オレもしっかりとは覚えてない」だった。
「でも、なんとなく何が原因だったのかは分かる」
「へー? なになに?」
「以前……中学の頃、翔太としてた胸トークだよ」
「え、でも僕はなんとも言われなかったよ? なんで佑斗だけ嫌われるの?」
純粋な疑問に千秋も頷き、長森の考えに賛同する。
「あの時、俺はいろんな人のを分析した情報を言ってたからな」
「ただのエロ紳士じゃん。それなら早く詫びた方が良いんじゃない?」
「そう思うだろ? でもさ、よくよく考えてみろよ。内容が内容なだけに、自分に非があるのを認めた上でどうやって謝ればいいんだ?」
「そりゃあ『気持ち悪いこと言ってごめんなさい』でしょ」
これは流石に楠に非があるため、長森も雑な解答をせざるを得ない。多分、千秋だとしても同じ答えを言っていたに違いない。
「それはそれで心が痛い」
「そう感じるのなら普段からの言動に気を付けろよ」
「くそ、千秋が優等生なせいでなにも言えねえ」
これまで優等生と言われたことはなかった。生徒会役員をしているからといって、特段勉強ができるということはない。
さっきの発言を楠基準の優等生という意味で捉えると、大して嬉しいとは感じなくなった。
普段の言動がやはり問題か。
「まあ、ともかく。あと二年は同じ学園で生活しないといけないんだから、少しくらい仲良くしなよ?」
「この生涯で最も大きな壁を迎えている気がする」
「どれだけ負けず嫌いなんだよ」
「翔太が1だとするならオレは10くらい」
長森が負けず嫌いなイメージが無さすぎるせいで楠が言いたいことが全く想像できない。十倍ならきっと物凄いのだろう。
「っていうと一ノ瀬は20くらいだな」
どうして火に油を注ぐようなことを簡単に言ってしまうのか。
一ノ瀬の方を見ると、彼女はじっとこちらを見ていて、千秋と目が合うとガッツポーズをしてみせた。
(倍率で勝ってるから嬉しいのか)
あまりに単純な思考回路すぎて納得しかけたが、よくよく考えてみれば馬鹿にされていることに気づいていないだけではないだろうか。
それを指摘する方が火に油を注ぐ結果になると想像できたので、千秋は敢えてそのことには口出ししなかった。
昼休み兼放課後、千秋たちはこの後打ち上げがあるため学園内でお昼ごはんを食べず、足早に教室を出た。
打ち合わせ通り連絡アプリに送られてきている場所へ五人で向かっていた。
この五人は雪乃、日向、千秋、楠、長森である。一ノ瀬は一足先に颯爽と教室を出ていった。朝に聞いたが、桐谷と一緒に行く約束をしたらしい。
「なんか遠足みたいだね~」
「そうだね。最近は忙しかったから、久しぶりの休暇が嬉しいな」
と、前の女子二人は笑顔で道のりを進んでいく。
逆に男子三人はと言うと……
「美少女二人が並んでいる姿がてえてえ…!」
「長森が壊れた」
「翔太は百合の間に挟まる男絶対許さないマンだからもともとだぞ?」
「挟まる男は100年生きられないから」
「どんな理論だ」
と、あまりにも馬鹿やってるだけである。
ツッコミ担当が千秋だけというのが心許ないが、この二人、ツッコミ担当がいるからとやりたい放題である。
「あ、でも、か弱な女装男子が女子と百合の間にいるのは良いよ」
「いや、漫画の設定しかあり得ないだろ」
「いやいや、この世にはあり得るんだよ。か弱い女装男子がいても、女の子っぽい人外が青春しててもおかしくないんだよ」
「な? もともとだろ?」
「まだ友達として見てはおくけど、これより酷くなったら友達やめるかも」
結構辛辣なことを言ったつもりではあったけれど、長森は今日はなんだか絶好調で、止まる気配がなかった。
そんな五人組が歩いていると、なぜか後ろから「おーい!」という、よく響く聞き慣れた声がした。
「うげっ」
楠は声を聞くなりそんな反応を示し、足早に前に進む。
だが、それを許さない者が一人。
「佑斗でもそれは駄目だなぁ」
「ちげぇから! 挟まるつもりはねぇ!」
千秋は長森に少しだけ恐ろしさを感じた。
長森の前で雪乃と日向の間にいたら、かなりマズいことになるのでは、と考えが及んだからだ。
とまあ、長森の評価を変えたことよりも、なぜ彼女たちが後ろから現れたのか。
「どうして桐谷会長がいるのに……って、ああ……なるほど」
桐谷は一度行った場所には迷わないらしく、記憶力が良いということは前に聞いたことだ。ただ、一度も行ったことのない場所となると話が変わってくる。
そんな彼女の手には画面の暗くなったスマートフォンが。
充電切れでマップを見れなくなった桐谷は、路頭を彷徨っていたようで、ちょっと泣きそうになっていた。
そうして、たまたま近くを通りかかった千秋たちを見つけて、追いかけてきたようだ。
たまたま通りかかったのを見つけた嬉しさと、頼りない先輩として見られたのではないかという不安、そして、折角の機会なのに、婚約者たちと一緒にいるようになってしまうという自己嫌悪。
本当に何から何まで顔に出ている桐谷を慰めてあげようかと思ったが、この場には雪乃と日向がいることを考えるとそれは思い留まった。
だけど、せめてこのくらいは許してほしい。
「先輩たちも一緒に行きましょう? トップがいなくては楽しみも少なくなりますから」
言葉に行動は伴わなかった。今の自分には、この手を差しのべる余裕はないから。
すみません、と小さな声で謝罪するが、今の彼女にはそれを聞き止めることはできなかっただろう。
ただ、桐谷の呟いた「ありがとう」という言葉に、また心が痛んだ。
学園からの道のりの残り一割くらいだけ、もう二人を連れてお店に向かうことになった。
道中では男子三人が先行することになり、女子四人が後をついていく形になった。
「前から女子が来たら、オセロ式に僕らも女になれないかな?」
「真面目な顔して何馬鹿言ってるの…?」
一ノ瀬、ツッコミ役に参戦。
これは心強い味方だ! なんて、一瞬でも思った自分が馬鹿だった。
「後ろから男子が来たら、あたしたちが男になっちゃうじゃん」
何が『真面目な顔して何馬鹿言ってるの』だ。特大ブーメランだよ。
これが打ち上げの間も続くと思うと、今からでも帰りたくなってきた。
千秋は心の中で、馬鹿が叩いたら治るものであればいいと思った南谷妹につくづく同情した。
お店に着いたのは、学園から十五分ほど歩いた頃だった。
お店の前には『Closed』の看板が掛けられていたが、お店の中は灯りがついていた。
看板の掛けられたドアを押して開けると、ベルの音がお店の中に響いた。
「いらっしゃい」
ベルの音を聞いてだろう。男性の声が奥から聞こえてきた。
暖簾を手で上げて顔を見せた店員は、かなり若いイメージを感じさせる雰囲気を纏っていた。年は20代後半から30代前半といったところだろう。
「おお、大人数だ。話は聞いてるよ。奥へどうぞ」
店員はそう言って、千秋たちを暖簾の奥へ移動するように促した。
入り口は大人一人が通るとすれ違いはできないくらいには狭いので、入り口を塞がないように千秋は先行して店員の案内に従った。
その先にいた千春と瑞希が千秋の存在に気がつくと、千春は嬉しそうに「遅かったね」とドリンクの入ったグラスを持ち上げて言った。
緩みきった千春に千秋はジト目で「先輩が早いだけです」とわざと先輩というところを強調して訴える。
「おっと。危ない危ない」
「千春はすぐに気を抜くから気をつけなよ。今日はまだ私たちしかいないからいいけど」
「言われなくとも分かってますー」
千春は持ち上げていたグラスを傾け、入っていたドリンクを一気に飲み干した。
「あ、そうだ。八前くんには悪いんだけど、桐谷さんが困ってるかもしれないから、連絡を……」
「ど、どうもご心配おかけしました」
「いやぁ。危なかった」
奥の部屋に人が続々と集まってきて、残りは黒岩と識宮の二人を待つだけとなった。
それぞれが話しやすい相手と雑談を繰り広げており、千秋は雪乃と日向の近くかつ、男子二人に話せる位置を獲得した。
「さて、じゃああと二人来るまで寛いでていいよ。ドリンクバーは人数分頼んだから、好きなだけ飲んでいいよー」
千春の言葉に単純な思考をしている男子二人と一ノ瀬は真っ先にドリンクバーへと向かい、早速何を混ぜるかを談義していた。
一ノ瀬は多分混ぜる種類の多さで盛り上がっているようだ。
それを見守っていると、ふと、背後で小さく謝罪の声が聞こえてきた。
そちらに意識を向けると、どうやら謝ったのは桐谷のようだ。
「折角の時間を邪魔してごめんなさい」
「ううん。いいよそんなこと。わたしたちもカッコいい七く……千秋くんが見れたから」
「それに、帰ったらその分は時間を確保してくれますし。謝らなくていいんです。ほら、皆さんが来る前に頭を上げて下さい」
雪乃と日向が素晴らしい連携で桐谷の心に寄り添うと、桐谷はもう一度だけ頭を下げてから瑞希のもとへ話しかけに行った。




